ポケットでモンスターな世界にて   作:生姜

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1995/3月 プロローグ③

 

 Θ―― タマムシ国立図書館

 

 

 の、6階。

 

 

「という訳で2階に登ったのだが、しかし」

 

「ハヤトのやつ。結局準備を手伝わせるたぁ、良い度胸だ!」

 

「ギャンギャンうるさいわよ、ユウキ。それに、別にいいでしょ? テーブルを取りに行くだけなんだから」

 

「そーさ。文句ばっか言ってるといいんちょが可哀想だと思うよ、あたしは」

 

「そうなのかな」

 

「んー、かもねー」

 

「……僕としては、ケイスケを手伝わせただけでも委員長は大したものだと思うのだが」

 

 

 ゴウの悲痛な告白が妙に頭に残る。苦労しているのだろう。

 しかし、そう。エレベーターを使用して2階へ上がったオレ達は、目的の多目的室を存外簡単に発見した。が、ハヤトに机の調達を依頼されてしまったのだ。

 長テーブルを3つ。どうやら6階の倉庫から持ってくる必要があるらしい。という感じで、6階へと足を踏み入れたのだが……

 

 

「ってか、テーブル3つ運ぶのに7人も必要なの?」

 

 

 ナツホの率直な疑問に、オレは律儀に応えてやる。

 2人1組でテーブルを運ぶとしても、エレベーターの開閉役や通路進行役がいる。となれば7人全員が必要だ……と。

 

 

「そうよねー。ナツホはもうちょっと考えてから発言をするように」

 

「うぐっ……わ、わかってるのよ。でも、つい口から出ちゃうのよね……」

 

「疑問を持つこと自体は悪くない、ナツホ。あとはそれを反芻する事」

 

 

 ナツホは両隣を並んで歩くヒトミとノゾミに慰められながら、そうね、なんて呟いている。我が幼馴染が成長してくれるなら、嬉しい事この上ない。あの2人に任せておこう。

 よし。確か使って良い長机があるのは、第6倉庫だったよな。なんて考えながら、表札を探して歩くことに。

 

 

「―― この辺りか」

 

 

 携帯端末を持ちながら歩いていたゴウが、辺りをキョロキョロと見回す。ハヤトに渡されたマップによると、どうやらこの辺りに第6倉庫はあるらしい。

 オレも視線を動かしてみる、が。

 

 

「……ないな」

 

「なんで表札がないのよ、このフロアー!」

 

 

 ナツホの疑問はご尤も。

 景観を気にしたのかそれとも何か他の理由でもあるのか、扉は数多くあるのに対して、倉庫に関しては表札が掲げられていないのだ。これは人に優しくないなぁ。

 

 

「ちょっと待て。今、検索をかけようと試みている」

 

「普段端末なんて使わないからねー。それよりーぃ、開けてった方が早いんじゃなーいー?」

 

「む、確かに。みんなは開けていってくれても構わない。僕はもう少しこれを弄ってみよう」

 

 

 どうやらゴウは、端末の扱い方に四苦八苦しているみたいだ。それなら仕方が無い。とりあえず片っ端から開けて周ってみるか。

 そう考え、端から扉を開けていく。

 

 

「こっちは用具だけ。……ヒトミ、そっちはあったかー?」

 

「ああ、第6倉庫は多分ここ。……が、残念だね。長机が2つしかない」

 

「うわ……マジだ」

 

 

 ヒトミの開けた倉庫の中を見ると、様々な種類の机が所狭しと並べられていた。が、長机のスペースには2つしか収められていなかったのだ。

 辺りを見渡しても他には、長机としては使えなさそうなものや、明らかに大き過ぎる机だけ。

 

 

「さて、どうする? シュン」

 

「むしろ、ここでオレに振る? ……後1つ扉が残ってたと思うけど」

 

「その中にあればいいけどねえ……」

 

 

 まぁ別に、必ずしも長机じゃないと駄目な訳ではない。往復回数は多くなるけど、小さな机を持っていっても事は足りる筈なのだから。

 などと、オレとヒトミが考えていた所へ ――

 

 

