魔法少女リリカルなのは Preparedness of Sword 作:煌翼
多くの思惑と意志が交差し、激戦を極める戦場とは対照的に、静寂に包まれる東京タワーの展望台。此度の事件の主犯格と目される少女―――イリスはそこに佇んでいる。
「結界はまだ壊せないの?」
イリスは苛立ちを隠す様子もなく、通信拠点へと配置した量産型に問いかける。オリジナルに気圧されたのか、言葉を詰まらせた量産型が返答をした。
《機動外殻を配置したエリアが広域攻撃の影響を受けており……》
量産型は現在の戦況を伝えようとイリスに件の映像データを送る。そこに広がっていたのは真夏の夜にはありえない、一面の銀世界…
街々を呑み込む吹雪によって多数の機動外殻が機能停止をさせられている物であった。
結界という隔離空間だからこそ有効な広域魔法…純粋な高威力の攻撃と違い、消費する体力も周囲への被害も最小限に留める事ができ、天候を味方に付けて機体や駆動系にとって天敵ともいえる冷気を発生させるという大胆な攻撃はイリスの想定を遥かに超えている。
あくまで現実の
イリスが怒りと感嘆が入り混じったような表情で雪原を睨み付けていると、量産型との通信が突如として切断され、代わりに男性の物と思われる声が聞こえて来た。
《―――イリス、聞こえているか?》
その声には聞き覚えがあった。〈オールストーン・シー〉で肉体を再構築するべく結晶樹によって生命エネルギーを吸い取った際にいた管理局員の1人であろう。
《此方の制圧は順次完了している。それに君達の事情も多少なりとも把握している。できる限りの配慮はする。大人しく投降してくれ…》
魔導師部隊の戦闘に立って指揮を執っていた男性―――クロノ・ハラオウンはイリスに対して戦闘行動の停止と、管理局への投降を促した。
「助けなんていらない。自分の事は自分で出来る。あたしはテラフォーミングユニット……理想の世界を作る為、邪魔するものを排除する事も役目の一つ…その事を証明することも、
イリスが言葉を紡ぎ終わったと同時にクロノ側からか量産型がハッキングをプロテクトしたのかは定かではないが、図ったかのように通信が切れ、モニターがノイズに包まれる。
ノイズ塗れのモニターを境に、片方は何かを確信するかのように…もう片方は粘りつく様な不快感に…それぞれに表情を変化させた。
しかし、軋む音を立てて回りだした歯車はもう止まることはない……
黒枝咲良は表情を強張らせながら、臨時本部内にあるベンチに腰かけている。
(ど、どうしてこんなことに…)
咲良は自身がこの状況に置かれることになった経緯を思い出しながら落ち着きのない様子を見せていた。そんな彼女の眼前にミネラルウォーターの入ったペットボトルが差し出される。
「…これでいいか?」
「は、はい。ありがとうございます」
手を差し出していたのは、黒髪の少年―――蒼月烈火であった。咲良は差し出された容器を受け取り、蓋を開けて口を付け、隣に座って炭酸飲料を飲む烈火に視線を向ける。
(情けない事この上ないです)
咲良は意外な人物と遭遇したとはいえ、同い年の少年に声をかけられた程度で動揺して盛大に転んでしまった事を思い返していたのだ。挙句、転んだ所を引き起こして貰い、このベンチまで共にやって来たというわけだ。
「そういえば…君は…」
「く、黒枝です。黒枝咲良…」
「なら、黒枝でいいか?」
「はい。では私は蒼月さんと呼ばせていただきます…っ!?」
この両者は共に聖祥学園中等部に所属している魔導師という共通点こそあるが、直接的な面識は殆ど無いと言っていいレベルであり、烈火側からすれば難癖をつけて来た煉と共にいた少女…程度の印象しか抱いていなかったのだろう。
対する咲良は烈火が海鳴にやって来た直後に身辺を探ったことがあったため、彼に対してある程度の情報を持っている。その為か言葉に詰まった烈火と違いスムーズに彼の名前を呼んでしまった己の失策を悟り、顔を青ざめるが幸い追及はされなかったようだ。
「黒枝も魔導師だってのは知ってたが、こんな所にいて大丈夫なのか?」
「本当ならば緊急時にこの場所にいるべきではないのでしょうが、前回の戦闘で負傷してしまいまして、クロノ・ハラオウン提督に本部防衛を命じられてしまいました」
咲良は烈火の至極当然ともいえる問いに対し、首から胸にかけて巻かれている包帯を見せるように衣服をずらしながら答えを返した。
所属していた〈東堂隊〉は侵攻型機動外殻〈憤激のサルドーニカ〉との戦闘において、大苦戦を強いられた。途中参戦したリンディ・ハラオウンによるサポートと指揮によってどうにか撃破したが、その最中、空中から叩き落された際に首を負傷してしまっていたのだ。
―――この程度の傷ならば治癒魔法でどうにでもなる!湖の騎士だっているんだしな!
