【5、6コマ目 数学】
「ベクトルを習う前は解法の流れを覚えて置かなければならなかった証明問題も、ベクトルですべて表して地道に計算すれば、暗記不要で解くことができるようになるので〜」
数学は嫌いではないけど得意でもない。見つかった法則やそれを使うことで何ができるようになったとか、学者の生い立ちがどうとかなどの数学史的な事にはとても興味があるので、その時だけは集中して授業を聞いているがもちろんそんな部分はテストには出ない。全くもって無駄ってわけだ。
話を聞くのは好きだけど、実際に問題を解くとなると頭が痛くなるので余り考えたくない……。
神谷さんは数学が苦手みたいで、よく授業中に頭を抱えているところを見る。もともと女子の中で数学が得意っていう人は余り多くないし、特に空間把握能力については性差があるので図形問題を苦手にしている人も多いので、別段変なことではないが。
とか言いながら俺自身も図形問題は毛嫌いしてるんだけど。
図形問題は嫌いでも、解こうとしてう〜ん……と可愛くうなっている神谷さんを見るのは嫌いじゃないので、トレードオフかな。
「だっ〜! 結局これで何をしたら良いんだ?全然わかんないってー!」
「その問題なら、まず始点を決めて、それを基準に位置ベクトルを定めて、どんどん式で表していけば解けると思うよ」
「位置ベクトルぅ?それってあたしが休んでたときにやったのか? 習った記憶ないぞ。」
「あー、休んでたんだっけ。その授業のプリント持ってきてるから、後で写していいよ。えっと、位置ベクトルっていうのはね……」
このまま神谷さんが困り続けてるのを眺めているわけにもいかないので、手がかりを教えてあげようと思ったら、ベクトルの初回の授業に欠席していたようでまずはベクトルの基礎知識からだった……。
数学は普段からあまり真面目に受けてないとはいえ、神谷さんが休みだったのを忘れていたとは。
数学が得意ではないみたいだし、休んで授業が飛び飛びになると理解に苦しむ所もあるだろうから、休んだ分のプリントはちゃんと見せてあげよう。
【7コマ目 世界史】
「このとき、まだローマは共和制で元老院が大きな力を持っていたんだが、軍事、政治、富豪と、それぞれの面で人気があったカエサル、ポンペイウス、クラッススが協力して寡頭政治を敷いたんだ。これが第一回三頭政治だな」
世界史の時間は数ある学校の授業の中でも天国と言える。授業自体がそこそこ面白いのもあるが、寝てても起こされないから貴重な睡眠時間に充てられるのが最大の理由だ。かくいう自分もフマジメな生徒なので仮眠をとる。夜遅くまでゲームをしていたのもあり、普段よりも一段と強烈な眠気に襲われているからだ。
この睡魔に耐えてそこそこ好きな世界史の話を聞くか、それとも部活に備えて体力を補充しておくべきか、それが問題だ。……ぐぅ。
「んっ……」
隣からふと、悩ましげな声が聞こえてきたので横を向くと、昨日のお仕事?の疲れがあったのか、それとも今日の最後の授業で気が抜けたのか。眠りに落ちている神谷さんの横顔があった。完全に安心しきってゆるゆるだ。髪がかかって見えづらいけど、めちゃくちゃカワイイな……。スマホに手が伸びるところだったが、流石にそれは自制した。犯罪に手を染めるのは良くない、寝顔を撮るなんて完全に盗撮だから。
興奮して眠気が吹っ飛んでしまったが、なんだか今は授業を聞く気にもなれないので、熟睡してる神谷さんを眺めていると授業終了のチャイムが鳴ってしまった。
「んっ……? って!? あ、あたし寝ちゃってたのか?な、なんで起こしてくれなかったんだよっ!」
「いや、すっごく気持ちよそうに寝てたから起こすのも忍びなくって」
「な、なんだよそれ…くぅ……。なんて恥ずかしいんだっ!」
先生の話はほとんど耳に入らなかったが、とても満足度の高い授業だった。
・放課後
「ちはーっす」
適当な挨拶をしながら体育館へ来ると、先に来ていた先輩たちやクラスメイトが床で寝っ転がったまま返事をした。相変わらずこの部活はやる気が微塵も感じられないな。去年も思ったが夏合宿だけ本気出すなんてスタイルはやめるべきなんじゃないだろうか。
市でそこそこいい成績を残せる実力があるのに、なんてもったいない。
「あー、コートの用意しといてくれ」
「分かりました」
バドミントン部なので、コートの用意と言ってもポール立ててネットを掛けてモップでワックスをかけるだけだが、これがなかなか面倒くさい。今は二年生の自分たちの仕事だが、後輩が入ってきたら何よりもまずコートの準備を教えてさっさと押し付けよう。
「よし、今日も2年生は仮入部の相手しといてくれ。メニューはこれな」
部長がノートの切れ端を渡してくる。なになに……あんまり部員はいらないからキツめで数減らしをしてくれ? それしか書いてないのか。本当にやる気ないなこの部活。
結局その日は新入生をコートに入れずに、近くの公園で延々と走り込むだけだった。
この前は部活の何時も通りのメニューをこなさせたから、楽な部活だと思われて今日たくさん仮入部が来てしまい焦ったのだろう。急にハードな練習をさせれば人も減るだろうとは、なんて短絡的な……。
受験期の間にろくに運動をしていなかった新入生たちは足が攣って動けなくなる子が続出してしまい、保健室から嫌味を言われてしまった。
・帰宅
「ふうっ〜」
家に帰ってきて完全に気が抜けた俺は、さっさと制服を脱ぎ捨て部屋着になってからベッドに倒れ込んだ。入部の希望者を減らすためとはいえ、睡眠不足の自分にはすこしきつい部活だった。
すこしベッドの上でまどろんでいると、ふと神谷さんの仕事のことを思い出す。見るなって言っていたけど、そう言われると気になってしまうのは人間の性である。昨日の、とは何だったのか。名前で検索したらヒットするだろうか。
そう思いたち、手元にあったスマホで【神谷奈緒】と検索すると【新人アイドルがイベントで圧巻のパフォーマンス!】という記事がヒットした。
昨日の、と言っていたのはおそらくこれの事だろう。
記事を開いてさっと流し読みするが、神谷奈緒という名前は出てこない。と思っていたら最後の写真のキャプションで【バックダンサーの神谷奈緒さん】と書いてあった。
これだと、彼女を目的として探そうとしなければおそらく見つからないだろう。
というか松下はこんな所まで目を通してるのか、とんだアイドルフリークだな。
松下のアイドルに対する執念にちょっと驚きながら、他にも記事かなにかあるかも知れないと検索をかけていると珍しい相手からLINEの通知があった。
【突然ごめんな。神谷だけど。】
ちょうど今探していた名前が突然ポップアップ通知で画面に表示され思わずタップしそうになる。が、秒で既読をつけるのも気持ち悪いだろう。内容は気になるけどご飯を食べて風呂に入ってからでも遅くないだろうと考え直し、携帯を机の上においてリビングに向かった。
こんなに早く投稿するつもりはありませんでした。