彼女の勝利で終わったことにより、張り詰めた空気が徐々に弛緩していく。
声や態度には出さないものの、従業員たちも一様に緊張が解れていくようだった。
そんな最中、柴岡が静かに口を開く。
「…まだだ」
その声を聞き取った彼女、紫、ヘズが柴岡の顔を見る。
「もう一勝負だ、レートを倍にして…!」
(っ…!)
柴岡の諦めの悪さに紫は少しゾクッとするが、その直後、呆れを含んだ声が飛んでくる。
「やめとけヨ」
「何?」
柴岡はヘズを睨み付ける。
「わかってるだロ?トリックは暴かれてしまっタ。もう、おとなしく引くべきだト」
「ぐっ…だが、普通に戦えば…!」
「勝てるとでモ?」
ヘズは冷たい視線で言い放つ。その視線に気圧されたのか、柴岡は視線を逸らし口を噤んだ。
「そういうことダ。悪いこと言わないから引き下がりナ」
5秒程の沈黙の後、柴岡は思い出したように口を開く。
「交渉…そうだ、デュエルが終わったら交渉の約束…!」
(交渉?ああ、そんなのあったナ)
「なあ、少女よ」
「はい」
(いや待て、ちょっと約束が違うナ。勝負に勝ったらって話のはずだったゾ)
確かにヘズの記憶通りそう言ってはいたが、その言葉は柴岡の記憶からすっぽり抜けているようだった。
「アイドルデビューしてみないか?君ならあっという間にトップをとれる」
(まあ、でも同じカ。鈴瀬さんの答えはわかりきってル)
「ごめんなさい。デビューしないです」
彼女は頭を下げ丁寧に断った。
「…そうか」
柴岡もここは粘らずに引き下がる。
「だがもし今後、興味が湧くようであればまたメイドルチェに来るがよい。拙者はここに通い詰めてるからな」
「はい」
柴岡は席を立ち、
「では、さらばだ」
店を後にした。
柴岡が店を去ってしばしの沈黙の後、
「やった、やった…!」
「あの子柴岡に勝った!」
「ふう、見てるだけなのにすごい緊張したあ…」
従業員たちは感情を解放し、店内は安堵と喜びに包まれた。
「よくやったな、レーリ」
審判役を徹してきた紫が勝負を終えての第一声、彼女を労った。その表情は喜びに満ちている。
「はい」
彼女も微笑みを湛えて返事をした。
「ああー、この解放感ー!」
紫は「うーん」と大きく体を伸ばす。
「お疲れ様です、紫さん」
「疲れたよ、ホント」
「いやあ、面白いデュエルだったヨ。現地観戦した甲斐があっタ」
「ヘズ…」
紫はヘズを見つめる。結果的に紫が審判を務めきれたのはヘズの存在が大きかった。
柴岡に対して強く言えなかった紫では勝負に入るよう促すことも、もう一勝負を止めることも出来なかっただろう。
「助かったよ。ヘズが居なかったら正直やばかったかも」
「審判も大変だナ。ユカリもよくやったヨ」
「ありがと」
紫は顔を綻ばせた。
紫が彼女の方に視線を戻すと、いつの間にか彼女は従業員たちに囲まれていた。
「ほんとかわいいね!お人形さんみたい」
「衣装すごい似合ってるよー!まさに天使!」
「柴岡を倒してくれてありがとね!」
「年はいくつ?高校生?」
「ねえねえ、うちでバイトしてみない?」
「あ…ありがとうございます」
従業員たちから次々と繰り出される言葉に彼女は少々困惑しているようだ。
「ちょっと君たち、レイリちゃんが困ってるでしょう?」
見かねた樋口が従業員たちに注意する。
「えーちょっとくらいお話させて下さいよう」
「そうですよー」
「ってか、樋口さんってこの子とどういう関係なんですか?」
「どういう関係って、デュエル関係の知り合いだよ。ほら、お話したいなら1人ずつにしなさい」
「はーい。ねえ、レイリちゃんってーーー」
「すっかり人気者だな、レーリ」
紫はヘズの横に立ち、彼女を眺めている。
「そうだナ」
ヘズも彼女を眺めながら、
「オレもお話したイ…」
若干恥ずかしそうに呟いた。
「お?なんだなんだ?ヘズもレーリに興味あるのかー?」
紫はニヤニヤしながら問う。
「ま、まあナ…」
「そんじゃあ、このあと時間あるか?」
「あ?」
「飲みに行こうぜー。レーリも連れて」
ーーー
「そうか、負けたか」
「はい…あの、黒川様」
「ん?」
「あの少女は一体何者なんです!?異界からの刺客ですか!?」
「落ち着け柴岡。普通の人間だ、年の割りにはすこぶる強いがな」
「そんな人と戦わせないで下さいよ!鬼ですか!?僕のお金がああ!」
「知らねえよ。こっちはお前の無茶な条件を満たす奴をタダで寄越して、その上ルールも要望通りにしてやったんだ。感謝の1つもねえのか?」
「うう…」
「忙しいから切るぞ」
(ったく柴岡の奴、でけえ声出しやがって…何が異界からの刺客だ)
(…まあ、そう言いたくなるのもわからんでもないがな)
黒川は満足そうに煙草を吹かした。