「……うぉっ!?」

 

「どうした、ユウキ」

 

「……いや、隣の扉開いたらよ。これ……」

 

 

 ユウキの開いた扉の前に、驚声を聞きつけて全員が集まる。

 指差している扉の中を覗き込むと ―― またも、なぜか、階段。

 

 しかし、今まで昇ってきた階段とは趣が違っていた。

 

 空まで貫かれたその上。天井を成す天球グラスからは光が降り注いでいて、夕日を乱反射して階段ごと輝かす。5回ほど折り返した階段の先には、青い2枚扉が設置されているのが見える。先には何かしらの部屋があるのだろう。

 シンプルさと豪華さが同居した謎の空間にオレ達7人の意識は一瞬だけ取り込まれ、時間と思考が停止してしまっていた。

 いや。まてまて。

 オレはかぶりを振って思考を再開する……けど、にしてもだ。こんな景色、どこかで見た事がある様な。

 ……。

 ……ああ。

 オレも、映像でだけ見たことがある。『殿堂入りの部屋』だ。意匠は違うけど、あの聖い雰囲気に何となく似ていると思う。

 

 

「綺麗ね。でも……ゴウ?」

 

「ん? ああ、そうだなノゾミ。いま見る」

 

 

 流石はクール担当か。我に戻ったノゾミは、ゴウの肩をちょんちょんと突きながら話しかけた。どうやら端末を使用して場所の確認を行うようだ。

 ゴウはなんだかんだでこの数回のやり取りの間に扱い方を習得したらしく、すいすいと指を動かしてお目当てのものを表示させた。

 

 

「ふむ。どうやら、名義上は第7倉庫となっているな。最近の倉庫は階段型が主流なのか?」

 

「いやいや。いつの時代だって、倉庫は階段型にはならねーだろが」

 

「そうね。階段部分の下は収納空間としてはよくよく利用されるみたいだけれど」

 

「バカ。ユウキ、あんたノゾミにボケさせてるんじゃあないわよ!」

 

「えぇっ、今のおれが悪いのか!?」

 

「そーかもねー」

 

「ケイスケまで!?」

 

 

 クール担当のノゾミを基点として皆が順に再起動して行き、

 

 

「っていうか、そんな漫才やってる場合? どうすんのよ。机、結局1つ足りないじゃない」

 

 

 ナツホの言う通りか。これが最後の扉。つまりオレたちが全ての倉庫の中を探した以上、机は足りない事になる。

 いや、でも……そうだな。オレは階段の先を見やりつつ、

 

 

「昇ってみよう。……この先に第7倉庫とやらがあるのかも知れない」

 

「そうね。あたしもここまで来て足りないってなると、悔しいわ」

 

「それもそうだな。僕もシュンの意見に賛同しよう」

 

「わたしも異論は無いです」

 

 

 示した提案にナツホ、ゴウ、ノゾミが順に同意。

 

 

「僕もー」

 

「いや、また昇んの?」

 

「はいはい。ぶつくさ言わないの、ユウキ」

 

 

 次いでケイスケ、ヒトミ。ヒトミに指摘されたユウキも冗談だよ、と続けてくれた。

 ……それじゃあ、昇るか。

 オレは皆を促し、7人して、歩幅のある階段を少しずつ昇って行く事にする。

 

 

「しっかし、なんだろな? あの部屋。妙に豪華じゃねぇか」

 

「あら。ユウキにしてはまともな感性ね」

 

「む。倉庫……にしては、利便性に欠けるな」

 

「中に、昇降機があるのかも」

 

「実は宝物室でした、とかー。どーお?」

 

「そのお宝が机なら、需要的には更にバッチリなんだけどなぁ」

 

 

 なんて、それぞれが思い思いの話をしながら、次々と階段を踏んでいく。

 だけど、確かに。階段のスペースと図書館の構造からして……あの部屋は7~8階にあたる約2階ほどの縦スペースを持ち、6階の上にある以上はだだ広い図書館の横面積をも占めている事になるのだ。それが何のための部屋なのか、なんて想像の付け様がない。

 そして、

 

 

