妹以外の女性と一つの部屋で寝て、何事もなかった朝5時。隣の部屋に耳を当ててみれば、特大の寝息を確認していた。
一つ胸を撫で下ろして、ゆっくりと就寝した部屋を出た。
少し振り返って、先ほど出た部屋の扉を見れば化物の口のようにすら見えてきて、いまさらながら冷や汗をかいた。
何故俺はこんなに慌てているのかと疑問な諸兄、よく考えて欲しい。この方生れ落ちてから非モテだ。異性にモテないならともかく、もはや人間にすらモテたためしがない。そんな人間が妹以外の女性と一つの部屋で寝て置いて何も感じないのであれば、性欲が消失している非人間かオカマのどちらかだ。
一応、この話にかかわる事だが、吊り橋効果という有名な心理実験をご存知であろうか?木造の吊り橋の上とコンクリート製の橋の上で実験対象者の異性の写真を見せ、その女性を魅力的だと思うか調査するという実験だ。結論は、吊り橋の方がその異性を魅力的だと思うという実験が出ている。これは、錯覚によるもので、恋愛的な心臓の高鳴りと、恐怖による心臓の高鳴りを脳が誤認してしまうのだ。
俺は今、社会的な死亡への恐怖とすり替えられようとしている…………。
よく考えたら、俺はトラウマというアイアンメイデンをはがされた瞬間に、ただのクソちょろいコミュ障童貞に早変わりだ。だが今はもはや、女性という存在に絶望、とまではいかないまでも、限りなく無関心になりつつある。というか男性相手でもそうなのだが。
…………まあ、こんなことを考えている時点で人に関心はある。自己顕示を自意識で形作った坩堝で押しとどめているようなこの停滞を、どうにかして一人で脱しなければならないとは思っているのだが。
「どうにもならないよなぁ」
他ならない自分がそれでよしとしているのだから、思えぬ以上に救えない。自嘲交じりに嘆息しながら、スリッパに履き替え逃げるようにペタペタとスリッパを鳴らした。
そうしてたどりついたロビーのソファーに体を預けてほっと一息。予定表を部屋から持ってきていない事を忘れていた俺は、自責しつつも頭の中で今後の予定を簡単に組み立てて置く。
「おはよう、朝は早いんだね」
「…………どなたですか?」
とは言いつつ、話しかけてきた奴を俺は知っている。何を隠そう、今一番頭を悩ませている相手が恋情を向けている相手、
「もう知らない振りはやめないか?」
「ふっ…………もしかしてアンタ、俺が見えるのか?」
意図的に目立たないようにしていながらも、全く気が付かないサッカー部員たちに皮肉を込めて冗談めかしてそう言った。18番は苦笑して、俺の隣に座った。
「まあ、テニスコート、林間学校と、顔つき合わせれば気が付くとは思っていましたけど?」
「……………俺と君同じクラスじゃないか?」
あっ、そうか由比ヶ浜が属しているグループなんだから同じクラスだ……………けど、クラスで俺の事知っている奴何人よ?たまに教科担任ですら俺の名前間違えるからね?
「そんな事どうでもいいだろ、いきなりどうした何か用事か?」
「用事が無ければ君に話かけちゃいけないのかい?」
「用事でもなければお前が俺に話しかけねえだろ?」
なんというか、住む世界が違う。こうしなければリア充になれないのなら、俺はもうリア充になるべきではない。言葉を振るえば簡単に人は傷つく。
「ここまで会話を拒否されると清々しいね」
「だから要件だけ言ってくれ」
リア充はまだるっこしい会話を好む。二秒くらい脳内に留めて置いてくれよう。それでも尚言葉に言い淀んでいる18番が意を決してこちらに向き直って口を開いた。
「君、いろはと付き合うつもりはないのか?」
「いろはって誰だ?」
「…………一色いろは。君の正当な後輩だろ?」
「ああ、そうか」
いや、女子のいないところでも名前呼びするんですか?ええ…………怖い、リア充って怖い。
「はぁ…………」
「ため息つきたいのはこっちだ、一色の気持ち分かってて言ってるのか?」
「それを言いたいのはこっちだよ…………それで答えは?」
「付き合うつもりはない。というかそれ一色望む訳ないだろお前が好きなんだから」
「それ、本人の前で言うのか?」
皮肉と呆れを合わせて18番はそう言った。
「どうせ知っているだろ?…………お前が気づかないはずがない」
「僕にだって知らない物もあるよ」
「それでも、お前が一色の好意に気が付かない訳が無い…………」
18番は司令塔として必要な能力を全て持ち合わせているといっても過言ではない、だが、サッカーのプレイ中に迷いがあって、試合中にそれが発揮できるがは別問題だ。
18番は確かにプレイや技術的な所でも他より高い水準にあるし、性格の良さ(俺に話かけている時点で相当アレだ)から指示を上げる事も出来るし、声を上げることは出来る。だが、チーム皆が気に入る声以外上げることが出来ないワン・フォー・オールの成れの果て。これで三年が抜けたら葉山のワンマンチームになるが、その肝心の葉山がこの調子なのだから弱いチームになってしまうだろう。
それは、俺との会話でも顕著だ、皆の奴隷だから、俺なんかにもかまっているだけ。そんな奴が一色の事に気が付かないはずがない。
「逆に聞く、一色と付き合う気は?」
「無い」
「だろうな」
というかただいつも接触しているだけでそういう発想に至るのは純粋にやばいと思うんですが?お前小学生かよ…………。
と少し帰り道が一緒だった女子に『お前付き合ってるんだろ~!』とか言った瞬間その女子が泣き出して謝罪させられたことを思い出す。
「一色の事どうにかしてくれないか?」
「そこまで言うか?」
「憎からずには思っているけど、僕にも好きな女の子位いる」
なんで俺は18番と朝っぱらから恋バナなんてしているのだろうか…………。正直どうでもいいと頭を抱えて、そうかと一言だけ返した。
「…………どうして君はマネージャーなんてやってるんだ?」
「俺にもわからん、先輩に連れられて流されてこうなっている」
「どの先輩にだい?」
「清川先輩だよ」
「そうか、あの先輩は本当に助けてくれたけど。君は違うんだね」
「…………清川先輩は助けてない。きっと俺はこのまま負けたままだ」
「何を言っているんだ?」
「忘れてくれ」
いま、自分がどういう顔をして、なんでこんな事言っているのかすら分かっていない、ひどい自己消失に苦しみながら言葉を絞り出した。
「俺は、お前らを助けていない。お前ら利用して俺が助かろうとしているだけだ」
そう言って立ち上がった、気が付けば一時間が経っていた。精神的に疲れて怠惰なスリッパの音がペタリペタリと合宿所の廊下を鳴らした。今日という日は散々だと自嘲しながら、どこ行くわけでもなく外に出た。
そこから時は過ぎて、今年の夏合宿は終わりを告げた。
特に思い出にすらならなかった。非日常ないつもの時間。
だから、俺は再び思い出すべきだったんだ。元来人が持つ身勝手極まる悦楽行為を…………。