空を見るとあの夏のことを今でも思い出す。
あの一瞬で過ぎ去ってしまった泡沫の夢のような夏は今でも浅羽の中に濃く影を落としていた。
浅羽は今、帝都の私立高校に進んでいる。
今年で三年目、来年には大学に行くか就職かといった時期で夏休みが明けたら本格的に勉強をしなければならない。
帝都では学校から電車で数駅のところに部屋を借りて一人暮らしをしている、少し学校への距離が遠くなっているがその分駅前で家賃も安く良い部屋だ。
浅羽の学校生活は『それなり』という言葉がよく当てはまった、勉強は可もなく不可もなくそれなり、友達も委員会、部活に参加していないため多くは無いが少なくもなくてそれなり、休みの日も趣味に没頭したり友達と遊びに行ったりでそれなり。
別に人生に悲観して何もしてないわけでもなかったがそれでもどこか投げやりな、何をしたいのかわからないというような印象を受ける生活をここまでの3年間送っていた。
4年前の夏、園原と1人の少女を中心に巻き起こった事件は世界と少女を救いそして浅羽を夏の中に閉じ込めた。
浅羽の中で夏は4年前のあの海の上で止まっていて、今なお絡みとるように掴んでジリジリと焼き焦がし浅羽を壊していった。
周りでは夏が終わり秋が訪れそれもすぎさり冬、春と移り変わっていったが浅羽だけはあの夏に置いていかれたままだった。
もちろん、浅羽自身は取り繕うように生活をしていたがふとした瞬間に少女との思い出を思い出すと表情はそのままに蛇口の壊れた水道のように涙だけを流して晶穂や花村達を困らせた。
そのうち水前寺が卒業して園原からいなくなり中学3年生に上がると浅羽の中で『辛い』という感情が芽生え始めた。
園原での生活は否が応でも少女との夏を思い出させ、そのたびに涙を流し晶穂たちを困らせることに浅羽が辛さを覚えるのは当然のことだった。
何より、何も出来なかった自分から逃げたくなったのかも知れない、浅羽が帝都の学校に通うようになったのはそれが理由だった。
もちろん浅羽の両親は猛烈な反対をした、その頃は北との情勢のせいで帝都も荒れていたし何よりあの頃の浅羽は両親から見て不安定すぎて1人にすることに対して恐怖があったのだ。
最終的に浅羽が両親の承諾をもらえたのは担任の河口の説得によるものだった。
高校は園原でも知っている人が多い、有名な進学校だったため、河口としては園原のいち教員が帝都の進学校へと生徒を送り出したという実績が欲しかったのだ。
しかし浅羽にとっては最後の壁であった両親を説得してくれた人になるためなんとも複雑な気持ちとなった。
帝都に来てからまず一番に浅羽が感じたことは空が狭いということだった、実際帝都には都市開発によって高層ビルがたけのこのようにまとまって立っていたため見える空は限られた。
帝都に訪れて初めての夏は園原より暑くそれが園原より圧倒的に多い室外機のせいなのか緑が身近にないせいのかわからなかったが園原とは違うというだけで浅羽には肩の荷が降りたように感じられた。
帝都に来てからも晶穂達との交流はすぐには途絶えなかった。
高校1年の夏休みには晶穂、清水、花村、西久保の4人が園原から遊びに来て浅羽の部屋を拠点に1週間帝都で遊ぶといったこともあったが高校2年の頃に浅羽と晶穂の間で起こったゴタゴタでそれ以降、彼女らが帝都に来ることはなくなった。
晶穂達との交流が途絶えると浅羽は護身術から始まり薬のことや人体のことを調べたり、帝都の地下で非合法に運営されている射撃場に通うことまで本当に様々なことを初めた、浅羽の中にある何も出来なかったというコンプレックスは浅羽を成長させ、高校三年の今となっては水前寺が見れば「驚いた、浅羽特派員、今なら君は園原電波新聞部のエースになれる!」と言わせただろう。
浅羽に、ある一定数の友達がいたのもこれが主な理由だった、クラスメイトには時折表情を変えずに涙を流す変な奴と思われているがそれ以上に浅羽は頼まれたことを嫌な顔をせずにやってくれる都合のいいやつだった。
今年の夏休みも半分を過ぎた、夏休みが明ければここまで引き伸ばしてきた進路を担任に提出しなければならない。
浅羽が進路のことについて悩んでいるのは一言で言えば「躊躇」だった。
自分はこのまま体だけ成長して中身だけはあの夏に置き去りになってしまうのか、浅羽の脳裏にいつまでも焼き付いて消えないあの海の上での彼女の笑顔は、胸に体を預けてきた時の体温は成長することで消えてなくなってしまわないのか。
浅羽は部屋を借りているマンションの屋上で空を見上げる、空には園原ほど見えないが十分な数の星が見えた。
ふと、二年前の夏に晶穂に言われた言葉が浅羽の脳裏をよぎる。
「いつまでもあいつの亡霊に取り憑かれてないで自分のことぐらいしっかりと考えなさいよ!」
そのとおりかも知れないと浅羽は苦笑する。
しかし浅羽の中でいつまで立っても消えない愛する少女はあの夏、空に消えてもうこの先浅羽の目の前に現れることは無いのだ。
その事実だけで浅羽は夏から踏み出すことも出来なければ誰かに引っ張り上げてもらうことも出来なかった。
左腕の時計を確認すると既に8時を回っていた、スープを飲み干したカップ麺と箸をコンビニ袋に放り込み立ち上がる。
浅羽にこの食べ方、と言っても屋上でカップ麺を食べるだけだがこれを教えた彼はあれから一切の連絡を取ってくることはなかった。
彼が今何をしているのかを浅羽は知らなかった、しかし今もどこかで「帰って風呂に入りてぇ」とぼやきながらスーツをよれよれにしながら仕事をしているのだろう。
浅羽が階段を降りる度に金属製の階段がカンカンと音を立てセミの鳴き声にかき消される。
3階に付き端から3つ目の扉の前にたち鍵を差し込んで回す。
そして比較的重い扉を開けると同時に浅羽は固まった。
「よお、久しぶりだな」
浅羽の部屋は1LDKという学生が住むには少し大きすぎるぐらいだった、玄関に入ると右手にトイレと風呂につながる扉が、奥には洋室につながる扉があり浅羽はこの扉を明け締めするのが面倒で常に開け放して使用していた。
洋室にはPCを扱うための机などありそこに彼は座っていた。
「榎本、さん」
「おう、でかくなったな」
浅羽が口を開き「なんで」と発する前に彼、榎本は手でそれを制して口を開く。
「色々聞きたいことはあると思うがまずは伝えたいことがある」
「イリヤが見つかった」
そう言って榎本は浅羽の中で4年間止まっていた夏を動かし初めた。
後から変更を咥えるかも知れません。