―――しかし、彼女は首を負傷している。戦力が欠けるのは痛いが無理をさせるべきではない
出撃前の部隊の編成発表での煉とクロノのやり取りは咲良にとっても記憶に新しい出来事であった。
咲良の傷は応急処置こそ済んでいるが、負傷箇所が頭部の次にデリケートな部位である頸椎部の為、より専門的な機器のある本局での治療を受けさせるべきだと主張したのは、クロノ・ハラオウン。
先の戦闘で負傷した魔導師は数知れずいた。外的負傷はそう酷くない咲良の出撃は可能であり、自身の副官として出撃させるべきだと強く主張したのは―――東堂煉。
結果としては、クロノの意見はある程度通り、咲良は臨時本部守護という実質的な出撃免除となった。しかし、煉がフェイトと行動を共にするという条件に加え、治療のためになのはらと共に本局へ向かうことは許されなかったようだ。
理由としては前者は言うまでもなく、後者はハラオウン派の戦力が活躍しているにもかかわらず、東堂派の時期旗頭の副官が負傷して後方待機という派閥の面子に傷が付く可能性を恐れてであろうことの予測は容易である。
咲良はこの事件が無事に終結したとして、後で煉に何を言われるのだろうかと憂鬱な気分を抱えながら僅かに視線を落とした。
「ん、んんっ!…事情は大体把握した。それより早く隠した方がいい」
「隠す?……へ?、は、うっっっぅぅぅぅぅ!!!!!??」
烈火の咳払いが深層に意識を落としていた咲良を呼び戻す様に周囲に響く。何故か正面を向いている烈火に対して咲良はキョトンとした表情を浮かべていたが、次第にその意味が分かったのか、背中を丸めるように胸元を隠した。
「お、お見苦しいものを見せてしまいすみません…」
「いや、俺の方こそ配慮が足りなかった」
羞恥からか頬に朱が差した咲良は隣の烈火に向けてチラチラと視線を送っている。対する烈火は怪我の包帯部を自らに見せるために襟を持って洋服をずらした際に、肩口の下着のラインが視界に入ってしまった為か、気まずそうな表情を浮かべ、視線を逸らしていたようだ。
包帯の存在や露出したのが肩部だけであったため、咲良が肌を晒したわけではないが、両者の間には何とも言えない雰囲気が立ち込めていた。
「…俺が言うことではないのかもしれないが、黒枝といい、あの連中といい少々無防備すぎると思うんだが……」
烈火は口で言えば済む物をわざわざ衣服をずらして傷を見せて来た咲良と自分の身の回りにいる少女達を重ねるように小さく溜息を零す。
「私の場合は不注意ですが、あの方達は多分違うと思いますよ」
咲良は苦笑いを浮かべながら呟いた。烈火の言うあの連中というのが誰を指しているのかは付き合いの浅い咲良にも容易に想像がついた為であろう。その5名とは初等部時代から同学園に所属しており、内3人とは魔導師という共通点もある為、付き合いで言えば相応に長いものと言える。
東京支部や本局、学園内で顔を合わせた際になのはやフェイトは管理局の同僚として他の面々と変わらず接して来るため、それなりの交流もあると言っていい。ただし、煉が明らかに彼女達に避けられているという関係上、咲良の方から彼女らに近づくことはできないようではあるが…
しかし、交流が深くなくとも烈火よりはなのはらと共に過ごした時間が多い咲良だからこそ分かることもある。
聖祥5大女神と言えば、烈火の転入前から学園内で最も有名な一団であり、美少女5人組として本人達の意図とは関係なく注目を集めてしまっていた。
特に異性を意識するようになった中等部以降はそれが顕著に表れ、高等部からも彼女らに声をかける者まで出てきたと言えば、その注目度は伝わる事であろう。
大学付属の私立校とあってお坊ちゃま、お嬢様が多い聖祥であり、他の学校よりも生徒の精神年齢も比較的高いため、中等部でも交際している者も少なくはない。フェイトにお熱の煉を始めとして、5大女神への告白の嵐は留まることを知らない。
告白をする者の中には成績優秀者、運動部のエース、高等部のイケメンなどもおり、他の女子が進んで交際を願い出るような憧れの男子からの物も多数あったが、5大女神の誰1人としてこれまで交際をしたことはないそうだ。
