オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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スキルの詳細は不明なことも多いので、都合の良い独自設定ということにさせてください。


(Side-M)追憶

「――あまり長引かせても申し訳ないので、また胸を借りるつもりでいかせていただきます!」

 

 精悍な顔立ちの半森妖精〈ハーフエルフ〉の青年――ユンゲ・ブレッターが凛と声を張り上げた。

 こちらの眼前で聖遺物級のバスタードソードを構える姿は堂奥に入ったものであり、“ユグドラシルの恩恵”に胡座をかくばかりでない、日々の鍛錬での成果を思わせる。

 ここまでの攻防で見せてくれた魔法と剣技による合わせ技も、何度かの模擬戦を重ねる度にメキメキと上達していくのだから、成長の実感が乏しい身としては羨ましい限りだった。

 超満員の観衆が詰めかけているバハルス帝国の帝都〈アーウィンタール〉の大闘技場の中心に立ち、対峙する“もう一人”のプレイヤーを目の前にしたアインズは、自身が言い知れない高揚感を覚えていることに気付いていた。

 長らくと大闘技場に君臨した“武王”ゴ・ギンを打ち破り、新たなる覇者となった“魔導王”アインズ・ウール・ゴウンを相手に、“挑戦者”として名乗りを挙げた新鋭の冒険者――実際の状況はやや趣を異にしているものの、舞台での演目を盛り上げるという意味合いでは、これ以上の絵を思い描けないほどに誂え向きの構図となっている。

「……ふむ、お前の全力で挑んでみせよ!」

 覇者たるに相応しいと考えた台詞でアインズが応じてみせれば、大観衆の声援が一層と高まっていくのを理解できるのだ。

 大勢の人間が生み出している地響きのような鳴動は、大闘技場の全体を揺るがすほどであり――、

「……お前は、もう少し俺に気を使っても良いんじゃないのか?」

 ふと耳に届いた歓声を聞き咎め、アインズは存在しない表情を顰めながら貴賓室を降り仰いだ。

 煌びやかな欄干から身を乗り出すようにして声援を送るのは、“鮮血帝”ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだった。

 先ほどの武王との一戦のときと同様に、どうやらアインズの対戦相手ばかりを応援しているらしい。

 この世界では忌避されるはずの不死者〈アンデッド〉の身に対して、自ら友になろうと歩み寄ってくれた好人物の容赦ない対応に内心では苦笑しつつ、それでも決して悪い気はしない。

「ただ……まぁ、ヒール役には慣れているからな」

 かつて、“非公式”ラスボスと揶揄されながら、誰一人として挑戦者が現れることのない玉座に待ち惚けていた頃とは違う――端的に評するのであれば、こういった悪役を気取りながら挑戦を受けるシチュエーションに、“鈴木悟”は燃えるのだ。

 

 敬意とともに挑戦者へと向き直り、アインズは悠然とグレートソードを構えてみせた。

「ありがとうございます」と朗らかな笑みを浮かべたユンゲが、僅かな転瞬の間に真剣な眼差しとなって駆け出してくる。

 魔法による身体能力強化〈バフ〉も相俟り、その勢いは武王に倍するほどの驚異的なものだが――、魔法詠唱者としてのレベルを戦士としてのレベルに移し替える〈完璧なる戦士/パーフェクト・ウォリアー〉によって、“漆黒”のモモンとなったアインズの脅威にはならない。

(……どうやって決着をつけてみせるかな?)

