ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
ハイナ砂漠にてUBスラッシュことカミツルギと戦闘の末、その捕獲に成功したヒノキ。
しかし、四体のうちの一体は命中したはずのウルトラボールに収まらずに姿を消し、さらに戦闘後には二人の不審な人影を目撃する。
これらの謎の手がかりを見つけるべく、彼は再度エーテルパラダイスへと向かう。
その夜、再びエーテルパラダイスのシークレットラボを訪れていたヒノキは、改めて片っ端から資料を漁っていた。しかし、いくら探してもUBを使う
(やっぱりない、か。)
重みのある分厚いファイルをばたんと閉じ、ヒノキはため息をついた。
ハイナ砂漠で見た、青と白の防護服のようなものを纏った身長差のある二人の人間。背の高い方はそれ以外は殆ど何も分からなかったが、低い方には赤みの強い茶色の三つ編みが見えた。
それは本当に一瞬の光景で、もしも彼らの痕跡がこれだけであったなら、ヒノキも単なる蜃気楼として片付けていただろう。実際、砂漠の入り口で見張りをしていた警官達やアセロラに確認しても、絶対に誰も通していないという。だが。
──砂漠にも、虹ってかかるんだね!
あの無邪気な少女の声までが幻聴だったとは、どうしても思えない。そして彼らこそ、ボールに収まらずに消えたスラッシュと何か関係があるような気がしてならないのだ。
ヒノキがそこまで考えを巡らせた時、部屋の扉を控え目にノックする音が耳に届いた。
「あ、はい。どうぞ。」
振り返ると、そこに立っていたのはアナベルだった。
いつになく浮かない顔をしている。
「今日は本当にすみませんでした。非番の日に呼び出した上に、結局全てをあなたに任せてしまって・・・責任者失格です。」
「いいよ別に、そんなの謝らなくて。オレは気にしてないし、あんたが気にすることでもないさ。それより、身体はもう大丈夫なのか?」
「ええ。少し砂漠の暑さにやられてしまっただけですから。今はもうこの通り、何ともありません。心配して下さってありがとうございます。」
そう言って、彼女は穏やかに微笑んでみせた。しかしその顔色から、あまり疲れが取れていないことは明らかだ。ヒノキがどう返事をしようか迷っていると、その雰囲気を察した彼女が先に口を開いた。
「調べ物の邪魔をしてごめんなさい。ビッケさんからあなたがここにいると聞いて、とにかく一言謝りたくて。でも、あまり無理はしないでくださいね。それでは。」
「あ、ああ。・・・」
その時、彼女の背を見たヒノキの脳裏に不意にアセロラとクチナシの顔が過った。
「あ、あのさ!」
とっさに出たその声に、アナベルは扉の前で足を止めて振り返った。
「・・・何か?」
その問いにヒノキが答えるまで、少しの間があった。
「・・・いや、実はオレもそろそろ帰ろうと思ってたんだけどさ。まだ外に出るまでの道順に自信がなくて。」
嘘だった。
本当は、本当に聞きたかった質問が、いざその時になって出てこなかったのだ。
「そうですか。では、リザードンが飛び立てる場所までお送りしますね。」
ヒノキのその言葉を疑う様子もなく、アナベルは快くその案内役をかって出た。
◇
既に夜間灯に切り替わっている人気のない廊下を並んで歩きながら、ヒノキは何気ない口調でアナベルに話しかけた。
「それにしても驚いたよ。あんたが普段はここで暮らしてたなんてさ。」
それは、昼間のアセロラの言葉をビッケに問い直して知った事実であった。詳しくは話せないが、縁あって彼女は国際警察に入職する数年前から、ここで生活をしているのだという。
「全ては代表のルザミーネ様のご厚意です。彼女が起こした一連の事件は決して許される事ではありませんが、本来はとても優しく、包容力に満ちた方です。」
懐かしそうにそう語るアナベルの口調は穏やかで、彼女にとってルザミーネが今も大切な存在であることが、ヒノキにもよく分かった。
