まちがった青春を送るオリヒロ達の夕べ   作:ぶーちゃん☆

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前編5000文字、中編5000文字、後編17000文字。

おかしくね?('・ω・`)




やっぱ私のオフィスラブコメば間違ごうとるようよ 【後編】

 

 一時間近く前に帰ったはずの比企谷先輩の突然の登場に唖然としていたのだが、私と同等かそれ以上に唖然としている人物が一人。言わずもがな、南足柄人事部長その人である。

 しかし比企谷先輩はそんな人事部長様などお構い無しに、のそのそと私の方へと近づいてきた。

 

「……君は確か、ヒ、ヒキタニ? くんだっけか。……どうした、こんな時間に」

 

 しかし先輩が私のもとに辿り着く前に、楽しげに会話(部長だけ)し、これからの食事会を心待ちにしているというとてもいいところ(部長だけ)を邪魔された格好になったセクハラオヤジが、自分へと一切視線を寄越してこない他部署の平社員へと、不機嫌さを隠さず声をかける。

 つうかこんオヤジ、まだ入社したばっかの私の名前ばファーストネームまで覚えとんのに、一応若手のホープの一人らしい比企谷先輩の名前は覚えとらんのかい。情熱が女子社員に向かいすぎじゃろが。この会社、人事の方はだいじょうぶ?

 

 すると比企谷先輩──

 

「あ、南足柄部長、お疲れ様です。金沢以外に人が居るとは思ってなかったので、まさか南足柄部長がいらっしゃるとは思いませんでした。気が付かず申し訳ありません」

 

 社会人らしく、上司に恭しくお辞儀した。

 でも薄暗いオフィスならともかく、当の部長本人の手によって照明がつけられたこの明るいオフィスで……、目的の人物である私の隣に図々しく居座ってるこのオヤジの姿に気が付かないなんてことなくない……?

 

「お、おう、そうか。……で? どうしたんだ? もうとっくに就業時間は過ぎてるぞ? あまり遅いと毎日大変だろう。たまには早く帰ったらどうだね」

 

 しかし部長はそんな小さな事など特に気にしていないよう。さすがは一企業の部長様。小時などには拘らず、なによりも大事を大切にしているようだ。

 

 現在の部長の中の優先事項→部下の非礼<<<セクハラ飲み会。

 

 大事がこまい! てか人間がこまい! 邪魔者を一刻も早く帰宅させたくてたまらないのか、声にも表情にも必死さが滲みでとるよ!

 

「あー……、いや、帰りたいのは山々なんですが、後輩の残業待ちなので」

 

 え、うそ。マジで比企谷先輩、私が終わんの待っててくれとんの?

 って違うでしょ。なんでまだ会社に残ってるのか、なんでこんなに早く来れたのかは分からんけども、どう見てもさっきのメール見て可愛い後輩を助けにきてくれたんでしょ?

 ……正直、結構びっくりやわ。なんだかんだ言って面倒見のいい優しか先輩だとは思うちょったけど、まさかあのメール一本でわざわざ助けにきてくれるとは思うとらんかった。

 

 ……ひひ、よう分からんけど、なんや顔が弛みよる……! 普段は文句ばっか言ってるくせに、なんだかんだいってちゃんと後輩を可愛がってくれてるんだなぁ……なんて危うくほっこりしかかっていたのだが、今はそんなにこやかに頬を弛ませているような事態ではなかった。

 確かに助けに戻ってきてくれたのは嬉しいけれど、美味しいエサを目の前にぶらさげられた繁殖期の野獣が、たかだか平社員が間に入ったくらいで諦めるわけなどないではないか。

 

 後輩待ちなんで、という比企谷先輩の弁を聞いた途端、こっちが先約なんだよ、お前はどっか行ってろよとばかりの不機嫌オーラを全開にし、せっかく戻ってきてくれた比企谷先輩を追い返そうとヤツが動く。

 

「あー、そうなのか。でも大丈夫だぞ、俺が──」

 

「あ! そういえば南足柄部長!」

 

 ……動いたのだが、その行動は慌てた様子の比企谷先輩にあっさりと遮られることとなった。

 上司の言葉を無理やり遮ってまで、比企谷先輩はいったい何を言うつもりなのか……。ヤバいこれ荒れちゃうんじゃなかろうか。

 

「……チッ、……なんだ」

 

 ……ほらぁ、部長の機嫌が最悪になっちゃったじゃないですかぁ……!

 常識的に考えて、上司が喋ってる最中に平が言葉を被せて止めるなんて、普通に考えたら怒られるに決まってんのに。なんで部長のセリフを遮っちゃうかなぁ、この人。

 

 でも比企谷先輩は動じない。たかだか数年目の平社員のはずなのに、怒り心頭の人事部長様のこの表情に全然動じないのだ。なんなん? メンタルが鋼ででも出来とんの?

 

 ……しかし、動じないどころではなかったのだ。動じないどころか、こん人はこれからとんでもない問題発言をするのだから。

 

「南足柄部長、まさかとは思いますけど、こいつ……金沢をメシに誘ったりなんかしてませんよね……?」

 

「は?」

 

「は?」

 

 

 悔しいことに、初めてこのエロオヤジと気持ちが繋がってしまいました。

 

 

× × ×

 

 

 ──こ、こん人、いきなりなに言いだしちゅうの……!?

 

 

 

 希望的観測ではあるけれど、私を助けに来てくれたのであろう比企谷先輩。

 でも本当に助け出しにきてくれたのならば、今後の社畜生活を人事部長に睨まれて過ごさねばならないかもしれないというこの逼迫した状況の中、どうカドを立たせず上手く救ってくれるんだろう? なんてちょっぴり期待していたのだが、出てきた言葉はまさかのドストレート。中田賢一(我が福岡ソフトバンクホークス!)ばりのまっすぐである。

 

 そ、そんなんもうちょっとオブラートに包んで言いなさいよ! なんなの? 俺の女に手を出すんじゃねぇよとか、そういうオラオラ系の救助作戦とか狙っとんの? それとも、お前いつまでもセクハラばっかしてんじゃねぇよって挑発的なヤツ? 

