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「栃浦先生には気を付けなさい。彼、女子生徒に対して明らかに過剰なスキンシップを取ることがあるから」
帰り道、琥珀が綾芽に忠告する。
「そうなんですか…?」
「ええ。気付いてたかしら?さっきも私たちの胸を何度もチラチラと見てたのよ、いやらしい目をしてね」
琥珀は嫌悪感を露わにする。
「いえ…気付かなかったです」
「何度か私の方にも女子生徒から苦情が来てね…生徒会としては無視出来ないのだけど、証拠が無いしデリケートな問題だから生徒会主導で立てられる対策って限られてるのよね」
「各自注意しましょう、って感じで呼びかけるくらいしか出来ませんよね…」
「ええ…」
琥珀は「ふう…」とため息をつく。評判は悪くとも栃浦は現役の教師である。証拠も無く名指しで吊し上げるようなことをすれば大問題に発展しかねない。
「小松さんもね、体を触られそうになった時は愛想笑いなんてしちゃ駄目よ。毅然とした態度でしっかりと拒否の意思を示すこと、いいかしら!?」
強い視線のまま綾芽に顔を近づける琥珀。
「は、はい…!」
琥珀に圧倒されそうになりながらも綾芽は首を振って頷いた。琥珀が語気を強めたのは大人しめで断るということが苦手そうな綾芽を案じてのことであろう。
「あの、会長ひとつ訊いてもいいですか?」
少し間を置いて綾芽が口を開く。
「何かしら?」
「栃浦先生って赤石さんのこと嫌ってるんですか?」
「さあ…?相対的に男子生徒には冷たいとは思うけど、それはわからないわ。どうして?」
「麗梨さんと赤石さんがデュエルした時に私も居合わせた、って話覚えてますか?」
「ええもちろんよ。途中、先生が来て勝負が中止になったのよね?」
「はい。結果的には麗梨さんの勝ちでしたが…っとすみません、話が逸れました…えっと、その先生というのが栃浦先生だったんです」
「!…そうだったの」
綾芽は先生が来て勝負が中止になったということは話したものの、どの先生までかは話していなかった。そしてその先のやりとりも。
「あの後、赤石さんたちが準備室から出て行ったのですが私たちは栃浦先生の指示で一緒に準備室に残ったんです」
「もしかして…何かされたの?」
琥珀は心配そうに訊く。
「いえ、ちょっと話をしただけで…その時に先生が色々言ってたんです」
綾芽は準備室で栃浦が言ったことを覚えているだけ話した。
「…ひどいわね」
綾芽の話を聞いて琥珀は一言そう漏らす。
「先生と赤石さんの間に何かあったんでしょうか…?」
「さあ、それはわからないけれど…元々先生たちにとって赤石君は頭の痛い存在であるようだから、栃浦先生だけが特別嫌ってるとは言えないかもしれないわ。ただ、いくら嫌ってるとしてもそれは明らかに言い過ぎよ!」
琥珀は怒気を含んだ声で言い放つ。
「そうですね…私もそう思います」
綾芽も強く同意した。
(栃浦先生に気を付けるよう一応赤石君にも言っておいた方がいいわね)
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桐縹高校1学年の保健体育担当こと栃浦。
年の頃は40半ばながら体格はがっしりとしていて、季節を問わずほぼ常にジャージを着用。髪型も角刈りで、まさに体育教師といった風貌である。
以前瑞希が言っていた通り現在桐縹高校は2学年、3学年の保健体育の担当教師はそれぞれ男女で分かれているが1学年だけは男子、女子どちらとも男性教師が担っている。
栃浦はその女子担当であり、唯一のイレギュラーな存在だ。何故男性教師が担っているのか、表向きの理由は人手不足であるためとされているが…
(橡の水着姿が拝めない分、小松のはしっかりと目に焼き付けておこうか。水曜からのプールが楽しみだ)
栃浦が先程と相も変わらず口元を緩めながら歩いていると、栃浦の前方右側の教室の扉がガラッと音を立て開いた。
「ん…?栃浦先生ですか」
「ほう、葛城先生。また調べ物という名の休息ですか?」
扉を開けて出てきた人物、葛城は栃浦に気付いても尚気怠そうな表情を浮かべる。
「そうですね。ふああ…」
葛城は頭を掻きながら欠伸をする。
「睡眠はきちんと取った方が良いですよ」
穏やかに忠告する葛城。
「ちゃんと寝てるんですけどねえ。それはそうと栃浦先生」
「何です?」
葛城は白衣のポケットから小銭を数枚取り出すと、
「借りてた栄養ドリンク代、お返しします。では」
栃浦の手にそれを握らせ、前屈みの姿勢になりながらも歩き去って行った。
栃浦は手を広げて小銭を確認する。
「…ちっ、適当な野郎だ」
(まったく、あんな軽薄な奴がよりによって鈴瀬らのクラス担任とはな)
栃浦は貸した額より10円少なくなって返ってきた小銭を握り締めながら、去り行く葛城の背中に向けて悪態をついた。
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(勝ち負けに囚われず、楽しむ心…)
ナチュルからの帰り道、桜は紫に言われたことを思い出す。
「あの人強かったね。何だかデュエルの先生って感じだった!」
「先生か。はは、言われてみればそうかもな」
藍子の先生という形容が妙にしっくり来たようで、桜は笑い顔を見せる。
(あの人、修せんぱいとも知り合いだよね?呼び捨てにしてたし…桜ちゃんや修せんぱいとどういう関係なんだろ?)
藍子はそう疑問に思うものの桜に訊くことはせず、
「また勝負してみたいな、色々と勉強になりそう」
再勝負希望の旨を伝えるだけにした。
「んーそれは難しいかもな。ナチュルにはたまにしか来ないみたいだから」
「あ、そうなんだ…」
(桃山さんのあの自由さからして、次会えるのはいつになるやら…)
「まあ、あたしから連絡して来てもらうこともできるけど」
「えっと、そこまではいいかな…また偶然会った時にって感じで」
「そうか」
「その時までにもっとデッキを強化しとかないとね。桜ちゃんのデッキに負けないように」
藍子は桜に向かって挑戦的な笑みを浮かべる。
「おいおい、あたしに勝たす気ねーよなアイコ」
「そんなことないよー」
藍子は笑みを浮かべたまま余裕あり気に答えた。
(あたしもデッキ見直すかな)
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(あんまり料理してる時間はねーな…)
藍子と別れた後、桜はいつものようにスーパーマーケットに寄り食材を調達する。
(簡単にすぐ作れるごはんは…)
並べられた品々を見回しながら店内を歩く。
(お?今日はキャベツが安いのか。じゃあ野菜炒めにするか…あ)
夕食の献立が決まりキャベツを買い物かごに入れたその時、桜はふと思い出す。
(そういやバター切らしてたんだった。ついでに買っておくか)
(他にも何か忘れてるような…)
バターを買い物かごに入れ会計を済ませに行こうとした時、桜はふと立ち止まる。
(何だっけ…)
思い出そうとするものの中々浮かび上がらず、もやもやする桜。
(…あ)
しかし運良く数秒後、それを思い出せたようだ。
(ファーニマルの組み方教えてもらうの忘れてた…まあ、次でいいか)
桜は会計を済ませにレジへと向かった。