「えっ!?ヒッキーの元気がない?…………いつもの事じゃないの?」
「違うんですよ!なんといいますか…………」
私は最初に由比ヶ浜先輩の所に行った。言っては悪いけど、先輩の知り合いの中で、一番コミュニケーション能力があるし、一番空気を読める。
「あっ、でも教室だとヒッキーすぐに寝ちゃうし、最近は打ち上げとかで奉仕部にも顔出してなかったから…………」
「最近の事は良く分からないってことですね」
「うん…………ごめんね力になれなくて」
「いえいえ!というか先輩に友達が少ないのがいけないんですよ!」
なんて言ったら由比ヶ浜先輩は苦笑いしながら「今度ヒッキーと遊ぼうって約束したからその時にでも聞いてみるね」と言ってくれた。
「ありがとうございます。…………なんというか、本当におかしいんで話を聞くだけでもお願いします!」
「うん、わかったよ!」
私は少し後にこの判断を後悔することになる。
何があったかは分からないけど、少なくとも私が原因じゃないかとかなりの間苛むことになる。
◇ ◇ ◇
由比ヶ浜結衣は侮っていた。というのも、ただ自身の好きな人と遊ぶついでに、悩みがあればそれを聞いて親密度アップ!位に考えて居た。
しっかりと忠告は聞いていた、だがそれも比企谷本人の特質上、それも当然であると思っていたために気が付くのが遅れた。
由比ヶ浜は電車の関係で少し遅れてしまうと先に連絡した、いつものようにそっけない返信を見て、やっぱりそんなに変わらないなと、頬をほころばせた。
違和感を覚えたのは待ち合わせ場所についてから。そこに居たのはシンプルに服装をまとめた比企谷本人を見て声を掛けようとした時、比企谷から由比ヶ浜の存在に気付いて声を掛けた。
「おう」
「ごめん待った?」
「いや、そんなに。じゃあ行こうか」
「うん…………え、えっと。人ごみではぐれないように手つないでもいい?」
「ほら」
するりと手の内に入ってきた手に少し戸惑って比企谷の顔を見た。本当にいつものような顔。
だが、由比ヶ浜は手をつないで居るような状況で、こんな顔が出来るはずがないと本能的に察した。
すぐに挙動不審な行動をとるし、男女問わず人と接触するなんて事が起きたのなら全く持って、目なんて合わせられないという事を由比ヶ浜は知っている。
だが今はどうだ?あまつさえ自分から手を繋いで、いつものような憮然に見える無表情。いつも見ている腐った目が、今は洞のように黒く自分を吸い込んでいきそうな恐怖を与えた。
「どうした?」
「ううん、なんでもない。早く行こう?」
「ああ」
この怯えが比企谷にバレたら、何かが台無しになってしまうような気がした、由比ヶ浜は奮い立たって強引にその手を引いた。
「ここだよ」
「ああ、じゃあ」
店内はファンシーな装飾が多分に施されており、客層も若い女性客が多数だ。
比企谷はその中を物おじせずに進み店員に話しかけた。
「予約してた比企谷です」
「はい、お待たせしましたこちらになります」
「予約してたの!?」
比企谷はその驚きの声には無視して、案内された席に着いた。
やはり、由比ヶ浜はここまで感じた違和感がどうしようも無く気になってしまって、不用意に話出してしまう。
「ねえ、何か困っている事とかある?」
「ない」
「そっか…………」
いつもだったら「何か困っていると思うようなことでもあるのか?」とでも聞き返しそうな物だが、そんなセリフも吐かずただ沈黙を通していた。
「注文は?」
「まだ決まってな、あわっ!?」
いつの間にか目を通していたメニューを手渡されて、それを落としてしまった由比ヶ浜。それを先回りして、地面に落ちたそれを比企谷は取った
「いい、俺取るし…………ほら、ゆっくり頼んで大丈夫だ」
「ありがとう」
本当に、立ち振る舞いを見ているだけでは、全く異常に気付かない。それどころか、普通のようにも見える。だが、その目は生気がなく、威圧的な印象さえ与える。
いつもの軽口を取っ払っただけなのだが、それだけでかなり不気味だ。
そこからは何も起こらなかった。頼む物を決めて注文して食べ物が運ばれてくるまでの間、比企谷と話しているだけ。取り留めも無い話題を沢山出して必死に場を持たせようとしている由比ヶ浜に、いつものように相槌を打って水を啜るだけの比企谷。
いつもであればボッチエピソードを話していると思うが比企谷からそのような話題は一切出ない。気の抜けた「ああ」と「そうか」の返事だけが比企谷の口から流れた。
「きた!」
「頂きます」
ハニートーストとダージリンのミルクティーが由比ヶ浜の目の前に置かれて、楽しそうに写真を撮った。
対して、比企谷はブラックコーヒーにサンドイッチ、ファンシーで女子受けするような所であるのに、少しばかり武骨な印象を受けた。カップル用に男でも気兼ねなく食べられるような物でも置いてあるのだろうか。
食べ始めて少しして、由比ヶ浜は気が付いた。
それは普通の人間から見れば、何も違和感を覚えないその行動。
「ヒッキー」
「なんだ?」
それは付き合いが長いが浅い、そんな由比ヶ浜が気付いてしまう程度の動揺と変化。
「砂糖とミルク入れないんだね?」
無音が訪れた、じっとりとネバついた粘液に囲まれて作られたような静穏が肌に張り付くようであった。
「…………まあ、そんな時もある」
