「あなたは……本当に真奈さんなの……?」
「……………」
半信半疑で問いかけた言葉に、目の前の真奈さんは反応することはなくただ無言でこちらをぼんやりと見つめている。
私には、信じられなかったのだ。あの真奈さんが人を傷つけるためだけに屁をこいたことに。
だが、今もなお体育館に残る屁の臭いが私へと冷静に告げている――私の目の前にいるのは正真正銘の『千豊真奈』だということを。
「どうして……こんなことを? 何か理由が――ッ!?」
瞬間、真奈さんは爆発音と共に空圧を私へと直進させてきた。
私は、その見えないオナラを過剰に避けるように咄嗟に横へと身を投げる。
私が居た場所に不可視の大砲が通りすぎたようで、付近に凄まじく吹いた風がその威力を教えてくれた。
しかし、私が驚いたのは屁の威力だけではない。
(いつオナラを振ったのか分からなかった……! まさか、ノーモーションでオナラを振るなんて!!)
真奈さんの姿勢は先程と変わらない、ゾンビのようにフラフラとしているだけ。
その状態から、あろうことか真奈さんは攻撃する素振りも見せず、屁をこいたのだ。
(何なの……、このオナラは。今までのオナラとまるで違う、ただ存在するだけで絶望してしまうような……)
私は、再びその屁の威力を確かめるように、屁の通り道に目を向けた。
すると、真奈さんのオナラが直撃したのか一つのバスケットボールが穴を開け転がっていたのだが……。
「えっ……?」
それは、不思議で不気味な光景だった。
オナラで貫かれたバスケットボールは、貫かれたまま萎むことも破裂することもなくただ球体に穴が空いたままの状態で転がっていたのだ。
「これは……」
悪い予感がする。この現象が意味することは分からないが、きっとあの技に直撃すれば私は死ぬ。
「…………」
私は、息を飲み真奈さんから視線を外さない。おそらく、他の倒れたポリッツやデスボイスのみんなはオナラの起こした風圧で吹き飛ばされただけ。あの技を直接受けたわけではないため死んではいないだろう。
ただ、風圧で壁に打ち付けられた体は外傷がひどく、このままなんの処置もしなければ危険だ。
だが、その前にどうにかして真奈さんを止めなければ。
(今の真奈さんは正気じゃない。目を覚まさせないと……)
バブバブゥッ!!
爆発音が聞こえた。その攻撃の合図に反応し、必死に飛び退く。そして、私の居た場所には暴風が通り過ぎた。
が、私は飛んでいる最中にハッとする。
(一見、一つの音に聞こえたけど、あの独特なオナラの音は2つの音が重なった時に出す真奈さん固有の癖……!)
オナラを一発を打ったように見せかけて、実は二発打つという真奈さんのフェイク技だ。
(……まずいッ!)
私は、必死に体制を変え二発目の屁から逃れようとするが空中を跳んでいるため動けない。
私の真ん前から風が向かってきているようで、風圧により視界がブレている。
私を射殺そうと猛然と迫り来る刃に、私は回避することもできない。
「…………ッ!!」
どうすることもできない状況で、もう諦め掛けていたその時。
――――オナラは、私の顔面の手前でかき消えた。
「…………え?」
空に浮いていた体を地面へと着地し何事かと辺りを見回してみる。
しかし、体育館の様子は変わっていない。
もし、誰も真奈さんの技へと介入していないの
だとすれば。
(で、でかこ……)
私の耳に微かに聞きなれた声が聞こえた気がした。その音の発信源に目を向けると、そこにいるのは真奈さんだ。相変わらず虚ろな表情で目の焦点は定まっていない。
「でも……、あれは間違いなく真奈さんの……」
そう思って私は真奈さんを見つめ続けていると――――。
『ぶぶぶぅ……』
――――私の聞いた音は、彼女の
聞き間違いなんかじゃない、しっかりと私に向けて発せられた
(尻から……、尻から真奈さんの声が聞こえた……!! 私に何かを訴えかけようとする真奈さんの声が!!)
きっと彼女のオナラが今できる精一杯の私に自分の思いを伝える発信手段なのだろう。
その思いに応えるべく、私は必死に言葉を発する。
「真奈さん!? 真奈さんなんですか!?」
『ぼぶばぁ……』
私の問いに、力ない屁で肯定する真奈さん。
まさに生前の灯火、今すぐにでもその小さな火種を守らなければ真奈さんのオナラはお尻ごと消えてしまうだろう。
「真奈さん、一体何があったんですか!? 私は一体どうすれば!!」
『ぶびばぼぉ……、ばべばぶぅ……』
(…………え?)