 どっちにしろこの質問の仕方は非常にマズい……。これがセクハラ部長から私を助けてくれる為の作戦なのだとしたら、それは大きな間違いですよ比企谷先輩……! なぜならそれはただ火に油を注ぐだけの行為。こういう『女を守る為の喧嘩腰』ってヤツは、ある程度自分に近いレベルの相手……歳が近かったり役職が近かったりと、平社員であればせいぜい何個か上の先輩くらいの相手でなければ通用しない。決して社会的地位の高い相手にやってはいけないのだ。

 なぜなら、地位による圧力に潰されてしまうから。

 

 いい歳したオッサンが、娘と同い年くらいの子をナンパしてるトコを部下に目撃されたら気恥ずかしくて気まずくなる。だから攻めるならそこら辺から攻めれば事態は好転したかもしれない。

 でもそれは直接口にしてはいけないのだ。あくまでも匂わせる程度に相手を突ついて、気まずさに居たたまれなくさせて退散せざるを得ない状況に追い込まなければならない。まぁそれでは結局セクハラ問題はなんら解決せず、その場かぎりの解消にしかならないけれど。

 

 でもこれでは……、直接挑発的な態度を取ってしまっては、気まずいセクハラ問題から上司に対する不敬問題へとすり替えられてしまう。

 このままじゃただ比企谷先輩が怒られて追い返されて、邪魔者が居なくなったあとにお誘いの仕切り直しをされてしまうだけ……

 

「ヒキタニくん……、君はいきなり何を言い出すんだ」

 

 比企谷先輩からのとんでもない発言に呆気にとられていた部長が、突如纏っているオーラを豹変させる。

 そこには、もう私と楽しげに喋っていた雰囲気も比企谷先輩の乱入に慌てていた雰囲気もない。地の底から沸き上がってきたかのような、ただただドス黒い負のオーラ。

 それは仕方ない。なにせ一企業の部長様が、たかが若手の一平社員に女の事で喧嘩を売られたのだから。

 

 ……ど、どうしよう。助けにきてくれたのはちょっと嬉しかけど、これ、最悪の状況になってまうんやなか……? これで比企谷先輩がどっかに飛ばされたりでもしたら、もう私先輩に申し訳たたんよ……

 

 

 ──しかし、である。可愛い後輩のそんな心配をよそに、この人は部長からのプレッシャーなどなにも感じていないかのように、涼しい顔でこう言うのだ。

 

「あ、すいません。流石に失礼でしたよね。ちょっと焦ったもので言葉足らずでした。 ……あー、でもその様子だと誘ったりはしてないみたいっすね、危ない危ない。ふぅ、心配しちゃいましたよ。……部長の身を」

 

 と。

 

 まるで同僚と朝晩の出社の挨拶でも交わしているかのような、なんとも軽〜いノリで。

 この状況下で人事部長様にこんな態度が取れるって、強メンタル過ぎじゃろ先輩……!

 つうか、なして私がセクハラされそうになっとんのに、なして部長が心配されなきゃいけんのよ!

 

 

 

 ──そう。私はすっかり忘れていたのだ。私を助けにきてくれた人は、……比企谷先輩なのだと。

 

 ひと月ベッタリくっ付いていたからよく解る。こん人は、助けに来てくれたからといって、杓子定規な助け方をしてくれるような素直で優しい好青年などではないのだ。

 この捻くれもんは、部長のプレッシャーにビビって逃げ出すほど可愛くはない。こん人が助けに来てくれた以上、碌な方法ではないのである。……碌でなし。でも相手が有無を言う隙を与えない、最低でゴキゲンな救出方に決まっとろうが。

 

 

 そしてここから始まるのだ。セクハラ被疑者南足柄部長だけでなく、被害者である私さえも死体蹴りするかのような、比企谷先輩の素晴らしき碌でなしっぷりが……!

 

 

× × ×

 

 

「……お、俺の心配?」

 

 己の威圧に、平社員ごときは畏怖するだろうと思っていたであろう南足柄部長。しかし、返ってきたのは萎縮した対応ではなく軽いノリ。しかもそのノリで言われたのが、まさかの自分への心配だった。

 これにはさすがの部長もびっくりである。放っていた負のオーラもあっさり霧散し、間抜け面を晒して比企谷先輩の真意を探るように見つめている。

 

「ええ、そうなんすよ南足柄部長。いやぁ、ホント金沢を誘ったりしてなくて良かったっすわ」

 

 いや、思いっきり誘われてますけどね? しかも先輩だってメール見てそれ知ってるくせに、マジなに言っとーと?

 

「……一応聞くが、なにが良かったんだ? 俺のなにが心配だった?」

 

 そして私を誘った事を一番知っているのは当然こんオヤジである。

 だから本人がなによりも一番その理由が気になるに決まってる。私を……金沢夏波を食事に誘うことの危険性を。

 

「……あー、それはですねぇ……」

 

 わざわざタメと言いづらそうな雰囲気を作って、なんともわざとらしく一瞬だけ私にチラリと視線を送る先輩。部長が自分を見ていることを意識してなのか、それはもう分かりやすくチラリと。

 

「……こいつが、なんでもかんでもセクハラで訴えてやるとか騒ぐ面倒くさい女だからですよ」

 

「なんですとー!?」

 

 これは酷い風評被害である。思わずノータイムで全力でツッコんでしまうくらいには酷い被害っぷり。

 

「し、失礼だな君は。俺はセクハラなんてしないぞ……!」

 

 いやどの口がそれ言うとんの?

