隣の席の太眉乙女   作:桟橋

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バイト3

 ステージでのライブが終わってお客さんが物販に流れて来たことで、スタッフ5人は全員で販促にあたることになり、もちろん俺も忙しくなった。

 もともとそこまで大きな店舗ではないのに、大人数が押しかけたことで完全にレジがパンクしてしまっている。2人しか同時に受け付けることができないので、残りは列の整理ぐらいしかすることはないが、それでレジの回転が上がるわけでもなく長蛇の列ができてしまった。

 

 どうしたものか……すでに商品を選び終えて列に並んでしまっている人がどんどん増えていて、店内にいる人数が全員捌けるまでは時間単位で掛かりそうだけど……。

 

 並び始めた行列を整理しながら思案していると、控室から出てきたプロデューサーさんが声をかけてきた。

 

 

「机と椅子をお借りしてもいいですか?」

 

 

 それを用意して何をするのか聞いた所、即席の握手会を開こうと思っているらしい。レジの処理能力を越えた行列を見て、なんとか混雑を解消したいと思い立ったそうだ。

 控室から一番近かった俺に声を掛けてきたが、自分の裁量で決められる範囲を超えているので同じく行列の整理をしている父親に許可を取りに行くと、願ったり叶ったりだと言うことで快諾してもらえた。

 

 レジに残った2人以外で、プロデューサーさんと一緒に長机とパイプ椅子を数脚用意し、まだ衣装のままの神谷さんたち3人に座って貰って、行列に声を掛けた。

 

 

「こちらで握手会も行っております、お会計前の方もぜひお並びください!」

 

「え、握手会もやってるんだ〜」「まだ進まなさそうだし先にそっちに行かない?」「同意」

 

 

 並ぼうとしていた人達も含め行列の半分以上の人が3人の方に並び始め、一箇所に集中していた人が分散してレジの負担がかなり軽減されたようだ。

 渋谷さんは少しぎこちなさの残る笑顔で丁寧に対応し、北条さんは弾けるような笑顔でお客さんと雑談している。神谷さんは……表情が固くぶっきらぼうな口調だが、お客さんにカワイイと褒められると照れながらお礼を言い握手をしている。

 

 ステージでパフォーマンスをしている輝くアイドルの姿から、年相応の女の子のような表情をしている神谷さんを見て、自分の知らない顔でファンの人と触れ合っている姿に胸の奥が少し苦しくなった。

 少しの間放心しながら見つめていたが、レジ担当の交代で会計をしなければならなくなり全く集中できないまま接客をしていた。

 

 

 

 数時間後、お客さんが全て捌けたところでイベントは終了となり店を閉め片付けに移った。朝とは違って、俺も会場の解体や棚の移動を手伝いに奔走していると父に呼ばれた。

 神谷さんたちがイベント前のことを改めて謝りたいとの事らしい。別に良いんだけどな……なんて思いながら、それでもこのキツイ作業を抜けられるならラッキーなんて考えて控室へ行くと、衣装から普段着に着替えた3人と相変わらずスーツのプロデューサーさんが居た。

 

 俺が入ってくるのを見て真っ先に動いたのは渋谷さんで、本当に悪いことをした、申し訳ないということだった。

 プロデューサーさんと北条さんからも謝罪が入ったので、場の雰囲気が重くなることに耐えきれなくなり、話を遮ってこちらから今日のライブの感想を伝える。

 以前にアイドルのライブを見たことはあるが、こんなに間近で見るのは初めてであり、その迫力に圧倒されたこと。陳腐な言葉だが素晴らしいステージで、見られたのが本当に幸運だっと思うと伝えると、何を言われるのかと硬くなっていた3人の表情も緩んだ。

 

 これからも頑張ってください、ファンとして応援していますと挨拶して控室を出ようとすると、神谷さんから名前を呼ばれた。

 

 

「ちょっとまってくれ、高橋っ」

 

「え?」

 

 

 立ち止まって振り返ると、神谷さんがこちらへ近づいて話しだした。

 

 

「あたしも感謝したいことがある。」

 

「実は即席の握手会はあたしがプロデューサーさんに提案したことなんだ。」

 

「高橋が一生懸命仕事している所を見て、あたしもなにかできることはないかと思ったんだ。」

 

 

 そんなに必死に働いていただろうか……とよくよく考えると声を出して行列の誘導をしてたっけ。かなりの混雑をなんとかしなきゃと動き回っていたけど、それを見られていたとはなんだか恥ずかしい。

 

 

「結果は大成功で、ファンの人たちに直接感謝を伝えられて本当に良かった」

 

「でも、感謝を伝えられてないファンが一人いるから」

 

 

 近づいてきた神谷さんに手を取られ握られる。

 

 

「その、ありがとなっ」

 

 

 眼の前の神谷さんは真っ赤な顔をしているが、俺もそれに負けず劣らず真っ赤だろう。顔がカアッと熱くなった。

 というか他の3人が見てる前でしなくても……驚きに目を丸くしている3人の視線が痛い。

 

 

「え、ええと、こちらこそありがとう。握手会も、助かったよ。」

 

 

 手を握り返してこちらからも感謝を伝えると、互いに無言になり黙りこくってしまう。

 しばらくして、恥ずかしさに耐えられなくなったのか

 

 

「い、いつまで握ってるんだよっ!もう戻れって!」

 

 

 と手を離され、ドアまで押し出されてしまった。

 自分もここに居づらかったので、奥の三人にも軽く会釈をし部屋から出る。

 

 なんだかとんでもなくうれし恥ずかしな経験をしたような……。

 手のひらに温かさが残ったまま、作業に戻った。





1部は完結です。

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