自分に自信がある男子や5大女神に嫉妬を向ける女子からすれば長年の謎であり、最近では異性に興味がないのではないかという噂すら立っているほどであった。
それは何故か…
ある意味、彼女らと似た立場の咲良にはその理由の想像はついている。はっきり言って周囲の面々の行動や言動が子供過ぎるということだ。
命を懸けて戦うということ…誰かを守るということ…誰かを傷つけるということ…
そして悲しい事件や不条理な出来事、誰かの為に働くという事…
時空管理局所属という実質的な社会人経験とその業務が咲良を含め、なのはらの考え方に大きな影響を与え、結果として彼女らの精神年齢を大幅に引き上げさせたのだろう。
加えて大人と接する機会も多く、同年代の管理局員も地球の一般的な中高生よりも大人びており、そんな中で生活していると学校の彼らを異性として意識できないのも無理はない。なのはら程の素質があれば何れは活動拠点を管理世界に移すであろうし、それならば何れ別れるのだろうから、尚の事だ。
「貴方だから…」
咲良は小さく微笑みながら烈火に視線を向ける。
少なくともフェイト・T・ハラオウンや八神はやてが普通の少女とは比べ物にならないものを背負っていることは咲良も知るところである。それぞれが様々な事件を扱う執務官と捜査官であり、人が良さそうで明るい普段の様子とは裏腹に頭の回転も速く警戒心も低くはない。
彼女らも以前は転入生、復帰生であったがすっかり今では学校に溶け込み、周囲とも上手くやっているが、やはり5人組とそうでない者への接し方は明確な違いがあると言える。それに気が付いている者はそういないだろうが……
故に彼女らの雰囲気に呑まれさえせず、話しかける事が出来れば、元来の人の良さから友人関係になること自体は難しくないが、親友や深い仲になる事は中々に困難と言え、その証拠に5大女神はある種の聖域と化しており、それに関しては聖祥付属の誰もが知るところだ。
そんな5大女神と言われる少女達であったが、ここ最近では学校内でも年相応の表情を見せる事が増えた。
「蒼月さんだから…高町さんやハラオウンさん達はそれだけ無防備でいられるんですよ」
彼女らが望むと望まざると背負ってしまった管理局のエース、元犯罪者、聖祥5大女神といった称号や、それに対しての憧れ、嫉妬、時には毛嫌いするというような、なのは達と接する上で対して大多数が抱く劣等感…烈火はそれらのフィルターを外し、ありのままの彼女らと対等に接している。
ただの15歳の少女としていられる場所が増えた。きっとそういうことなのだろう。
かつて烈火の身辺を探ったことがあると咲良が一方的に気負っていただけなのかもしれないが、敵対とはいかないまでも難癖をつける煉の近くにいる自分に対しても、彼の側近ではなく、初対面の黒枝咲良として接してくれた。
東堂家に仕える者としてでもなく、時空管理局の一員としてでもない。何の気負いもなく、誰かとの会話に楽しさを覚えたのは人生でも初めて……いや、咲良にとっては
長い運河に架かる大橋の下では邂逅を果たした4人の少女が空を翔ける。
「―――アロンダイトッ!!」
ディアーチェの雄叫びと共に開いた闇色の孔から噴き出す魔力がユーリ・エーベルヴァインを呑み込むように襲い掛かる。
ユーリは迫り来る魔力への対処をするべく脚を止めるが、待ってましたとばかりに距離を詰めたレヴィによって振り下ろされた〈バルニフィカス〉の刃によって〈鎧装〉の一部を叩き壊されるという追撃を加えられ、大きくなった隙を突くようにシュテルが懐へと飛び込んだ。
攻撃を加えようとしたシュテルを迎撃すべく空いているもう片方の〈鎧装〉が襲い掛かるが左腕の〈ブラストクロウ〉で流す様に受け止めながら、内部で火炎を炸裂させてユーリを吹き飛ばす。
「…っ!」
勢いに押されるユーリであったがすぐさま体勢を立て直し、両腕の鎧装を振り上げ、
それに際し、ディアーチェははやてから借り受けた〈魔導書型ストレージ「グリモワール」〉の
