東方幻夢録   作:珈琲最中

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ミスティア・ローレライの告白

 既に日もとっぷりと暮れ、月の光も木々の梢に遮られる森の中は闇が広がっている。だが、人里に通じる細い道を抜けていくと、遠目にもぼんやりと赤い提灯の明かりが浮かび上がるのが見えてくる。

 

 そこへ向かって更に歩みを進めると、ヤツメウナギのかば焼きの香りが漂ってきた。

 

「よお、慧音。今日は早いな」

 

 先客の上白沢慧音に声を掛けると、藤原妹紅はすぐ隣に腰を下ろした。屋台の女将、ミスティア・ローレライに会釈する。

 

「熱いの一本頼む」

 

「はい。ただいま」

 

 その後暫く、慧音と他愛ない会話に興じた妹紅は、ミスティに勧められた肉を頬張る。

 

「……女将、久しぶりに食べるよ、こんな美味い煮付け。鹿か何かかい?」

 

「鹿ではないみたいですけど、永遠亭の兎、“てゐ”から買い取ったんです」

 

「ふうん……そう言えば、ミスティ、人里でも店を開いていたろう? 確かあの頃にもこんな肉を食べさせてくれたよな」

 

「ええ、このお肉、定期的に入ってくるんです」

 

 慧音がそこで口を挟む。

 

「ねえ、前から聞きたかったんだけど……ミスティの居酒屋、人里でも人気だったのにどうしてやめてしまったの?」

 

 ヤツメウナギをたれに漬け込んでいたミスティアはそこで手を止めた。少し遠い目をして黙った後、ため息を吐き出すように言った。

 

「そうですね……もう事時効ですし、この際だから話しておいてもいいかも知れませんね」

 

 この幻想郷では、人と妖怪の間には厳然たる力の差があるため、大抵の人間は妖怪に恐れをなして近づこうとはしない。臆病でしたたかで、異分子は排除したがる人間の住む集落に溶け込むのは至難の業なのだ。

 

温厚で教育熱心な慧音ですら、人里に受け入れられるまでにかなりの時間を要した。それまでにあらぬ噂を立てられたり、闇夜に紛れて寺子屋に石を投げつけられたり、ボヤ騒ぎになったこともある。

 

 そうした長年の労苦の末にようやく人間の信用を得て、今や人里で寺子屋の先生と言えば慧音を指すまでになっている。それだけでなく、慧音は他の寺子屋の先生とも月に一度は寄合を開き、子供の教育をめぐる問題について話し合い、親交を深める努力を怠らなかった。

 

 そんな慧音からすれば、せっかく人里に受け入れられたのにあっさりそれを手放したミスティアの行動が奇異に映ったのだ。

 

「あれはもう五十年くらい前になりますか……当時人里の家を一軒買い取って居酒屋を始めたのは……最初は無論、私が妖怪だということで人間からは警戒されました。それは慧音先生もよくお分かりかと思います。

 

 あの時は慧音先生に人里で色々と取り計らって貰い、本当に感謝しています。私が比較的早く人里に馴染めたのも慧音先生のお陰もあるのです。もっとも私は見るからに弱小の妖怪ですから、人間の方でも余り怖がる要素がなかったのかも知れませんが……」

 

 ミスティアはそこで、空になった妹紅の燗を下げ、新しく湯煎から一本取りだして妹紅の前に置いた。

 

「最初は一人で切り盛りするつもりだったんです。でもお客さんが増えるに従い不便を感じるようになりました。そこで、一人お手伝いを雇うことにしたんです。店の前の張り紙を見て、若い男がやって来ました。健康な体つきをしていましたし、少し話をして実直な青年であることが分かりましたので、すぐに雇うことにしました」

 

 妹紅は赤らんだ顔でふんふんと頷いている。慧音はその青年のことを知っているようで、ああ、あの子、という顔をして見せた。

 

「妹紅も顔くらい見たことある筈よ」

 

「そうか? 覚えてねえなあ……」

 

「働き始めて三か月ほどは何の問題もありませんでした。むしろ体力仕事をよくこなしてくれましたので、私としては大助かりです。少し気がかりなことが起こり始めたのは、そうですね、秋も深まる季節だったでしょうか……。

 

ちょうどその頃、二人連れの客さんがよく店を訪れるようになっていました。お得意さんと言っていいでしょう。悪酔いもしないし、金払いもいい。程よく酔ってお帰りになられる。正に理想のお客様です。

