さらに時を重ね……それは、降り続く雨の中。
イッシュ地方を巻き込んだ二度目の事件が終幕を迎えた翌年、2008年。
或るひと夏の出来事でした。
■1.
―― ザーァァァ……
イッシュ地方の南西、片田舎の片隅にて。
この年、イッシュ地方には前例にないほどの雨季が到来していました。その雨粒の強さは、視界を塞ぎ、人々の往来を止める……だけでは飽き足らず、とある「ポケモンバトルのお祭り」に中断を強いるほどのものです。
あたし……イッシュ地方在住のポケモントレーナであるメイも、例外ではありません。突如沸いた待機時間を、持て余してしまったのです。
なので現在、あたしは水を吸って重い脚をばちゃばちゃと動かし、張り付く髪とお団子を揺らし ―― イッシュ地方南西の片田舎。ヒオウギシティに在る自宅を目指していました。
いつもは長閑な街の景色も今はどんよりとした曇り空に覆われ、鈍い人工の照明だけが、雨煙に包まれ人気のないヒオウギの街中をぼんやりと照らしています。どこかタチワキシティやヒウンシティの路地裏を彷彿とさせる、薄暗い雰囲気と言えるでしょう。
一面に石畳が敷かれた道の先。街の南側。
ポケモンセンターの横を通り抜け、更に南下。
微妙に不便なその場所に、あたしの家は在りました。
「……つきましたっ」
思わず声をあげながら、雨に追われる様に家の扉を潜り抜けます。水でだぶだぶの靴は大変重く、自重で脱げそうになる程。全身もずぶ濡れです。
「……うん、靴下も脱いでおきましょう」
どうせ母親しか居ない(偶にベルさんが遊びに来るけれど)家の中です。あたしは旅衣装である上着とバイザーを脱ぎ、靴下を手に持ったままのながら前進。ゲリラ豪雨によって濡れた身体を暖めるべく、一直線にシャワールームを目指します。
外に負けず劣らず、家の中は薄暗くて。お母さんがテレビをつけたまま寝ているのでしょうか。青白い灯りがリビングの中から、ちらちらと明滅を繰り返しています。どこかホラー風味の雰囲気が微妙に恐怖心を煽ってきますが、湿った衣服の生々しい気持ち悪さには勝てません。
……今お母さんを起こしても、濡れたまま室内に入るなだのとお小言を言われるだけだろうなぁ。
…………なら、このまま行っちゃいましょう。
ドアを空けて脱衣所に踏み入ると、シャツの裾に手をかけて一気に上へと引き上げる。濡れたシャツは反らした胸に何時もより余分に引っかかるけれど、やや強引に捲り上げて。
「んもぉ……なんでこんな時に限って、雨が振るのでしょう……」
ぶつぶつと呟きながらレギンスとスカート、下着まで、中に着ていたものも全てを洗濯機に放り込んで、頭の両脇のお団子を解き、最後にモンスターボールを鏡台に置いてシャワールームへと踏み入ります。
タブの横で栓をねじる。暫くお湯で流してから身体を洗い……そうだ、着替えを持ってくるのを忘れています。
仕方が無いでしょう。バスタオルのままで。あたしはそう決め、体を温める程度のヤミカラスの行水でシャワーを浴び終えると、予定の通りバスタオルを羽織ってから、モンスターボールを抱えて廊下へと出ます。
暗いままの廊下をわたり、ドアノブに手をかけ、自分の部屋の戸を開ける。
開ける、と。
――《 《 ズシャアアンッ!! 》 》
「ひやっっ!?」
タオルを押さえていた手を離し、(バスタオルが胸に引っかかりつつもはらりとはだけ)、咄嗟に身を縮こめ……
……。
……?
「何も……」
《かた、かたたたっ!?》
「……か、かみなりぃ、です、よね……?」
大丈夫。どうやら、雷だったみたいです。
んもう。誰かがこの大嵐の中で、ポケモンバトルをしているんじゃあないですよね? だとしたらその人は、大馬鹿か、よっぽどのバトル馬鹿なのだと思います。どちらにしろお馬鹿には違いありません。
バスタオルを纏いなおしてから、ボールを揺らして心配してくれていたポケモン達にもお礼を告げておきます。
「ありがとうございますっ」
《かたたたっ》
そのままあたしは、時々光る雷に怯えながらも着替えを全て終え、リビングへと向かいます。
階段を降りる途中で窓から外を眺めてみれば、外は叩き付けるような大雨になっていました。硝子を滝のように雨粒が流れ、窓の淵には水飛沫があがっています。
「……これはやはり、早く帰ってきて正解だったでしょうか?」
早く帰ってきて。そう。降って沸いた待機時間のことです。
あたしことメイは今、イッシュリーグチャンピオンの仕事として
PWTとは、リーグによって催されているポケモンバトルの大会で、残る開催期間は2週間ほど。
本日、PCT……チャンピオンズトーナメントを勝ち星最多で勝ち抜けたあたしは、来週からチャンピオンズトーナメントの「本戦」に参加する予定となっているのです。
流石に海外を含めた様々なリーグのチャンピオンが集まる大会だけあって、一筋縄では行きませんでしょう。ですが、だからこそ、あたしがそこを勝ち星最多で通過できた事には大きな意味を見出せます。
前半戦は、イッシュ地方のプロアマ問わずのトレーナーが参加した、ナショナルチーム選抜を賭けた戦いでした。
