最終授業を終えた鈴が鳴る。珍しくガチ寝していた事に驚きを感じながら寝ぼけた目で礼と着席をした。少し恨めしそうな顔をした数学教師を尻目に、俺は荷物を持って立ち上がった。
「比企谷」
「…………なんだ葉山」
突然、18番に話かけられた。
ああ、そうか。噂には聞いていたが「なんで、彼女を振ったの?酷いとは思わないの?」って奴か。振ったわけじゃない……………。なんて、言い訳するだけ無駄か。
「少し相談があるんだけど。いいかな?」
「…………俺以外にしてくれ」
「サッカー部に関係ある事なんだ」
由比ヶ浜の事ではない事に少し安堵しながら、それでも葉山に対する疑念は消えない。
「なんだよ」
「クラスの事でもあるし、とにかく聞いて欲しいんだ」
無意識に目が細くなった。少しのめんどくささと、多分に含まれる諦観で、「分かった」とだけ伝えて葉山についていった。
ついていった先は部活棟の3階と4階の踊り場、そこには俺のクラスの上位カースト陣が勢ぞろいで、全員から袋叩きに会うなんて事も覚悟の上だったが、そんな事は無く、サッカー部の戸部が一人居ただけだった。
「あっれ?比企谷君じゃん!?」
「俺の言ってた協力してくれるかもしれない人だ」
「なにを」
話が見えてこない、今更、というか俺になんの用があるって言うんだ。仕事はしてるぞ。
「あ~、ちょっち説明しづらいんだけど。秘密守れる?」
「戸部、比企谷はこれ以上なく口が堅い、安心して話していい」
なに?友達居ないから秘密を喋る人もいないって遠回しに言ってるの?普段自分から言っている事だが、他人から言われると不思議とムカつく。
「うっ!…………男、戸部翔!ここで引くわけにはいかないっしょ!」
そう言いながら心臓をささげるポーズのように胸を叩いて自分を鼓舞して深呼吸した。
「修学旅行で告白したいので協力してください!」
その言葉を聞いてかなりの間、俺は頭が真っ白になった。現世に戻ったと思ったらすぐに怒りがわいてきて、それと同時に納得もした。
口が堅いから適当に扱っても問題はないし、部活という繋がりもある。
「それを俺に言うかよ…………」
「そこを何とか!オナシャッス!」
一瞬で頭にあった心配や不安が無くなって、今は心の底から下らないと思った。それを隠しもせずに態度に表して吐き捨てた。
「勝手にしてくれ馬鹿馬鹿しい…………」
「ちょっ!そんな言い方ないっしょ」
その一言でキレた。「あ?」なんて声が実際に出たのは初めてで、胸倉掴んで壁に押し付けたことなんて自分でやったのに自分が驚いて居る位だ。
「ふざけんな…………告白は一人でするものだろうが」
「ゆ、勇気が出ないってゆーか?」
「そんな事言ってる時点で一生出ねえよ!」
「比企谷、もうそこまでにしてくれないか」
俺を葉山が止めた。そこでようやく、俺は悟った。
なんかもう口の中が苦いものでいっぱいになったような感覚が気持ち悪くてめんどくさい。
その場から戸部は立ち去って、俺と葉山だけになった。俺から問いかける言葉は一つだけ。
「知ってたのか?」
「薄々とね」
ああ、なんとなくだが。葉山隼人は朝に由比ヶ浜を見た時点で気が付いていたのだろう。そして俺があんなことを言うのも予想の内。
そしてこれ幸いと、トップカースト共の内部不和を止めるために俺を使った。
「こんな事、お前の仲間内で処理しておけ。俺を巻き込むな」
俺は階段に腰かけて手で顔を覆った。
「…………俺としても正直賭けだった」
何が?花京院の魂でも賭けるノリなの?と普段なら言っている所だった。生憎、そんな余裕は俺にはなく、ため息の生暖かい風が顔を覆うだけだった。
「比企谷」
「…………なんだよ」
「どうすれば協力してくれた?」
「協力なんて申し出てる時点で、アイツに覚悟が足りてねえ…………好きでも誰かを傷つける」
もういい、と言う様に葉山はその場を離れようとした。
「比企谷」
「なんだ!?」
「すまない、俺個人の事だ気にしないでくれ」