 相手の心意気に倣い、真っ向からの剣技で打ち破ってみせるべきか。或いは〈完全なる戦士〉を解除して、ド派手な魔法で勝利を飾るべきか――この最終局面において、より観客を沸かせることができるのはどちらだろうか。

「――っ、うぉおおおおおー!!」

 猛々しい喊声を上げたユンゲが、勢い任せに大上段からバスタードソードを振り下ろす。

 

「――――っ!?」

 

〈時間停止/タイム・ストップ〉

 刹那の思考が魔法を紡ぎ、その瞬間に世界は色を褪せるように静止した。

「……これは、何ということだ」

 思わずと仰け反るように呟き、アインズは瞠目のうちに肩を振るわせた。

 一切の歓声が消え去った沈黙の世界の中に身を置けば、種族故に不要なはずの自らの息遣いばかりが妙に耳障りであった。

 眼前に肉薄するユンゲの構えたバスタードソードは、今まさに振り抜かれんとする位置で宙空に固定されており、本人とともに不動の彫像と化しているのだが――、その剣身に灯り続けている神々しいほどの煌めきが、アンデッドであるはずのアインズの視界までも眩ませる。

 その途轍もない力の奔流を窺わせる輝きを目の当たりにして、アインズは不意の郷愁を覚えていた。

 十二年という長きに渡って紡がれたDMMO-RPG“ユグドラシル”の歴史においても、極僅かな限られた者にしか使用が許されることのなかった超弩級の最終特殊技術――、

「……まさか、〈ワールドブレイク/次元断切〉だというのか?」

 小さな身震い――とある“聖騎士”に挑み続け、何度となく苦杯を嘗めることになった懐かしい記憶が脳裡を過ぎる。

 ギルドの仲間内での訓練だからと無理矢理に託けて、それらの勝敗は個人的なPVPの総合戦績には含めていないほどなのだ。

 何故だと焦りのような感情ばかりが湧き起こりながらも、一拍の間を置いてアンデッドの種族特性による精神の鎮静化が、アインズに冷静な思考を取り戻させてくれる。

「……いや、考えるのは後回しだ。先ずは対処からやらないとな」

 ユンゲによって繰り出されようとしている技が、本当に〈次元断切〉であるのかという確証はないのだが、一方で何度となく身を以って味わうことになった苦い経験が一つの確信を抱かせる。

 直前に派手な魔法で決着をつけようと〈完全なる戦士〉を解除していなければ、アインズでも即座の対応は難しかったのかも知れない。

 その次元を断ち切るという名称に違わず、あらゆるものを引き裂いてしまう究極の斬撃を前に一切の防御手段は存在しない。

 ただ一つの有効な手立ては、同程度の攻撃をぶつけて“互いの威力を相殺する”ことだけ――ならば、アインズの選択できる手段も一つだけだった。

 

「……それにしても、七十レベルを超える頃には、〈時間停止〉対策は必須なんだけどなぁ」

 その姿に改めて目を向けてみたのなら、ユンゲ・ブレッターと名乗る“もう一人”のユグドラシルプレイヤーは、本当にチグハグな存在だった。

 戦士職と魔法職に振り分けた中途半端な職業構成と遠隔視の鏡〈ミラー・オブ・リモート・ビューイング〉のように初歩的な探知にも無頓着な姿勢は、アインズのような“廃人”プレイヤーでないことを証明している。

 しかしながら、単なる“エンジョイ勢”なのかと考えれば、相応の入手難度を誇る聖遺物級の装備を保有していたり、思いがけない戦闘センスの高さに驚かされることもあり、今この瞬間のように全くの想定外な事態を引き起こしたりもするのだ。

「……けど、“たっちさん”が相手だったら、絶対にこうはできないよな」

 あらゆるものが静止した世界の中で、なお一層と輝きを増していくバスタードソードの剣身を見遣りながら、アインズは誰にともなく呟いた。

 ふと落ち着いて状況を顧みれば、〈次元断切〉ほどの強力に過ぎる特殊技術の起ち上がりから、つぶさに観察できるのは貴重な機会だろう。

 このチャンスを棒に振る手はないと探究の血が騒いだアインズは、仔細までも見逃さないように剣を構えたままで硬直しているユンゲの姿を凝視する。

 どうにかして憧れの相手と並び立てるようになりたいと願い、何度も挑戦を繰り返してデータの収集や魔法の研鑽に明け暮れていた、懐かしい日々が思い起こされた。

「……いつか再会できたのなら、今度は勝たせてもらいますよ」

 そう何気なく口にしてしまった途端、不意に胸の内へと去来する寂寥感に堪えられず、アインズは少しだけ顎を引いた。

 