「何かあったんでしょ?だっていつもなら凄く砂糖入れたコーヒー飲んでるじゃん」
「だからそういう時もあるだろ」
「ううん、そう言わない。ヒッキーなら茶化してた普通の事言えるのに変な事言って」
比企谷の顔が怒りで少し崩れた。何が分かると子供っぽい反発で目を細めたが、それをしっかりと目で迎撃した。
「私だって…………ヒッキーが悩んで居たら力になりたいよ」
「無理だろ、こんな不良債権は一人で抱え込むしかない」
「不良債権って良く分からないけど、その言い方だと助けて欲しいんだよね?」
「…………」
「言わなきゃ分からないよ、そうやって一人で勝手に諦めて…………」
由比ヶ浜は非難する様に呟いた。
それにかみつくように、ただ目を向けた比企谷に、さらに追い打ちをかけるように口を開いて、言葉を吐き捨てた。
「そんな事されたら、誰もヒッキーの事なんて分からないに決まってるじゃん…………」
「っ!?」
比企谷は分かりやすく動揺した。というか、それ以上に言動が助けを求めるような性質になっている事に本人は気が付いていない。
そんな彼も、確信的な部分である、今の今まで何時までも自分は被害者面していることに気が付いてしまった。
清川を胸の中で地球外生命体だの、本心にしろ本心でないにしろ貶し続け、あまつさえ心の中で留めていた以上に、普段の立ち居振舞いで気が付かない内に傷つけてしまっていた。
だが、それも自分のせいだと思いつつも、心のどこかで「いや、分かりにくい先輩も悪い」と思っていたのだ。……………いやまあどっちも胸中が分かりにくいのは今更なのだが。
つまり、今の由比ヶ浜の一言で、比企谷が先輩の、清川アキラの感情を知らなかった事は免罪符としての機能を全て失われた。心の逃げ処を失い、比企谷はさび付いた機械のようにゆっくりと首を横に振って言った。
「なんで…………関係ないだろ、お前に」
「ううん、関係なくないよ。というか、それだけはヒッキーに言われたくないかな。見ず知らずのワンちゃんでも助けちゃうし」
比企谷にとって、すべてが自分を陥れるための罠にすら思えてくる。もう、誰も貴方を放っておかないと、目の前で宣言され、何も身動きが取れなくなりそうだ。
呪縛のような言葉を振り切るために、言葉を繰る。なにも出来ない自分を呪う様に、混じりっけの無いアイスコーヒーに縋った。
「気まぐれだ。…………全部自分の為だ、関係ないんだ、お前は…………ッ」
「…………」
沈黙が流れたこの沈黙は比企谷にとって心地いい。自分がやってきた事を見ろと言わない、誰も言わない誰も自分を見ない。
「自分のためだったら、人を助けても良いの?」
その問いに、比企谷は何も答えなかった。だが、沈黙では心地よくとも何か、誰かを変える事など出来ない。
「だったら、私、言うね」
それは比企谷にとって、死刑宣告に近い物で。由比ヶ浜は逃げないように、自分に負けないようにアイスコーヒーを握った比企谷の手を包み込んで、意を決して目を合わせた。
「私、八幡の事が好き」
「最初にサブレの事助けてくれた時から、好きになって行って。奉仕部で話した時から今まで、いつも遊びに来ていて、何気ない会話からやっぱり好きになって」
「たまに、ヒッキーの仕事こっそり見に行ったりして…………やっぱりヒッキーはすごいよ」
「好きだから、力になりたいし、助けたい……………これじゃ理由にならないかな?」
一つ一つ言葉を言うたびに比企谷の涙腺は緩んだ、だが、雫を流す事は許されないし許さない。
好きを少しばかり信じられるようになった所で、自分が悪であるという事をまざまざと見せつけて、何も信じられなくなっている所に、純度の高い好意。
分かっている、由比ヶ浜に好意を持たれている事に。自分の為だと言い張らせてしまったのは、他でもない自分のせい。
そこに居るのは信じられる物は何もない、小学校の頃覚えた人を傷つける純粋さも、中学校の頃感じた孤独と嘲笑も、高校で得た分かりにくい愛情も、全てが分からなくなって怯えた子供。
「…………やめてくれ、そんな嘘聞きたくない」
「嘘じゃないよ」
比企谷には由比ヶ浜の言葉を嘘と言うしかない、これまでの人生経験を踏まえれば当たり前の事でもあったが、もちろんこれまでと人間関係が変わっていない訳がない。
そして、そのことに彼が気付いていない訳も無く、だからこそ――――。
比企谷は握り締めたコーヒーを呷った、口の中に残る強い苦みが自傷行為のように比企谷は感じる。手の平に滲んだ結露と、手の甲に柔らかく包んだ熱が、否応なしに責め立てる。
その行動によって、手を振り切られた由比ヶ浜は、泣きそうな眼で比企谷を見ていた。
「これから…………どうする…………?」
「…………無理しないで、ヒッキー、これ以上はまた今度にしよう?」
その言葉に素早く、かつ曖昧にああ、と言って、その席を立った。
どちらも苦しい選択だった、比企谷は由比ヶ浜の好意に苦しみ、かといって厳しくさせることにも耐えられず悲鳴を上げ、由比ヶ浜はそんな比企谷を見て心を痛める。
それを見た比企谷もまた痛め付けられ、全くもってバカバカしい悪循環が成立した。
断ち切ろうと、救いも助けも求めないように、比企谷は席を立ち二人分の代金を置いてその店を出て行った。由比ヶ浜の言葉に甘んじた形になった事は、今の彼は分かっていない。