隣の席の太眉乙女   作:桟橋

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事務所6

「それで、その後は何もなくバイバイ?」

 

「何もって……何かあったらマズイだろ! アイドルなんだぞ!」

 

「え〜、奈緒の意気地なし」

 

「意気地なしって……度胸のある加蓮には彼氏がいるのかよ」

 

「いないよ? もし彼氏がいたら奈緒が嫉妬しちゃうでしょ? あたしの加蓮を返せーって」

 

「するかっ!」

 

 

 夏休みも中盤に差し掛かり、8月に入っても相変わらず事務所に遊びに来ていた。北条さん達も自然にゲームに混ざってきたり、気がつけば事務所に居ることに随分慣れたような気がしている。

 

 変わらないものと言えば神谷さんのいじられ方で、昨日行ったデートのこともうまく誘導されながら、大体の内容を自分から話してしまっていた。神谷さんが騙されやすいのか、それとも北条さんのあしらい方が上手すぎるのか……会話を聞いていると後者のような気がする。

 

 

「してくれないのー? アタシは奈緒のことこんなに好きなのに……片思いだったんだね……」

 

「だーっ! あたしも加蓮のことが好きだってー!!」

 

「……ホント? ……もう一回言ってくれたら、信じられるかも……」

 

「あーもうっ!」

 

 

 神谷さんが覚悟を決めた表情で、息を吸い込んでいる。ここまで見え透いた罠に引っかかる人が居て良いのだろうか……この後起きる神谷さんの不幸を思って目を閉じ、項垂れた。悪いけど、北条さんの魔の手から神谷さんを救うことは出来そうにない……。

 

 

「好きだーーッ!!」

 

「はい、録音完了」

 

「うわぁ!? まっ、待て! 消せよそれっ! よこせって!!」

 

「だーめ。後で使うんだから」

 

「使うって何にだよっ?!」

 

「営業かける時にサンプルボイスとして使うから録ってこいって、プロデューサーさんに頼まれたんだ。これで好きだーは録れたから、次は甘える声……やっちゃおっか?」

 

「やっちゃわない!」

 

 

 必死に否定する神谷さんは本気で嫌そうだけれど、神谷さんを乗せるのが上手い北条さんなら、ナンダカンダ頼まれた声素材を全て手に入れられるのだろう。

 こちらにイジりの矛先が向く前に離れようかな……そう考えてソファーを移りテレビに近づいたのが良くなかったようで、北条さんがこちらを向いて目を光らせた。

 

 

「あっ! 奈緒、カレシが離れちゃったよ? こっちに来てってお願いしなきゃ!」

 

「か、カレシ!? ……まだ違うって! っていうか高橋も何で離れるんだよっ」

 

「まだ……? 時間の問題だよね。というか、違うよ奈緒。『来てっ……』って甘えなきゃ」

 

「誰がそんな事言えるかっ!」

 

 

 目を潤ませ吐息混じりに来てとささやくのは、甘えていてカワイイというよりかは、甘えていてイケナイような気がした。ほんとにこんな依頼をあのプロデューサーさんがするだろうか……北条さんがICレコーダーではなく自分のスマホに持ち替えたのを見逃さなかった。

 

 結局、一向に折れない神谷さんに妥協した北条さんが、懐から取り出した台本のような紙を神谷さんに渡し、それを読み上げている所を録音していた。

 演技をし始めると熱中するタイプなのか、どんどん乗ってきた神谷さんが、台本に差し込まれていた「来てっ……」というセリフを勢いのままに読んでしまい、ちょっとピンクな空気になったが、神谷さんは気づいていないようでその調子のまま全てのセリフを読み切った。

 

 満足げな顔をしている神谷さんの耳元に、そっとICレコーダーを近づけた北条さんはニヤけながら音声を再生する……神谷さんの顔が真っ赤になった。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、来週花火大会あるの知ってるか?」

 

 

 ボイスレコーダーをプロデューサーに届けてくると言って、北条さんが部屋を出ていってからしばらくして、ゲームをやりながら平静を取り戻した神谷さんがそう切り出した。

 花火大会……近くにそんなのあったっけ……。何とか思い出そうと考えていると、神谷さんが少しづつヒントを出してくれた。

 

 

「ほら、横浜の……」

 

「横浜……? 海に面してる?」

 

「そうそう、有名なアレがある……」

 

「もしかして、水族館がある……?」

 

「そう! 分かったっぽいなっ! 八景島で花火大会があるんだ」

 

 

 どんな人でも当ててくれるランプの魔人のような問答を交わした後、正解にたどり着くと神谷さんは嬉しそうに笑い、上機嫌に来週の予定が空いているか聞いてきた。夏休み中、特に予定が詰まっていることもないのでもちろんOKを返すと、飛び跳ねんばかりに喜んでいる。

 

 

「やった、やった! 昨日の、その……でーとみたいなのも憧れてたけど、やっぱり花火大会も行かなきゃだよな!」

 

「確かにね。そうだ、暗くなるまでは時間が結構あるから、ついでにデートもしちゃおう」

 

「ま、また……そんなにデートばっかりしてたら、浮かれ過ぎちゃうだろっ」

 

「ダメだった?」

 

「…………ダメじゃない」

 

 

 恥ずかしそうに目線をそらした神谷さんの、口角が少し上がっていて……何も言わない代わりにもたれ掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 北条さんが録音していった営業用のサンプルボイスは、オーディションを開いていたお偉いさんの耳に留まり、神谷さんは念願のアニメ出演を果たしたらしい。神谷さんが見事射止めた役は、素直になれないツンデレ少女で、放送がある度に、翌日事務所で北条さんらにいじられているそうだ。

 

 アタシにツンはあってもデレはないだろっ!? と言うのが神谷さんの主張だけど……。

 ……そうかな。





読んでいただきありがとうございます。

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