 ――世界を支配する静寂の中で、モモンガの傍らには誰もいない。

 それでも、“アインズ・ウール・ゴウン”の名を轟かせることができたのなら、この世界の何処かに転移しているかけがえのない仲間たちが、この場に駆けつけてくれるかも知れない。

 ――そのあまりに儚い可能性は、果たしてどれくらいあるのだろうか。

 以前にアルベドからの進言を受け、彼らを捜索するための特別部隊の編成を認めたものの、ユグドラシルの最終日に顔だけでも見せてくれたギルドメンバーは、僅かに三名ばかり――他の多くの者たちは引退に際して、既にアカウントまでも削除しているはずだった。

「……そろそろかな」と吐き捨てるように呟き、ようやくと顔を持ち上げたとき、モモンガが人の身であれば自嘲とともに口許を歪めていたことだろう。

 

 全てが静止したままの観客席を見回しながら思わずと溜め息がこぼれ、アインズは何かを誤魔化すように小さく肩を竦める。

 こうした〈時間停止〉の影響下において、本来なら対象にダメージを与えるような魔法を発動することは不可能であった。

 しかし、プレイヤーの熟練次第では〈魔法遅延化/ディレイマジック〉を併用することにより、効力の解除されるタイミングに合わせて即座に攻撃へと転じることも可能になる。

 空虚な胸の内から目を逸らすように、アインズは自身の持てる力を注ぎ込んで魔法を紡いだ。

 ほぼ全ての魔法的防御を無効化して放たれる第十位階魔法〈現断/リアリティ・スラッシュ〉は、ワールドチャンピオンにのみ許された〈次元断切〉の劣化版ではあるが、アインズの取得している中では単発として最高威力を誇る攻撃魔法だった。

 これを多重発動することによって出力を重ね合わせれば、届くことのなかった“最強の幻影”にも手をかけることができるのだと信じてみたい。

「……俺は、貴方を超えてみせますよ」

 

 ――閃光が爆発のように弾け、超質量の激突とともに世界の音が戻ってくる。

 凄まじい衝撃の余波が、予め観客席に施していた魔法障壁を粉々に破砕せしめ、大闘技場全体を激震の渦中とした。

 大歓声に倍するほどの悲鳴が方々から響き渡り、巻き起こった土煙の中で右往左往としている観衆たちの姿――それでも、目立った被害は見受けられないのだから成果は上々だろう。

「……良し、どうやら相殺できたようだな」

 自身の狙いが成功したことに手応えと安堵を覚えつつ、アインズは小さく骨の拳を握り締めた。

「イベント会場で観客に被害があったら、洒落にならないもんな。多分、一般人の強さだと〈リザレクション/蘇生〉には耐えられないだろうし……」

 最後が閃光と轟音ばかりで、観戦していた者たちには訳の分からない決着となってしまったのだろうが仕方ない。

 人智を超えた戦い……とか、そんな風に都合良く解釈してもらえることを願いたいところだ。

 

「さて……、立てそうかね?」

 醒める気配のない客席の喧騒を聞き流すことにしたアインズは、舞台の中央で倒れ伏しているユンゲに歩み寄り、少しだけ気遣うように声をかけた。

「あぁ、いや……お構いなく、もう体力の限界を超えちゃってまして――」

 大きく肩で息をしているユンゲは、身体を起こすことさえも大変な様子ではあったが、「俺の完敗です」と微笑んでみせる表情は実に晴れやかだ。

 傍に投げ出されたバスタードソードは既に輝きを失っており、降り注がれる日差しをただ照り返すばかり――ふと思い返してみると、初めて“モモン”として模擬戦にユンゲを誘ったときにも、似たような状況が起きていたのかも知れない。