「……あによ」

 

 

 隣を歩くナツホの顔が若干、強張っている様に思える。オレは横目に見つつ、小声で声をかける。

 

 

「どうしたんだ、ナツホ」

 

「……うん。なんだか、ドラマで観たチャンピオンルームに近づいていく感じに似てるなぁ……って思うの」

 

 

 流石はナツホ。オレと似たような感受性をしている。

 ナツホの言うドラマは、最近のシンオウやらカントーでの女性チャンピオン誕生に拍車をかけられた内容のものだ。チャンピオンの女性と、力不足に悩む予選敗退どまりの壮年男性トレーナーの恋愛物語。

 チャンピオンの女性の回想の中に、『殿堂入りの部屋』……チャンピオンルームが出てきていた。聞く所によると、外観は本物を特別に許可を受けて撮影させてもらったらしい。中々の視聴率を誇る番組である為、宣伝効果を期待しての許可だったのだろう。

 ……とはいえ、昨年度末に電撃引退した『最年少女子チャンピオン』のせいで、既に宣伝なんて必要ない位の知名度を誇ってはいると思うんだけれど。

 でもま、そうか。

 

 

「だから緊張してるんだ、ナツホも」

 

「あ、あたしだって緊張くらいするわよ。……ああもう、とりあえず深呼吸ね」

 

「名案だ。オレもそうするよ」

 

 

 2人揃って、階段を上りながら深呼吸する。

 なんとも間抜けな図柄ではあるが、良いだろう。偶には幼馴染に付きあうのも悪くはあるまい。オレも、ちょっと緊張してたしさ。

 

 

「「―― ふぅ。」」

 

 

 さて、一息ついた所で。

 3回目の息を吐いた所で丁度、目の前に深い青 ―― 瑠璃色の扉が現れた。

 何がしかの植物をイメージしたのであろうレリーフに飾られた扉は、こうして実際に眼前で見ていると飾り気は少ないものの、丁寧に作られたものであると伝わってくる。

 

 

「……いいか?」

 

 

 後ろを振り返って尋ねてみると、全員が頷いた。了承を得たので、先頭に立つオレが代表で扉をノックする。 

 コン、コン、という音だけが響き、

 

 

 《ガ、コォン……》

 

 ――《ギギィ》

 

 

 ノックの後、何かが外れた音がして扉が開いていき、中にある空間が覗く。

 

 内から顔を出したのは、実に非現実的な光景 ――『植物園染みた空間』であった。

 

 夕陽によって放たれたオレンジの陽光が一層に飛び回り、オレ達を出迎えてくれている。

 何と言うことでしょう。劇的にビフォーアフターが過ぎる。本当に図書館の中なのだろうか? ここは。

 

 

 ――《ブツンッ》

 

『ジョッ、ピジョーッ』

 

『んん? ……おー、お客とは珍しいです。あー、……どうぞ。入って来てください。あたしは奥に居ますんで』

 

 

 そして何故か、インターホン的なスピーカから響く声に入室を許可された。

 7人で顔を見合わせ、

 

 

「……入る?」

 

 

 オレからの提案に、言葉を失った全員がコクコクと頷く。皆異論は無いらしい。素敵な冒険心こそがキキョウスクールの売りである。ならばと全員で、中に入っていく。

 入っていくと、よくよく整備された石敷きの庭園が広がっていた。

 見渡す限りの緑。道の脇にも植物が植えられている。が、過度ではなく、上品さを感じさせるレイアウトだ。なんとなく、食堂での緑の使い方に似ているような。

 

 

「……こんなのを作るやつのセンスって、すげーよな」

 

「凄いわねぇ。緑が密集している割には、暑苦しくも無いし」

 

「しかし……少なくとも倉庫ではない様だ」

 

「それは見ればわかるわ、ゴウ」

 

「うわー、すごーい」

 

 

 ケイスケ以外皆、大小様々な緊張感とともに中心へと歩き続ける。

 まぁ、ケイスケの言う事もわかる。全体を植物で囲まれている上、小川まで作られているのだから。……その中をコイキングが泳いでいたりするしさ。

 なんて辿りながら歩いていると、じきに中心らしきものが見えてきた。

 驚くべき事に、中心部ぽい部分に小さな天幕が張られ、ぽつんと机が立っているだけなのだ、が。

 

