ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
【ここまでのあらすじ】
ハウオリシティ内に大量発生したヤングースの捕獲作業にあたっていたヒノキとアナベルは、その最中、突如現れたUBビューティーの襲撃を受ける。途中で加勢したカプ・コケコの助けもあり、反撃に成功した二人はビューティーをそのまま捕獲しようとするが、その寸前で姿が消えてしまう。その直後、ハンサムと共にしげみのどうくつの調査を行っていたキャプテンのイリマから召集がかかり、二人は彼の自宅へと向かった。
メレメレ島のキャプテンであるイリマ・ファルラックスの自宅は、模範的な豪邸であった。
ハウオリシティ内の一等地に位置するその広い敷地内には、母屋の他に普通に居住できそうな一戸建て風の倉庫と、海沿いの立地ながら大理石でできた立派なプールがある。
「なあ。これ、居場所によっては絶対プールより海の方が近いよな。」
巨大な鉄門の隙間から中を覗いていたヒノキは、率直な感想を述べた。
「しっ!聞こえますよ。」
特に声を落とす事もなく喋る彼を、隣でインターフォン越しにやり取りをしていたアナベルが小声で制した。まだ通話が切れていないのだ。
『お待たせいたしました。アナベル様とヒノキ様ですね。どうぞ、右側の扉からお入りください。』
間もなく、鉄門の脇に設けられた通行口のドアの鍵が開く音がした。巨大な鉄門の方が開くとばかり思っていたヒノキは、がっかりして言った。
「聞こえたのかな。」
「かもしれませんね。さあ、行きますよ。」
アナベルが玄関扉についた真鍮のカエンジシのドアノッカーを鳴らすと、すぐに一人の青年が出迎えてくれた。
「お疲れ様です。任務中のところ、急に呼び出してしまってすみません。」
品の良い淡いピンク色の髪に、褐色がかった肌、中性的な彫りの深い顔立ち。メレメレ島唯一のキャプテンであるイリマ・ファルラックスは、一見して南国の生まれと分かる容貌をした青年だ。
イリマに案内されリビングに通された二人は、正面のソファーを見て、すぐに呼ばれた理由を理解した。
「なるほど。」
ヒノキのその一言に続く言葉を、アナベルが引き継いだ。
「これが、早急に報告したい事実という訳ですね。」
イリマも頷いた。
「その通りです。」
そして、三人は改めてソファーに目を向けた。
そこには、うっとりした表情で宙空を見つめて呆ける中年の男──すなわちハンサムの姿があった。
「早急に報告したい事実というより、早急に解決したい事案だな。」
そう言いながら、ヒノキは彼の正面に回って改めてその様子を観察した。なんと危ない表情なのだろう。この状態で外に出していたら、間違いなく変質者として通報されてしまう。実際、家政婦達は遠巻きに彼を見つめ、不安げにひそひそと何か話している。
やがて、イリマが申し訳なさそうに事の経緯を説明した。
「危険だと止めたのですが、どうしてももう少し近寄ってみたいとおっしゃって。それで、洞窟の入り口から中を覗かれた直後から、あの状態に・・・という訳です。」
それを聞いたヒノキとアナベルは、顔を見合わせて頷いた。おそらく、
「なに、大丈夫さ。ライ!」
そう言って、ヒノキは再び青い瞳のライチュウをボールから出した。
「悪いけど、ちょいとほっぺをすりすりしてやってくれ。」
雌の本能がそうさせるのか、ライチュウもまた、男の異様な雰囲気に一瞬たじろいだ。が、意を決してその左足にしがみつくと、バチバチに帯電した頬の電気袋を容赦なくこすりつけた。
「ぶおお!!?」
間もなく変な叫び声と煙を上げて、ハンサムの恍惚状態が解けた。
「ほ、ほほわ?わらしわいっはい、らにを・・・(こ、ここは?私は一体、何を・・・)。」
まだ唇が痺れて上手く喋れないらしい。ハンサムのこの一連の醜態を哀れみつつ、先ほど同じモノに当てられたヒノキは心の底から願った。
──さっきのオレはここまでひどくはなかった、よな・・・?