 見物の請負人〈ワーカー〉たちに囲われての決着となった最後の場面――剣を手に駆け込んできたユンゲを目前にして、アインズは微細な雰囲気の変化を感じ取ることになった。

 しかし、何を仕掛けてくるのかと身構えたところで、不意に支えを失うように昏倒していったユンゲの姿は、先ほどの〈次元断切)を放ってみせた直前の光景に重なる気がした。

 当時のアインズは、単なる魔力切れの類いかと考えていたのだが――、

「……何か条件でもあるのか? これは色々と調べてみる必要がありそうだな」

「えっと、何かありましたか?」

「い、いや……折角ならば、お互いの健闘を讃えなくては、と思ってな」

 不思議そうに小首を傾げていたユンゲの手を掴み上げ、少々強引に立ち上がらせてしまう。

「わっ、――っとと」

「――さぁ、皆に“真なる冒険者”の姿を見せてやってくれ」

 無理矢理に話題を切り替えることにしたアインズは、“魔導王”に相応しい振る舞いで前へと進み出るように促し、“挑戦者”ユンゲ・ブレッターの名前を大闘技場に喧伝する。

「――改めて聞け、バハルス帝国の民よ! 我が魔導国の門戸は、真に冒険を志す全ての者に開かれている! この勇敢なるユンゲ・ブレッターのように自らの成長を求めて挑み、また世界を知りたいと願う者は、我が許へと集え!」

 威風堂々としたアインズの口上に、恐慌に駆られるばかりであった客席の騒々しさが水を打ったように静まり、間もなく熱狂に満ちた万雷の拍手と歓声が沸き起こった。

 四方から大観衆の視線に晒されていても、以前のように精神抑制の働くことがないのは、アインズ自身の成長と捉えても良いはずだ。

 一方で、こうした状況にはあまり慣れていないのか、どこか居心地の悪そうな様子で声援に応えていたユンゲは、「あ、あの……ゴウン様」と耳打ちをするように言葉を続けた。

「空腹も限界なので、そろそろ退場させていただきたいのですが――」

「はっはっはっ、また最高に美味い酒と料理を用意させよう!」

 

 *

 

「――って、何をやっているんだ俺は!? 結局、モモンの正体を知られてしまったじゃないか!?」

 ユンゲたち“翠の旋風”と別れてから間もなく、ナザリック帰還とともに急ぎ足で第九階層の自室へと戻ったアインズは、当番のメイドや護衛のモンスターたちを下がらせるや、天蓋付きのベッドに倒れ込んで声を張り上げた。

 これまで何度も模擬戦と称して剣を交えていたことで、すっかりと自身の中に慣れが生まれていたのかも知れない。

 特化した職業構成の推奨されるユグドラシルでは珍しい、剣技と魔法を駆使する戦闘スタイルのユンゲ・ブレッターを相手にして、ついつい興が乗ってしまったということもあるのだろう。

 空恐ろしいことに“魔導王”としての立場を忘れ、アインズは何気なく普段のモモンとして接しているときの調子で、ユンゲに話しかけていたのだ。

 不死者の王〈オーバーロード〉として魔導国に君臨するアインズと最高位になるアダマンタイト級の冒険者“漆黒”のモモン――その両者が同一人物であることを知られてしまうのは、今後の国家統治に大きな痛手となる可能性があった。

 本来なら生者を憎むとされるアンデッドの支配下に置かれながらも、城塞都市〈エ・ランテル〉の住民たちが表面上の平穏を保っていられるのは、“人類の守護者”としての役割を与えられたモモンの存在に依るところが大きい。

「うぅー、アルベドやデミウルゴスに何て言い訳をすれば良いんだ……いや、まだ諦めるな」

 これまでに散々と観察してきたユンゲの性格を鑑みれば、他人の秘密を軽々しく言い触らすような真似をする人物とは思えない。

 模擬戦の後、パーティメンバーで合流した彼ら“翠の旋風”を誘い、早速と食事を振る舞ったときにも特に態度を変えられるようなことはなかったのだから何ら問題はないはずだった。