 

「あ、だから『なんでもかんでも』なんすよ。ほら、最近よく聞くじゃないですか。セクハラとも言えないレベルのただのちょっとしたコミュニケーションでも、なんでもかんでも「それセクハラだからぁ」とか騒ぐ女。もうセクハラという言葉を使ったハラスメントですよ。セクハラハラスメントですよ。挙げ句の果てには数の暴力でme too me too騒いで、ムカつく男を社会的に抹殺してやろうとしてくるんですからね。いやー、最近の女って恐いっすよねー」

 

 なんなんよその酷い話。最近の女ってバリ恐かー。……って、それさっき私が考えてたことじゃなかと!? ちょっと? 私そういうバカ女じゃないですからね?

 

「……ホント最近の女ってのは恐いっすよねー……。普通のコミュニケーションのつもりでちょっと肩叩いたり飲みに誘っただけでもはいセクハラ。さらに男女平等とか騒ぐくせに、いざ重い荷物とか持たせたら「男のくせに」とか「最低〜!」とか、陰で世界サミットばりの悪口の井戸端会議を開催。ちょっと胸に目が行こうものなら「ヒッキーの変態!」「うわぁ、先輩キモいです!」「セクハラ谷くんそこに座りなさい」と110番チラつかせた携帯片手に床に土下座させられますからね……」

 

 ……ひ、比企谷先輩? なんか途中から妙に実感こもりだして、目がどんよりと淀んでいってるんですけど……

 

 

「……おっと、すみません話が逸れちゃいましたね。とにかくアレですよアレ。こいつこう見えてかなり悪女なんで、もし部長が良かれと思って食事にでも誘ってたりしてたら大変だなと、つい心配になっちゃったんですよ」

 

「い、いや……俺は別に……」

 

「ほら、こいつって顔はまぁ可愛いし態度もあざとくて男を勘違いさせやすいじゃないですか。だから俺もちょっと期待しちゃって、こないだつい飲みに誘っちゃいましてですね……」

 

 え、誘われてないです初耳です。このひと月、あなたから誘われたことは一切ないです。

 

「そしたらいつの間にか誘ってる様子をスマホで録画されてましてですね、今度はそれをネタに脅してくるんですよこいつ。セクハラで訴えますって。で、今じゃこうして毎日毎日残業付き合わされた上に駅までの送迎係というまるで奴隷扱い……」

 

 マジか、人として最悪やねその女。

 ……って私か! なにその酷い冤罪っぷり。私のきゃるんなイメージが傷だらけです。

 

 せっかく築き上げてきた夏波ブランドの失墜に愕然としていると、比企谷先輩はよよよと泣き真似を交えながら、部長の表情を窺いつつさらに与太話を続ける。

 一体この男はどこまで私の株を下げれば気が済むのか。下げ止まる気配も見せず、もう投げ売りバンザイ大暴落状態な夏波株である。

 

「……最近はスマホとかでいくらでも証拠残っちゃいますからねぇ。「上司の誘いを断るのか」なんて台詞でも録音されちゃった日にはもうアウト。それ持って然るべきところにでも駆け込まれたら人生の終焉ですよ……」

 

 コイツはそう言って、やれやれと芝居がかった溜め息を吐いた。

 

 そしてここで部長の様子に変化が起きる。今までは先輩の戯言をただ黙って聞いていた南足柄部長だっだのだが、先輩の口からスマホで証拠というワードが出た瞬間、まるで何かに弾かれたかのようにビクッと体を震わせ、なぜか「ハッ!?」と私を見た。え? なんでそんな怯えた目を私に向けたん?

 

 

 ──ハッ!? そういえばついさっき比企谷先輩にメール送った時、デスクの下でこっそりスマホ弄ってたトコ部長に見られてたぁ!

 こ、こんエロオヤジ、絶対アレを罠だと勘違いしちょる……! やめてぇ! 完全に性悪女に仕立てあげられとるよぉ……!

 

 そして比企谷先輩は、そんな部長の焦った様子を見て悪役よろしくほくそ笑んだ。

 

 ……あ、やりやがったなコイツ。

 比企谷先輩は、私が先輩にメールを送った時の状況を直接見てはいない。だから私がメールを送ったのを部長が見ていたかどうか知らないはず。でも今の話を部長に振ることで、あのとき部長が、私がこっそりとスマホを弄っていたのを目撃していたかどうかを確認したのだ。

 

 あのメールにはこう記してあった。『この残務が終わってしまったら部長と食事に行かねばならない』と。つまり、あのメールは残務処理中に打っていたのは明白。さらにあの内容的に、私が部長に見つからないようこっそりとメールを打つのは必定なのである。

 そしてせっかくのセクハラ対象に誘いをかけている大事な時間に、このセクハラオヤジが対象から目を離すわけもない。

 だからある程度その状況を予測していたこの人は、その予測を確証づける為にこんな話を部長に振ったのだ。で、まんまと顔を青くした部長は私に目を向けてしまったわけだ。

 そんな部長の様子にヤツは確信したのだ。『南足柄は、今ので金沢がセクハラの証拠を握っていると思い込んだ』、と。

 

 そして、我が意を得たりとばかりに比企谷先輩のいやらしい口はここからさらに滑らかさを増してゆく……

 

「いやホント、最近の若い奴に証拠なんか握られたらもうどうしようもないですよね。もしそれを権力で押さえつけようとしたりどこかからの鶴の一声でネガティブな人事でもあった日には、ヤツら躊躇なくSNSにアップしちゃいますからね。……さすがに部長もご存知ですよね? ネットの怖さは」

 

「……あ、ああ」

 

「一度ネットに上げられたが最後、面白情報は永遠にネットの海を泳ぎ続けるわけですよ。一瞬で個人情報を特定されて、世界中の笑い者になるのは不可避です」

 

「……」

 

「しかも今の世の中、セクハラには異常に敏感ですからね。むしろ過敏すぎるともいえる。もしその面白情報がネットニュースかなんかで話題にでもなろうものなら、次は一番厄介な連中が嬉々として動き始めちゃいます。……そう、普段は与党の揚げ足を取るのに必死な野党のオバサン議員達です。あいつらこういう話題大好きですからね〜。アレに目を付けられたら、もう死んだ方がマシと思える余生を送ることになるんじゃないですかね」

