東方幻夢録   作:珈琲最中

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霊々夢 (一)

 幻想郷を外界から隔絶する博麗大結界の中核、博麗山の頂上には【博麗神社】という小さな社が鎮座している。この神社に奉仕する代々の博麗の巫女によって、幻想郷は人間社会の広がる外の世界から隠されてきた。

 

 博麗神社に行くには、山の頂に至る長い長い石階段を上る必要がある。大人の足で、休みなしに上っても三時間はかかる上に、麓は妖怪の跋扈する森が広がっているとあっては、人里の人間が近づかないのは寧ろ必然とも言えた。

 

 おかげで賽銭箱はいつも空──でもおかしくはないのだが、そこはそれ、時折魔法使いや人間慣れした妖怪の助けでここまで訪れる物好きもいるおかげで、少しの稼ぎにはなっている。

 

 とは言え、不定期な人間の訪問者を当てにしていてはいつ飢え死にしてもおかしくはない程度には貧しかったので、博麗の巫女はこの幻想郷を作り上げた大妖怪・八雲紫から齎される依頼を受けることで糊口を凌ぐのが常であった。

 

 今しも博麗神社の軒先で、中空を切り裂くように隙間が開いた。空間の裂け目のその奥からは、金髪を結い上げた色白の女性が上体を乗り出し、巫女の居住する神社脇の小屋を覗き込んでいる。彼女こそ八雲紫その人である (人ではないが)。

 

「霊夢…………?」

 

 現博麗の巫女に呼び掛けても返事がないのを不審に思い、紫は裂け目から出て小屋の縁側からもう一度呼びかけた。いつもなら、霊夢はここでお茶を飲んだり、拝殿の掃除をしたりしている時間なのだが。

 

 やがて、小屋の奥から布団を体に巻き付けた霊夢が現れた。

 

「紫? 何か用?」

 

「ご挨拶ね、霊夢。せっかく稼ぎになる仕事を紹介しようと思ってやって来たのに…………」

 

「ああ、仕事ね、仕事……。それ、すぐやらなくちゃならない?」

 

 酷く気怠そうな霊夢を見て、紫は「上がるわよ」と言って返事も待たず居間に上り込むと、霊夢の額に掌を当てた。

 

「どれ……熱はないようだけど……体調が悪いの?」

 

「ああ、もう…………」

 

 霊夢は内心どぎまぎしながら、紫の白い手をやんわり振り払う。

 

 紫は妖であるにも関わらず、人の追い求める究極の美を体現するような容姿をしていた。女である霊夢から見ても、鼻梁の通ったすっきりした顔に、紫水晶の如き両の瞳。西洋人かと見紛うばかりのブロンド、そしてひんやりとした、白磁のように透き通るような肌──。腕利きの職人が金に糸目をつけず究極のビスクドールを作れば、紫のようになるのではないかと霊夢は思う。

 

 その彼女はしょっちゅう、美術品のようなその手を惜しげもなく差し出して霊夢に触れようとする。霊夢とて、本心では紫に触れられるのは嫌ではない。それどころか、密かに喜んですらいた。どの程度の好意を紫に抱いているのかは、自分でも測りかねてはいるが。

 

 だが、妖怪と人間のバランスを保つのは博麗の巫女として重要な仕事の一つである。人と妖怪の間には超えてはならない一線があり、特に博麗の巫女は妖怪に感情移入してはならないという不文律がある。そんな訳で、霊夢は半ば無意識に紫への密かな思いを否定したくて、つい邪険に応じてしまうのだ。

 

「大丈夫だから。最近天候が不安定でしょ。少し暖かくなったと思って薄着で寝たら、少し寝冷えしてしまっただけよ」

 

「そう? それならいいけれど」

 

 霊夢の複雑な心中を知ってか知らずか、この見た目二十歳前後の年齢不詳妖怪は怒ることもなくあっさりと引き下がる。自称十七歳だが、そんな訳あるか!! と皆が思っているのは口に出さない。

 

「それで? 仕事って?」

 

「人里にね、妙な妖怪が出るらしいのよ」

 

「妙な妖怪? まあ良いわ。お茶を淹れるから、そこに座ってて」

 

 霊夢の淹れた出涸らしの、殆ど白湯のようなお茶を飲みながら紫は説明した。

 

 それが目撃されたのはつい三日前のこと。とある酒屋の店主が店じまいをしていたところ、「酒をくれ~」という声が聞こえたのだそう。

 

 板戸を開くと、誰もいない。だが、背後でちゃりんと音がするので振り返れば、そこには銅貨が落ちていて、その分の酒がなくなっているのだそう。

 

「それがね、三日続いて起こったらしいのよ」

 

「お金払ってるんでしょ。いい妖怪じゃない」

 

「そうは言ってもね、いつも店じまいをした後に来られるもんだから、昨日店主が板戸越しに『いい加減にしてくれ』って断ったらしいのよ。すると板戸が叩き壊されて、またしてもお酒が消えていたそうよ」

 

「壊された? 姿は見なかったの?」

 

「それが一瞬の出来事で、黒い竜巻のようなものが吹き抜けたと思ったら、すぐに外に出て行ったそうよ。酒代は勿論、板戸の修理代まで置いていったらしいわ」

 

「…………う~ん、実害は板戸だけかあ……でも店主としては、気味が悪いでしょうね」

 

「率直に言って怖がっているわ。それに妖怪が買い取った酒は、杜氏から直接に買い受けた特上品らしいわ。私も時折藍に買いに行かせているお酒だから、放っておけなくて」

 

「………………(結局、自分好みのお酒が飲めなくなるのが嫌なだけでしょ)」

 

「なあに、霊夢? まるで『自分好みのお酒が飲めなくなるのが嫌なだけでしょ』って思っているような顔をしているわ」

 

「そ、そ、そんなことないわよ!! 分かった。私が今夜張って、とっ捕まえてやるわ!!」

 

「そう? お願いね」

 

 紫は微笑むと、すぐに隙間の向こうに消えてしまった。

 

(酒を好む妖怪、ねえ……多過ぎて特定できないわ)

 

 そこまで考えて、ふと伊吹萃香の姿がちょうど三日前から見えないことに気が付いた。

 

(まさか、萃香じゃないわよね……人里でこんなちんけな異変を起こすとは思えないけど……)

 

 霊夢がそんなことを思いながら身支度を整え、表に出た時である。

 

「れ、霊夢~~~」

 

 いた。

 

 伊吹萃香その人 (じゃなくて鬼)が、酒瓶を片手に赤らんだ顔で近づいてきた。ろれつのまわらない舌で、酒臭い息を吐きながら萃香は

 

「ああ、やっと着いた~~ヒック……」

 

 そんなことをぼやき、縁側に腰を下ろした。

 

「聞いてよ~、霊夢~、勇儀の奴がさ~~~」

 

 聞けば、星熊勇儀と水橋パルスィの痴話喧嘩の仲裁に三日三晩かかったのだとか。当然この三日間は地底にいたらしい。

 

「おかげで酒を飲む暇も無くてさ~、ストレス溜まりまくりだよ~~~」

 

 ということは、萃香、勇儀、パルスィは疑いが晴れることになる。まあ、元々犯人候補としての序列は低いので余り意味はないのだが。

 

「萃香、悪いけど今日は用事があるから、飲み会はその後でね」

 

「ええ~~~」

 

「終わったら付き合ってあげるから、ここで待ってなさい」

 

 萃香の抗議の声を受け流し、霊夢は人里に飛んだ。そう、文字通りの一っ飛びだった。

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