シュテルとレヴィによって受けた損傷は、ユーリが反撃に出た段階ですでに回復済みであり、ディアーチェらの連携攻撃を以てしても攻撃が通っていないことは明確である。3つの砲撃も徐々に押し返されつつあり、戦況は芳しくはない。
しかし、波状攻撃によりユーリの防御は確実に薄くなっている。その隙を突くようにレヴィが先陣を切った。
「雷光招来ッ!」
腕を天に突き立てれば図ったかのように青い雷がその身へと降り注ぐ。
「う、うぅぅ…っ!?」
天雷をその身で受け止めるその行為の意図は、自身の保有魔力だけでユーリの防御を突破できないことを悟ったが故に編み出した〈魔力変換資質・電気〉を持つ彼女ならではの底上げ手段。自身の魔力で天候を操り、発生させた膨大な自然エネルギーを取り込んで攻撃魔法へと転化する…一種の充電のような物だ。
だが、それは諸刃の剣―――
「ぅ…がぁ、っ!!?」
レヴィは想像を絶する痛みに耐え、飛びそうになる意識を抑え込みながら掌を前方に
「ぐっ…ぅぅぅ……うぅ、ああああああッッッ!!雷ぃ神っ!!槌ッ!!」
痛みに構うことなく取り込んだ魔力を乗せて雷の鉄槌を振り下ろした。繰り出されたのは、単純で愚直なまでの砲撃…魔力が余りに膨大である為に収束しきれておらず、膨張して弾けそうなほどに帯電している決死の一撃は鉄壁を誇るユーリに轟き迫る。
「う…ぁ…あああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!!!!」
ユーリの悲鳴にも似た叫びが木霊する。その光景を見てレヴィの表情が歪むのは今も尚、全身を貫く激痛の為だけではない…だが、そのまま魔力を放出し続ける。
「今、ユーリを操作しているのは〈フォーミュラシステム〉による〈ウイルスコード〉……」
レヴィに続けとシュテルとディアーチェも魔力砲撃を加え、青の雷を後押ししてユーリに更なる〈魔力負荷〉を与えていく。
「連続攻撃で負荷を与え続ければユーリを縛る
ディアーチェの表情も苦悶に歪む。ユーリを助けるためには彼女を傷つけねばならない。その矛盾に苦しんでいるのだ。
ユーリ・エーベルヴァインを操っているのはイリスが仕組んだ〈ウイルスコード〉…その支配から彼女を解き放つ方法は、操っている術者にコードを解除させるか、外部から負荷をかける事によって直接破壊するかの2択と推測される。
前者はイリスの行方が見つからぬ以上、物理的に不可能…ならば後者を取るしかない。
「ゴメン…ごめんね。ユーリ、痛いよね?―――でもッ!!」
全身を焼き焦がす血の吐くような痛みは今も尚、レヴィを蝕み続ける。
「―――泣かないで…ユーリが泣いてると、ボクらもずっと悲しいんだ……ッッ!」
レヴィにとって身に降りかかる痛みなど―――ユーリが望まぬ戦いに駆られ、目の前で苦しみ、悲しんでいることに比べれば、取るに足らない事象なのだ。己の手でユーリを傷つけている事実から目を逸らさずに想いの丈をぶつけていく。
「ぁ、ぁ――—うぅぅ、っ!…ぅ、あああああああああああああああああああ!!!!!!!」
シュテル、レヴィ、ディアーチェの全霊の一撃…しかし、ユーリは巨大な結晶樹を発生させ、周囲を取り巻く魔力に干渉させながらそれを力任せに押し退けようと力を爆発させる。更には黒い枝が結晶樹を伝い、砲撃を放って脚を止めているシュテルとレヴィに纏わり付いた。
ディアーチェはグリモワールの
しかし、3人の決死の砲撃はユーリに決定打を与える事が出来ずに無情にも四散した。歯噛みするディアーチェらだが、全くの徒労に終わったというわけではなかった。
「―――シュテル…レヴィ……ディアーチェ…」
「イリスは私がきっと止めます…ですから貴女達は…」
ユーリは自我を奪われ、自由に動けない身体で命すら他人の思うままにされている状況においても、ディアーチェらの身を案じ、撤退するようにと懇願した。
「その為に私達に退け…と?」
「ダメ…ダメだよ!ユーリ!!」
