文化祭が終わる、少し前。
俺はサボって特別棟の屋上に来ていた。
有志のステージ発表が、涼やかな喧騒になってここまで聞こえてきた。俺は、文化祭の清算をするため、もしくはこの一年を清算にここに居る。
一つ、部活マルチの首謀者に話をしたかった。
…………気が付いたのは相模が、文実の仕事を減らそうとしたときだった。
相模に至ってはあとの努力で挽回しようとした。
だから、そんな努力で成功を掴んだ人間を見て、青春は人を成長させるのかもしれないと、少しばかり思っていた。だから、俺は少し気がかりな所がある。
部活マルチの犯人だ…………別に犯人を捜して取っちめる訳はないが、彼女、もしくは彼は成長したのだろうか。願わくば、こんなことはもうやめてくれと言いたかったが目の前に居るわけでもない。
…………ただまあ、犯人に目星は付いている。
『彼女が所属しているグループ以外のカーストは彼女の仕事の成功しか見ていないのだ』つまり、彼女と同じカーストやグループの人間は彼女を排斥する様に働きかける動機がある。
『副委員長は委員長のお友達だしな』川崎と接触するなら、クラスに行かなければならない、だが友達としてクラスに来るなら何の違和感も持たない。
まあ、それだけで犯人が分かる訳ではない。一つ疑ったら全部怪しく見えるあれだ。
だけど、副委員長の視点から今の状況を見てみれば。
なんか自分のやってた事を横からかすめ取ったかもしれない人間は、勝手に委員長になって少し上のステージに行ったと思ったら、勝手に自爆しようとしている所で助けられて成功に至ろうとしている。
まあ実際にどう思っているかは分からないが、気にくわないと思っているんじゃないかとも思う。
一人で勝手に失敗して、自信を喪失しているのなら。きっと一人になるはず。そして、立場から絶対に学校に居なければならない。…………一人でいる所を見つけて、また隅っこでいじけ合う仲間に入れてもらえるかもしれないから。
努力やその他諸々も、相模を見ないから自分に向ける嫉妬だけが渦巻く。俺だってそうだ。
そこまで考えて、俺は屋上の手すりに体重を預けて空を仰ぐ。
「げっ…………」
「待て」
屋上に入ってきた人間を呼び止めた。予想通り副委員長だった。
嫌悪感をあらわにしながら、俺を見る。
「サッカー部のマネージャーを集めて一儲けしようとしたのはお前か?」
「!?」
驚愕に染まる。なぜ俺がそれを知っているのか
「なんでそれを?」
「そこはどうでもいい、何でそんなことした?」
その言葉を返すのに、言いづらそうに口をもごもごさせている。
「アンタに関係ないでしょ!? キモイんだけど」
「俺に関係ある部活のマネージャーを使って他の人間を騙しながら、甘い汁啜っていたのはお前だろうが。お前の方がよっぽど醜悪だ」
少し、文句を言ってやらないと気が済まない。もしお前やお前の甘言に乗ったバカ者が居なければ心の平穏は少しばかりか保てたはずだ。
「だから何! チクるならチクればいいじゃん!」
「何でそんなことをしたかって聞いているんだ、話せば、先生に報告するつもりもない」
「聞いても分からないよ!」
「調べる。俺だってテメエの事なんてこれっぽっちも知らなかったんだ」
そうしてまた言いづらそうに口をの中で言葉が消えていく。
「初めは、相模が葉山君の事が好きになったって」
またアイツか。
「だから、私は先に葉山君に接触しようとしてマネージャーになった。丁度一人しかいない先輩が居なくなってからすぐに行ったから、先輩みたいな扱いになってあとに入ってきた人も私を持ち上げて来て…………」
「それが気持ちよかったのか?」
冗談交じりに言ったその一言に、彼女は首を遠慮がちに縦に振った。
「それで、先に入れたからよかったね見たいな事話してたら冗談で「どうせ葉山君見たいだけでしょ? だったらお金取って観戦だけさせちゃおうよ」なんて話したら本当にそうなっちゃって」
「てか、最初に入っていた中に居たのかお前」
その言葉に疑問符を浮かべながら、彼女はこう言い放った。
「…………だから私は悪くない!」
怒りで視界が白くなった。燦燦とした日差しも相まって視界が、塗り潰された。
「お前が悪いわ! なんでそこで止めなかった! なんでそこでそんなことを言うんだよ! 百歩譲ってマネージャーになって! 籍を置いて! その上でサボることは別に良いんだよ! 誰かが好きだから入った奴も! 応援したい奴らも! 居ていいさてめえらの勝手だ! でも、なんでお前らが一生懸命やっている奴らの邪魔をするんだよ! そんなことして他に迷惑を掛けるって思わねえのか!」
