ありえない。
まず最初にこう考えたのは、僕が無個性な故だった。今起きた光景は、僕にとって衝撃が大きすぎた。
「あ、ありがとうございます」
「え、いや……はい」
気がつけば、目の前には先程襲われていた少女が立っていた。泥に覆われていて気付かなかったが、この娘かなりの美少女だ。ふわふわとした茶髪に、真っ白いすべすべとした肌。凛とした瞳はこちらを真っ直ぐ見つめていて、息が詰まりそうだ。そんな少女からお礼を言われてしまった。
なのだが、泥の
確かにパンチを繰り出す時、普段とは違う空気の重さを、空気の抵抗を感じた。これはパンチが速すぎるためだろう。だけど、パンチの風圧だけで
けれど、周囲には人っ子一人居ないし、ヒーローも居ない。自分がやったのだと信じるほかなかった。
「あの、失礼なんですけどヒーローでは無いですよね?」
「あ、えっと、はい」
まずいかもしれない。確かこの国には資格を持たない人間が個性で人に危害を加えてはいけない、みたいな法律があった。今の僕はそれに触れているんじゃないだろうか。
そう考えると、冷や汗で身体が冷たくなっていくのを感じた。
「えっと、あの僕は……」
それについて説明しようとしたが、目の前の少女はひとりでに「そうですか」と納得した。驚きながらも、見逃してくれたのだ、とホッとした束の間に少女は尋ねてくる。
「それで、少しお時間よろしいですか? 助けてもらった礼をしたいんですが……」
「いや、別に良いですよ。お礼なんて」
「いえ、ヒーローでものに助けてもらっちゃったんです。ちょうどお昼時ですし、昼食くらい奢らせてください」
本当にお礼なんて良いのだが……。
彼女に根負けする形で、僕は仕方なくついて行くことになった。
「——っとその前に」
そう言えば、と思い出した。
あの
「これでいっか」
とりあえずは自動販売機で買ったジュースを即飲み干し、その空いたペットボトルにしっかりと恐らく核部分である目玉を詰めて、路地の真ん中に置いといた。
僕が警察に届けに行っても、どうせ疑われてしまうだろう。それにさっきの悲鳴を聞きつけたヒーローも来るだろうし。
「あ、すいません待たせちゃって」
「いえいえ。では、ついてきてください。良い店知ってるんです」
そう言うと少女は僕に合わせて歩き出す。
「ところで……あんまり良くない事だとは分かっているんですが、貴方の個性について聞いてもいいですか?」
「個性、ですか……」
「なんだか、とっても不思議な個性だったので。増強系には見えなかったのに、パンチの風圧だけで
「えっと、その、」
困った。先の出来事は自分でも整理がついていないのだ。僕は、無個性なはずだ。だからあんなこと出来るはずがない。
「やっぱり、言えませんか……」
そんな少女の落ち込んだ顔を見ると、申し訳ない気がして、恥ずかしいけれど真実を言うことにした。
「いや違うんです! えっと、僕は無個性なんです。だからさっきの出来事もよく分かってなくて……
ありのままに起こったこと、思ったことを口にしていく。こんなありえない話を信じてもらえるのだろうか。こんな歳になって、個性が発現するなど。
だからか、彼女はその言葉の真偽を確かめるようにこちらに問うてきた。
「それって本当ですか?」
「は、はい」
疑われるだろうか、と思ったが少女は「もしかして……」と納得すると、僕の腕を掴むと、
「はやく!」
そう言って、巻かれた茶髪をはためかせ、思い切り走り出した。そんな少女に引っ張られ、仕方なく僕も走る。
一体彼女の中で何があったというのだろう……? 疑問は尽きないが、それはついて行けば分かるのだろうと考え、転ばないように気をつけて走った。
◇
少女は僕の腕を引いたまま、2分程走って辿り着いた平凡な喫茶店の扉を勢い良く開けて入っていった。