「だからこそ私は彼女と同じ過ちを犯す人間が現れないために、人々がUBに対して正しい知識と理解を持てるよう彼らの真実を追究したいのです。それが、私がルザミーネ様にできる一番の恩返しであるような気がして。」
やがて二人は一階のエントランスを抜け、代表一家の屋敷へと続く庭へ出た。夜更けの空には、無数の星と真珠のような月が輝いている。
「さあ、ここから飛べますよ。もう遅いので、寄り道なんかせずに帰ってくださいね。」
「分かってるよ。そういうボスこそ、早く寝ろよ。」
「ありがとう。それではおやすみなさい。」
「ああ。また明日な。」
そう言って、ヒノキはリザードンのボールを手にした。
彼女はまだそこにいる。
「あ、あのさ!」
不意にボールを握りしめたまま、ヒノキは振り返った。
自分でも驚くほどこわばった声だった。それでも、今度はもう後に引くことはできなかった。
「昼間に、アセロラがあんたの事をリラって呼んでた気がするんだけど。気のせい・・・か、な。」
そう言って尻すぼみに口ごもると、しばし沈黙が流れた。もはや彼女の顔を見ることもできない彼には、その瞳がどのように自分を捉えているのか、想像もつかなかった。
が、その沈黙を破ったのは、予想外の笑顔と明るい声だった。
「最初の自己紹介の時に、ちゃんとお伝えしたじゃありませんか。私の名前はアナベルだと。きっと彼女は、近くにいた違う人の事をそう呼んだのでしょう。」
その明るさが本物ではないことは明らかだった。
しかしそれが彼女の出した答えである以上、ヒノキにはもう何も言う事が出来なかった。
◇
オハナ牧場の自室に戻り、ベッドに横になっても、ヒノキはまだ先ほどのやり取りが引っかかって眠れなかった。
どうして彼女は、あんなあからさまに嘘と分かるような否定の仕方をしたのだろう。いくら自身の正体について口外を禁じられているといえど、共に任務に当たっている自分に関しては、遅かれ早かれ知られる事だと考えた方が自然だ。まして、クチナシやアセロラからリラと呼ばれている事を思えば尚更である。
別に、本名に触れられたくない事情があること自体は構わない。実際、アナベルというコードネームには、かつての彼女を知る人間の目から今の彼女を守る意味もあるとハンサムは言っていた。
でも、それならそれで正直にそう言えば良い話だ。わざわざすぐばれるような形でごまかすというのは、どうも聡明な彼女らしくない。
(それとも)
自分にはまだ、そういった事を正直に話せるほどの信用がないということなのだろうか。
そう思うと、しみるように胸が痛んだ。
(とにかく明日、その辺りのことをちゃんと聞いてみよう。)
気を取り直してベッドから起き上がると、ヒノキは例によって部屋の隅で眠っているスリープの口にカゴの実を挟んだ。むごむごと咀嚼する口元から顔中に歪みが広がった後、細い目が恨めしそうにヒノキを見た。
「悪いな。オレの夢食っていいからさ、今日も頼むよ。」
そうして間もなく、彼は夢も見ずに深い眠りについた。
◇ ◇
「皆さん、ご協力ありがとうございました。後は、私の方でこの内容を文書にまとめて本部へと提出しておきますので。もう解散して頂いて大丈夫です。お疲れ様でした。」
翌日の任務は、昨日のスラッシュに関する報告書の作成のための関係者聴取だった。17番道路の交番でアナベルの進行のもとに行われたその集まりに出席したのは、ヒノキ、クチナシ、アセロラ、ハンサムの四名である。
一番最初に席を立ったのは、解散を指示したアナベルだった。もっとも、彼女にしてみればこれからの作業が本番なのだから、急いでいて当然だ。
続いてアセロラも交番を出ていった。何でも、15番水道のエーテルハウスで子ども達と約束があるらしい。
交番に残されたのは三人の男と、その三倍の数のニャースだった。