 ―― その中心で1人、本やら書類やらを広げつつパソコンを弄っていた。うつ伏せのままで。

 

 スピーカーから聞こえてきた鳴き声の持ち主であるポケモン、ピジョットも近くの木の枝に止まっている。……あ、今、ピジョットと視線が合った。

 視線の交差の後、ピジョットがばさりと枝から降りると、机に座った主と見られる「少女」へと鳴き声をあげる。次いで、突いた。来室を知らせているに違いない。

 うつ伏せになっていた人物は、むくりと顔を上げる。

 

 

「ってか、おいおい。おれの目がおかしいのか? まさか、」

 

「ユウキ。今回ばかりは、あんたの目もおかしくは無いと思うよ」

 

「……まさか、あれがこの部屋の主か」

 

「そうみたい」

 

 

 そう。近づくごとに、少女の顔がはっきりと見えてきていて ―― その顔には実に見覚えがある。しかもオレだけではない。7人全員が……むしろ今トレーナーを目指しているものならば、と言い換えてもいいだろう。

 座る椅子には、(体型からすると)ぶかぶかなコートがかけられている。黒~茶で統一された色合いのそのコートは、彼女のトレードマークでもある。

 

 

「おー、チャンピオンー」

 

「みたいだ」

 

「……はぁ」

 

 

 ケイスケのゆるーい声に、オレがむなしく同意する。ナツホは呆れて声も出ないか。溜息は出てるけど。

 オレ達はそのまま近づいていき、最後の距離を詰めた。机に座っていた主が手で指し示すまま、全員でソファーに座る。

 頃合を見計らい、件のチャンピオン……いや、「元チャンピオン」が椅子だけで移動する。オレ達全員を見渡すと、立ち上がった。

 

 

「ども。……こんな奥まった所に良くぞ、来てくれました。来客は少ないですから、歓迎しますよ」

 

 

 鈴が鳴るように可憐で、朗々と。透き通って響き渡り、それでいてフレンドリーさを失わない声だった。パッと閃く笑顔を浮かべると、後ろに結われた2本の髪が揺れる。

 ……あれだけメディアで見たんだ。間違いようが無い。

 今年度の始めに学業を理由にチャンピオンの座を辞した、史上最年少の『ポケモンリーグチャンピオン』 ―― ルリ、その人だ。

 

 

「残念ながら、茶葉を切らしていまして。飲み物もお出しできないですが」

 

「ま、いや、うお、本当にルリちゃん!? おれ……むぐっ」

 

「こら! ……し、失礼しましたルリさん。こいつが不躾な事を……」

 

「あっはは! いえいえ、ぜんっぜん、構わないですよ。そもそも皆さん、専攻クラスでしょ? あ、皆現役合格ですか?」

 

「は、はい」

 

「ならば年もあたしと同じですからね。それに、学生たるもの好奇心旺盛でなければ張り合いがないですよ」

 

 

 ヒトミがユウキを押さえつけるも、本気で気にしていないといった様子のルリさん。

 まだ頭は混乱しているが……何とか脳内を起動させ、整理し、口を開く。

 

 

「―― まず、根本的なことから質問させていただいても宜しいですか」

 

「どーぞ、どーぞ」

 

「ここはルリさんのお部屋なのですか?」

 

「んー、残念ながら違うかな。研究スペースが欲しくってエリカに頼んだら、ここを紹介されたってだけ。ここ、学内で使う植物生育用の庭園なんです」

 

「……それにしても、これは」

 

「あはははー、言いたい事は分かります。……タマムシって、建築物の屋上緑化が義務でしょう? ここは大変大きな建物ですから、すこーし規模が違う、みたいな感じらしいですがね」

 

「……成る程。では、食堂や学内に飾られているのは、ここから?」

 

「そですね。でも勿論、全部が観葉ではないんです。半分近くは教材用木の実の飼育スペースとなってますんで、それを名目に使用許可を取り付けたみたいですね」

 

