幻想郷の悪魔さん 作:りうけい
幻想郷にも雨はある。
外の世界では海という巨大な塩水の池があり、それが蒸発して雨が降るのだという。だから、海のない幻想郷で、どうやって雨が降り、川を流れた水はどこへいくのかは分からない。もっとも、自分の興味の外にある事象なので、どうでもいい事なのだが。
しとしとと降り始めた小雨を窓から眺め、アリスは外出を諦めた。
「ああ、今日は買い物に行こうと思ってたんだけどな……」
昨日の夜、人形の服をイメージチェンジしたいと思い立ち、人里へ布を買いに行く予定だった。しかし天気はアリスに味方せず、小雨を降らせ始めたのである。
この程度の雨であれば人里へ行くこともできるが、少しでも濡れることを嫌い、アリスは外出を取りやめにしたのだ。
ふと目をやると、ハーブティーを持ってこさせた上海の動きが鈍いことに気が付いた。
(ああ、だから雨は嫌なのよ……)
雨の日は人形の動きが悪くなるし、第一にじめじめした雰囲気が苦手なのだ。結局、その日は本棚から適当な本を取り出して読むことにした。
〝オリエント急行殺人事件〟と題された本は魔導書ではなく、外の世界からの娯楽小説である。この前霖之助の店で何の気なしに買ってそのまま読んでいなかった。霖之助はもうそれを読んでいたらしく、どうしても話したいという様子で結末を語ろうとしてくるのを必死で押しとどめて購入した。
しばらく読み進めて、小雨が本降りになり、屋根を雨粒が激しく叩き始めた頃、ノックの音が聞こえた。
「…………?」
こんな雨の日に来客? それとも雨の音をノックと聞き間違えたか?
アリスは怪訝に思ったが、また、とんとん、とノックの音がした。
「いるわよ。鍵は掛かってないわ」
アリスが言うと、ドアが開き、訪問者が現れた。それを見て、アリスはなんだ、と安心した。
「どうしたの? 雨なのに、しかもわざわざこんなところに来て」
訪問者は答えなかった。
「あ、お茶いる?」
「………」
その時アリスは、訪問者の右手に握られている物を見て、ぎょっとした。
「何それ……ナイフ? あなたの得物ってそれだったっけ?」
なおも答えない訪問者を見て、アリスは気味悪いものを感じ、身を引こうとした。が、既に手遅れだった。
訪問者は、アリスが飛びのくよりも先に一歩踏み込み、アリスの胸に深々とナイフを突き立てる。
「か……はあ……っ」
鮮血が迸った。
アリスは、呆然と自分の胸から生えるナイフの柄を見下ろす。力が抜け、後ろ向きに倒れた。猛烈な痛みが体を走り抜け、それに耐えながら、訪問者―もとい、殺人者の姿を見上げる。
「………ひょっとして、あなたが噂の殺人鬼?」
アリスは言いながら、ずるずると後ろへいざった。
逃げるそぶりはしたものの、もうアリスは死を免れない。殺人鬼は、焦る様子もなく、じりじりと近づいてくる。
(まさか、私が標的とはね………)
次の瞬間、アリスの瞳が捉えたのは殺人者の振り下ろしたナイフの閃きだった。
正邪追討の話が各勢力で決まってから、三日が経っていた。
しかしその間、正邪の目撃情報は一切入ってこない。そのうちに、追跡者たちは、自分たちの中にいる〝裏切り者〟が正邪を匿っていのではないかと身内同士で疑心暗鬼となり、追跡の人員も減ってしまっていた。
魔理沙が三日ぶりに訪れた博麗神社は、閑散としていた。鳥居をくぐって境内に入ると、箒で参道に散っている落ち葉を掃き集める霊夢の姿が見えた。
そしてふと、魔理沙はいつも霊夢と一緒に居る狛犬、阿吽が居ないことに気が付いた。
「今日は阿吽いないのか」
「そうよ。……ひょっとしてあの子、守矢の方に行ったんじゃないでしょうね」
「あいつはそんなことしないだろ」
おそらく何らかの事情で神社を開けているのだろう。
「……しかしよ、ここのところ全く情報なしだぜ。正邪は絶対どこかに匿われてる。第2の犯人は正邪に協力する気なんだ」
もし正邪が二人目の犯人に殺害されていたのなら、その魂は冥界の白玉楼に行っているはずだ。しかし、未だにそれがないため、この結論へと至ったのである。
「でも、犯人はただ誰かを殺したいだけなんでしょ? 正邪を生かすメリットが無いじゃない」
そう。魔理沙が困惑しているのもそこなのだ。正邪にとって犯人たちは平和を乱すための道具でしかないし、犯人たちからは殺せる相手の一人でしかない。むしろ、犯人が誰かを知っているため、正邪は犯人に殺される危険はある。
しかし、冥界で「死人から」話を聞くことができると考える者ならば、殺さず、正邪を保護ーというと聞こえはいいが、実質監禁状態にして、普段は何食わぬ顔をして生活しているのではないか。
「………それで、急に食べ物を買う量が増えたとか、定期的に顔を見せないとかいうやつを守矢、紅魔館、霊廟、命蓮寺、地底、永遠亭で調査したんだが、特に変わったところはない、だそうだ」
「正邪を匿っている者は追っ手の勢力にはいないってこと?」
「かもな。その可能性は低いとみていいと思う」