 それでも、ふと脳裡を過ぎってしまうのは、どうしても不安を拭い切れないのなら、口封じのために殺すという冷酷な考え――しかし、魔導国の求めている“真なる冒険者”のロールモデルとして大々的に宣伝したことを思えば、直後に彼らが消息を絶ってしまうのは不自然だろう。

 そして――、

 

「……アンデッドでも飲食を楽しめるように、か」

 毎度ながら美味しそうに料理を頬張っていたユンゲの台詞と表情を思い返し、アインズは小さく息を吐いてしまう。

 宴席を囲みながら一緒に食べないのかと問われ、こちらが飲食できないことを伝えたところ、生気を失うほどに顔を蒼褪めたユンゲが勢い込んで口にしたのは、「何よりも早く、飲食可能になるアイテムを探しましょう!」という言葉だった。

 その危機迫る物言いに、思わずと笑ってしまいそうになるアインズではあったが――、

「元の世界でも、碌な食事を取ってなかったな」

 溜め息がこぼれるままに寝返りを打ち、やおらと天蓋に向けて手を伸ばす。

 ナザリックで供されている数々の料理やカクテルは語るに及ばす、街中で見かける屋台の串焼きや珍しい形状の果物なども気にはなった。

 ユンゲから手渡された森妖精〈エルフ〉特製のレンバス、カルネ村の宴席で供されていた“怪鳥”ペリュトンのステーキ、未だに人間蔑視の強いナーベラル・ガンマが意外に好んで注文をしている“アイスマキャティアのミルク多め”など、これまでにアインズが飲食に興味を惹かれた機会は、もう一度や二度ではない。

 しかしながら、ユグドラシルにおけるアンデッドは食事をしないのが当たり前であり、そうした特殊な効果を持つアイテムが存在しなかったこともあって、すっかりと諦めていた――或いは、発想にさえなかったというのが本音だ。

「……位階魔法は同じだけど、ユグドラシルにはなかった生活魔法とかもあるしな」

 他にも、現地の者だけが使用できる“武技”などが良い例だろう。

 ユグドラシルとは似ているようで細部の異なる世界であったのなら、アンデッドの身体でも食事ができるようになるのかも知れない。

 ――そうであれば、新たな期待を抱かせてくれたユンゲに感謝こそすれ、自身の失態に起因する口封じはしたくなかった。

「……とりあえず、余計なことをされないように、好条件を与えて囲い込んでしまうのが正解か? 美味い飯や酒とかを奢ってやれば、大丈夫そうな気もするな……いや、こっちは後回しでも良い」

 ぼんやりと思考を巡らせていたアインズは、不意にもう一つの難題を思い出して硬直する。

「……属国化なんて、一般人には分からないよ」

 少しばかり情けない嘆きをこぼしつつ、自棄になってベッドを転がってみる。

 大闘技場での試合を終えて、色々と騒がせてしまった詫びをするために、ジルクニフに顔を合わせたところ、何故か帝国が魔導国の属国になることを願い出されてしまったのだ。

 諸々の定義や自治権などの要件は検討もつかず、その場では何の返答もできなかったのだが、もう数日もすればジルクニフからの草案が届けられてしまうことだろう。

 何がどうなって、そのような状況に陥ってしまったのか、平凡であることを自覚するアインズに分かるはずはないものの、デミウルゴスが献策していた計画にも齟齬が生まれているので、もしも意見を求められようものなら厄介に極まりない。

「……本当にごめんなさい」

 最終的に五体投地の姿勢で平謝りするばかりのアインズに残された方法は、逃げの一手のみ――つまりは、ナザリックの知恵者たちに属国化の件を丸投げすることだけだ。

 幸いにして、コキュートスから挙げられた報告書の中に懸案だったドワーフに関する新情報があったので、そちらを口実に暫くは遠征という名の下に、ナザリックを離れてしまうのが得策だろう。

