ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
ヒノキがバトルバイキングで出会った謎の女性トレーナー、アナベルに面影を見た人物。それは10年前から消息不明となっている彼の友人、リラであった。真相を確かめるべく急いで彼女のもとへ向かったヒノキだったが、彼女は既に店を去った後だった。尽きない疑問と悔しさを抱えたまま、彼は翌日を迎える。それは、今回の仕事の依頼人である国際警察の担当者との初顔合わせの日であった。
いくら考えたところで答えなど出るはずもないし、悔やんだところで時間は戻らない。
そうとは分かっていても、その夜は結局一睡もできないまま明けてしまった。
(いっそ、今から会う国際警察に相談してみるか。)
寝不足の重い頭でそんな事を考えながら約束の八番道路のモーテルの部屋の扉を開けたヒノキは、その場の光景に言葉を失った。
「・・・・」
そこには二人の人間が立っていた。
正面の中年の男はいい。ブラウンのスーツに、ベージュのひざ丈のコート。笑えるくらい模範的な刑事もとい警察だ。
問題は、彼の隣に立つ女だった。
ふわっとしたくせのある淡い紫の髪に、黒いスーツ。その左の襟には、キーストーンが国際警察の襟章と共に光っている。
(・・・オレ、まだ寝てんのかな。)
何か考え事をしながら眠りに着いた折に、それに関するやたらリアルな夢を見ることは時々ある。自分では一睡もできなかったつもりだが、知らない内に眠り込んでしまい、こんな夢を見ているのだろう。
とりあえず、なんか間違えましたとヒノキがドアを閉めかけた時、彼の心を見透かしたように彼女が声をかけた。
「大丈夫、合っていますよ。どうぞお入りください。」
「あ、はい・・・え?」
ヒノキ自身はそうは思えなかったが、状況が掴めない以上言われた通りにするしかない。そんな彼の様子を見て、彼女はくすくすと楽しそうに笑った。
「無理もありませんね。まさかあのような形で先にお会いするとは、私も夢にも思いませんでしたから。」
「ん?ボス、それは一体?」
そこに、隣の男が口をはさんだ。
「実は彼なんですよ。昨日、私とパフェを分けた殿方は。」
彼女がそう教えると、男はなんと、と大げさな身振りで驚いた。しかし彼よりも遥かに驚いているヒノキは、ただただ目を見開く事しかできない。
「ですから挨拶も、初めましてというのは適切ではありませんね。」
そう言うと彼女は、まだ驚いているヒノキに昨日と同じく黒い手袋に包まれた細い手を差し出した。
「改めましてアローラ、ヒノキ・カイジュさん。私はアナベル。国際警察の特務機関であるUB対策本部の部長で、今回の任務の責任者です。この度は遠いアローラの地までご足労頂き、本当に感謝しています。」
丁寧なあいさつに、隣の男がばちばちとやかましく拍手した。しかしヒノキは、あ、はい、どうもと言いながら、24時間ぶりの握手を交わすのが精いっぱいだった。
続いて、えへんという咳払いの後に男が口を開いた。
「そして私が彼女の部下で補佐を務めるコードネームNo836だ。そのままでは人間味がないので、数字にちなんでハンサムと呼んでくれたらいい。なにか質問は?」
質問。
その言葉に、ヒノキの身体がびくりと揺れた。
──いくか?いっそ、今ここで聞いてしまうか?
「えっと、あ、あの」
そこでヒノキは初めてまともに彼女の目を見た。
深く澄んだアメジストのような薄紫の瞳には、髪以上の既視感がある。知っているという直感は、もはや確信だった。
──でも。
一方で、その瞳が相手を自分と同じようには捉えていない事もまた一目瞭然であった。
そしてその事実が、彼の喉まで出かかった一言を再び奥へ押し戻した。
「・・・えーと。836なら、『やさぶろう』とかじゃダメなの?」
とにかくまずは仕事だ。
ヒノキはとっさに質問の相手と内容を変え、頭を切り換えた。
「ダメだ。百歩譲って、君が私より年上であったならそれも許そう。しかし現実はそうではない。ハンサムの4文字には、私に対する人生の先輩としての敬意も含まれていると考えてくれたまえ。それでも異議があるというのなら──」
しかし彼のその癖のあるキャラクターは、かえってヒノキを平常心に戻してくれた。
「いや、ないです。正確にはあるけど言うのもめんどくさいんでもういいです。」
こういう場合は納得のいく自己解釈を作るに限る。とりあえずは「半分サムい」の略という事にしておこう。
そしてこのやり取りをアナベルがくすくすと笑いながら聞いていたことで、ヒノキは俄然調子が戻ってきた。
「えっと、ただいまご紹介に預かったけど、オレはヒノキ・カイジュ。一応、トージョウのレジェンドで、今はポケモンに関するなんでも屋みたいな事もやってる。堅苦しいのは苦手だから、呼び方はヒノキでいいよ。よろしく。」
彼の挨拶に、二人の警官は頷いた。
オレには拍手はないのか、とヒノキはハンサムをちらりと見たが、その両腕は胸の前で厳めしく組まれたままであった。
やさぶろうが気に食わなかったのだろうか。
「ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね、ヒノキさん。では早速ですが、今回の依頼について、改めて説明させて頂きます。まず確認ですが、アローラを拠点とするポケモン保護団体、エーテル財団代表のルザミーネ・エーテルが引き起こした事件については、もうご存知頂けているでしょうか?」