 

 何故図書館の上にそんなものを建てるのか、と突っ込みたいのだろう。その内容からエリカさんとも友人らしい事が発覚したルリさんは、苦笑を浮べたままで話している。

 ……まあ、この場所の成り立ちはわかったか。

 

 

「それなら、次に。……もしかして、ルリさんもこの学校に通ってるんですか?」

 

 

 この質問にルリさん除いた6人がまさか、という顔をする。だが、

 

 

「その通り。上級学科の幾つかを専攻させてもらっています。……君達は専攻クラスで?」

 

「はい」

 

 

 声を発したのはオレだけだったが、全員が慌てて頷く。

 

 

「んなら、あたしの後輩ですね。あたしはチャンピオンになっちゃったんで、特例的に実技が免除されているから、レポート提出で単位を取るんです。そのせいで授業には殆ど出ないと思うけど……まぁ、よろしく!」

 

「「「よ、よろしくお願いします……」」」

 

 

 返答するのはいいが、全員の声が困惑一色で揃ってしまった。……なんというか、流石はチャンピオン。実技免除とは。

 そんなオレ達へと向けて、多少困ったような顔をしながらも、ルリさんは話題を振ってくれる。

 

 

「―― さぁて。てぇことは、君達も全員、エリートトレーナーを目指す。そういう認識で良いんですかね?」

 

「そう、だね。……まぁ、ルリさんはとっくにエリートとか言う範疇じゃあなくなっちゃってると思うんだけど」

 

 

 ルリが作り出した一方的とでも言うべきこの空気に慣れるのが最も早かったヒトミが、眼鏡を右手で弄りながら言葉を返した。

 

 

「うん? あー……でも、資格ってのは持ってても損はないですからね。取れなかったら、それはそれで。そん時に考えます。過程に意味が無いとも言えないですし」

 

 

 そして、ヒトミの言葉に嬉しそうに返答。

 ……何故か、オレ達を順繰りに見渡してから再度思案げな顔をして、口を開く。

 

 

「……このタイミング。ふーむ……丁度良い、のかな?」

 

 

 ルリは何事かを思案しているようだ。顎に手をあて、椅子ごとグルグルと回り、突然ピッと、何も無い空間を指差した。

 

 

「―― ミュウ、あの書類ってどこあったっけ」

 

 《……スゥッ》

 

「ミュ、ミュ♪」

 

 

 指差された空間から突如、ポケモンが出てきた、ように見えた。初めからいたのかも知れないし、テレポートしたのかもしれない。彼女が「ミュウ」と呼んだその個体は……自身がポケモンリーグを制する原動力となった……世間的にも「ルリ」の代名詞たる、「謎のポケモン」だった。

 

 

「ミューゥ!」

 

 ――《ヒィィンッ!》

 

「えっ、うわっ!?」

 

 

 思わず驚く。ミュウが、念力で書類の束をトランプの如く宙にバラまいたのだ。その中から1枚だけがふわりと動きを止め、ルリの手元へと滑るように落ちてゆく。

 

 

「ミュ? ミュミューン!」

 

「おお、えらくゴキゲンですね……まぁいいけど。どもでした、ミュウ。……片付けはあたしがしとくんで、戻って良いですよー」

 

 

 ルリが手を振ると、「ミュウ」がまたどこかへと飛び去っていった。ピジョットが接近したのを振り払うように飛んでいった状況から推測するに、どうやらこの庭園を使った鬼ごっこをしているらしい。

 などと視線を逸らされている内に、ルリは手に持った紙へと目を滑らす。

 

 

「―― うむん。これこれ。丁度良い、です」

 

 

 ルリが浮べたソレは、不敵な笑みというのが的確な表現だろう。ポケモンバトルの際に見せる、あの吸引力抜群の笑みとは正反対の笑い方だ。

 だけど、この視線……

 

 

「(……おれ、い、嫌な予感がするぜ)」

 

「(む。奇遇だな、ユウキ。僕もだ)」

 

 