 

 そのお二人に、その青年がちらちらと視線を送っていることに気が付いたのです。最初は気のせいかと思いました。でも注意して彼を見ていると、そのお二人や近くの席に料理を運んでいくときなど、ほんの一瞬ですが、ほかの客よりも長く視線を留めているのです」

 

「最初はそれが何故だか分かりませんでした。私は妖怪ですから、人間的な感情には疎かったんです。でもそれが少し熱を帯びたような、それでいて苦し気なものであると分かってからは、何となく察しは付きました。それで、私は彼にこう言ってみたのです」

 

「『あの二人、お似合いよね。きっと末永く幸せでいるわ』」

 

「彼はぐっと詰まったような顔をして、それからこう言いました

 

『同性同士の恋愛なんて』」

 

 妹紅と慧音は顔を見合わせた。少し沈黙が流れたが、ミスティアは続けた。

 

「『同性の恋愛なんて』、彼はその続きを言いませんでした。しかし、その後の言葉は割合陳腐なものが続いたことでしょうね……まあ、最初は複雑に思えた人間の感情も分かってしまえば案外詰まらないものです。

 

 その後、彼は黙々と従来通り働き続けましたが、どうも思いつめるような顔を見せることが増えていきました。それでも、彼はいい使用人でしたし、客にも分け隔てなく丁寧に対応しておりました。ええ、例のお二人さんに対しても……」

 

 そこで、ミスティアはヤツメナギをひっくり返した。木炭にたれと油が垂れたのだろうか、じゅうじゅうという音がなり、白い煙が沸き上がった。

 

「思えば、あの時気づいておくべきでした……恋に目覚めた若者が思い詰めると、後先考えない行動に出るということに……」

 

 ヤツメウナギにたれをかけ、うちわでぱたぱたと扇ぐミスティアはいつになく遠い目をしているように見えた。

 

「彼がこっそりお酒に何かを入れていることに気が付いたのは、冬に入って間もない時期でした。寒風吹きすさぶこの季節、居酒屋は書き入れ時と言っていいでしょう。忙しさの中で気が付けたのは運が良かったのか悪かったのか……ともあれ、私はすぐにそのお酒を下げ、代わりのものをお客さんに出しました。そして店じまいをした後、彼に問い質したのです」

 

 焼きあがったヤツメウナギを、ミスティアは二枚の皿に載せて二人の前に置いた。

 

「なぜあんなことをした、何を入れたのだ、事と次第によっては解雇だけでは済まない、人里の人間にも相談するかも知れない、と少し厳しくく詰問しました。彼は暫く黙っていましたが、やがてぽつりぽつりと話し始めました」

 

 妹紅はけっ、と吐き捨てるような声を上げ、おちょこをぐいっと空けた。

 

「しょうもない男だなあ」

 

「彼が言うには、食材を拾いに竹林の辺りをうろついていたら、永遠亭の兎……ええ、あの“てゐ”に出会ったそうなんです。それで、永遠亭には優れた薬師がいることを思い出して、惚れ薬はないかと尋ねたんだそうです」

 

「うげえ……薬に頼るとか……それでも男かっての!!」

 

 くだをまく妹紅を、慧音が落ち着かせる。

 

「まあまあ……それで? どうなったの?」

 

「それで、“てゐ”に一日だけ待てと言われて翌日渡された薬を、その客の酒にこっそり忍ばせたそう。私が気が付いた時には既に五、六回はやっていたそうです」

 

「「………………」」

 

「それで、効果は出たのかって聞いたら

 

『全く駄目だった』

 

と。

 

『そんなことをしていい訳がない、すぐに薬を渡しなさい、私が処分します』

 

って、そう伝えたんです。私は彼のことを心配して言った積りだったんですよ。でも、彼は疑わし気な目で私を見て言いました。

 

『自分で使う気なんですか?』」

 

「はあああ? ありえねえだろ、そいつ!!」

 

「ええ……私も余りのことに頭が真っ白になって、何も言い返せませんでした。

 

『そこまで言うのなら好きになさい、でもここで雇う訳にはいきません』

 

と言うと、

 

『お世話になりました』

 

とだけ言って帰ってしまいました。その後彼がどうなったのか、暫くは分かりませんでした。事が明らかになったのは、半月ほどして、“てゐ”がひょっこり姿を現した時のことです。