それを聞いて、霊夢は、少し考えこんでいる。
「そうだ。一つ一つ家を虱潰しにして調べていけばいいじゃないか。幸いこちらには幻想郷全勢力が揃ってる」
「あんたが好きそうなパワープレイね。確かにそれで見つけられるかもしれないけど、大っぴらにやったら対策されるわ。それに、犯人がいつも家に正邪を置いているとは限らないでしょう?」
「……うーん」
「とりあえず、誰かが死ぬのを待つしかないわ」
「誰かが死ぬ、ねえ……そうならないように私は動いてるんだけどなあ」
「私は、事件解決の為に動いている。人命救助じゃないの。今は圧倒的に情報が少ないから、犯人を探るヒントが無いと絞り込みもできないわ」
「まあそうかもな……」
確かに、今回の犯人はできるだけ騒がれないよう、静かに過ごしているという印象を受ける。派手に動いた慧音の二の舞を恐れているのか、それとも水面下で人を次々葬り去っているのか……いずれにせよ、情報量が少ない事には変わりがない。
「はっきりこれは手詰まりなんだぜ。霊夢は誰が犯人か分かるか?」
「無理無理。被害者もいないし、犯人が本当にいるのかも分からない。そんな状況じゃ推理できるわけが無いわ」
霊夢は、手をひらひらさせて、答えた。魔理沙も特にそれを期待してはいなかったので、何も言わない。
「ま、いいわ。魔理沙も少し休んだら? いつ事件が動くか分からないし、ちゃんと休まないといざって時大変よ」
「そうだな、ありがたく忠告通り家で過ごしておくよ」
魔理沙は、博麗神社を後にし、魔法の森へと戻っていった。
「アリス、いるかー?」
魔法の森へと帰ってきた魔理沙は自分の家には向かわず、アリスの家へ足を運んだ。事件の調査が一向に進まない苛立ちと、次は自分が狙われるのではないかという恐れが、魔理沙を家から遠ざけているのだ。久々に落ち着いて話がしたいと思って、アリスの家を訪れた。
魔法の森に住む人形遣い、アリス・マーガトロイドの家は、森の奥にあり、滅多に人の往来は無い。そこを頻繁に訪れる友人は魔理沙や霊夢、その他数名ほどしかいなかった。
「いないのか?」
魔理沙が、ドアノブに手をかけ、回すと、木製の扉は抵抗なく開いた。
「あれ、開いてる。……返事ぐらいしてくれたっていいじゃないか」
魔理沙は言いながら箒を玄関に立てかけると、家の中へ上がった。アリスは自分が出かけている間は家に鍵をかけるが、家にいる間は鍵をかけず、誰でも開けられるようにしている。つまり、アリスは今この家のどこかにいるのだ。
「寝てる……ってわけわないだろうな」
魔理沙と違い、アリスは種族魔法使いであり、睡眠をとる必要は無い。ゆえに、アリスは意図的にこちらの声を無視しているか、声が聞こえない状態なのかもしれない。
魔理沙がついにリビングへと入ると、お洒落なテーブルや椅子、そしてアリスの人形が数体転がっているのを見つけた。
「これ上海人形だよな……これを放り出して何してるんだ?」
魔理沙は動かない上海人形をテーブルの上に載せ、ぎょっとした。
服に、血が数滴ついていた。
まさか、これは……
魔理沙はリビングに目を走らせた。注意して見てみると、床が一部だけきれいになっているのに気が付いた。そして、それは、アリスの家の奥へと続く廊下の扉へとのびていた。
魔理沙は、嫌な予感がして、その扉を開けた。
「……………!」
扉の向こうには、落ちて黒ずんだ血液が大量に床にこびりついており、その上を何かが這ったような跡があった。この痕跡を見るに、これだけの血を流すほどの致命傷を負った誰かが、必死で逃げていたあとなのだろう。その誰かは、アリスだったのか、それとも敵だったのか。魔理沙の中では結論が出ていたが、認めたくないという気持ちがそれを受け入れさせなかった。
赤く染め上げられた床には、いくつかアリスの操る人形が落ちていた。それらはほとんど戦いで傷つき、ぼろぼろだったが、反面その人形たちの持っている武器はさほど消耗しておらず、新品同様のままだった。おそらく最初の一撃でアリスが致命傷を負って、人形たちは戦えるほどの魔力が供給されなかったのだろう。そのため、抵抗らしい抵抗もすることができず、人形たちが倒されてしまったのだ。
魔理沙が床の「目印」を辿っていくと、それはクローゼットの中へと続いていた。
ごくり、と唾を呑みこむ。この中に居るのは、まさか……
魔理沙は、そっとドアを開けた。
どさり。
重いものが落ちる音がした。魔理沙は、落ちた者―否、既に生命を失い、人の形をした物体となってしまった存在に、目を落とした。
それは、あの人形遣い、アリス・マーガトロイドの死体だった。
死者が出ないと調査が進まないってのは人狼っぽいですかね。あと、オリエント急行は忘れ去られているから幻想郷に来たのではなくて、単に私の趣味です。
アリス好きの人には申し訳ないですが、これから死人出まくりになりますので、まとめてごめんなさいをしておきます。