 

「……し、死んだ方がマシ?」

 

「ええ。なにせ奴等、少しでも話題性と票を集める為なら他人の人権なんか知ったこっちゃないですからね。ワイドショーのカメラを意識して嬉しそうにme tooを先導して、それはもうまるでジャンヌダルク気分。すると今度はそのワイドショーで連日連夜個人情報が晒されるわけですよ。コメンテーター共も視聴者の好感度アゲに必死ですからね。画面の向こうで訳知り顔で言うわけです。「権力を笠に着てセクハラパワハラをするようなヤツは人として失格。断罪されるべきだ」、と。そうなったら、疑わしきは罰せずなんて言葉が都市伝説かと思ってしまうくらいの、疑わしくなくとも即処罰。あからさまなハニートラップなのに、つぎはぎ音声だけで人生終わらされた元官僚トップの話題も記憶に新しいですもんね。ああいう風潮が、可哀想な痴漢冤罪被害者を生み出し続けるんだろうなぁ。……いやー、ホント嫌な世の中になりましたよね。……部長もそう思いません?」

 

「………………そうだな」

 

「あ、そういえば三菱UFJにウチがお世話になった矢倉沢課長さんって居たじゃないですか」

 

「……は? あ、ああ、それがどうしたんだ」

 

「あれだけ優秀な方だったのに、セクハラ問題一発で出世街道から外されちゃったらしいですね。銀行にマイナスイメージが付くのを嫌ったみたいで、世間で話題に上げられる前に内々で処理しちゃったらしいですよ。で、今では周りに田んぼしかないような地方のドマイナーな地銀に出向して、支店長という大役を任されているようです。いやー、人生ってなにが起きるかわからなくて面白いですよねー」

 

「」

 

 

 ……これはもう狩りだ。セクハラの証拠を握っている側からの、一方的な虐殺。いや、証拠なんてないんですけどぉ……

 そしてこの恐ろしいやり取りを見て私が一番感じたこと。それは、……比企谷先輩って、こんなに喋る人なんだー(小並み感)

 

 

 大人の世界のあまりの汚さにちょっと現実逃避していたのだが、そうこうするうちについにこの長い戦いに終止符が打たれるようだ。

 

「ま、アレですよね。火のない所に煙は立たず、雉も鳴かずば撃たれまいってヤツで、セクハラとかパワハラを疑われるような真似さえしなければ、優秀な人なら優秀なりの幸せな人生を送れるんですよね。出世街道踏み外す前にそれに気付けたのなら、そこがラストチャンスなんじゃないですかね。そのチャンスを無駄にして自分の首を締めないよう、そろそろ気を引き締めないといけませんよねぇ。……あ、今のは自分に言い聞かせただけなんですけどね?」

 

 

 ──この部長だって馬鹿じゃない。これが比企谷先輩からの警告だって事くらい、とっくに気付いているはずだ。

 もう金沢夏波には近づくな、と。もう比企谷八幡にも関わるな、と。いい加減セクハラはやめておいた方が身の為だぞ、と。この件で権力を行使するような事があれば、こちらも力を行使するぞ、と。

 ……そして、それらを全て了承するのならば、この件は口外しないでおいてやる、と。

 

「あ、すみません、なんか勝手にこっちばかりが喋ってしまいまして。……そう言えば部長、俺が喋りだす前になにか言い掛けてましたよね。確か、俺が金沢の残業待ちだから帰れないんですって言った時「大丈夫だ」とかなんとか。あれって、なにが大丈夫なんすか?」

 

 上司を脅迫しているとは思えないほど飄々としている比企谷先輩に向けて放たれる、それなりの企業の重役にまで上り詰めた南足柄部長の刺すような視線。

 それでも一切動じた様子を見せない比企谷先輩に、ついに部長は半ば呆れたように、半ば諦めたように、半ば感心したかのように、深く深く溜め息を吐き出した。

 

「……ああ、金沢くんの仕事はもうすぐ終わるらしいから、君ももうすぐ帰れるぞ、という意味合いの「大丈夫」、だ」

 

「あ、そうなんですね。……私などの帰宅時間を南足柄部長にお気に掛けていただくなんて、本当に分不相応で有難い限りです。ありがとうございます」

 

「いや、気にするな。それじゃ俺はそろそろ帰るから、君たちも早く終わらせて早く帰るんだぞ。毎日これでは人件費が掛かって仕方ない。今後、長時間残業はなるべく役職に就いてからにしてくれ」

 

「はい。お疲れ様でした」

 

「お、お疲れ様でしたっ……!」

 

 

 片手を上げ、振り向きもせず静かにオフィスを出ていく部長の背中。

 そんな背中の主に対してつい先程まであれだけ不遜な態度で挑発していた人と同一人物とは思えないような恭しさでお辞儀する先輩に後れ馳せながら、私も慌ててぺこりと頭を下げる。

 ……凄いんねぇ、この変わり身の早さ。これが社会人というもんかぁ……。新社会人として勉強させていただきました。

 

 

「……はぁぁぁ〜」「……はぁぁぁ〜」

 

 そして、まるで示し合わせたかのように同時に吐き出される深い深いふたつの溜め息。

 

 ──こうして、私 金沢夏波が社会人になってから初めて経験した恐ろしいセクハラ危機は、なんとか無事に収束したのだった。

 

 

× × ×

 

 

 部長の退出を静かに見守り、もう話し始めても大丈夫かな? と気持ちが落ち着くまでたっぷり数十秒。

 満を持して、ついに私の口が開く。

 

「いやいやいや! なんで比企谷先輩が深い溜め息吐くんですか! それ私の役目ですから!」

 

「いやだってめちゃくちゃ恐かったし」

 

「こ、恐かったんですか!? あれだけふてぶてしかったくせに……!?」

 