「仕方ないじゃん! 他の子たちだってそれで遊びに行った時だってあるし!」
「仕方ない事なんてねえよ! 全部お前の身から出た錆だ馬鹿野郎! 他の人間がやってたからってお前が正当化されるわけがねえだろ! もちろん俺もな!」
「はぁ!? いきなり何言ってるのキモイんだけど」
「そりゃあ、お前と同類の最底辺の人間だからだろうな! 結局は同族嫌悪なんだよ、お前ひとりになりたいからここに来て、たまたま俺が居るとでも思ってんのかよ、今、この状況で」
「だって、だって、私は高校に入って友達グループの中でも少し居心地が悪くて、でも、マネージャーやったら少し優越感に浸れたから、つい」
「いや、なんで普通に努力してそうなろうとは思わなかったんだよ」
「うっ、でも! さがみんやゆっこたちは一緒のグループに入れて、友達作るのにも努力なんてしてないじゃん! 今回だって! 棚ぼたで雪ノ下さんに気に居られてさ!」
「ああ、そうかい、よくわかったよ! お前がどうしようもない屑ってことが! つーかテメエになんか誰が努力の姿見せるか! そういうレベルで信用できる性格してねえじゃねえか! 相模だって、今回は雪ノ下の助力はあっただろうが、そこから先は相模の努力と実力だ! ステージ上じゃ誰も助けてれくれないからな! お前にできるのかよ、全校生徒900人弱の目の前でぺらぺらと話すことが! それがなんだ? お前と来たら見えねえか見たくねえ努力を唯々僻んでいるだけじゃねえか!」
もう止まらなかった、っていうか、半分以上は俺の八つ当たりだ。
彼も、目の前のこいつが居なかったら少しは楽できたはずだと。過去の事ばかり気にかけてしまう、どうしようもないのに、やってしまった事出来てしまった事がどうしたって憎たらしいという様に、僻み、恨み、嫉み、そういった日頃溜まっている負の感情が、八つ当たりとして彼女に降り注ぐ。
それを止めようともせずに、時間がたっていた。
そして、いきなりその断罪の場が逆転される音が、そこに空しく響く。
ゆっくりと、油が刺されていないが故の金属が擦り合わされる音が、どう聞こえるのか、きっとこの場に居る三人共に違う。
彼女にとっては福音に、俺にとっては黙示録だった。
そして、入ってきた人間
清川アキラにとっては、ただの音にしか過ぎなかった。
先輩の行動はそこから早かった。
清川は副委員長に近づいて、耳打ちをする。そして副委員長はその場から立ち去った。俺には何を言っているのか分からなかったが、いつでも先輩はそういう物だった。
俺は口を開け閉めするのを止められなかった、他に言うべきことがたくさんあるはずなのに「何でここに」みたいな言葉が頭の中で駆け巡るだけで、声帯を震わすことは無かった。その顔を見て先輩はいつものように笑った。
「なに驚いてるのさ、私はOGだよ? 来ていてもおかしくないじゃないか」
去年と変わらない笑顔が恐怖を持ってやってくる。なんで、どうして、そう言いたかったが、どうにも口が回らない。
「久しぶり」
「は、はい」
「で、どうしたの?」
その一言で、一瞬で言葉の裏が読めてしまって、また、一瞬で頭の熱が冷めた。
そして、やっぱり俺の行動は、どうしようもなく救えなかった。
知っていた、というか自覚していた。
忙しさにかまけて教えない方がどうかしていた。
『その通り、俺がマネージャーとして入ってくる人間を指導していれば、こんなことにはならなかったかもしれない』
ただ、それだけなんだ。そしてそれを逆手にとって、部の為だなんて言って金を巻き上げた。きっと、分からないけど、そんな所まで、この先輩は見越している、と思って相対した方が良い。
「どうしたの?」
「…………俺は」
「ゴメン、もう少し。私は、平塚先生と、自由ちゃんと、城廻ちゃんと、雪ノ下陽乃先輩と話した。だから確証は持てないけど、この半年と少し、比企谷君頑張ったんだね」
返す言葉が見つからない。
この半年なんか目じゃないそれ以上に、貴方にとってむごい事をしていたのに、それを知っていたのに目を反らし続けたのに、なんで俺にそんなことが言えるんだ。
「違う」
「違わない」
違うといって、まだ先輩に…………俺への否定を強要させている事に気が付いた。
「だから、これだけ」
よく聞こえなかったが、どんどんと距離を詰めてくる。
手を伸ばせば届く距離、いつしか呼吸も体温も忘れてしまった、目の前の先輩という存在全てが俺の心身を責め立てていた。
パン!