 小声で話すゴウとユウキの意見には、オレも同意しておこう。

 そして、オレ達をひとしきり観終えたルリが、やたら人の良い笑みを浮かべて。

 来る、か。オレ達をここまで呼び込んだ……その理由が。

 ルリはオレ達の方を向き、書類を机に置きながら。

 

 

「あたしから、貴方達全員に提案したいです。―― あたしの研究を手伝ってはくれませんかね?」

 

「……そ。どんな研究?」

 

 

 元チャンピオンからの思わぬ提案。最もリアクションを見せなかったノゾミが、冷静に聞き返した。

 

 

「貴方達と、そのパートナーとなるポケモン達。……そのデータを一ヶ月に1回くらい、取らせて下さればいーですかね。勿論、報酬はあたしの研究費からお支払いしますよ」

 

「ふーん、データねー。それはボク達にとってー、利になるのー?」

 

「む。アナタ方にとってこの研究が直接的な利になるか、と問うたのならば、あたしの返答は『微妙です』の一言かと。利となるのは報酬の金銭くらいなもんです」

 

「……申し訳ないが、ルリ。調査の内容はどんなものかを聞いても? それがなければ判断の仕様が無い」

 

 

 オレも質問したかった部分を、皆が質問してくれる。

 ルリも、そですね、と口に出してから、頭の横で指をくるくると回しつつ。

 

 

「うーんと、ポケモンの身体計測、筋力値や反応速度計測なんかですね。全員一度にやっても1時間程度でしょう。バトルのデータは授業の実践から取らせて貰いますが……ですんで、少なくとも拘束時間があることは確かです。トレーナーとしての高みを志す貴方達にとってそれが邪魔だと言うのであれば、断っていただいても全く構いませんね」

 

 

 両の肘をつき、ルリは話す。その微笑を何故か、「笑み」と思うことが出来ない。彼女の真意を測ろうするのは、暗く深い海の底を覗くかの如き所業だろう。オレには出来ない。

 ごくりとつばを飲み込み、提案の内容を吟味する。この依頼自体は、決して大変なものではない。学生たるオレらは金に余裕があるとはいえないから、見返りの提案も魅力的だと思う。

 ……だけども。

 

 

「どです? ……あー、そうでした。同意を得られないのであれば他の誰かの頼みますんで、罪悪感は感じなくてもいーですよ。貴方達の ――」

 

 

 ルリの紡ぐ言葉が、最後の文節を迎える。

 その、前に……

 

 

「―― 待って。アナタに、少し聞きたいことがあるわ」

 

「ふむ、なんでしょうかね」

 

 

 ナツホがギリギリで滑り込んだ。流石は我が幼馴染だ。

 オレとナツホは息を合わせ、反撃を開始する。

 

 

「その見返りは、金って決まっているのか?」

 

「いえいえ。あくまで提案ですが……ああ、成る程。何か他にあります? あたしに支払えるものであれば受け付けます」

 

「そうだね、あるよ。……」

 

 

 周りに座るナツホやヒトミ、ゴウやノゾミ。ケイスケとユウキを順繰りに見回し、意思を確認する。

 ―― 全員が、頷いた。

 ならば。

 

 

「ルリさん。……オレ達に、ポケモンバトルを教えてください」

 

「ほぉ……へぇ。……ふんふん」

 

 

 多少、驚いた顔をする。

 机の端を指でとんとんと叩き、間を計る。追撃だ。

 

 

「オレ等7人全員に、です。合同で1人ずつ。もしくは講義形式、実戦形式。方法は問いません。ルリさんに任せます」

 

「成る程、成る程。……それは、『元チャンピオンとして』のあたしへのお願いで?」

 

「いいえ。研究者としても、です」

 

 

 そして、逃げ道を塞ぐ。

 この人が研究者としても有能なのは、割と有名だ。研究者としてのネームバリューはまだ少ないものの、昨年は論文を4つほど書き上げていた、らしい。らしいというのは、ゴウやノゾミが偶然読んだ事があると聞いた覚えがあるからだ。実践的な題材を取り上げ、かなりのレベルの内容らしいが、それはさておき。

 

 

