「山下が……虎白を辞めた!?」
「それは、どういうことなんですか!?」
山下が虎白を辞めたことに選手達は動揺を隠せなかった。ここぞとばかりに監督に詰問していた。無理もない、今まで血と汗を共に流した仲間、それもキャプテンが選手達に何の言葉もなく辞めてしまったのだ。
信じられない、いや信じたくないという気持ちが大きいのだろう。
だが、それは沢田とて同じことだった。
「ごめんなさい……。私にも訳がわからない状態なの。山下君は、いつの間にか病院も退院して、虎白高校も辞めてしまっていた」
「そんな……、どうして……」
虎白の雰囲気は最悪なもので、練習どころではない。肝心の沢田が憔悴しきっているのだ、それほどまでに山下の離脱は虎白に致命傷を与えていた。
「退院したってことは尻は完治したってことなんですか?」
そこで、ふと永田が眼鏡をくいっとあげ沢田に尋ねた。
「ええ。私も直に山下君の屁を浴びたけど……。匂いも音も、まごうことのない完璧な屁だった。どういう理屈か分からないけど山下君の尻は完治していた」
「でも、山下は尻裂症……だったんですよね?」
深刻な顔をして永田は沢田へ疑問を投げかける。
「尻裂症、尻が割れてしまう感覚に陥り正常に屁を出せなくなってしまう難病。そんな状態からたった数日で完治するなんてどう考えてもおかしいですよ」
「…………確かにそうね」
「それに、あの運田粉憤実との関係……。山下と運田に一体なんの繋がりがあるんでしょう」
「…………」
考えれば考えるほど、思考の迷路に嵌っていく沢田達。しかし、沢田の頭にふと運田の放った言葉が思い浮かぶ。
「……千豊真奈」
ポツリと沢田の口から呟かれた一言に選手達は首を傾げた。
「千豊真奈って、元プロバスケットボールプレイヤーの……?」
「ええ。女性の中で世界唯一の屁技を使って戦っていたプレイヤー」
「でも、千豊真奈は……」
「…………ニュースにもなったことだけど試合中に負った怪我で、入院した。そして、意識は未だに戻っておらず数年も眠ったまま」
沢田はわずかに目を伏せ、拳をぎゅっと握った。
「そうだったんですか……。でも、どうしてここで千豊真奈の名前が? 今疑問なのは山下と運田の関係でしょう?」
「山下君と運田の間には直接の関係性はないわ。……でも、二人とも真奈さんとは繋がりがあるの」
沢田は薄々分かっていたことだが、無意識のうちにその可能性を排除していた。その可能性は沢田にとって認めがたいものだったからだ。
「運田と千豊真奈は同じ女子プロで繋がりがあるのは分かりますが、どうして千豊真奈と山下が?」
「真奈さんは女性の中で唯一屁技を使えるプロだったのは有名な話だけど……」
一呼吸おいて、決心したかのように沢田は言葉を発した。
「今思えば、山下君の屁は真奈さんの屁の性質と限りなく似ていた。いいえ、似ているというレベルじゃないわね……臭いも音も全く同じだった。私が山下君の屁に惹かれたのは知らず知らずの内に真奈さんの屁に山下君の屁を重ねていたからかもしれない」
「っ!!」
選手はあまりの事実に言葉を失った。十人十色であるはずの屁が全く同一であるとは誰も思いもしなかったのだ。
「詳しいことは分からない。でも、真奈さんがこの件に関係しているのは確かだわ」
「…………」
千豊真奈、新たに出てきた今回の事件の鍵を握る人物。だが、依然として山下の脱退の関係は釈然としていない。そして、もう一つ明らかにされていないことがあった。
「監督、運田がなぜ虎白を襲撃したのかは……教えられませんか?」
それは、選手達が最も気になっていたことだ。ただ、沢田がそれは自分の問題だと説明がなされなかったため聞くのを躊躇っていた。しかし、状況が状況であり山下が無関係ではないと知れば選手たちは聞かないわけにはいかない。
「…………運田は真奈さんを心から尊敬していた。だからこそ、私のことが許せなかったんでしょう」
「え? どうして千豊真奈を尊敬していたのに、監督を恨むことになるんですか?」
「…………」
言うべきか言わざるべきか決めかね、沢田は押し黙ってしまった。数時間の沈黙の後、沢田はようやく決心できたのか口を開く。
「あなた達には話しておかなければならないかもしれないわね……」
ポツリと呟かれた言葉に力はなく、儚げだ。
「真奈さんが最後に戦った相手が、私だからよ――」
そうして、沢田の口から過去が紡がれる。沢田出嘉子と千豊真奈の、バッドエンドで終わってしまった物語が。