「ばっかお前、恐いに決まってんだろうが。なんだよあの目力、腐ってもさすが部長だわ。危うくちびりかけちゃってたまである」

 

 ……あ、マジやこん人。部長が居なくなった途端、めっちゃだらだらと脂汗かきよっとる。

 

「も、もう! ビビってたくせに、なんちゅう無茶をしてくれるんですかぁ! てかなんですか私が悪女って! なんですか脅して奴隷扱いしてるって!」

 

「まぁほら、そこら辺は臨機応変にだな。でも上手くいったんだから結果オーライだろ。あんなに上手くいくとは思ってなかったけど」

 

 さらっと恐いこと言わんでいいから。上手くいかなかったらどう責任取りよるつもりじゃったんよあんた。

 

「……て、てかあんな事して、ホントに大丈夫だったんですかね……。あとで報復とかされないかな……、私」

 

「ああ、そりゃ大丈夫だろ。あの人だって馬鹿じゃない。少なくとも俺がグルだって事くらい気付いてるだろうしな」

 

「……まぁ、そりゃそうですけどぉ……」

 

 ……って、え? グルだったの? むしろ比企谷先輩の単独犯ですよね? まるで私を主犯のように言わないでくれません?

 

「あの人、セクハラさえなけりゃ仕事出来る優秀な人なんだけどなぁ。まぁだからこそ今まであんな前時代的なセクハラオヤジっぷりでもギリギリ黙認されてきたわけだが、……まぁ世間様的にそろそろ限界だったろうし、本当に大事(おおごと)になる前にお灸を据えられて逆に良かったんじゃねぇの? なぁなぁでここまで来ちゃったが、セクハラ問題を甘くみてると自分も噛み付かれる立場なんだってようやく認識できた以上、もうこれからは下手な真似は出来ないだろ。知らんけど」

 

 

 ……だから知らんけどじゃ困るんだってば。どうしてくれんのよ、これでもし私が出世街道から外れちゃったら。

 

「それにどうせお前なんて、こんな会社腰掛け二〜三年程度くらいにしか考えてねぇだろ? いい会社でいい男捕まえて寿退社でウハウハ人生っ☆ くらいにしか考えてないんなら、もし仮になんかあったって大した問題じゃないだろ」

 

「バレてた!?」

 

 ……む、むー、なかなか侮れんな、こん男……

 

「て、てか私は大丈夫だとしたって、比企谷先輩はどうするんですかー……。まぁ確かに先輩が言う通り悪い人事にはならないかも知れないけど、良い人事だって流れちゃうかもしれないんですよ……?」

 

 そう。証拠を握られている以上(そんなもんないけど)、少なくとも報復人事みたいなあからさまな事はしないだろう。

 でも、もしも今現在良い人事の話があったとしても、あの部長の目が黒いうちは何かと理由を付けられてその話は流されてしまうかもしれない。比企谷先輩はこう見えて、若手の中では出世に近い部類の人材なのである。私のせいでせっかくの出世が台無しになってしまったら……、目覚めが悪いですよ……

 

「良い人事?」

 

「……はい」

 

「良い人事って出世とかそういうやつだろ? それが流れちゃうって事は、平のままで居られるってことだよな」

 

「そう、です?」

 

 ……ん? ままで居られる……? とな?

 

「だったら願ったり叶ったりだろ。なるべく愛する千葉から離れたくないから地方に飛ばされるとかだったら余裕で退職届け出すけど、役職とかはマジで要らん。昔描いていた大きな夢はさすがに諦めたが、それでも極力楽して生きていきたいからな。可能ならば窓際に追いやられて、上司達に給料泥棒と蔑まれながらも俺に仕事が回されない生活を送っていきたいとまで思っている」

 

「うわぁ、最低ですね、人として」

 

「ほっとけ。幸せは人それぞれだ」

 

 これマジなやつだ。この腐った目がそう語っている。

 こん人、まさかとは思ってたけど、やはり出世欲とかは皆無らしい。せっかく仕事できるのに、なんて残念な男なんじゃろうか……。あはは、まぁこん人らしいけど。

 あと、昔描いてた大きな夢とやらが気にならないこともないけれど、なぜだろう、なんか恐くてとても聞かれへんよ……

 

 

「まぁそういうわけだから、この件でこれからお前が不利な状況に追い込まれることはない。しつこいようだが南足柄部長はセクハラさえしなければそれなりに優秀な上司だし、そもそもそういう心配はないんだけどな」

 

「ふふ、そうですか。んじゃまぁ、私が後ろめたく思う必要もなさそうですねー」

 

「おう。そうだな」

 

 

 ──確かに、さっき言ってた出世欲皆無の話とかはホントなんだろう。

 でも、それをわざわざおちゃらけた態度で私に語った意味。それはまさにコレ、「気にするな」、なんだろうなぁ……。ホンットめんどくさい男やわ。

 でも、確かにめんどくさいけど、思ってたよりはまぁまぁ面白か先輩なんじゃね、比企谷先輩は。

 

 ──じゃあ、ま……

 

「ほいじゃ、もうこん件は綺麗さっぱり忘れましょっか!」

 

 こんめんどくさか人がわざわざ気を遣ってくれるんなら、そん気持ちを尊重できなきゃ博多女の名折ればいね! わざわざ助けにきてくれた事に感謝はすれども、これ以上気にすんのはもう無粋ってもんよねっ!

 

「……おい、また訛ってんぞ」

 

「訛っとりゃせんから!」

 

 まったくもう、ホント失礼ですよね、比企谷先輩って。せっかく人が先輩の気持ちを慮ってやろう言うちょんのに。

 

「……ったくー。ふふ」

 

 ……と、先輩の失礼さはさておいて、なんか今日はちょっと気分がいいぞ? なんだかんだいって比企谷先輩の捻くれた優しさを感じられたのは、自分の中ではなかなかに嬉しい感情のようだ。

 よっし、こういう時、博多のよか女が取る行動はただひとつ!