◇
「なんと。それでは、ボス達の方にもビューティーが・・・?」
皿に山積みされたミアレガレットをむしゃむしゃと頬張りながら、ハンサムが訊き返した。ミアレガレットはさっくりホロホロの食感にほどよい塩気と芳醇なバターの香りがクセになる、カロス地方の銘菓である。イリマのカロス留学時代からの好物らしい。
「ええ。ですが、いざ捕獲に移ろうという時に突然姿が消えてしまいました。私はてっきり、しげみのどうくつに潜んでいる個体が現れて、再び退却したのだと思いましたが・・・今のイリマさん達の報告を聞く限りでは、どうもそうではないようですね。」
アナベルがそう答えてロズレイティーを一口飲んだところで、ヒノキが割って入った。
「そもそもだ。本来はこの世界の物に触るのも嫌な奴らなんだろ?なんでそんな奴らがわざわざオレらの前に現れて攻撃してきたんだ?」
そうして話が混沌としかけたところで、イリマが間に入って仕切り直した。
「一度話を整理しましょう。まず、しげみのどうくつに潜んでいると考えられるビューティーですが、事前の調査より複数体存在していることは間違いありません。しかし、かといって、もしその中の一体が洞窟内からウルトラホールを開いて移動したというのなら。その時は彼が確実に反応しているはずです。」
そう言って、イリマは部屋の中央に設えられたテレビの電源を入れ、特殊なリモコンで何やら操作しだした。
間もなく、そこにはしげみのどうくつの入り口と、少し離れた草かげからその様子を伺っているデカグースの後ろ姿が映し出された。どうやら定点カメラを設置したらしい。
「彼というのは、あのデカグースの事か?いくら『はりこみ』が得意とはいえ、あれでは洞窟の奥の事までは分からんだろう。」
訝しがるハンサムの隣で、ある事に気付いたヒノキが控えめに口を開いた。
「決してシャレのつもりじゃないんだけど。あのデカグース、なんかでかくないか?」
そのヒノキの指摘に、イリマが待ってましたとばかりにぱちんと指を鳴らした。
「さすがチャンピオン、お目が高い。そう、実は彼こそが本来この洞窟を治めるぬしポケモンなのですが。何しろこのような事態になってしまったので、今は一時的に協力してもらっているのです。」
「しかし。ぬしポケモンとウルトラホールにどういう関係があるというのだ?」
まだつながりの見えないハンサムが、なおもイリマに尋ねた。
「これはまだ、一般には公表されていない事実なのですが。バーネット博士達の最新の研究により、アローラ各地のぬしポケモン達の身体が通常より大きいのは、ウルトラホールからのエネルギーを浴びていることが原因と判明しています。つまりー」
「UB同様、エネルギーの発生を感知することができるという訳ですね。」
イリマの結論をアナベルが引き受けた。
「その通りです。ちなみに、あのカメラの映像は専用のアプリケーションを介して僕の携帯とも連動していますので。24時間体制で状況を把握できるようになっています。」
「なるほど。ゆえに、オレたちが戦ったやつは洞窟のとは無関係って訳か。」
ヒノキも彼の説明に納得した。
「ええ。『では、なぜその個体はヒノキさん達の前に現れて襲撃をしたのか?』という次の謎ですが。これに関しては、正直ボクは現段階では何とも言えません。推理をするにも、ピースが決定的に足りていないという気がするのです。」
「なに、それこそ簡単な話だ。」
腕を組みながら思案するイリマに向かって、ハンサムが得意気に口を開いた。手にしているガレットは、もう何十個目か分からない。
「ビューティーは異常なまでに美に対して執着を見せる奴だ。きっと、ボスの美しさに嫉妬したに違いない。」
「な、何を言ってるんですか!?そんなこと、ある訳が──」
そう言いつつアナベルも何気に照れているあたり、まんざらでもないらしい。
ヒノキは流れを遮るようにわざと大きな音を立ててロズレイティーをすすり、イリマに話しかけた。
「まあ、確かに理由が分からないのはもやっとするけど。ただ、大分ダメージは食わせてたし、また来るにしても当面は大丈夫だろ。それより、今対策を考えなきゃいけないのは、あいつの能力そのものだ。」
ヒノキの言葉に、イリマも頷いた。
「そうですね。あの脅威的な速さと媚薬のようなフェロモンをどうにかしない限り、洞窟に潜む複数体と渡り合うのは難しいでしょう。」