そう言った真奈さんは徐に体を動かし始める。
それを見て一瞬構えた私だったが、すぐに言葉を失ってしまった。
「どうして、そんなポーズを……」
真奈さんは天に向かって尻を突き出し、前屈のような姿勢をとった。
心なしか天を向く尻が上から降り注ぐ明かりにより神々しくも見える。
だが、そのポーズの意味を私は理解してしまった。
それは、何かが来るのを待ち構えているような姿勢。真奈さんは天の恵みや神からの祝福を待っているわけではない。
――――生きることを諦めた罪人は処刑のために頭を差し出す。
そう。真奈さんは私に尻を差し出し、介錯を待っているのだ。
つまり、自分を倒してくれというサイン。
「私に、あなたを倒せと……?」
『…………ぶぅ』
真奈さんは私を使って自分を倒させようとしている。
真奈さんが正気じゃないことは分かる。でも……、でも私には……。
「私に、真奈さんを倒すなんてできるはずがないじゃないですか! それに真奈さんいつも言ってましたよね? 諦めたらそこで終わりだって! 他に方法はあるはずですよ!」
段々と弱々しくなっていく真奈さんのオナラが消えないよう、叱咤するように私は叫んだ。
このままでいいはずがない、そんな終わり方でいいわけがない。
千豊真奈はきっと終わらない。どんな苦境に立たされようとも笑顔で乗り切り、みんなを守ってくれる。
だからこその絶対的エースなのだ。
今回もきっと――――――。
『びば……、ぼぶばぶばばべぶぼぉ……。ぶぶぶぅ。ばぁ……ばぁ……ばばぶ……!! ばばぶべべべぶぼぉおおお!!!!』
しかし、私の祈りを裏切るかのように真奈さんは再び何かに支配されはじめた。
その屁の音からも切羽詰まっている様子が窺える。
「真奈さん!」
息も絶え絶えに尻から言葉を発する真奈さんだったが屁の呼吸は乱れ、様子が変わっていく。
今にも呑み込まれてしまいそうな、そんな苦しげな屁。
やがて、真奈さんは何かに取り憑かれたように急変していった。
『ぶぶぶぶぶうううううううううううううううう!!!!! ばばばばあああああああああ!!!!!!!!』
「真奈さん!? しっかりして!!」
穏やかだった屁の音は荒々しく変わり、そこに真奈さんの面影は消えてゆく。
ブブブブブブブブブブボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
やがて真奈さんは正気を失い、再び何かに支配されたようにコート上で屁の暴風を巻き起こし始める。
「どうして……。これしか、方法は……ないの?」
真奈さんが苦しんでいるのなんか一目見れば分かる。そして、真奈さんは必死に自分の内にある何かに抵抗している。今私が吹き飛ばされていないのがその証拠。真奈さんは自分の屁が出過ぎて私を攻撃しないよう懸命に耐えているのだ。
「決意するしか……ないのね」
不思議と涙は流れない。この碁に及んでも、きっと真奈さんならどうにかしてくれると、期待している自分がいるからだ。
いや、正しくはそう思わなければ私には介錯などできない。
向かい風の中、私は真奈さんへと一歩一歩近づく。
……一歩が重い、真奈さんに近づくにつれ私の心に重石が積み上がる。
30歩ほど歩き、私はようやく真奈さんの尻の前まで辿りついた。
「…………」
私の前には今も苦しげに屁を出し続ける真奈さんのお尻。
その尻を目に焼き付けるように私はしっかりとしゃがみ至近距離で眺める。
迷いはない。これで真奈さんが楽になるのならば迷うわけにはいかない。
私は冷静に自分の胸を真奈さんの尻に近づけていき、胸と尻の割れ目をぴったりと合わせた。
そして、真奈さんの屁をこき続けているお尻へと私は胸を小刻みにブルブルと振動させる。
「おっぱいバイブレーション」
その小刻みの振動はただの振動ではない。私の洗練されたおっぱいによりその振動は驚異的な破壊力を生む。
振動を地面へと伝えれば小規模の地震が起こせるような、私の切り札ともいうべき必殺技。
そして、この必殺技を発案したのは他でもない、真奈さんだ。
あなたが育てたこのおっぱいで、あなたの尻を壊します――――。
私は罪を背負う。一生、消えない罪を。
育ての親を殺すという、重罪を。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!」
そして。
屁は勢いを失くし、すべてを出し尽くした真奈さんは。
「ッ!!」
真奈さんは全身から力が抜けたようでガクリとうなだれた。前のめりに倒れそうになった体をすかさず支え、ゆっくりと地面に下ろす。
「…………」
起き上がらない真奈さんの傍らに私は座り込んだ。
(真奈さん……)
私は、静かに真奈さんの尻を撫でる。
「あなたのお尻は、こんなにも柔らかかったんですね…………」
このプリンプリンの尻からあんなにも力強いオナラを出していたことを、私は今初めて知った。
「本当に……柔らかい…………」
――――なのに。
「……こんなにも……冷たいッ……」
真奈さんの先程まで放たれていた熱はどこへ行ったのか、尻は生気を失ったように冷え切っていた。
一体何が起こったのか、理解できない。理解したくない。
私は、真奈さんの尻を殺してしまった。
大好きな真奈さんを、このおっぱいで。
目の前が真っ暗になった私の手になにかが触れた。見下ろすとそれは真奈さんの指。最後の力を振り絞って私に触れてきたのだ。
そこには、正気に戻ったいつもの優しい真奈さんがいた。
私は、縋るように真奈さんに叫ぶ。
「お願いっ! 死なないで、真奈さん! あなたが今ここで倒れたらデスボイスや他のチームとの試合はどうなっちゃうの!? それに、まだ私は……!!」
今にもいなくなってしまいそうな真奈さんの指を掴む。
どうか、消えないで。私達をおいて消えてしまうなんて認められない。
私のしていることは定められた運命にただ泣きわめき駄々をこねる子供のわがままなのだろう。
だから、きっと今ひどい顔をしている。
しかし、そんな私の様子を見たのか真奈さんは微笑を浮かべた。
真奈さんの顔はやつれていて、きっと笑顔を作ることも難しいはずだ。
でも、その笑顔は私やチームメイトにいつも向けていた慈愛の込もった表情。
そして、真奈さんは私の頬に手を当てて、私へと最後の言葉を残した。
「
確かに私は聞いた。
ありがとう、と言った真奈さんの屁を。
「あなたは、あなたはいつもッ……ううっ……!!」
こんな時でも、私に気を遣って。自分の方がよっぽど苦しいはずなのに。
私の頬に一筋、涙が伝う。
「お礼を言わなきゃいけないのは私の方ですよ……」
その呟きが聞こえたのかどうかは分からない。ただ、真奈さんはニッと笑って目を閉じる。
それっきり、真奈さんは動かなくなった。