葉山の置き土産に盛大に舌打ちしたくなって、やめた。
もう一回大きなため息をしようとしたが、頭が「俺がため息つく資格があるのか?」と、勝手に自問自答してくる。
5分休もう、頭が疲れた。
目を閉じて、自分の心臓と呼吸の状態に気を配る。心臓が早く動いていないか、呼吸は浅くなっていないか、自分の生命活動だけに集中する。
頭の中で冷静になれと念じるだけでは、余計にドツボに嵌ってしまう。体で変わらない部分である心臓と呼吸を頼りに、水に潜るように無心になっていく。
5分経つ頃には、少しばかりリセットされていた。
ああ、この方法を教えて貰ったのも先輩だっけな。なんて思ってまた死にたくなった。
もうそろそろ行かなければ
何もかもを投げ出す訳にはいかない、俺は部活動へ向かった。
…………今日はずいぶんと呼び止められる日だな。
「比企谷君?だよね、覚えてるかな?一緒にボランティアに参加してた海老名です」
俺を見上げてそう言った。
その一言で、やっぱり分かった。
葉山の連中、こんな一人ぼっちにも見抜かれるほどに、どれだけ単純で眩しい生き方をしているのだろうか。
葉山にもやられた様に、カマを掛けてみる事にした。
「葉山のグループはそんなに不味いのか?」
反応は図星って所か。でも、どの面下げて俺は人を追い詰められる?
灼熱がまた、脳裏によぎる。
「俺に、期待なんかするな」
何も、何も出来はしない。お前らの欲しがっている物は何も作れない。
小さい頃から一人ぼっちで、煌めく日々なんかありはしない。
そんな奴が誰かと一緒でなにが作れるか。
「自分で何とかしろ」
部活動に進む足は今までにないほど重くなっていた。
◇ ◇ ◇
俺がグラウンドについた時には、すでに練習が始まっていた。いつものように、俺を抜いて部活動は回っていた事に自嘲気味に笑った。
あ、ていうか今頃になって何アレ「好きでも人を傷つける」って。いや違うから、俺が告白した女子が泣き出した事言ってるだけだから。痛々しいセリフじゃないから!遅効性の毒喰らった様だ誰かキュアとか持ってない?パーティーいなかったわ。
ドラクエで一番欲しいのはルーラじゃなくて人間関係に通用するトラマナ。キャッチとか来ないし悪口言われても気になんない。めっちゃ便利。
そこまで考えてため息を付く。自分への下らなさと諦めの感情が漏れた気がした。
「一色、遅れてすまん」
「…………おはようございます」
「参加はおそようだけどな、どこまで進んでる?」
一色の受け答えに違和感を覚えた。言いようもないが、悪意の標的にされそうな、独特の間があった。俺に恨み言でも言いたいのだろうか。
「アップが終わった位です」
「分かったラダーとハードル用意しておく」
そう言って器具庫に向かった。本当よくもまあ、気分が落ち込んでいる時にこうも体が動くものだ。
『私たち含めてサッカー部に入ったのは間違いだったと思うことだ』
ああ、そういえば俺、負けるのは得意だった。そうだ、ボッチは負ける事に置いて最強である事を忘れて居た。
こうなったら全部捨ててしまえ。花を全て刈り取る人間になるために。
「なあ、一色」
「なんですか?疲れたような顔して。後やめませんからね、先輩疲れてる時だと特にろくでもない事言いだすんですから」
その言葉に少し止まった。
「そんなに疲れている様に見えるか?」
「ええ、本当にそうですよ」
今の言葉に何か符丁があるんじゃないのか。そう疑ってしまった。
だが、何も変わらない。俺に出来る事はいつだってリセットだけ、前と変わらない一人ぼっち。
「俺、今日でマネージャー辞める」
「嫌です」
思考が一瞬止まる。目の前の人間から明確な拒絶が出た事に、想像以上に驚いてしまった。
人手が足りなくなると、大変だからか…………それとも。そこまで考えて反吐が出そうな思考を取っ払った。
「嫌です」
「結局辞めるし、今日辞めた所で同じだろ」
「…………私よく言葉に出来ないんですけど、それなんか違う気がします」