そこに、アナベルが会話に戻ってきた。
「速さに関しては、いくらか対策はあると思います。今日のようにとくせいでこちらの素早さを高めたり、逆にトリックルームで向こうの速さを逆手にとる事もできますし。」
「今はトリックルームがわざマシンで覚えさせられるからな。しかも、充電さえすれば繰り返し使える。時代は変わったものだ。」
ハンサムもしみじみと言った。
「ってことは問題はやっぱりあのフェロモンだな。なんかこう、身体に入るのを防ぐ方法とかってないのかな?」
ヒノキの問いに、イリマは首を横に振った。
「それに関しては、ボクも調べてみたのですが。何しろフェロモン自体がまだ謎の多い物質であるため、決定的な方法は見つかりませんでした。ただ──」
「ただ?」
「人間の女性フェロモンの場合は、ストレスと睡眠不足によって分泌量が減少するといわれています。」
そう言ったのは、ロズレイティーとミアレガレットのお代わりを運んできたイリマの母親だった。イリマの年齢からしてもう30代半ばから後半くらいのはずだが、元女優というだけあって、10歳は若く見える。
「おお、奥さん。それは本当ですかな?」
ハンサムが急にきりっとして聞き返した。
「ええ。ですから私は現役時代も毎日必ず六時間は寝てましたし、リラックスする為に公演の合間に楽屋でおこうを焚いたり、きれいな音楽を聴いたりしていましたね。」
「へえ・・・。ん?ストレスと──」
そこで何かに思い当たったヒノキは、ほとんど反射的にハンサムを見た。
「睡眠不足・・・?」
ハンサムも同じことを考えたらしく、ヒノキを見た。そして二人は同時に頷くと、まじまじと自分たちの上司を見つめた。
「な、何ですか?」
急な二人の視線に戸惑うアナベルに、ヒノキは神妙な顔で言った。
「・・・減るぞ。」
「お、大きなお世話ですっ!!」
◇
「マニューラ、みねうち。」
その一撃は的確に致命傷を外した上で、主人がモンスターボールを投げる手間を省けるように獲物を彼女の胸の正面辺りまで跳ね上げた。その為、彼女は目の前に来たその体にボールの開閉スイッチを押し当てるだけで捕獲することができた。無駄のない、見事な連携である。
(これで22匹、か・・・。)
太陽に代わり、月が海や街を照らす午後八時。
アナベルは一人ハウオリシティ内の草むらにいた。昼間のヤングースに替わり、夜行性のコラッタとラッタを捕獲する為である。その繁殖速度を考えると、最低でも今夜の内に70匹は捕らえておかなければならない。
──日付が変わるまでには何とか終わらせたいな。
そう思いながら、彼女が手の甲で額の汗を拭った時であった。
「へー。それでこの時間に街中のゴミを集めて回ってるって訳か。」
数メートル先の道路から、聞き慣れた若い男の呑気な声が耳に飛び込んできた。
「そうなんです。やはり臭いの問題があるので、本来はもっと夜更けにひっそりと行っているのですが。ただ、最近は街中にコラッタやラッタが増えているせいで、あまり遅いと彼らに先にゴミステーションを荒らされてしまうので。やむを得ず・・・という訳です。」
「ふうん。風が吹けば桶屋が儲かるじゃねーけど。おたくらも大変だな。・・・っと、誰だ?」
後ろからシャツの襟首を掴まれても、ヒノキは相変わらず悠長である。
「警察です。」
アナベルが短く答えた。
「こんな時間にこんなところで。あなた、何してるんですか?」
ヒノキはイリマ宅での作戦会議の後、先に上がらせている。もう四時間以上も前の話だ。それがなぜか今、肩に袋を担ぎながら清掃会社の若い社員と立ち話をしている。
「ん?いやなに、ネズミ捕りしてたらなんかくせーなと思ってさ。そしたら、このにーちゃんがベトベトン連れてゴミ食わせてたから、ちょっと話聞いてたんだよ。」
「ネズミ捕りって・・・」
「ほいよ。プレゼントだ。」
そう言ってデリバードのようにかついでいた袋を足元に置くと、中からどっちゃりとモンスターボールが雪崩れてきた。その数なんと50、中身はもちろん全てコラッタとラッタである。
「我らがボスのフェロモンの分泌を助けてやろうと思ってさ。」
そう言って、能天気にからからと笑った。
「どうせ睡眠不足でストレスフルな生活をしてますよ。」
デリカシーに欠けるその思いやりに、アナベルは少し顔を赤くして、むっと拗ねる素振りを見せた。それから、小さな声で付け足した。