「ちょうど昼時だな。」
ハンサムが腕時計を見ながら、聞こえよがしに呟いた。
「どうだろう、ヒノキくん。今日はもう任務も終わったことだし、スラッシュ保護の成功を祝して、どこかで昼食を取らないか?」
確かに腹は減っている。が、ヒノキとしてはこの上なく都合の良いこの状況を逃すわけにはいかなかった。
「ああ、うん。でもその前に、お二人さんにちょっと聞きたいことがあるんだ。」
その一言に、クチナシとハンサムが同時にヒノキを見た。そんな彼らに、ヒノキは改めて切り出した。
「その、あいつ・・・リラの事でさ。」
その名に、ハンサムが眉根を寄せるのがはっきりと分かった。
「ヒノキくん。すまないが、今はまだその件に関しては──」
「おお。何でも答えてやるよ。お前がちゃんと仕事に手がつく範囲ならな。」
ヒノキの申し出を断ろうとしたハンサムを、クチナシが遮った。
「おい、クチナシ・・・!」
「いいじゃねえか。こいつはもともとリラのことを知ってんだ。」
それに、とクチナシは少し含み笑いを浮かべて、例によって重要な部分をボソリと付け加えた。
「こいつは夕べ、エーテルでリラに
「な、なんでそれ知ってんだよ!?」
「ム!ヒノキくん、それは一体どういう事だ!?」
「細けえ事は気にすんな。」
それぞれに焦るヒノキとハンサムを、クチナシは落ち着き払って制した。
「今日はおれも夕方まではニャースの相手しかする事がねえんだ。ちょっと時間つぶさせてくれよ。メシなら出前でも取ってやるからよ。」
◇
「なるほど。フラれたというのはそういう訳か。」
一通りヒノキから事情を聞いたハンサムが、ズルズルとホウエンラーメンをすすりながら相づちを打った。
「確かに彼女には、記憶が戻らない内は自分の正体について尋ねられても秘匿するようにとの指示がある。ただしそれは、あくまで一般の人間に対してのものだ。君のようにいずれ知られる可能性が高く、かつ信頼のおける人間に対しては、ことさら隠す必要はないと伝えてある。それでもそのように振る舞うというのはおそらく、彼女自身の気持ちの問題なのだろうな。」
「気持ちの問題?」
「うむ。彼女にはどうも、過去の自分に対して負い目を感じている節がある。おそらく、リラとしての記憶がない自分がリラであることに後ろめたさがあるのだろう。」
その言葉にヒノキは複雑な思いを抱きつつも、どこかしっくりくるものを感じた。
「・・・そっか。」
空になったどんぶり鉢と箸を目の前のローテーブルに置くと、それに向かって呟いた。
「じゃ、やっぱりオレはリラって呼ばない方がいいんだな。」
その時、それまで黙って二人のやり取りを聞いていたクチナシが、おもむろに口を開いた。
「お前はそれでいいのかよ。」
「え?」
「迷うってことは、今の状態にわだかまりがあるってことだろ。それなのに、そういうのをないがしろにしちまって本当にいいのかって聞いてんだよ。」
相変わらずの呟くような口調だったが、その言葉はヒノキの胸を大きく揺さぶった。
「だけど。リラがそう望んでるんなら、オレは──」
「本当に本気でそう思うなら、もう今後一切その名を口にするんじゃねえよ。」
突き刺さるような一言だった。
ヒノキは返す言葉が見つからず、ただクチナシを見つめることしか出来なかった。
「もういっぺん、ちゃんと整理して考えてみろ。」
クチナシはソファーから腰を上げながら続けた。
「リラだろうがアナベルだろうが、決める以上はどっちにしろ覚悟は要るんだ。今までのどっちつかずが嫌なら、まずは自分の中でちゃんと答え出して、ハラくくることだな。」
そしてクチナシは交番を出て、ニャース達に昼食をやりに行ってしまった。
ハンサムが何か慰めのような言葉を口にしていたが、ヒノキは何も聞き取れなかった。
ただ的確に今の自分の急所を突いてきたクチナシの言葉だけが、頭を占めていた。