「……いや、本当に申し訳ないと思ってるんだよ」

 誰にともなく言い訳を口にしつつ、善と悪は急げとばかりに手早く準備を始めるアインズであった。

 

 *

 

「ふぅ……って、あわわっ」

 小さな溜め息とともに座り込んだ椅子が、目測よりも深く沈み込む。

 思わずと体勢が崩れてしまい――かけながらも、極上の優しさで受け止められた。

「ふふっ、マリーは何を遊んでいるんだ?」

 くすくすと楽しそうな笑い声。

 他愛のない揶揄いの言葉は、背後に続いていたリンダからだった。

「もう、リーちゃん。だって……仕方ないでしょ、こんなに柔らかい椅子なんて、慣れてないもん!」

 少々の文句とともに座席を軽く叩いてみるが、その衝撃さえもマリーの手のひらまでは殆ど伝わってこないのだから驚きだ。

 室内に備え付けられた文机や照明などの調度品の数々は、以前に招かれた貴賓館で見かけたものと同じくらいの高級品ばかりであって落ち着かない。

「まぁ、そうかも知れないな。……とりあえず、何か飲むか?」

 精一杯なマリーの抗議をあっさりと受け流してしまうリンダは、“レイゾーコ”の片扉に手をかけながら問いかけてくる。

 こちらも備え付けの家具として用意された箱内に冷気を発生させるマジックアイテムであり、飲み物や痛みやすい果物などを長らく保管することができるようになる特注品だ。

 生活魔法にある〈リフリジレイト/冷却〉でも似たようなことは可能かも知れないのだが、常時発動するためには相応の魔力を消費しなければならないので、やはり現実的ではないだろう。

「ん……なら、“ヒュエリ”でお願いします!」

「了解した」と軽く応じながら慣れた手つきでグラスを取り出したリンダが、湧水の蛇口〈フォーセット・オブ・スプリングウォーター〉から新鮮な水を注ぎつつ、さっと半分に割ったヒュエリの果実を添えてくれる。

「ありがとーっ」

 リンダからグラスを受け取り、マリーは満面の笑みで感謝を口にする。

 ヒュエリの果汁を軽く絞って浮かべてみれば、疲れた身体に心地の良い爽やかな柑橘系の香りが広がり、さっぱりとした甘味とともに心地良い酸味も感じられるので最近のお気に入りだった。

 隣席に腰掛けたリンダとともに一息をつき、ふと見上げた天井からは、光量や色合いの調整までも可能な〈コンティニュアル・ライト/永続光〉の柔らかい光が降り注がれている。

 これほどの高価なマジックアイテムに囲まれ、まるで上級の貴族にでもなったかのような待遇ではあったが、マリーとしては却って気疲れしてしまう。

「……ゴウン様って、本当に凄いのね」

「そうだな、もう何に驚けば良いのかさえ分からなくなったよ」

 最早、諦めとも呆れともつかないような心境を抱きながら、お互いに小さく視線を交わしたマリーとリンダは静かにグラスを打ち合わせて傾けた。

「でも、“真なる冒険者”かぁ……私たちにもなれるのかな?」

「――ならないと置いてかれてしまうからな。今は必死に努力するしかないさ」

「それは……勿論、そうなんだけど」

 頭では理解しているつもりでも、どうにもマリーには不安を拭い切ることができない。

 何度でも思い返してしまうのは、つい先日の大闘技場での出来事――正式にアインズ・ウール・ゴウン魔導国所属の冒険者となったことで、マリーたちの“翠の旋風”を取り巻く環境は、様々と一変していくことになった。

 

