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桐縹高校のプールの授業後半は基本的に自由な時間となっている。泳ぐのはもちろん、端で友人と立ち話をしたりプールから上がって一休みしても構わない。
その間は教師は監視役に徹し、生徒たちは授業であることを忘れるかのように楽しむ時間となる。
(うむ、やはりプールは良いな。役得だ)
その監視役の教師、栃浦はプールサイドのベンチからプールを見渡す。
(今年の女子もやはり何人か目ぼしいのが居るな。中根に小松にその他数人…割合としては例年通りか)
次に栃浦はプールの左前方へと視線を固定させる。
(だが、今年は例年と明らかに違う点がある)
栃浦の視線の先、そこには足を水に浸けてプールの縁に座る彼女が居た。
(鈴瀬麗梨、今年度の最高傑作。2位以下を大きく離し君臨する、まさに特異点のような存在)
(いや違うな。今年度どころか、これまでの教師生活の中で文句無く歴代1位の娘だ)
ゴクリと喉を鳴らす栃浦。
(今、俺だけが見れる鈴瀬の水着姿。そしてこのプールでしか見られない濡れた白い肌。眼福と言う他ないな)
栃浦は優越感を抱きながら彼女の姿を目に焼き付ける。
(女子高生といえば肉体的に全盛期を迎えた、多くの男が憧れを抱く魅力的な存在ではあるが、その実中身は騒がしくて愚かで反抗的な上に自分本位とロクな物じゃない)
(残念なことにそんな奴らが大半だが、どうも鈴瀬は違うらしい。例外的なのは外見だけではないということか)
栃浦は先月交わした会話を思い返す。
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「んあ?鈴瀬ですか?」
職員室、自分の机に突っ伏したまま首を横に向ける葛城。顔はまだ半分寝ているままだ。
「ええ、担任の葛城先生から見てどういう生徒なんですか?」
栃浦はそんな葛城の状態を気に留めず質問を浴びせる。
「そうですねー…」
座りながら体を起こす葛城。栃浦は次の言葉を待つが、
「よくわかりません」
返ってきたのはその一言。
「わかりません、って葛城先生まだ寝ぼけてます?」
栃浦は冗談っぽく笑う。
「起きてますよ、ふああ…」
大きくあくびをする葛城。
「何かあるでしょう?授業態度や成績は良いのか、趣味や特技は何か交友関係はどうとか」
「授業態度も成績も概ね良好ですよ。交友関係も問題無いと思います。趣味や特技は知りません」
葛城の半ば適当と思われる答えに少し苦い顔をする栃浦。
「それは大多数の一般的な生徒の1人であるということですか?それとも鈴瀬という生徒についてあまりご存知ではないということですか?」
「後者ですね。まだクラス受け持ってから日が浅いですし、鈴瀬に限らずよくわかっていない生徒は何人もいますよ」
(こいつ、担任のくせに自分の受け持つ生徒のこと全然知らんのか…!というか男として鈴瀬に関心無いのか!?)
「もう少し担任としての自覚を持った方が良いですよ」
栃浦は苛立たしく思いながらも抑えた口調で注意する。
「ああでも、鈴瀬はその生徒たちとは別ですね」
葛城は思い出したように言う。
「別?どういうことです?」
栃浦が問うと葛城は目を閉じ、
「わかっているということですよ、よくわからないということが」
どこか含みのある笑みを浮かべ答えた。
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(葛城の野郎からは全く情報は得られなかったが、幸い鈴瀬は生徒らの間でよく話題に上げられていて俺の耳にも結構入ってきた。まあ大半は噂や陰口に過ぎないものだったが)
(しかし、少数ではあるが有益な情報も手に入れた。そしてそれらから判断するに鈴瀬はそんな奴らとはまるで違うらしい)
(静かで聡明で気が利き周囲に流されない強い意思を持っている。はは、女子高生とは思えんな。人間的にも非常に良く出来ていて素晴らしい)
(そのような中身だけでも貴重だというのに、さらにあの外見が合わさるという奇跡。なるほど、いわゆるカリスマ的存在だな)
栃浦はわずかに歯を見せる。
(もしそんな奴を籠絡することが出来たなら男冥利に尽きるだろうな。まあその難易度も別格か)
(男子生徒たちの鈴瀬に対する反応から察するにまだ男を知らぬようだし、誰かに手を付けられる前に行動しないとな)
しかし、一転してその表情は厳しいものとなった。
(男か…気になるのはあの問題児、赤石との関係だ。準備室での1件以来、妙な噂が飛び交うようになった。100万円勝負しただの体を賭けて勝負しただの大半はアホらしいものだったが)
(中には逢瀬を重ねて行くところまで行ってるとかもあったな。…ちっ、ふざけるな!何が逢瀬だ、あの年頃の奴らはすぐ何かと恋愛に結び付けやがる)
(…赤石なんぞには絶対渡さん。鈴瀬は俺のものだ)
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(麗梨さん、気付いてたかな…?)
更衣室、着替えながら綾芽は彼女を気に掛ける。
琥珀から話を聞いていたということもあって綾芽はプールの授業中、栃浦の動向を注視していた。つまり栃浦が時折彼女をじろじろと見ていることに綾芽は気が付いていた。
「栃浦キモくなかった?なんかニヤニヤしててさ」
「うん、あれはちょっと引いた。変な目で見てくるの勘弁して欲しい」
「あー私も視線感じたわ。先生変えてくんないかなー」
綾芽以外にも複数の生徒が気付いていたようで、栃浦に対する不満が各地から噴出する。
「そもそも何で男の先生なんだろうね?おかしいよね!れーりちゃんもそう思わない?」
瑞希もその1人であり、隣で着替える彼女に向けて不満を漏らす。
「…ってあれ?」
が、隣を見るも着替えていたはずの彼女はそこに居なかった。瑞希は更衣室内を見回す。
「鈴瀬ならもう着替えて出て行ったよ」
クラスメイトの1人が既に出て行ったことを伝えると、
「あ、そうなんだ…」
(れーりちゃん、いつの間に…)
瑞希は少し呆けたような顔をして着替えを続けた。
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午後4時、彼女は自宅の玄関のドアを開ける。
「…」
靴を脱ぎ、部屋に戻るなり制服を脱ぎ始める彼女。
(汗、かいた)
この日の気温は7月上旬並みを記録しており、特に暑くなる午後3時から4時の時間帯に帰宅した彼女の体はじんわりと汗ばんでいた。
(先に、お風呂)
かばんの中から水着を取り出し洗面所へ向かうと、彼女はシャワーで汗を流した。
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午後6時、身づくろいを終えた彼女は玄関で靴を履く。
(黒蠍、2週間ぶりくらい)
彼女にとっては3度目。過去2回の時とは違い金銭的、精神的余裕が比較的ある状態での初の黒蠍。
(お相手は、たぶんあの人)
誰が相手か大方想像がついているということもあり、彼女の心境は普段のそれに近い。
(勝てると、いいな)
靴を履き終えた彼女はドアを開き、戦場へと出発した。
【第9話 終】