「……あー、成る程。キミ達は面白いね」

 

 

 追撃を受け、逃げ道を塞がれて尚、ルリは笑みを深めた。

 ちょっとだけ顎に手をあて、考え込んで。

 

 

「―― 良いでしょう。仕事は多少増えますが、どちらにせよ今年は学業に専念するつもりでした。仕事自体、そう多くもありませんでしょう。トレーナー指導免許や教員免許を取る為のレポートとしても使用できそうですし。……その申し出、受けます!」

 

 

 元チャンピオンとして、カントー最高峰に立つトレーナーとして。

 ルリはそう、声高らかに宣言してみせたのだ。

 

 

 

 

ΘΘΘΘΘΘΘΘ

 

 

 Θ―― 図書館最上階/『植物庭園』

 

 

 南国を思わせる植物園。ルリとしての俺が根城としているここは、ポケモンの遊び場、または木の実の生育スペースとしても設計された場だ。

 机に突っ伏し、講義で使うレジュメを用意していた所へ、幼馴染が現れた。いつも通りに、ゴスロリとフリルを揺らして。

 

 

「……どう、かしら」

 

「どうって、シュン達か? 良いトレーナーになりそうだぞ、あいつら。こっちから声をかける手間がなくて、良かった良かった」

 

「そう。なら、昨年から目をかけていただけの事はありそうね」

 

「だな。……っと。印刷開始ー」

 

 

 机の下に仕込まれた印刷機がガーガーと動き始め、プリントアウトしていく。俺はそれらを、手元で纏めながら。

 

 

「追っかけ研究だ」

 

「確かに。断面や、結果集計だけでは。判らないものね」

 

「おう。いやー……こう……努力値が入ってんのかなー、とか。進化レベルの差を見るのにトレーナー別の生育データが欲しいなー、とか。トレーナーの数を集めて追っかけなきゃあ判らないからな」

 

 

 その代わり、『ルリ』として指導をする羽目になってしまったけどな。

 ……それにしても、いやぁ。中々の切り返しだった。シュンやナツホ、それにゴウとノゾミ。

 

 

「ヒトミや、ユウキも。居たのね」

 

「お。スクール交流だけじゃなく、個人的にも知り合いだったのか?」

 

「ヒトミは、ね。前に、少しだけ。腐れ縁の友人として、ユウキの事は沢山聞かされているわ。どちらも有望よ」

 

「へぇ……。ま、なんにせよあいつらが同級生なら楽しい学校生活になりそうだな!」

 

 

 これからの1年、専攻クラスとして暮らしていくのだ。仲間が楽しいのは、大歓迎なのであるからして。

 ……ああ、因みに。『ルリ』は昨年、エリトレ資格を取った事になっている。

 だが俺は、『ショウ』としてエリートトレーナー資格を取る必要があるのだ。

 勿論、俺自身が取りたいというのも理由なんだが……あの会長、どうやら俺がエリトレ資格を取るのを前提に、ルリのエリトレ資格をこじつけたらしい。そのせいで、必要性まで生まれてしまっているのだ。

 ったく、あんの会長めが。今頃どうせ、たまらんのう、とか言ってんだろうなぁ。

 

 

「……はい、纏めておいたわ。左留めで良かったかしら」

 

「あ、さんきゅ。……っと。これで7人分だ。そんじゃ……おーい、皆! 戻ってこーいっ!!」

 

「―― ミュッ、ミューゥ♪」

 

「ピジョオォッ!」

 

「ギャゥウ」

 

「チーィ、クチーッ!」「ガチガチ」

 

「……ガウ?」

 

「ボール戻すぞー」

 

 

 並んだ端から順に、ボールの機能で遠隔格納して行く。

 6つとも腰周りのボールホルダーへとつけた所で、と。

 

 

「ところで、貴方は。いつまで女装しているの」

 

「お、そうだったそうだった。……いやぁ、この変装用具さ。流石はシルフ製だけあって、付け心地は抜群なんだよな。ついつい忘れる」

 

「一応、言っておくけれど。それは『公の品』ではないのだから、人目は避けて頂戴ね」

 