「おじさん! 見つけたかも!」
少女が声を張り上げる。喫茶店なのだから、他の客に迷惑にならないのだろうか、と思ったが店内を見渡すと客は一人もおらず、カウンター席から机を隔てた向こう側の厨房に20代後半くらいの白髪の男性が珈琲を入れていた。きっちりと着こなされた真っ白なワイシャツに黒のベスト。薔薇色の蝶ネクタイも不思議と違和感がなく、大人な雰囲気を醸し出していた。
男性は少女の声に反応しこちらを一瞥すると、珈琲を両手に持ち厨房から出てきた。
「
僕の横にいる少女をサイラと呼んだ白髪の男性は、片手に持った珈琲をひと口飲みながら、もう片方の手に持った珈琲を僕の前に差し出してきた。その挙動の意図を理解するのに数秒かかったが、少し動揺しながらも感謝を述べて珈琲の入ったカップを受け取った。
「いいじゃん、どうせお客さんなんて一週間に1回も来ないんだから」
「はぁ、全く……。そんなんだから君は何事にも最後でドジを踏むのだ。見たところ、今日の任務も失敗してその少年に助けられた——というところだろう?」
ギクッ、と確信を突かれて目を逸らす少女。それを見た白髪の男性は呆れたように肩を竦め、「やっぱりか」と溜め息をつくと、僕に話しかけてきた。
「うちの娘が迷惑をかけてすまなかった。礼といってはなんだが、昼食くらい出させてくれ」
「い、いや、あんなの当たり前ですよ。助けなかったら、きっと彼女の命が危なかったから……」
「命が危ない? つまり……、いやまずは座ってくれ」
僕の言葉を聞くと、男性は少し不思議そうに眉間に皺を寄せ何か言おうとしたが、すぐに口を噤んで僕にカウンター席を勧めた。それに甘えて、椅子に腰掛けるとその横に茶髪の少女が座った。
「まずは自己紹介から始めようか。名も知らぬ人とずっと話しているのは嫌だろうからね」
そう言うと男性はカウンターの向こう側で、調理器具を出しながらも語り始めた。
「私は
白髪の男性——もといマスターはフライパンを片手にそう言うと、「次、彩羅」と少女に促した。
「私の名前は
少し短めのふわふわした茶髪を舞わせて、こちらに向けて微笑む彩羅。なんだか少し恥ずかしくなって視線を逸らす。それから、その恥ずかしさを紛らわすように続けて自己紹介を始めた。
「えっと、
「それでは白石君、君について……いや君の個性について聞かせてもらってもいいかい?」
先程のは、個性だったのだろうか。僕は生まれながらの無個性のはずだ、16歳にして個性が発現するなんて聞いたことないし、の光景はどうにも信じられない。
「僕は、無個性です。だからさっきの出来事もあんまり納得がいってなくて、自分がやったなんて到底思えなくて……今でも他の誰かがやったんじゃないかって思ってて……」
「私が見た感じでは、あれは完全に白石くんがやった事だった。あのヴィランは人払いしてただろうし、それにあの風圧は白石君の拳からだった」
「成程。では、白石君。彩羅を助けようとした時、何か聴こえなかったかい? 男性の声のようなモノが」
——相応しい
その言葉を思い出す。
一体どういう意味なのか、それは分からない。けれど、確かにその声は聴こえた。
ドスの効いた、男性の声。
「聴こえました。相応しい、と一言だけ」
そう答えると、マスターは「やはり」と呟いて不敵な笑みを浮かべる。それから、言った。
「白石君、君には個性が宿っている。それも通常の個性ではない、特殊な個性だ」
「特殊な、個性……?」
「そう、その名も『英雄(ヒーロー)』
正真正銘、英雄が宿った個性。この個性は血縁による継承ではなく、個性が人を選ぶことで継承されていく。
そして君はそれに選ばれた」
信じられない。
そんな個性聞いたこともなかった。今だって騙されているのではないかと思っている。
けれど、僕の心臓は高鳴っていくばかりだった。