 

 “てゐ”が

 

『新しい肉が手に入ったから使ってくれ』

 

そう言って差し入れをして来たのです。無論代金は払いました。それから、“てゐ”はにやにやして私を見ているのです。少し癪に障りましたが、あの青年の事を思い出して“てゐ”に尋ねました」

 

「“てゐ”はますますにやけて、こう言いました。

 

『あいつなら、昨日、死んだよ』

 

 それから“てゐ”は、事の経緯を得意げに語りました。なんでも永遠亭から持ち出したのは一種の興奮剤だと言うんです。それも妖怪向けの、強力なもの……。

 

 普通の人間に飲ませると、一種の覚醒剤としても作用するもので、幻覚を伴うのだとか。しかし余りに強力なため最悪の場合、興奮のあまり死に至るのだそうです。

 

 青年はそれをてゐから入手した後、それを思い人の酒に混ぜて飲ませました。しかし効果が出ないことにいら立った彼は、『私の思い人は私に惚れるどころか竹林で殺し合いばかり頻繁にするようになった。おまけにそれが店主にばれて首になった、どうしてくれる』、とてゐに食って掛かったそうです……。

 

 青年の言い分は妖怪の私には理解できませんが、人間の世界ではまっとうな理屈なんでしょうか? ともあれ、面倒になった“てゐ”は

 

『それなら自分が飲めばいい、飲んだ状態で相手に会いに行けば相手にもその効果が現れるよ』

 

と答えたそうです。

 

『そんなの嘘に決まっているのにねぇ』

 

てゐは面白そうに笑いながら言ってましたっけ……。

 

 ともあれ青年は、自らその薬を飲み干しました。そして、彼女の名を呼びながら酩酊状態に陥ったそうです。

 

 先ほども言った通り、薬には幻覚作用もあります。そこで彼の中では色々な情景が繰り広げられたのでしょう、夜明けまでにその場で何度も射精しながら恍惚状態だったそうです。そして、夜明けとともに体力を使い果たしてそのまま死んでしまったのです」

 

 妹紅と慧音はここまで来るとさすがに黙り込んでいた。妹紅は心なしか青ざめている。

 

「それで、ぴんときた私は尋ねました。『これは何の肉なのか』と。

 

“てゐ”は笑っていましたが、『まあ、ご想像にお任せするよ』とだけ言い残し暢気な顔で去って行きました。さて、ここで私は考えました。

 

 私も当初、彼の働きに助けられたのは事実ですし、既に解雇したとは言え、彼のたどった顛末は私の監督不行き届きが原因でもあるのです。

 

 彼の叶わなかった恋に、僅かでも応えてあげてもいいのではないか、と思いました。そこで、私はその肉を使って煮付けを作ってみました。これが案外好評で、目出度く彼の思い人の腹の中に納まることができたのです。思えば私も、実に良いことをしました」

 

 沈黙する二人に、ミスティアはいつも通りのにこやかな笑顔で語った。気のせいだろうか、妹紅には、その瞳が妖しく輝いて見えていた。

 

「それでも、やはり人間一人が人里からいなくなりました。初めは良いことをしたと思った私も、人里の店でそれを食べさせたことに、何か筋の通らぬものを感じました。

 

“けじめ”とでも言うのでしょうか。人間の里では、人間の慣習を尊重するべきです。短い期間とはいえ、私も人間の思考の大体は分かるようになっていましたから、そこで店を畳むことを決心したのです」

 

 瞳から生気を失くした妹紅が、少し震えを帯びた声で尋ねた。

 

「なあ……さっきの肉、もしかして……」

 

「ええ、あれも“てゐ”から買い取りました。何の肉かは敢えて尋ねていません。鳥肉以外で美味しければいいんですから」

 

 凍り付く妹紅と慧音に、ミスティアはにっこり笑いかけた。

 

 永遠亭の姫と何度も殺し合いに興じ、五体がばらばらになっても蘇る妹紅の姿を目にしてからというもの、ミスティアの頭からは妹紅が人間であることがすっぽり抜け落ちている。

 

 そして妹紅に宿る不死鳥は、鳥族の妖怪であるミスティアにとって永遠の憧れなのだ。彼女に美味しいと喜んでもらうことは、ミスティアにとって至福の喜びでもあった。

 

 今宵はまだ始まったばかり。涼しい風が辺りをそよいでいった

 


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