 

「あ、そだ! 比企谷先輩、悪は退治したことだし、これから飲みにでもいきませんっ?」

 

 そう。ふふふ、助けに来てくれたお礼に、この可愛い後輩がうだつの上がらない先輩を飲みに誘ってあげんよ!

 出世欲もないみたいだし、この性格だとどっちにしろ出世出来そうにもないしで、これで私のタイプからは完全に外れてしまった比企谷先輩。一応保険でツバつけとこうかと思ってたけど、どうやらその必要性もないみたい。

 

 でも、ふふんっ、特別に〆のラーメンまでは付き合ってあげてもよかよ♪

 

「いや行かねぇから」

 

「即答!? いやなんでですか、こんなに可愛い後輩が誘ってあげてるんですよ!?」

 

「うわぁ……なにこの既視感。……うるせぇな、たまには早く帰りてーんだよ」

 

「……どう考えたって帰宅するより私との飲みの方が重大なイベントでしょうよ」

 

 だいたい早く帰りたいもなにも、あなた一時間も前に帰んなかったっけ?

 デジャヴを感じるとかぼそりと呟いたのも気になるけれど、今はそれよりもこっちの疑問の方が優先順位は上なのである。

 よし、比企谷先輩登場時からずっと気になっていて、でも部長との汚いバトルのせいで聞く隙の無かったこの質問を今こそしよう。

 

「……そういえば、なんで比企谷先輩居るんですか?」

 

「なにそれ新手のいじめかなにか? 自分でメールしてきたくせになんでお前ここに居るんだよって酷くない?」

 

「違いますよ! なんでまだ帰ってなかったんですか? なんでまだ会社に居て、なんで助けにきてくれたんですか? って事です! だって一時間近く前に帰ったはずじゃないですか」

 

 そこが本当に不思議。まぁこの人意外と優しくて面倒見もいいから、担当の可愛い後輩からあのメールが届いたら助けに来てくれるよね、ってのはまだ解る。

 でもそれは、あくまでも助けに行ける時は……っていう前提条件の元である。

 

 手の届く範囲であれば面倒でも手を差し伸べてしまうこの先輩も、手の届く範囲外であれば「自分でなんとかしてみろ」という厳しさを発揮するのも、またこの先輩らしさでもあると私は思ってる。

 だから不思議なのだ。一度帰ったはずの比企谷先輩がわざわざ助けにきてくれたのが。てか帰ったはずなのに、たったの十分足らずで駆け付けてきた事がそもそも謎だらけ。なんで一時間前に帰ったのに手の届く範囲に居たの?

 

「……あー、それはだな」

 

 すると先輩、なんとも気まずそうに頭をがしがし掻き出した。なんだろう、こんな先輩は初めて見る。

 

「別に特に理由なんかねぇよ。ただ腹へってたから通りの向こうの吉牛でメシ食ってただけだ。で、そろそろ帰ろうかと思ってたら変な迷惑メールが届いちゃってな」

 

「なんですとー!? 迷惑メールなんて酷くないですか!?」

 

「いや間違いなく迷惑メールだろ。帰ろうとした途端に計ったように帰宅NGのメールが届いたんだし。あと助けにきてくれたとか自意識過剰だから。今後こういう事があるたびいちいち呼び出されてたら迷惑過ぎて思わず着拒しちゃいそうな勢いだったから、今後の俺の平和の為にも早いうちから元を断っておこうと思っただけだから」

 

「……なんだかんだ言って実は結構感謝してたのに、この扱いの酷さはさすがに引きますね……」

 

 ……あー、成る程。だから答えるのに気まずそうだったわけですかそうですか。黙ってれば可愛い後輩に感謝されたままでいられたのに……、ってヤツですね。まったく……ホントどこまでも残念な男だわ。

 

 

 

 

 ──なーんて、この私が簡単に騙されるとでも思ったのだろうか。だとしたらやっぱり残念な男やわ。先輩ごときにこん私が手玉に取られるわけなかろうもん。

 

「んなことより早く仕事終わらせろよ。もしまた南足柄部長来ちゃったらめんどくさいから、一応終わるまでは居てやっから」

 

 そう言って、デスクの上に残った書類の量を確かめる為にこっちに寄ってきた比企谷先輩。その先輩のスーツから香ってくるのは、食欲をそそられる牛丼の香りではなく、鼻腔の奥をツンと刺激してくるような濃いタバコの匂い。どれくらいの濃さかといえば、つい今しがたまで密室で何本も吸っていたかのような密度の高さ。

 

 

 これは、あくまでも私の想像であり妄想である。でも、なぜだかそれが正解なのだと確信出来るような、とてもノンフィクションな妄想。

 

 この人は、帰宅したフリをして実は社内に居たんじゃないだろうか。社内の奥の奥の方に追いやられている、いつもどんより曇った喫煙ルームに。

 

 私の教育期間終了はもう近い。でも、私が仕上がったかといえば答えはNO。NOどころかBADもいいとこ。このまま教育係が居なくなってしまったら、たぶんなんの使い物にもならない役立たずで足手まといのまんま、退社までの期間をひっそりと過ごすだけの毎日。

 

 だからこの人は帰ったのだ。いつまでも私が甘えたままではなんの成長もしないから。

 だからこの人は帰ったフリをしたのだ。もしなにかあった時、どうしても解らないことがあった時、私からのヘルプにすぐ対処出来るように。

 

 なにかあったらなにかしらの理由を付けて颯爽とオフィスに現れ、なにも連絡がこないようなら黙って帰るつもりで、こんなにもすぐ近くに居てくれたのだ。

 

 

 ──そもそもさ、あそこの吉牛からここまで十分で来られるわけないじゃろが。詰めが甘過ぎんよ、先輩……

 

 

「……はぁぁ〜、ホントずっこいわぁ……」

 

「あ? なんか言ったか?」

 

「いえいえー、なーんも言ってないですよー」

 

「ああ、そう。……てかなんだこれ、もう終わんのかと思ってたら、まだ全然残ってんじゃねーかよ。溜め息吐きたいのはこっちだわ」

 