緊張の糸が切れたその時、頬に強い衝撃と小気味いい破裂音がした。
意識が飛んだ、何が起こったか分からなかった。無様に尻もちをついて、先輩を見上げると、右手の甲を痛そうに抑えていた。
「これだけ伝えるよ」
「もう、君の先輩は居ない」
ぼーっと、俺は先輩が屋上から出ていくのを見ていた。しばらくした後も、残った空間を見つめて。尻もちした体制からそのまま寝そべった。空はとんでもない快晴で、遠く幽かに聞こえるアンコールの声が、灼熱の延長戦の開幕を告げた。
即ち、自分を責めるだけの後悔の再上映だった。
何をしている。本当に、何をしている、ああ今更願っても遅い、すでに後悔する事すら遅い。
いつでも、いつだってお前はそうだ比企谷八幡、求めて、求めて、それでも手に入れる事を諦めたお前にしか、その欲しかった物は訪れない。
タイミングが悪すぎるんだ、諦めた後に隣を通り過ぎていくほどに、諦めない物ほど手に入らなくて、諦めた物しか手に入らなくて、手に入ってしまった諦めた物を自分で投げ捨ててしまった。その上で、ああ、いつまでたっても被害者ヅラしてのうのうと生きている。
ああ、確かに【出来の悪い喜劇】だろう。
舞台外の【演劇】に見えるのも仕方がない。どれだけ悲しもうが、どれだけ楽しもうが、舞台の上に居るのはいつしか自分だけになってしまって。それにさえ気が付けずに、少しの間舞台に立った先輩を排除してしまっていたのだから。
【人生の主役になれる舞台が悲劇しかない】
勘違いするなよ俺、全部全部、喜劇、悲劇は勿論、体が動いてしまうような怒りも、心が弾むような楽しさも、いつだって青春が終わる時は惨劇だ。
こんなことになるなら、文実なんてやらなきゃよかった。
先輩の背中を追わずに、マネージャーを辞めればよかった。
不思議とそんな後悔をしている時でも、思い出してしまうのは、先輩との会話だった。
『なら、サッカー部にとって、負けって何だと思う?』
「試合に負けることじゃないですか?負ければ努力は全て無駄だ」
『もし仮にそうだったら、私たちは既に負けていることになってしまう』
『勝負の舞台にも立てず、勝利の為に雑務をこなす。これが敗北者たる私たちだ』
「じゃあ負けって何ですか?まさか一心不乱に努力することとか言わないですよね」
『もう何年か後に選手と私たち含めてサッカー部に入ったのは間違いだったと思うことだ』
「ま、この仕事は君にピッタリだ」
「何を言って」
『立ち上がるのは敗者の特権だ、試合に負けたところで選手はただ一回立ち上がるだけだ。だが、目先の勝負に負け続けている私たちは、立ち上がり続けることができる』
「君はいつだって立ち上がり続けて来たんだろ?」
「…………人を敗者呼ばわりって神経疑いますね」
「だろ?私もそう思うよ」
ああ、無理だ俺は、敗北したのだ。
俺はもう立ち上がれない、立ち上がり続ける事なんてもう出来ない。そもそも先輩に縋りついて立ち上がっているように錯覚していただけなのかもしれない。
こんな事を、どうしたって思ってしまうのであれば。
こんな今になってもなお、誰かに惨めな敗北だと認められたかった俺は。
遠くの方で閉会式終了の声が聞こえた。無意味な涙と、無価値な汗、名残惜しさと安堵が混じった甘酸っぱい空気が、肺に混じって咳き込んで。体に響く実感は、どうしようもなく一人だという事。
本当に、どうしようもなく救えない。