 春先に魔導国の成立以来、死の騎士〈デス・ナイト〉による警戒網が整備されたことで、モンスターの討伐や街道での商隊護衛といった冒険者向けの依頼は急減していた。

 やがて、糊口を凌ぐことのできなくなった冒険者が、次々と城塞都市〈エ・ランテル〉を離れてしまう事態となったことで最初の変化が訪れる。

 リ・エスティーゼ王国やスレイン法国からの往来がなくなり、閑古鳥の鳴いていた多くの宿屋を魔導国が借り上げて、所属する冒険者用の宿舎として提供することが決まったのだ。

 生活に困窮しかけていた下位の冒険者には朗報であり、ランクや能力等による待遇の差異はあれど魔導王の意向に賛同する者には相応の衣食住が保証されたこともあって、帝都での演説に感化された志願者が日を追うように増えているらしい。

 カッツェ平野方面へと向かう都市郊外には、“真なる冒険者”の成長を補佐するための訓練施設まで建設中ということなので、随分と気前の良過ぎる政策のようにも思えてしまうのだが――、大闘技場の一幕を終えたユンゲとともに招かれた宴席の場で、「未来への投資だ」と楽しそうに語っていた魔導王の言葉が真実なのだろう。

 また、新たな冒険者向け施設の先駆けとしては、死の大魔法使い〈エルダーリッチ〉を“教官”とした魔法の講義が試験的に始まり、これまでの常識では考えられない光景も見られるようになった。

「……神官〈クレリック〉の身である私が、まさかアンデッドから信仰系魔法を教わることになるとは思っていなかったぞ」

「そうだね。今でも不思議な感じだけど、内容はとっても分かりやすかったよ」

「――だが、ようやくと第三位階魔法に手が届いただけだからな」

 まだまだ先は長い、と口許に自嘲めいた笑みを浮かべてみせるリンダを見遣り、マリーもまた静かに苦笑いを返した。

 第三位階魔法の行使となれば、常人が到達できる限界とも称され、本来なら魔法詠唱者としての大成を意味したはずなのだが、遥かな高みを間近にしていると腑抜けた考えは口にできない。

 泣き言ならいくらでも吐いてしまえそうだが、追いかけたい背中はずっと遠いのだから、立ち止まっている時間さえ惜しいくらいだ。

 しかしながら、そうした魔導国による冒険者組合の変革が進められていく渦中で、“翠の旋風”に振り分けられた宿舎――エ・ランテルにおける最高級宿屋として名高い“黄金の輝き亭”の一室を見回し、マリーは何度目かも知れない溜め息をこぼした。

 白金級〈プラチナ〉に昇格して間もない冒険者チームには分不相応な好待遇に恐縮するばかりで、どうにも気の休まることのない日々が続いている。

「――私たちじゃなくて、ユンゲさんが期待されているのは理解してるけど……それにしても、世界が違い過ぎるというかね。この部屋だって、まるで貴族様のお屋敷みたいだし」

 滞在することになった“黄金の輝き亭”を通常通りに利用する場合であれば、これまでの稼ぎを合わせても連泊は難しいだろう。

「この部屋については“フクリコーセイ”の一環ということらしいが、これほどの礼遇に見合う働きとなれば……正直、想像もつかないな。それこそ、ユンゲ殿の言っていた“アンデッドでも飲食可能になるアイテム”を見つけられたのなら、話は違うのかも知れないが――」

 耳馴染みのない言葉を訝るように口にしつつ、やれやれとリンダが肩を竦めてみせた。

 こうして、言い知れない重圧にマリーやリンダが頭を悩ませている一方で、当の本人であるはずのユンゲは、いつもと変わらない気楽な調子で過ごしていることが少しばかり羨ましい。

 

「……ところで、ユンゲ殿は“また”お風呂かな?」

「そうだと思うよ。暇さえあれば、いつでも入ってるし……あんなに好きだとは知らなかったね」

 数々の高価なマジックアイテムに彩られた最高級の宿屋で過ごし、最大の驚きとなったのは客室付きの貸切風呂が存在したことだった。

 薪などの燃料を使用するにせよ、〈ボイラー/湯沸〉などの生活魔法を行使するにせよ、大量の湯を沸かすだけの費用や労力は莫大となってしまうために、一般的な宿屋では共用の浴場を設けていることさえ稀であり、手桶に湯をもらって浸した布巾で身体を拭うくらいが精々だろう。