「ち、違いますよ、違いますからね!? ちょー順調に進んでたのに、南セク柄に捕まったせいで進まなくなっちゃっただけですぅ!」

 

「うっせ、言い訳してる暇があったら早く進めろ」

 

「痛ったっ! ちょっと!? 書類で頭はたくとか完全にパワハラなんですけど!? あー、あったまきた! ぜーったい訴えてやりますからね!」

 

「……んだよ、今度はパワハラハラスメントかよ……」

 

「べーっだ!」

 

「うっわあざとい」

 

 

 

 ──まったく、ホントずっこいわこん男。

 うー、いかんいかん。こいつがあまりにもずっこすぎて、めっちゃムカつきよんのに……めっちゃ小憎たらしいのに……、なんや知らんけど口元がめっちゃむずむずしちゃうやろうが……!

 

 

「やっぱ、こん人バリ好かんわ……っ」

 

 

× × ×

 

 

 本日も無事仕事を終え、私 金沢夏波は愛しのMYベッドへぼふっと美しくダイビング。

 

「ふぇぇ、疲れたよー。早く缶ビール開けてエネルギーチャージしなきゃ! うひひー、うひひー」

 

 確かに疲れましたとも。確かに今すぐ缶ビールをプシュッとしたいですとも。

 でもさ、明日のことを思うとニヤニヤが止まんなくってさ! とにかくまずはベッドで転げ回りたい気分なんだよね! すでにばっちりごろごろしてますけど。

 

 

 

 ──私が新社会人として歩き始めてから早ウンヶ月。思えば随分と時間が経ったものだ。どれくらい経ったかといえば、東京生活に慣れすぎてすっかり方言が抜けてしまったというくらいには時間が経った。

 あと二ヶ月もすれば、なんと私にも後輩が出来ちゃうくらいだしね。

 

 この十ヶ月、本当に色々な事があった。初めての東京暮らしにドキドキワクワクしたり、初めての仕事にテンパったり、初めて出来た社会人の先輩の捻くれっぷりにムカついたり、せっかく飲みに誘ってあげたのに断られてムカついたり。

 どれもこれも、今では懐かしき思い出である。

 

 とはいえ、それらはただの過去の思い出ってわけじゃなくて、現在進行形の思い出でもあり関係性でもあり、今もあの時と対して変化もなく相変わらずだったりもする。

 

 具体的にいうと、比企谷先輩はあれからもまぁ変わらず捻くれているし、未だに一度もサシ飲みにも行けてなかったり。

 まったく! この可愛い後輩が何十回何百回誘ってあげたと思ってんのよ! それなのにことごとくお断わりされるって、マジで女の自信無くなるっての。

 

 

 ──でも……ね、うひひー。

 

 

『比企谷せんぱーい、今日こそ飲みに行きましょうよぉ……!』

 

『だから行かん。だいたい今日用事あるし』

 

『いつもそう行って逃げちゃうじゃないですかー。比企谷先輩はアレですよ。たまには頑張ってる可愛い後輩に奉仕する必要があると思います』

 

『奉仕とかマジでやめて。つか未だに面倒見させられてる時点で、先輩として十分奉仕してやってると思うが』

 

『それはそれ、これはこれです。……んー、じゃあここはひとつ賭けをしましょう』

 

『唐突だなおい』

 

『ここに本日私が片付けなければならない仕事の山がありますね。とても大変で、そうそう片付くようなものではありません』

 

『お、おう』

 

『そこで比企谷先輩と勝負! これをですね、今日先輩がタイムカード打つまでに一人で終わらせる事が出来たならッ! 私を今夜……、あ、今日は用事があるんですっけ? じゃあ明日、私を飲みに連れてってください!』

 

『いや、これどう見てもお前じゃ今日中には終わらんだろ。しかも俺は絶対に残業はしない主義だ。すなわち俺のタイムカードは十七時きっかりに打たれるわけだ。今日中どころか定時までとか、余計終わるわけねぇだろ』

 

『だからです。だからこそ賭けなんですよ。それくらいの気持ちでモチベ上げてかないと終われない量なんです。てなわけで私を助けると思って、さぁ、れっつちゃれんじ!』

 

『……わぁったよ。ま、どうせ終わるわけねぇしな』

 

『……ふふふ、言いましたね? 分かったと言いましたね? えへへ、男に二言はなしですからねー!』

 

 

 

 ──そして、私は見事賭けに勝ったのだ!

 

 ふひひ、私が仕事終わらせた時の比企谷先輩の顔ったらなかったなぁ。なん、だと……? とか言って愕然としてやんの。

 

 あの人の敗因は、私を舐めすぎてたってトコにある。いつも隣に居たくせに、私の成長度を見誤ったのだ。もちろん、見誤せる為にずっと罠を仕掛けといたんだけどね。未だにパッとしないOLのままのフリというとびっきりの罠を。

 

 

 元来私は努力型の人間だ。それは、もともと大した頭じゃないのに、地元では有名な進学校に通えたりそれなりの一流大学に通えた事が証明している。いま考えれば、そりゃ最初のうちからバリバリのキャリアウーマンみたいに格好良く仕事出来るわけがなかったんだよね。

 私という人間は、どうしても達成したい目的さえ見付かれば、あとは努力と根性でゆっくりと……でも着実に駆け上がってゆくのだ。

 

 だから私は努力した。一人前の社会人になれるように。格好いいキャリアウーマンになれるように。

 ……全ては、今日この日の為に!

