ほんの1年前まで私、栗原藍子は1人だった。教室でクラスメイトたちの輪の外で静かに時を過ごしていた。いじめられてたわけじゃないけど、友達はいなかった。学校に行くのが嫌で、登校拒否していた時期もあった。
だから中学3年目も同じように過ごすものだと思っていた。これまでのように、ただ静かに。
「鈴瀬麗梨です。よろしくお願いします」
そう思って迎えた中学3年生としての登校初日、転校生として彼女がやって来た。今更転校生が来ようと私には関係の無いこと、と特に関心は無かった。
しかしそんな私ですら彼女の姿を見た瞬間は、大きく目を見開かざるを得なかった。
彼女が入室した途端、クラスの雰囲気が一変したことは今でもよく覚えている。この時私は、私のような輪の外にいる人間だろうが無関係に無差別に惹きつける強烈な魅力を持つ人間が存在することを知った。
彼女はすぐさま人気者になった。他のクラスの人たちにもその存在が知れ渡り、連日彼女の元には人だかりが出来ていた。私はそんな光景を遠くから観察しているだけだった。
しかし、それだけでも彼女という人物が周囲を取り巻く人たちと明らかに違うのが見て取れた。飛び抜けた美貌だけじゃなく彼女が持つ独特の雰囲気は、良くも悪くも彼女自身を取り囲む壁となって私たちの前に立ち塞がった。
壁は無意識に人を弾いて行き、1人また1人と彼女から離れていく。その存在はいつしか近付き難いものとなっていた。
気が付けば彼女も私と同じ1人。確かに1人だけど、私のように馴染めなくてそうなってしまったのとは違う。転校してきた時と変わらず、彼女さはそのまま。私みたいに浮いてなくて、誰にも飲み込まれない確たる自分を持っていた。
1人になったといっても私のように全く話題にされることなく空間に融けてしまったわけではない。色気付いた男子たちはよく噂にしてたし、女子たちもたまに妬ましい目で見ていた。時折無謀にも彼女に告白した生徒が何人かいたみたいだけど私はよく知らない。
そして私も彼女もお互いに言葉を交わすことなく2学期の修学旅行を迎えた。
班分けは流れるように私と彼女が同じ班になった。他の班は男女3人ずつなのに対しこちらは2人、余り者同士というわけだ。別に私は何とも思わない…慣れてるから。でも彼女がどう思ってるかはちょっと気になった。
1人同士になったからといって私も、もちろん彼女も仲良くしようとはしなかった。だから修学旅行でも大して会話はせず、心に残る思い出も無く終えるものだろうと思っていた。
いっそ休んでしまおうかと思ったこともあったけど、班の女子が彼女1人になってしまうことを考えるとそれは出来なかった。たぶん彼女は休まないだろうし。
迎えた修学旅行当日。新幹線に乗り込み、指定された席に座る。
私の隣の席に腰を下ろした彼女が話かけてきた。
「栗原さん。3日間、よろしく」
「…こちらこそ」
私と彼女の初めての会話。このそっけない返事が彼女に向けた最初の言葉だった。
新幹線の窓から流れ行く景色を見つめる。景色を見たかったからというよりは通路側に座る彼女に視線を向けたくなかった。
結局宿に到着するまでお互い会話は無く、解散して客室へと入った。
「ふぅ…」
「疲れた?」
荷物を置いて一息ついた私に彼女がきく。
「うん…ちょっと」
「お疲れ様」
彼女はそう言ってにこっと軽く微笑む。
「あ…うん」
どう返事していいかわからなかった。軽い気持ちでもお礼を言えば良かったのだろうとは思っても実際に言葉に出来るかは別で、彼女と上手く会話できる気がしなかった私はただ小声で頷いただけだった。
程なくして夕食の時間が訪れた。それが終わると集会、そして入浴。部屋に戻ったのは午後9時だった。
部屋のドアを開けると彼女が先に戻っていたみたいだ。彼女は部屋の奥からドアの方を注視している。私が戻ってきても視線1つ外さずに。
なんとなくだけど身構えているようにも見える。
「何してるの?」
軽い気持ちできいてみる。しかし返ってきた答えは想定外なものだった。
「わたしの財布からお金が抜かれてる」
「えっ…!?」
「栗原さんも確認してみて」
かばんに入った着替えの服のポケットから財布を取り出し確認する。
(無い…!)
部屋に着いて確認した時点では1000円札が1枚と小銭が15円ほど財布に入っていたが、入ってたはずの1000円札が無くなっていた。
(何で…!?風呂に行ってる間に抜き取られた…?)
私が記憶を辿ってると彼女が口を開く。
「だいじょうぶ、取り返す」
「取り返す、って犯人わかってるの!?」
「うん、もうすぐ来る」
「もうすぐ来る、って…」
話について行けず、彼女の言葉を繰り返すばかり。
「先生に言った方がいいんじゃ…」
「それはもうちょっと、あとで」
彼女の意図がわからない。でも何故か彼女の言葉に疑問は思い浮かばなかった。こんな時でも変わらないいつもの彼女だからだろうか。
そして彼女の言った通り、数分も経たないうちに部屋のドアが開いた。
「ウチらに何の用?忙しいんだけど」
ドアを開け入って来たのは別の班の女子3人。タイプ的には素行が良くない方の人たち。特にそのうちの1人、椎名(シイナ)という女子は先生も扱いに困ってる問題児だ。
女子たちは機嫌が悪いというよりは面倒くさそうな顔をしてる。
「お金、返して下さい」
彼女は物怖じせず言い放つ。お金を抜き取った犯人という確信があるのだろうか。
「は?お金?盗んでねーけど」
「こいつ、うちらのこと疑ってんの?」
「何か証拠でもあんのか?」
椎名を先頭に彼女に徐々に詰め寄る3人。
「ボールペン型カメラって知ってますか?」
「あ?」
彼女はカーテンの影に隠れてた台のような所から黒いボールペンのようなものを取り出す。
「その名の通りボールペンの形をしたカメラのことです。もちろんカメラですからわかりますよ。誰が出入りしたのかも」
彼女の言葉を聞いて3人はたじろぐ。私はというとただ固まったようにやりとりを見つめていた。
「おい、まずくね?」
「センコーにチクられたら」
「大丈夫、見てなって」
3人のうちの1人、椎名が前に出る。
「ほーん、それじゃあバッチリ写ってるってわけだ」
「はい、良く撮れてると思います」
「だったらそいつを奪えば証拠が無くなるってことだよ…な!」
椎名が彼女に飛びかかる。それとほぼ同時に
「栗原さん!」
彼女は慌ててボールペンを私に投げた。しかし私に届く前に別の女子にキャッチされてしまう。
「お、ナイスキャッチー」
既にキャッチされたボールペンに手を伸ばすが、私の小さな体では届くことなく制されてしまった。
「どれどれー」
ボールペンをキャッチした女子は外観を一通り見た後キャップを開ける。
「…え?何これ」
内部を確認した女子がどこか拍子抜けした声を出す。
「どうした?」
「どう見てもこれ、普通のボールペンじゃん。ほら」
キャップを開けたままのボールペンを椎名に見せる。
「…本当だ。どこにもカメラなんてねーな」
それはレンズもマイクも無く、普段から見慣れている何の変哲も無いボールペンだった。