「…ッ!?馬鹿者が!それが動けもせず、泣いている子供の言うことか!!」
突然の懇願は3人の胸に少なくない衝撃を与えたが、その言葉一つで尻尾を巻いて戦場を離れるのならこんな所には来ていないとそれぞれの感情を乗せて言葉を紡ぐ。
だが、それでも……
「貴女達まで失いたくないんです…ッ!!!!!」
ユーリもまた、ディアーチェらに負けないほどの強い
断ち切りかけていた呪いは再びユーリを繋ぎ留め、望まぬ殺戮の引き金を引かせようとしていた。姿を変えた〈魄翼〉から放たれる規格外の砲撃…
しかし、3人は退くことをしなかった。大いなる力を欲し、破壊するために存在するだけだった自分達が初めて会ったはずの少女に固執している理由は定かではない。
だが、湧き上がる感情の渦に身を任せるようにディアーチェらは光条となって空を翔ける。
数的有利など何の意味もなさないほどに圧倒的な力の前に
要塞の如き防御を以て、先の連携砲撃以降は決定打を与える事は出来ず、近接戦闘においても理外の超火力を以て一撃でもまともに受ければ
ユーリの行動がウイルスコードによって縛られており、思考と肉体の動きにラグが発生している事、何故かは分からないが精神的に動揺している事からどうにか撃墜されずに済んでいるといった状況にまで追い込まつつあった。
そして、迎撃をものともせずに正面突破したユーリが拳を突き出しながらディアーチェに迫る。
「くっ…!?」
ディアーチェはグリモワールの
技も技術もあった物ではない。ただ、子供が腕を突き出して向かって来るかような稚拙な攻撃でさえも、ユーリの膨大な魔力によって必殺の一撃と化す。
受け止めきれないまでもどうにか離脱の切欠を作ることができないかと思考をフル回転させていたディアーチェの眼前で涙に濡れた顔が上がった。
「―――あの惨劇の中で…私が残せたのは、イリスの心と貴方達だけだった…ッ!!」
ユーリは涙でぐしゃぐしゃになった顔で己の罪を懺悔するかのように…強引に喉を動かして、胸の内を吐露していく。
「いつか故郷に還るため!誓った夢を叶えるため…ッ!!貴方達までいなくなってしまったら……私は…っっ!!」
ディアーチェはそんなユーリを見て言い知れぬ感覚を覚えながら、脱するべき危機的状況にあるにもかかわらず、あろうことか突き出されている拳に向けて自ら手を伸ばした。
15歳の八神はやての肉体を元にしたディアーチェからすれば、容易に包み込めてしまう程に重なった手は余りに小さく頼りないものであった。
触れ合った手の感触…眼前に広がるユーリの顔…その光景はディアーチェ…そして、シュテルとレヴィに何かを訴えかける。
「―――ぁ、っ…」
3人の脳裏に雪崩のように押し寄せるのは失われた過去の記憶…
目の前にいる少女、この小さな手によって自分達は救われ…彼女のために生きて来たのだ。
全てが繋がるような感覚を覚えながら、ディアーチェらは全ての記憶を思い出した。
自分達がどういう存在であったのか…
それは、エルトリアでは絶滅寸前であり〈死蝕〉の影響を受けていない元生種の猫科の生物であった。
しかし、エルトリアの劣悪な環境と食糧不足、他の生物の狂暴化により、戦う術を持たない小型生物の自分達は死の淵に瀕していた。そこを拾い上げてくれたのが、当時〈惑星再生員会〉と行動を共にしていたユーリ・エーベルヴァインであった。
ユーリによって命を救われ、住処と食糧と、暖かな日々を与えられた3匹は息を吹き返し、それまでとは比べ物にならないほどに豊かに過ごせるようになっていた。
―――夜天の書は憎しみと死の連鎖に覆われた子です。だけど、私や夜天の魔導は星や命を救う力にもなるんだって…そう思い出させてくれたのはイリスとあの子達です。
―――どうしようもない現実も諦めなければいつか変えられるかもしれない。一人で出来ない事もみんなでなら出来る。私はイリスからそんなことを教わったんですよ?
―——や、やめてよ。恥ずかしいからさぁ…
―――ふふっ、あの子達の元気な姿がそれを証明してくれてます
―――あ、そうだ。名前つけたんだよね…何だっけ?