「そらそうだ。いくら俺でも流石に、人前でルリになる勇気は無いぞ」

 

 

 ミィの指摘により、付けウィッグ(ツインテール)を取り、顔につけた薄手のシリコンや変声機を剥ぐ。

 どうやらミィがラムダの変装術を鑑みて改良したらしい、この変装セット。流石にゲームみたいに一瞬でとはいかないし、そこそこの時間も取るし、技量も必要になる。その上使い捨てに近いものではあるんだが、使い勝手は抜群だ。

 一昨年のポケモンリーグ最終戦あたりから練習を続けていたから、今じゃあそこそこ使いこなせている、と、思う。メタモンはニドリーノがいなくなったミィに返したし、ミュウを変装要員として使わなくて良くなったのは大きな成果だろう。流石は我が幼馴染だ。

 

 

「それじゃあ、寮に行くかね!」

 

「えぇ」

 

 

 空調を切らない様に注意して照明の電源だけをOFFにし、石詰めの道脇に備え付けられた非常路が灯る。

 さてさて。今年も楽しい1年になってくれる事を、祈っておきますか!!

 

 

 

 

ΘΘΘΘΘΘΘΘ

 

 

 Θ―― 寮部屋/325号室

 

 

 ゴウやケイスケと別れ、自分の部屋に戻る。325号室。

 入るなりベッドに突っ伏し、

 

 

「う……食べ過ぎた」

 

 

 歓迎会、という名目で馬鹿騒ぎをしてきた後だ。よく判らない外国産のチップスや謎のペーストでロシアンをやらかしたり、デス系ソースの押し付け合いになったり(結局ユウキが食べた)。腹もいっぱい所ではない。キャパシティオーバーだ。

 ……だけど。

 キキョウスクールの面々とこれからも1年、共に過ごせる。それを思うと、自然に笑みがこぼれてくるのだ。

 

 

「……うん。楽しくして、みせる」

 

 

 横になったまま拳をグッと握る。

 ポケモンを持つのも初めて。寮暮らしも初めて。初めて尽くしのこの状況は、新学期に相応しいと思う。だからこそ ―― 頑張りたい。

 

 

 《ガチャリ》

 

 

 考えていると、入口の方で扉が開いた音がした。

 来たかな。325号室のルームメイトさん。……随分ギリギリに来るんだなぁ。と。

 オレはベッドから体を起こし、入口へと身体を向ける。

 視界に、同居人(仮)が映る。

 男性寮なのだから当然だが、男子。艶のある黒髪で……外から入ってきた為か、エリートトレーナーの制服を着ている。荷物はバッグ1つで、妙に少ない。

 

 ……そこまでは良い。しかし、白衣を纏っていた。

 

「(この感じは覚えがあるぞ)」

 

 靴を脱いでいた少年が顔を上げ、目が合う。

 

 

「―― おう。もしかして、シュンなのか? 同室者」

 

「もしかしなくても、だ。……ショウ! 宜しくな!!」

 

「こちらこそ、宜しく」

 

 

 顔見知りで友人でもあるそいつと、走り寄ってハイタッチ。

 スクール交流の際、ミィと一緒に来ていた研究者……ショウ。

 益々楽しくなりそうな学園生活への期待と共に、オレは友人の同室者を歓迎すべく、ゴウ達を呼びに走るのであった。

 

 






 はい。幕間②、始めさせていただきました。プロローグはここまでです。
 冒頭にも書きましたが、色々と実験的な要素が組み込まれております。
 読みづらさも多大にあるかとは思うのですが、幕間が長くなりすぎても、と。

 尚、主人公交代、ではありません。あくまで幕間のみです。
 紹介すべきメインメンバーは、プロローグですべて登場いたしました。7人+主人公両名が中心となって、学園生活をメインに話が進みます。
(丸一年分を4分割して書く予定です)


 ……本来ならここで人物紹介をする予定なのですが、メインメンバー7名は最後にまわしたいと思います。
 この時点で7名が「どこにいるトレーナーなのか」当たりがついた方は、……ナツホくらいは、判る人もいるかとは思うのですが。

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