あの世の狗   作:和泉キョーカ

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 人の身はかくも儚い。一時の野望は泡沫の如く、宿した情熱はいずれ冷め行く。人の身をやめた今この時になって、私は気付く。全て無駄であったのだと。


弐話

 夢を見た。

 

 足下で、赤子が泣いていた。親の姿を求めて泣いていた。けれど親は来なかった。赤子の母親は炎の中に熔けて消え、父親は崩れた木材の下敷きになって潰れた。

 赤子が泣いていた。泣いていた。親を求めて泣いていた。私は、赤子を見下ろし、その首を絞めようとした。だが、私の中の誰かが、悲痛な声で叫ぶ。

『あの子と約束したんだ、もうやめて!』

 と。

 赤子が泣いていた。いつまでも泣いていた。荒れ果てた都の、地獄のような景勝の地で、赤子は絶えず泣いていた。

 誰かが泣いていた。誰かが、私が泣いていた。涙がとめどなく零れ落ちる。悲しくもなければ、悔しくもない。だというのに、あふれる涙は止まらず、赤熱した大地を濡らしていく。誰が泣いている。この地に生きるすべての民草が泣いていた。私が泣いている。この赤子のように、私の心が泣き喚いている。

『こんなことをして、もう後戻りはできない……あの子のいる、あの場所に行って、この罪を償おう!』

 もとより、私は自らの思うがままに、この惨状を生み出していた。心がそう望むのならば、私はそれに従うのみ。

 雨が降り始めた。これは天の涙か。天も泣いているのか。なぜ泣く。何が悲しい。私を憐れんでいるのか。野望と情熱の中に散り、怨霊と化した私を憐れんでいるのか。天が泣くのなら、もうやめよう。人々の恐怖心が、私の力を強大にしていく。このままでは、いずれこの国を亡ぼす大怨霊となろう。

 ――それは。

『それは、いやだ!』

 私は、その濡れたような黒髪の赤子を撫で、その地に捨て置き、踵を返した。

 額から伸びる双角と、獣のように伸びる爪を持つ今の私を受け入れてくれる地など、あるのだろうか。

『あの子の言っていたことを思い出して! 信州の――!』

 信州の、妖怪が人間を支配する場所。

『――幻想郷!」

 

「せんせーぇ。」

 仕事が特になければ、ボクが普段何をしているかというと、まぁ散歩とか、お節介とか。この地に生きる妖怪たちの中にボクの顔を知らない奴がいるなら、それはきっと新参者だけだろうね。おかげさまでどこ行っても挨拶回りみたいになっちゃう。

 閑話休題。ボクはそれなりに教養があるほうだから、昼間なんかは寺子屋で特別講師として子供たちに勉学を教えていたりする。

「何?」

 ひとりの男の子が字を書く練習の手を止めて、その手を挙げたので、ボクも爪を弄る手を止めて、聞き返した。

「この里って、何で妖怪に攻撃されないの? こんなに人がいっぱいいるのに、妖怪は喜んで襲ってくるんじゃないの?」

「ん~っと、それはねぇ……。」

 正直、答えに困ってしまった。建前と本音は大人の専売特許なわけだけど、嘘はいけない。子供のうちから正しい知識を身に付けておかなければ、大人になった時建前だらけの人間になってしまう。さて……。

 ふと教室の外を見ると、ふすまの隙間から、この寺子屋の主が覗き込んでいた。ボクと目が合うと、おもむろに首を横に振る。だよね。言っちゃまずいよね。

「そうだねぇ、ボクも詳しくは知らないけど、神社の巫女さまによって、里全体に結界が張ってあるとかないとか……。」

 悪い大人の専売特許だよね、嘘って言うのは。こうやって子供は成長した時、嘘をつかれていたことに気付いて、『大人が嘘をついていたんだから自分もついていいはずだ』なんて認識しちゃう。こうして負の連鎖は連綿と子孫に受け継がれていくわけだ。

 とはいえ、今ボクがついた嘘は確かめようがないし、多分ばれない……はず。

 この人里は、実際言ってしまえばとても危険な場所だ。やろうと思えば妖怪三匹もいればこの里などあっという間に滅ぼせてしまう。それをしないのは、この里が妖怪の最後の生命線だから。人間の恐怖心を糧とする妖怪にとって、人間がいなくなるというのは、身の破滅に直結する。だから、人間たちが生態系を築くために、わざとこの里は妖怪に攻め込まれない。

 今も、人間に化けた天狗に河童、狐狸といった魑魅魍魎が、里に異常がないか――そして、お互いがお互いに里に手を出さないか、歩き回って監視し合っているはずだ。

「大丈夫、君がおじいさんになっても、この里は安全だよ。」

 ボクはそう言って、男の子に向かって手をひらひらと振って見せた。

「そういえば、せんせーもけいね先生と同じくらい年取らないよね。せんせーも半分妖怪なの?」

 縁側にいた年長の女の子に突然言われたので、ちょっとだけ面食らったけど、ボクはにっこり笑って返事した。

「ばれた?」

 今度は、嘘は言ってないよ。嘘つくと閻魔さまに舌引っこ抜かれるからね。

 部屋の外で寺子屋の主が大溜息をつく姿がちらと見えた気がしたけど、気にしない、気にしない。

 