委員会の敷地内にある家畜達の居住スペースの近くの柵に座ったユーリと、隣に立つイリスが話し込んでいる。
―――
そして、ユーリは草原に差し込む陽だまりの様に穏やかな声音で…3匹の猫を指す名を呼んだ。
尚も続いていく思い出の日々…
星によって定められた滅びの中で、名も命も彼女にもらった。
(そうだ…命をくれて、育ててくれた)
(飢えとも乾きとも無縁の暖かな暮らしをくれた)
(それに報いるために強くなりたい…だから欲しかったのだ)
自分たちの多くの物を与えてくれたユーリの為に、居場所をくれたイリスや惑星委員会、エルトリアの力になりたい。
貧弱で弱々しい子猫の体躯ではなく、言葉を話せない口でもなく、遊び道具にしかならない尻尾でもない。
ディアーチェらが求めてやまなかったのは、周囲を壊すための物ではなく―――
(優しいこの娘を守れるような…)
死に行くはずであった自分達に与えられた優しさと思いやりに報いるため…
(この子の願いを叶えられるような…沢山の力を…ッ)
その為の力は惑星一つを変えてしまう程に大きく強い物でなければならない。星によって決められた自然の摂理から救い出してくれたユーリを守れる程の物でなければ意味がないのだ。
(無限に湧いてくるような…そんな力を…ッ!!)
だが、小さな子猫たちの抱いた叶うはずのない願いは巡り巡って此処に果たされた。運命の悪戯か今の彼女らには言葉を話せる口も、誰かを抱き留める事が出来る腕もあり……そして〈魔法〉という
止まっていた時計は壊れ…
「…っ!?」
シュテルとレヴィは残った力を振り絞るように空を翔け、ユーリに向けて
「ディアーチェ!助けますよ…私達の主人を!!」
「ボクらの大切な娘を…ッ!!」
拘束対象の理外の膂力に腕が引き千切れそうな感覚を覚えるが、意地でも離すものと繋いだ鎖を壊させはしない。
「応ッ!……我が得たこの力を以て―――貴様の絶望を…その鎖を、この闇で打ち砕いて見せようッ!!」
ディアーチェの足元に闇色の剣十字が出現する。ユーリはウイルスコードの自動反応によりシュテルとレヴィのバインドの解除を試みながらも、肉体から乖離した意識でその光景に視線を向ける。
その直後―――ユーリの視界が闇に染まった。
「暁に吼えよ、我が鼓動!出よ巨獣―――ジャガーノートォォォ!!!!」
闇統べる王の眼前に出現した5つの魔法陣から成る極大砲撃〈ジャガーノート〉がユーリの全てを呑み込んだ。
「ぁ、ぁぁ…ッ…あぁ―――ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」
黒い闇が自分を呑み込んでいく。
しかし、ユーリは高密度の魔力に全身を焼かれる痛みにも勝る程の幸福すら感じている。死にかけていた小さな命が自分の為にこんなにも戦ってくれた。自分の力で歩いて行けるようになっても、どこにでも飛んでいける翼を得ても、自分の為に尽くしてくれた。
守るはずの者に守られたこと…複雑な心境であるが、それでも酷く嬉しく思ってしまう自分に溜息を零しながら心地よい闇に抱かれるように瞳を閉じた。
頬を伝う冷たい感触と共に瞳が光を取り戻す。
レヴィは離れ離れとなっていた主人を取り戻した事を再確認するかのように涙を零しながらユーリの身体を強く抱きしめる。
その背後には安堵したかのようなシュテルとディアーチェ。
そんな彼女らを見てユーリの瞳からも雫が溢れ出す。
だが、これは先ほどまでの涙とは一線を画する…そう、小さな子猫達に対する感謝の思いが籠った嬉し涙なのだから……
そんな彼女らの長き時を経ての再会は、たった一発の銃弾によって無残にも打ち砕かれた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そして、異端分子を抱えながら物語は徐々に動き出していきます。
原作からしてですが、オリキャラの存在もあり、群像劇の側面が強い章になっていますね。
本日あったリリカルなのはシリーズの重大発表により、テンションが爆発しております。
やっぱりコンテンツが動くとモチベーションの向上が著しいですね。
こちらも執筆の励み、モチベーションの爆上げになりますので、感想等頂けましたら嬉しいです。
では次回お会いいたしましょう。
ドライブ・イグニッション!