 どこかの王族にでもなったような環境に置かれていることを改めて自覚するが、貸切風呂の存在を殊の外に喜んでいたのがユンゲだった。

 遠出の依頼から帰還したときは当然としても、毎日の朝晩にも欠かすことなく利用しているはずなので、滞在時は最低でも一日に二回以上は風呂に浸かっている計算になるのだろうか。

「――確かに気持ちは良いけど、あれだけ入っていると身体がふやけちゃいそうだよね」

「あぁ……えっと、キーファが脱衣所に向かっていったみたいだが――」

 やや躊躇うようなリンダの物言いと気遣いの視線に、マリーは小さく肩を竦めてみせた。

「リーちゃん、何度も言うけど……私はユンゲさんを独占したいなんて考えてないからね? あの場では“責任”のあった私が、二人に譲ってもらっただけなんだから――」

 辺境のカルネ村において、リ・エスティーゼ王国軍と対峙した厳冬の日――村人を助けるために、初めて人間を殺めることになったユンゲは、傍目にもはっきりと憔悴していた。

 その大きくも繊細な背中を戦場に押してしまったのは誰なのか――業を背負うべきは、他の誰でもないマリー自身だった。

 貧相な身体で慰めるなどとは烏滸がましいと知りながらも、他に良い方法を思いつかないままに無理矢理と迫り、ユンゲの優しさに甘えて傷の舐め合いをさせてもらっただけだ。

「……だから、私に遠慮なんてしないでよ。それに大好きな人とするのは、本当に……本当に幸せだったからね」

 故郷“エイヴァーシャー大森林”からの境遇をともにしたキーファとリンダを前に、苦痛でしかなかった行為が至福となる瞬間をマリーだけで独占するような真似は絶対にしたくなかった。

 

「――って、キーファ!? 何で入ってきてるんだよ!?」

「ん? お風呂に浸かりたいから?」

「いや……そうじゃなくて、裸……せめて、タオルくらい巻いて――」

「あたしは何も気にしないよ?」

「俺が気にするんだよ!!」

「まっ、良いから良いから……あたしが背中を流してあげるよ!」

 

 不意に部屋の奥から聞こえてきた賑やかな掛け合い――思わずと顔を見合わせたマリーとリンダは、数瞬の間を置いて同時に吹き出してしまう。

 一応は真剣に話していた雰囲気が呆気なく霧散していくものの、これは歓迎するべき変化だろう。

「……えーと、何なら私たちも一緒にお邪魔しちゃおうか? 五、六人くらいなら余裕で入れそうなくらい広かったしね」

「――――っ、いや……またの機会にしよう。あまり困らせてしまうのも申し訳ない」

 ほんのりと頬を染めたリンダが、ゆっくりと言い含めるように呟いた。

 三人の中では年長なこともあり、いつもリンダを頼りにしてしまうのだが、案外と奥手な一面があるのかも知れない。

「そっか、じゃあ……今度だね!」

 凛と澄ましているようでありながら、益々と紅らんでいくリンダの横顔を見つめ、マリーの口許は微笑ましさに思わずと緩んでしまうのだった。

 

 




――ということで、アインズ様の弱みを握りつつ、ユンゲたちは魔導国への就職が決定となりました。

宿舎の豪華すぎる設備は、アインズ様が気を回してくださった結果のはずですが、羨ま……けしからんな状況には複雑な心境を抱いているかも。

ハーレム的な展開には抵抗もあったのですが、それぞれのキャラに思い入れが生まれてしまい、取り合いや誰かが我慢する物語は書きたくないと感じてしまったので、今回のような流れになりました。
ユンゲのヘタレは治りそうにないので、この先がどうなるのかは彼女たちの頑張り次第なのかな……。
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