 

 

「まったく……、ホントあんにゃろう、たかだか飲みに付き合わせるだけで、こんなイイ女にどんだけ努力させるんだか〜」

 

 

 女の勘だけど、比企谷先輩には常に女の気配がする。それも一人や二人ではない。最低でも三人以上は先輩の周りに居るんじゃなかろうか。

 でも、どうやら彼女は居ないらしい。何度も聞いたけど彼女なんて居ないの一点張りだから、そこは間違いないだろう。そういうウソは吐けないもんね、あの人。どうせウソ吐こうとしてもすぐ顔に出ちゃうから。

 

 だから、彼女ではなくて言い寄ってくる女共なんだろう。こないだの成人式なんて、知り合いの子が出席するから付き合わされたとか言ってたし。今年ハタチの知り合いってなんなのっつー話よ。年齢的に、比企谷先輩が大学生の時に高校生の彼女が居たとか……? いやいやまさかね。

 

 

 そんなんだからなのか、とにかくあの先輩は私の誘いに全然乗ってこない。まぁ比企谷先輩は私だけでなく、社の人間との飲み自体に行くこともほぼないんだけど。特にサシ飲みに行ったのなんて見たこともない。

 でもあの人、私の気持ち知ってて全力で逃げてる節さえあるんだよねー。別に私が嫌われてるとかウザがられてるとかじゃなくって、あとあと色々と面倒くさいことになりそうだから、なんだろうなぁ。

 それもこれも、まだ見ぬ比企谷先輩の周りの女共のせいだ!

 

 だから、私は今回のチャンスを逃す気は毛頭ない。長い間ずっと努力してずっと罠張って、ようやく手に入れたこのチャンス。これを活かせないようじゃ博多女の名が廃る。

 明日はアルコールに溺れさせてやる! ふふふ、覚悟しとけよ比企谷先輩!

 

 

 ……でも、今はそんなことよりとにかく単純に楽しみで仕方ない。先輩の気になる女性関係も飲みの席でのやましい計画も一旦忘れて、今は明日の二人っきりの飲みの席に期待を膨らまそう。

 

「えへへ〜、明日はどこ連れてってくれるんだろうなぁ」

 

 お洒落なショットバー? 雰囲気たっぷりの老舗料亭? それともパークハイアットのラウンジで百万ドルの夜景散歩?

 

「あはは、まっさかねー」

 

 ま、いいトコ新宿ゴールデン街か思い出横丁辺りのしなびた飲み屋とかなんだろうなぁ。そういうトコ連れてかれて「こういう店の方が旨い酒とツマミが出てくんだよ」とか言う方が比企谷先輩らしいしね。

 

 ホントはお洒落で高級なお店の方がムード満点でいいけれど、そういう店も嫌いじゃないし全然構わない。てかぶっちゃけ、比企谷先輩とサシ飲み出来るんならどこだっていいのだ。

 もちろん次に向けてグチグチと文句は言ってやるけどね♪ こんなとこじゃなくてもっとお洒落なとこがいいですー! ってね。

 

 

 夢にまで見た比企谷先輩との待望の酒盛りに期待と胸を膨らましつつ、私はニヤニヤした顔を枕に押し付けながら、ベッドの近くに転がってるバッグからごそごそとスマホを取り出す。最近すっかり日課になってしまったとある行為をするために。

 そして取り出したスマホをすすすいと操作し、開いたアルバムの中から一枚の写真を選択するのだ。

 

「んふふ」

 

 スマホの画面いっぱいに広がったのは、一人暮らしの寂しさを紛らわせる為にここ最近よく話し掛けるあの人の写真。

 一人暮らしの女が写真に向かって夜な夜な話し掛けるとか、なんとも色気のない人生だこと。でもでもいいんです。色気はなくとも色はある。ホラ、よく言うじゃない。アレをすると世界がカラフルに見えるようになるってさ。

 しかも今日は特別だ。なぜなら、この写真に写っているコイツとは明日の約束を取り付けているのだから。明日のこの時間にはコイツとしっぽり酒を酌み交わしているはずなのだから。

 

『ほらほら比企谷先輩撮りますよ〜、ハイち〜ず!』

 

『お、おい、なんだよ急に……! ち、近けぇって……!』

 

 

 この写真はあの日の帰り道──南足柄部長のセクハラから助けてもらった駅までの道中で、比企谷先輩の隙をついて自撮りしたツーショット写真。

 あの日、ほんの少しだけ自覚したあの人への想いをずっと記憶しておきたくて……、あの人への想いを自覚してしまった自分の頬の熱をずっと記録しておきたくて、勢いにまかせて堪らず撮ったその写真。

 その写真に写るのは、成人してからもう何年も経つというのに、まるで今が青春真っ盛りの恋する乙女のような笑顔で楽しそうにピースする私と、突然顔を寄せて自撮りしてきた後輩に困惑し。顔を真っ赤に染める嫌っそうな比企谷先輩のしかめっ面。

 

 毎日の日課になってしまっているほど見慣れた写真だというのに、見る度に同じように口元がニヤついてしまうのは、別にこの写真を見ると幸せな気持ちになってしまうからってワケではなく、ただ単に比企谷先輩のこの間抜け面が笑えて仕方ないからに違いない。

 

 

 ──そして常と同じように写真を開きニヤニヤしてしまった私は、ごろんと仰向けになっていつもと同じようにその写真の間抜け面へとこう語り掛けるのでした。苦しい胸の内を吐き出すかのごとく、甘く切なく囁くように……

 

 

 

 

 

 

「……比企谷せんぱぁい、バリ好いとうと……。付き合ってほしいんよ……」

 

 

 

 

終わり

 




まさか翌日飲み屋で平塚先生と遭遇してしまうとは、かなみんは予想だにしなかったのだ!(・ω・)



というわけで、チョイ役オリキャラがまさかのヒロインSSでしたがありがとうございました☆
いやぁ、こんなにノリノリに書けたのは久しぶりでした♪


さて、ここまでまるで全盛期のような勢いで更新し続けてきたこのオリキャラ短編集ではありますが、次回はちょっと遅くなるかもです。
というのも、久しぶりに表の短編集で書きたいものが出来てしまったため、です(^^;)


てなわけで次回はいつになるか、また、どんなどうでもいいヒロインになるかは分かりませんが、また次回お会いいたしましょうノシ


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