本戦は更に別の……いえ。「上の」と言い表すべきなのでしょうね。まぁそんな感じの、海外のバトルフロンティアで好成績を残している方やグローバルリンクの上位ランカー、ワールドプロリーグで数人しかいない
はい。あたしとしても、若輩とは言え、その様な高レベルなバトルの大会にナショナルメンバーとして参加できるのは、もの凄ぉく楽しみではあるのですが……
――《 ザァァァァ 》
階段の踊り場から覗く窓の外はこの通り、生憎の土砂降り。大会の継続は大丈夫なのかなぁ、との不安が過ってしまいます。
……と、いう訳で。あたしはホドモエシティで開かれた前半戦の祝勝会をかなり早めに切り上げて、幼馴染かつ兄分のヒュウさんやツンデレジムリーダーのヤーコンさん……多々諸々に別れを告げ、こうして家まで帰ってきた所なのでした。
つまりは帰省と雨天にかこつけた、祝勝会エスケープな訳ですね。人が多い所は微妙に苦手なんですよ、あたし。それにこの天候だと、本戦に向けたポケモンの調整方法を考えなければならないでしょうとか言い訳云々。
そんなどうでも良いことを考えつつ、髪を拭きながら、リビングの仕切りを跨いだ所で。
「……お母さーん? あ、居ました。ねえ、お母さん……ん?」
あたしが視線を巡らせれば、お母さんは先ほど帰ってきた時に予測をした通り、ソファーの上で眠っていました。寝息もバッチリ。
けれど、ドラマか何かを見ている途中で寝てしまったのでしょう。テレビの電源が入れられたままになっていました。
あたしはお母さんにタオルケットをかけ、テレビの横に放置されているテーブルタップにドライヤーのプラグを差込んで、スイッチをON。
薄暗い部屋の中に、テレビの薄ぼんやりとした灯りが明滅します。
『ついにワンダーブリッジの完成です! ××年かけてデザイン、設計、建築が成された……技術の粋を集められた最先端の橋!』
『15番道路の切り立った崖と川に阻まれ、長らく水路を利用して交通が行われていたイッシュ東側も、これで行き来が便利に成るでしょうねえ』
テレビから流れているこのニュースは、何十年も前のもの。おそらくはテレビの特集による再放送なのでしょう。
司会の人が声高に紹介している「ワンダーブリッジ」とは、2本の河川によって区切られるイッシュ地方を渡す、大きな橋の1つです。あたしが生まれた頃には既に完成していた橋、の、筈。3年前にごたごたがあって一時通行不能となっていましたが、そこまで話題にもなりませんでした。
そのワンダーブリッジですが、あたしもイッシュを旅した昨年、ブラックシティやサザナミタウンといった町へ陸続きに向かう際に通り抜けた経験があります。イッシュ地方を渡す様々な橋のうち、あの橋におきましては、丸みを帯びた近未来的なデザインが際立った特徴となりますでしょう。
橋については妙な噂もあったと記憶していますが、バトルには関係なかったのであたし自身、噂についてはあまり詳しくありません。そういうのは今も四天王を勤めていらっしゃるシキミさんがお詳しい筈です。
「……でも、なんで今になってこんなニュースをやってるんでしょう?」
冷蔵庫から取り出したミックスオレ(喉越しどろりアローラフルーツ味)を口にしながらお昼寝中のお母さんの向かいに座り、暖かさからくる眠気と闘いながらも髪の為にドライヤーをかけつつ、あたしはニュースをぼうっと眺めます。
しばらくすると古い映像が切り替わり、近代のワイドショー染みた物になりました。
『このように、ワンダーブリッジの完成が最後に回されたのは、土地権利に絡む問題によるものですが、それらも今では全て解決されています。この橋の完成を待ちわびた人は数多く、特にリバースマウンテン周辺の陸路の悪化に苦労するヤマジタウンに住む方々は心待ちにしていた事でしょう』
『ブリッジ開通以前はフキヨセからの空輸に頼りきっていた補給線も整い、現在はブラックシティとホワイトフォレストを経由したライフライン整備が課題となっており ――』
『ブラックシティとホワイトフォレストと言えば、アローラ地方に拠点を持つとある財閥による開拓ビジネス参入が注目されていますね ――』
「うぬー……ポケマジにしましょう!」
ですが、ワンダーブリッジのニュースがどうにも長く続くので、ポケマジの再放送でも見ようとチャンネルを変えることにしました。
スイッチ1つで、チャンネルは容易に切り替わります。ポケマジは海外のシンオウ地方、コトブキカンパニーの出資で作られた人気ドラマです。人気を博してかイッシュ地方でも放送が開始され、本日は再放送の第一話が放映予定となっています。
……はい、勿論HDにも録画済みですけれども。それと、リアルタイムで見るのとはまた別なんですよ。
ソファに深く身を沈め、暖かい飲み物を片手にテレビを眺める。
さて。
この頃のあたしは知りません。
この後のあたしが、
薄暗い因縁に絡め取られてゆくことを。
―― そしてその途中で、ある運命の出逢いが待っていることを。
メイちゃんDETA
・イッシュチャンピオン new!
・巨new!