「ああ。本土でも結構でかいニュースになってたし、ククイ博士や島ボス連中からもだいぶ話を聞いたから、もうその辺の一般市民より詳しいと思うぜ。」
ヒノキの回答に、アナベルは満足げに頷いた。
「助かります。では、我々もそのつもりで話を進めていきますね。お分かり頂けているかと思いますが、これからお話する内容は機密事項になりますので、くれぐれも他言は無用でお願いします。」
そして二人の国際警察の口から、次のような内容が語られた。
事件の折、ウルトラホールから現れたパラサイトという種はルザミーネに寄生した個体だけではない上、さらに何種類かの目撃証言もある事。
また、UB達はいずれも望まずしてこの世界に落とされた故、警戒心からとても攻撃的になっていると予測される事、等々。
「・・・その為、今回、我々に課せられた任務は三つです。一つは未知なるUBの生態を調査すること。一つはUBを警戒し、その危険から人々を守ること。そしてもう一つはUBを保護、もしくはせん滅すること。」
「せん滅?殺すってことか?」
思わず聞き返したヒノキに、ハンサムが頷いた。
「今も触れた通り、UBは未知の生き物だ。もし彼らがこの世に仇なす害獣であれば、その存在を消すよう上層部から命令を受けているのだ。」
ハンサムの説明に、アナベルが頷きつつ補足を加えた。
「ええ。ですがもちろん、私もハンサムさんもそのようなことは望んでいません。UBといえど一つの命ですから、可能な限り保護し、救いたいと考えています。なので、せん滅というのはあくまで最終手段であると思ってください。」
「その通り。だが、保護、すなわち捕獲はせん滅よりも手がかかる。しかし我らにはそれを成し遂げる戦力が足りていない。そこで、君の力を貸してもらいたいというわけだ。」
二人の言葉に、ヒノキは力強く頷いた。
「オッケー、事情はわかった。それじゃ、オレはまず何をすればいい?」
とりあえず今はこの仕事の解決に集中しよう。彼女のことはそれからでも遅くない。
が、そのアナベルの口から聞かされたのは、予想外の言葉であった。
「いえ、今日の予定はこれで終了です。どうもお疲れさまでした。」
早速何かしらの
「へ?もう終わり?オレの力試しとか契約の手続きとか、しなくていいのか?」
「ええ。もとはそのつもりでしたが、昨日の一戦であなたの腕前はよく分かりましたし。それに、何より──」
そこで彼女は一歩前に踏み出し、下から覗き込むようにヒノキの顔を見て続けた。
「あなた、昨日に比べて少し顔色が悪いようですから。大丈夫ですか?」
頭のスイッチは、ちゃんと切り替わっている。が、それでもまつ毛の長い大きな瞳に見つめられると、どうにも胸がそわそわして落ち着かなかった。
「ん、ああ。実は昨日ちょっと食いすぎたみたいでさ。大丈夫、じきに良くなるよ。」
ヒノキはそう言ってごまかした。
まさか、あんたの正体が気になって眠れなかったからなどとは言えない。
そんな彼の言葉を疑う様子もなく、アナベルは小さく二度頷いた。
「そうですか。それなら良いのですが、体調管理には十分気を付けてくださいね。任務期間中は不規則な生活になることが予想されますので。そうですね、ですから──」
そこで彼女は少しいたずらっぽくふふっと笑った。
「あなたの今日のこれからの任務は『ゆっくり休んで体調を整える』とします。これは命令です。」
「・・・了解。じゃ、また連絡を待ってるよ。」
何か引っかかるものを感じたが、ついその笑顔に逆らえず、ヒノキはおとなしく退勤することにした。
──パタン。
部屋を出て扉が閉まったのを確認すると、ヒノキはすぐ携帯を取り出し、足早にデッキを歩きながら電話をかけ始めた。
「あ、もしもしオレだけど。あのさ、急で悪いんだけど、20分後くらいにパソコンで話せるか?・・・ああ。そんなに時間は取らないから。頼むよ。」
そして通話を切って繰り出したリザードンの背に跨がると、まっすぐにオハナ牧場へと向かった。
◇
一方、彼の去ったモーテルの方でも、水面下の動きがあった。
「ボス。本当にこれでいいのか?事情を話せば、彼ならきっと──」
ハンサムの意味深な提言を、アナベルはまだ扉の方を見つめたまま首を振り、低い声で遮った。
「・・・フーディンが二時間後にパラサイトの出現を予知しています。全てはその結果で判断します。」
そしてハンサムの方に向き直ると、にこっと笑って明るく言った。
「結局、これが互いに一番納得がいく方法だと思うので。」
ハンサムはそれ以上何も言えなかった。
自分に心配をかけまいと作るその笑顔はかえって痛々しく、裏に隠された傷の深さを思わせた。
ーー歯がゆいものだな。
自分には、彼女の負担を直接減らしてやれるだけの力がない。それは戦力面だけでなく、精神面においても同じことであった。
(・・・いや。今はこれでいい。)
そう、だからこそ彼をその役に選んだのだ。
かつて彼女との間に存在していた絆が、今も心の奥底に流れていると信じて。
ハンサムは部屋の奥まで進むと、重くなった空気を入れ換えるべく、カーテンと窓を開け放った。とたんに、部屋の中にアローラの光と風が溢れ返った。
先ほどの様子からすると、おそらく彼は「そのこと」に既に気づいている。後は、それが吉と出ることを信じるしかない。
──頼むぞ。ヒノキくん。
窓の向こうの遥かな水平線を臨みながら、二人の十年越しの再会に望みを託した。