虎白高校バスケットボール部   作:shgk

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10. 屁をこくことを忘れた尻

 

「山下君……」

 

 沢田には、目の前の集中治療室の扉を不安げに見つめることしかできなかった。沢田だけでなく、虎白のチームメイトも同様に扉の前で佇んでいる。

 

―――――あの運命の試合が終わった直後、山下は救急車で病院に運ばれた。

 

 山下は自分の限界を超えて出した屁に体が耐えきれなかったのだ。6時間経った今も、治療中のランプが消えることはない。

 

 沢田もチームメイトも山下を止められなかった不甲斐なさを今になって後悔が襲っていた。

 ここにいる全員、たかだか屁を出すだけで重症を負うとは思っていなかったこともあっただろう。屁技のリスクは便意を高めるだけだと、勝手に決めつけてしまっていたのだ。

 

 選手たちは救急車で運ばれたときに放った同じ屁技の使い手である鈴木の言葉を思い出す。

 

「馬鹿なやつだな、命を削ってまで勝ちにこだわるなんてよ」

 

 『命を削る』、その言葉がなんのことだかわからなかった沢田と選手達だったが後に説明した鈴木が話した山下の状態に衝撃を受けずにはいられなかった。

 

「屁技を使うプロの選手は自分の屁を出せる限界を知ってる。それに限界を超えて出そうとしても無意識に尻にロックがかかんだよ。俺だってそうだ。だが、今日のそいつは違った。尻のロックを無理やり解除しやがったのさ。そんなことしたら、体が悲鳴をあげんのは当然だろ? 言うなれば、そいつは命を尻から吹き出してたんだよ」

 

 それを聞いて、誰もが言葉を失ってしまった。

 

 山下は、命を賭けていたのだ。全国大会に出場するために。チームのキャプテンとして。

 

 やがて、治療中のランプが消灯し医者が出てきた。たまらず、沢田と選手は駆け寄って、

 

「先生! 山下君の容態はどうなんですか!!」

 

 必死の形相で沢田と選手は尋ねるが依然として医者の表情はない。

 

「一命は取り留めました。しかし――――」

 

 その医者の言葉に沢田と選手は再び声を失ってしまった。

 

 

「山下君……、起きていたのね」

 

 沢田は病室の扉をゆっくりと開けて中に入る。試合後、山下と対面するのは初めてだ。

 山下は、窓の外に顔を向けていて沢田にはその表情はうかがい知ることはできなかった。

 

「ああ、沢田監督ですか。お見舞いありがとうございます」

 

 いつもの山下がこちらに挨拶をする。いつもと変わらない口調だ。

 が、それが沢田にはかえって居心地が悪く思えた。

 今から、悪魔の宣告をしなければならないのだから。

 患者の状態は医者が話すのが当然だったのだが、沢田が自ら「私が話します」と申し出た。なんの責任感からなのかは分からない。しかし、自分が話さなければならないと感じたのだ。

 

「……山下君。実はあなたの体のことなのだけど――――」

「知ってます」

 

「え?」

 

 最後まで言えず、遮られてしまって聞き返した。

 

「もう俺の尻が使い物にならなくなったことなんて……知ってるって言ったんです」

 

「……っ!!」

 

 続けて、自嘲気味に山下は語った。

 

「さっきから……、屁が思うように出ないんです。屁を出そうとしても、何が出てくるのか分からない感覚が襲ってくる。……まるで、自分の尻じゃなくなったみたいで」

「……今は気にすることないわ。リハビリに専念すればまた屁技を使えるように――――」

 

 

 

「無理ですよ!!!!!!」

 

 

 

 一際大きな声で遮ぎられ沢田は、思わず肩を震わせた。

 

 

「自分の尻のことは自分が一番よく分かってる!! 例えリハビリしたとしても、日常生活レベルで屁をこけれるようになるだけだ!! とても、試合で使えるようになるまで治るとは思えない!! もう……、もう二度と俺には昔のように屁をこくことなんかできないんですよ……」

 

 沢田にかけられたのは山下の心の叫びだった。自分が選手として致命的な怪我をしてしまったこと、もう治らないと悟ってしまったこと。

 沢田は胸を痛めながらも、ただそれを聞くことしかできない。

 

「俺はあの試合で大事なものを失いました。社会的に死んだ俺にとってはもう……ここが引き際なのかもしれませんね」

 

 沢田はこの少年に何を言えばいいのか、考えた。今何を言っても薄っぺらいものになる気がする。

 しかし、彼女は監督だ。挫折しかけている少年を立て直すのは彼女の役目。

 

「始めて虎白に来たとき私がスランプに陥ったって話したでしょ?」

「……ああ、確かそんな話もありましたっけ。でも、最後まで話しませんでしたよね?」

「ええ、その時は練習を優先させたわね。試合も近かったし」

「で、それが何なんですか?」

 

 一呼吸おいて、沢田はゆっくりと口を開く。

 

「……私もあなたと同じだったの」

「え?」

 

 なんのことか分からない顔をして聞き返した山下に真剣に目を向けて、話を続ける。

 

「私もね、当時はおっぱいを使った必殺技だけを使って試合をしていたの。それが私の持ち味だったし誰にも負けないと自負していた。試合にも勝ち続けて、これからもおっぱい一本で私は戦っていくんだってその時は思ってた」

 

 当時を思い出しているのか、沢田は苦い顔をしている。サウザンドスキルクイーンと呼ばれるほど多彩な技を使用していた沢田が、一つの技だけを……?と疑問の顔を向ける山下。

 しかし、沢田の次に放たれた言葉に動揺してしまうこととなる。

 

 

「でも、それも長くは続かなかった。ある日、私のおっぱいは…………故障してしまったの」

 

「……え?」

 

 おっぱいの故障。部位は違えど沢田は山下と同じ状況に陥ったことがあったのだ。

 

「全く揺れなくなったのよ。動かしすぎて筋肉がついてしまったのか、私のおっぱいは…………固まってしまった」

 

「そんな……」

 

「必殺技は使えないし、チームの足を引っ張るくらいなら……と引退しようとしたこともあった」

 

 そんな出来事があるとは、思いもよらなかった。順風満帆な選手生活を送っていたと思っていた沢田にも挫折した経験があったのだ。

 

「でもね、恩師だった月谷先生がそんな私に言ったの。『お前はおっぱいを揺らしたくてバスケをしていたのか?』って」

 

 山下は今の言葉にハッとしてしまう。その言葉は今の山下に鋭く突き刺さった。自分に言われたような気がしたのだ、『お前は屁をこきたくてバスケをしていたのか?』と。

 そんな山下に沢田は懐かしむように、大切な思い出を暖かく聞かせた。

 

「思い返せば、私、バスケが大好きだった。私がおっぱいを揺らしていたのはバスケが強くなりたかったからだった。でも、私が欲しかったものはおっぱいを揺らせなくても手に入るものだった。初心に帰ったって言えばいいのかしらね……。そこから私は色んな技を編み出した。ただ、バスケが好きだという一心で」

 

 そして、最後に沢田は山下の目を捉えたまま一言。

 

「いつもの体育館で待ってるわ」

 

 病室を出ていく沢田の後ろ姿が山下には眩しく思えたのだった。

 

 

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