思いつめた様に、絞り出すように一色はそう言った。その理由は「私が大変になるから」で良い、それ以外になにがあるんだ、とその言葉の裏を見ようとした。だが、どうしようもない苛立ちが考える事を許してくれない。
ふと、別の誰かが囁くように急に冷静な部分が囁いた「最近怒ってばかりじゃないか?」
「私がいなかった時の一年間、先輩になにがあったんですか?」
今までは「何でもない」で済んできた。だが、今は違う。受容も拒絶もすべてが人を傷つける、そんな可能性がある物であると知ってしまった今、そんな事を答える前にさっさとこの関係性もリセットするのが最適解。
そうは思っているが、少なくとも目の前の人間は、そうやってあしらって良いものではない。と冷静な部分が突きつけてくる。
「どうせ、言ったって分からない」
「聞かなきゃ知らないままじゃないですか」
ああ、口ずっぱくして言ってきた俺自身の正論だ。そう言われて俺は、深呼吸して話始めた。
「なあ、一色。俺が自ら進んでこんな事やる人間だと思うか?」
「いいえ」
「だよな、だけど声を掛けた俺の先輩が居たんだ…………俺を入れるために、断れば毎日のようにクラスに襲撃しに行くぞみたいに脅されて」
「…………それって女性なんですか」
「そうだ、で渋々入って今に至る訳なんだが…………多分今の俺の全ては先輩だった。先輩が居たから部活やってたし先輩がいなかったらもう止めている」
話していても考えがまとまらない。何を思っていた何を感じていたのか自分の事なのに目を背けようとしている。
「入った時に聞いたんだ。なんで俺を入れようとしたのかって。そしたら『気に入ったから』とか言って。俺の事嫌いだって言い始めて…………」
「それでも、何で今までやり続けてたんですか?」
「わからない、けど先輩が…………嫌いって言ってくれたからだ、一年間、卒業まで変わらなかったからだ」
そう、今の俺はあの人の理不尽なやさしさの上に立っている。
「最後、卒業式の時に言われたんだ。私、まだ。君を嫌いで居なきゃダメ?ってさ…………酷い話だ、そんな優しさを我が身可愛さで踏みにじっていたんだから」
そうだ、だから辞める。そんな優しさに満ちたこの場所を受け取る資格は今の俺には1ミリたりとも存在しない。
「それなら、謝ればいいじゃないですか」
「無理だ、この間の学園祭の時にきっぱりと縁を切られた『もう、君の先輩は居ない』ってさ。そんなもんで切られる縁だ。もうどうしようもない」
「…………分かりました」
「長々と喋り過ぎたな…………もう遅いし帰れ」
いつの間にか周りは薄暗くなっていて、女子の一人歩きには少し危険になって来た。
「はい、でも一つだけ今はまだ辞めないでください」
「分かってる、引継ぎには苦労させないようにしてマニュアルでも作っておくからそれが完成したらだな」
一色との約束だけは、気がかりだったが、あの様子だと大丈夫だろう。
「先輩は!」
「うおっ!?」
一色が俯いて、手が白くなるほど拳を握って俺に背を向けていた。
なんか俺したか?
「それが、先輩のゴールで良いんですか…………?」
小町に怒られるより、よっぽど怖かった。主に、身の危険的な意味で。
「ああ。この間違った部活動選択は、これで終わりだ」
ああ、この時間はロスタイムだったのか。自分だけの、自分しかいないフィールドで、やっと、試合終了のホイッスルが聞こえたような気がした。
「…………先に上がります」
「おう、気を付けて帰れよ」
何故か仕事がひと段落したような晴れやかな気分だ。さてさっさと済ませて俺も帰ろう。
「…………そんなの勝てる訳が無いじゃないですか」
「まだ何かあるのか?」
「なんでもないです!」
その答えに何も返さずに一色は足早に去っていった。
…………勝てる訳がない?そもそも誰に勝とうと思っているんだ?
「あ、来週から修学旅行じゃねえか」
引継ぎはもう少し後になりそうで、やっとこの試合にも終わりが見えてきた。初志貫徹、RTAオーバーラン。