東方幻夢録   作:珈琲最中

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人と魔の狭間で

 館裏手の倉庫に通じるドアが開き、薄暗い庫内に荷車を引く者がいた。ドアの向こうから差し込む光の中にそのシルエットが浮かび、長い影法師が床に伸びている。紅美鈴は更に館内部に通じるドアを開き、キッチンに顔を出した。

 

「咲夜さ~ん、新しい死体です」

 

「ありがとう。すぐ行くから待ってて」

 

 咲夜が倉庫に移動すると、荷車の上に人一人分に盛り上がった簀巻きが載せてあった。倉庫の扉を閉めた美鈴は、簀巻きを台の上に運んだ。

 

「ルーミアから?」

 

「はい」

 

 筵をはがすと、中からスーツ姿の若い男の死体が現れた。事故にでもあったのだろうか。両足が折れ、そこから血が滲んでいた。血液はまだ乾燥すらしていない所を見ると、死後まだそれほど経ってはいないだろう。

 

「随分新鮮じゃない。どこで拾ってきたのかしら?」

 

「さあ、そこまでは……」

 

「さあ、早速捌こうかしら」

 

「はい…………お手伝いします」

 

「大丈夫よ。あなたは仕事に戻って」

 

「………………」

 

「どうしたの?」

 

「咲夜さん、あの…………」

 

「なあに?」

 

 メイド長の目には一点の澱みもなく、そこにはある種の微笑すら浮かんでいるのに気付いた美鈴は、一瞬ぐっと詰まったような顔を見せた。一瞬口ごもった美鈴はしかし、その翳りを振り払うように笑顔を返す。

 

「では、門番の仕事に戻ります」

 

「ええ、お願いね」

 

 はい、と頷いて見せながら背を向けた美鈴は、やや重い足取りで扉を開いた。既に人であることを半ば捨てているメイド長に、妖怪の私が今更何を言えるだろう?

 

 彼女は人間の社会では迫害を受け、この紅魔館に拾われて今に至る。そうでなければどこかで野垂れ死んでいたかも知れない。

 

 紅霧異変後には、一部の人間には若干とはいえ心を許すようになってきている。あの博麗の巫女やコソ泥魔法使いのように。だが、それは咲夜さんの側の変化というより、あの二人がそもそも変わっているのだ。

 

 美鈴がこの問題に気付いたのは、メイド長と久しぶりに人里へ買い出しに行った時のことだ。

 

 彼女のことを、人里の人間たちは面にこそ出さないがどこか距離を置きたがっているような目で見ていたのだった。咲夜の方も顔にこそ出さないものの、それを察している節があった。問題というのは、本人がそれに対する感情を押し殺しているのではなく、ごく当たり前の事として受け取っていることだ。その時、ふと気付いてしまった。

 

 ────彼女は、人としての幸福を諦めている。

 

 美鈴は知っている。咲夜がレミリアに抱く感情の奥底にあるものが、何かに縋りつく幼子のそれと本質的に変わらないことを。メイド長が時折変な紅茶を淹れてはレミリアをからかって見せるのも、子供が大人の愛情を試すときのそれと同じものだということを。

 

 齢五百歳の当主もそれを分かっているからこそ、文句を言いつつも本気で叱り飛ばしたりはしない。

 

 今しがた人間の解体を始めた彼女には、既に人の遺体に包丁を突き刺すことに何ら抵抗を感じていない様子だった。少なくとも、それを他人に悟らせぬ程度には。

 

 むろん、吸血鬼である当主に仕えているのだから必要な仕事ではある。レミリアとしては、館の一員として彼女を信頼しているからこそ吸血鬼の生命線とも言える血液の確保を任せているのだろう。だが、普通人間は人間に対して、あのような行為には抵抗を覚えるのではないか? それをいとも簡単にやってのける彼女は、人としての感情が摩耗しているのではないだろうか?

 

 彼女以外の館の住人が人を餌食とし、その手を人の血で汚すのは問題ない。だが、寄りにも寄って人間である彼女が、あのような行為を率先してするべきなのだろうか?

 

 美鈴はもう一つ、重大なことを知っている。永夜異変の際、彼女がレミリアに言った言葉を。

 

『私は一生死ぬ人間ですよ』

 

 彼女は、人でありながら人の幸せを捨て、しかも魔物である私たちの側に立って生きていくつもりなのだ。だが、このままでは彼女の心はどんどん人から離れていく。それはいつか、彼女の精神を破壊してしまうことにはならないだろうか? いつか罪の意識に目覚め、それが彼女を追い詰めないとも限らない。

 

 気づいていながら放置するのは、怠慢であり、罪でもある。何より、このままでは咲夜のためにならない。

 

 美鈴の足は、再び倉庫に向かっていた。

 

「咲夜さ────」

 

 ドアを開け、メイド長に声を掛けようとした美鈴はその場で硬直した。

 

 咲夜が半ば解体を終えた状態で、床に座り込んでいた。微かに震える肩が、いつになくか細く思えてくる。背後から近づく美鈴に気付いているはずだが、彼女は振り返ろうとはしなかった。

 

 俯くメイド長の頬から涙が零れているのを確かめた美鈴は、背後からそっと彼女を抱き締めるのだった。

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