「・・・でも、助かりました。」
その言葉に、ヒノキは満足して笑った。
「てことはノルマは達成したんだな、よかったよかった。んじゃ、オレは帰るから。ボスもフェロモンが減らないように早く帰って寝ろよ。」
そう言ってそそくさとリザードンに乗ろうとしたヒノキの襟首を、アナベルが再び掴んだ。
「では、宿までお送りします。あなたの宿泊先は確か、アーカラ島のオハナ牧場でしたね?」
厚意というより嫌疑によるその申し出に、ヒノキは胸の内でなぜ嘘が分かったんだろうと呟いた。
「あー、、いや、まあ、そうなんだけど・・・。」
しばらくそのまま口ごもっていたが、仕方なく観念して正直に申し出た。
「んじゃ、その前にちょっと道草食ってもいいかな?」
そのような経緯で、しげみのどうくつへはアナベルと二人で向かうことになった。
◇
どうくつの入り口では、ぬしデカグースがうとうとしながらもはりこみを続けていた。
「よう、でかデカグース。差し入れだ。」
ヒノキの差し出した大きなマラサダを見ると彼は嬉しそうにかぶりついたが、食べ終わるとじきに眠ってしまった。
「やっぱこいつも疲れてんだな。」
アナベルもしゃがんで大きな身体を撫でてやりながら頷いた。
「慣れた棲みかを逐われて、あまりきちんと休めていないのでしょうね。・・・あら?」
その時、彼女の小指ほどの大きさの白い花びらが一枚、デカグースの頬にはらりと落ちてきた。アナベルが辺りを見回すと、少し先に無数の花をつけたクチナシの植え込みが見える。
「きっと、あの木から来た子ね。」
そういって彼女が立ち上がった時、ちょうど植え込みの方角から風が吹いた。下から上へと吹き上げるようなその柔らかな風は、クチナシの南国的な甘い香りと無数の花びらの雪をヒノキとアナベルの元へ運んだ。
「まったく、今日はいろんなものが降ってくるな。」
その幻想的な光景に、ヒノキは思わず愛用のデニムキャップを脱帽した。
「締めはクチナシのはなびらのまい、ですね。」
白い花びらを黒い手袋に包まれた手のひらに積もらせながら、アナベルもこの美しいひとときを心から堪能していた。
◇
「せっかくオレが気を利かせてサービス残業したんだから。今日は早く寝ろよ。」
二番道路のモーテルの前で二人が解散しようとしていたのは、間もなく午後の十時になろうという頃であった。
「そうします。あなたも帰り道と体調には十分気を付けてくださいね。それではおやすみなさい。」
「ああ。んじゃ、また明日な。」
またあした。明日も一緒に戦ってくれる。
それは、彼にとってはごく当たり前の事なのだろうけど。
「あ、あの!」
アナベルは思わず、歩きだしたその後ろ姿を呼び止めてしまった。
「ん?どした?」
「あ、いえ。その・・・」
呼び止めておきながらも気恥ずかしさに少し迷ったが、やはりちゃんと言うことにした。
「今日もありがとう。明日もまた、よろしくお願いしますね。おやすみなさい。」
そして、照れを隠すようにあわただしく部屋に入ってドアを閉めた。
◇
「ただいま。」
オハナ牧場の自室に戻ったヒノキは、部屋の隅で座っていびきをかいているスリープに声をかけた。契約の日にハウオリシティの郊外でスカウトした、眠れない夜の心強い味方である。
帽子と上着を脱ぎ、どさっと仰向けにベッドに倒れ込んだ。
バトル・バイキングで最初に彼女に会った日からもう一週間以上が経つが、相変わらずその身に起こった事は分からない。もっとも、任務が多忙な為に調べる余裕がないというのが実際のところではあるが。
しかし、今夜彼の頭をいっぱいにするのは、その謎だらけで記憶喪失のいつもの彼女ではなかった。
──今日もありがとう。
少し照れながらもまっすぐに自分の目を見て言った彼女に、ヒノキは一瞬、昼間ビューティーの魅惑に当てられた時の感覚がよぎるのを感じた。今はその記憶に、ほんのりとクチナシの清楚な甘い香りが伴う。
(やれやれ。)
ヒノキは起き上がってスリープのところまで行くと、その顔を両手でむにむにと揉んだ。それでも彼はなかなか目を覚まさなかったが、ヒノキがあまりにしつこいので、最終的には糸のような目を僅かに開けて、恨めしげに主人を見た。
「悪いな。今日も頼むよ。」
そうして、白く甘い誘惑に振り回された長い一日はようやく終わりを告げたのであった。