「渡月、あまり子供たちを怖がらせないでもらえないか?」

 そう寺子屋の主、上白沢慧音(かみしらさわけいね)は怒気混じりに腰に手を当てて、ボクを見下ろしてくる。

「半妖っていうのは、確かに半分人間で、その分人間社会に溶け込みやすい種族と言えるだろう。それでも、半分妖怪であることは拭うことのできない事実なんだ! 今さっきお前がついた嘘だって、下手をすればばれるようなことぐらいお前にもわかるだろう!」

「慧音、あのね――。」

「それに!」

 慧音は、鋭い犬歯をむき出しにして、ボクの目の前で、ボクの右側にあった壁を握り拳で音高く叩いた。ちょっとびっくりした。

「お前は半妖どころか、人間ではないだろう――ッ!」

 ボクは基本的にニコニコ笑顔の絶えない至極ホワイトな人間だけど、今のはちょっと頭にきた。

「ちょっとちょっと、その言い方はないんじゃない? せめて『半分妖怪どころの話じゃない』、とかにしておいてよぉ。」

「事実だ。」

「いいかい慧音、無闇に人間を刺激しちゃいけないことくらい、立場上痛いくらいわかってるよ。でも、ボクらの寿命は彼らからしてみれば何十倍、何百倍と長い。今のうちに老けない理由を作っておかないと、ボクこの先里にいられなくなっちゃうよ。」

「……それは理解しているが……。そもそも、お前が里に降りてくる必要などないだろう。」

「大ありだよ! ボクは仕事上、おいた(・・・)をする妖怪を見つけなきゃいけないんだ! 妖怪がしでかすおいた(・・・)の半分以上はここ、人間の里で起こっているでしょう? だから一番手っ取り早いのが、里の社会に馴染むことなんだよ!」

 慧音は苦々しい表情で握った拳の力を緩めると、溜息をついて、書庫に戻っていった。

「挨拶もなしかぁ。」

 ボクはそんなことを嘯きながら、寺子屋の前で遊ぶ帰途の子供たちに手を振りながら、夕暮れの人里を、魔法の森の方へと歩いて行った。

 

 ところで、異変ってのは基本些末なことから始まるものだっていうのは、その道の専門家なら誰でも知っていることだけど、それじゃあ異変を真っ先に見つけるのは誰か――知っているかな。霊夢だったりするかも。魔理沙が見つけることだってあるかも。妖怪の賢者たちが危機を察知して霊夢に警告しに行くこともあるかもね。でも、どれも違う。厳密にはね。

 そう、厳密に言えば異変を一番最初に見つけるのは、ボクの仕事なんだ。もちろん、見つけたところで何もしないけどね。ボクの主な仕事はさっきも言った通り妖怪のおいた(・・・)の監視。でも監督はしない。今まで霊夢が解決ないし無力化してきた異変のほとんどは、ボクがいち早く兆候を察知してる。そしてその兆候をボクの上司である四季様――四季映姫(しきえいき)・ヤマザナドゥ様に報告するのがボクの役目。

 要は、ボクが普段何も考えずに散歩だけしていると思ったら大間違いってこと。

「……いつまで隠れているの?」

 魔法の森を歩いている時、ボクはふとその気配に気が付いて、背後に向かって話しかける。その気配の正体は、ボクの声に応じるように、梢の上から飛び降り、着地した。それに合わせて、ボクもそちらを振り向いた。

「……エガラ……トゲツ……。」

「あれ、ボクに用事があったんだね。ただの迷子ってわけじゃなさそうだ。」

 それは、亡者のような白装束に、濡れたように真っ黒い短髪を持った少女だった。生気のない瞳で、終始まばたきもせずにボクを凝視している。不気味以外の何物でもないけど、あいにくとこんなことでびびるほどボクも弱輩じゃない。

「ワタシは……オマエを……エガラトゲツぅ……ッ!!」

「!」

 そう絞り出すように呻いたかと思うと、蒼穹のように青白い電光を放ちながらボクへと襲い掛かってきた。咄嗟のことで反応が遅れたけど、ボクはその場から後方へ一歩跳躍し、少女が振り下ろした腕を回避する。次の瞬間、凄まじい衝撃と轟音が巻き起こり、大量の土煙が舞う。

 それを真紅の雷光で振り払うと、先程の少女の姿はどこにもなく、薄暗い魔法の森の情景と、寒気がするほどの静寂がその場を支配していた。

「……嫌な予感がするな……。」

 そうボクが呟いた直後、ボクが今来た方向――すなわち、人里の方から雷鳴が聞こえてきた。いや、雷鳴と言うよりは、女性の悲鳴のような、金切り声のようなそれだった。

「はは……異変にならなきゃいいけど!」

 そんなボクの期待は無残に打ち破られるわけだけど、とにかくこの時のボクにはそんなこと一切わからなかった。とにかく、ボクは里に向かって持てる脚力の全てを使って駆け出した。

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