ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
シェードジャングルでのライトニングとの戦闘後、ハンサム達からアナベルがFall(フォール)という特殊体質のためにUB達の標的となっていたことを聞かされたヒノキ。
一方、その事は知らずに自分の力不足に責任を感じていたアナベルは、病み上がりの身体を押して一人ポニの荒野で特訓をしていた。
記憶を失っても変わらない彼女のそんな一面を目にしたヒノキは、今回のUB保護任務を自分達の島めぐりと捉え、一人で抱え込まずに島の人々やポケモン達の力を借りながら乗り越えていくことを提案したのだった。
「あ、もしもし、マオ?悪いんだけど、ちょっと約束の時間を過ぎそうなんだ。お客さんにも伝えといてもらえる?」
その日、アーカラ島のしまクイーンであるライチ・レイシィは、出先からコニコシティの自宅への帰路を急いでいた。
同じ島の三人のキャプテン達とともに、UB対策の助っ人としてアローラにやって来たカントーレジェンドとの顔合わせの時間が迫っていたからだ。
(やばい、十五分も過ぎた。)
アローラの人間はやはり時間にルーズだと思われてしまっただろうか。
急いで階段を上り、応接間のドアのノブに手をかけた彼女は、中から聞こえてきた言葉に耳を疑った。
「言っとくけど、オレのライチのかわいさはマジで異常だからな。」
(!?)
それは若い男の声であったが、キャプテンのカキではない。おそらく、例のカントーレジェンドだろう。
思わずドアノブから手を離して扉の前で戸惑う彼女に構わず、彼はなおも続けた。
「戦ってるとことか食ってるとこも最高なんだけどさ、やっぱ一番は寝顔だな。もう何回天使と見間違えたことか。」
(!!?)
しかし、彼女自身には彼とそのような交流をもった記憶はない。というか、そもそも誰ともそのような交流を持った記憶がない。
しばしの間、激しい混乱に見舞われたが、それでも彼女はひとつの結論を導きだした。
すなわち、『色々と不思議な点はあるが、とにかく自分にはカントーレジェンドの彼氏がいたのだ』という摩訶不思議な結論を。
その時、ドアの向こうから再び彼の声がした。
「そうだ。なんなら今、紹介してやるよ。おい、恥ずかしがらずにちゃんとみんなにあいさつしろよ?ほら、こいつがオレのー」
もはや結論の出た彼女に迷いはなかった。
その絶妙のタイミングを見計らってドアを開け放つと、頬を赤らめつつも言われた通り、堂々と名乗った。
「か、かわいいライチですっ!!」
しん・・と静まり返った部屋の中で彼女が見たもの。
それはソファーに座る三人のキャプテンと一人のレジェンド、そして彼の膝の上に収まる一匹の「ライチュウ」であった。
◇ ◇
「・・・それが、あなたがライチさんに気を遣っている理由ですか?」
思わずヤサイ定食のコロッケを箸で割る手を止めて、アナベルが目を丸くした。
「そーだよ。わりとマジでしょーもねえだろ?」
皿に残った目玉焼きの黄身をパスタで残さず絡めとりながら、向かいに座るヒノキが答える。
アーカラ島、コニコシティのアイナ食堂。
明日の夕方に出現が予測される二体目のライトニングの対策会議の後、キャプテンのマオの実家でもあるこの店で、ヒノキ達は夕食をとっていた。
もちろんライチはこの席にいない。メレメレ島のハラ宅で行われるしまキング・クイーン会議に行ってしまったのだ。
「まったく。おかげであの後ねーさんにはZ技で殺されかけるし、『ライち』は『ライ』に改名を余儀なくされるしさ。いい迷惑にもほどがあるっての。」
ヒノキのその言葉に、彼の斜向かいでサカナ定食のフライをつついていたスイレンがくすくすと笑った。
「おい、スイレン。だいたいお前があの時笑いをこらえてりゃ、かろうじて場の空気とねーさんの名誉は保たれてたんだよ。一番『しめりけ』っぽいお前が最初に自爆してどうすんだ。もうそのカチューシャ外してきあいのハチマキ巻いとけよ。」
ヒノキは決して忘れない。
誰もが身体と顔をこわばらせて必死に耐えていた中で、彼女一人が身体をくの字に折り曲げていたことを。
あの、絶対に笑ってはいけない時間と空間の中で、彼女の「ぷっ」が全員の全ての努力を無に帰したことを。
しかし、当のスイレンは特に悪びれた様子もなく、朗らかな笑顔で落ち着き払って言った。
「いえ。確かに最初に笑ったのはわたしですが、その前にカキが不自然な咳払いをしました。」
彼女のその言葉に、ヒノキの隣で彼と同じニク定食を食べていたカキがむせこんだ。
「そ、それはっ!マオが、何度も、ちらちらとオレの方に目配せをしてきたからであってっ・・・!」
「ちょっとカキ!それじゃまるでわたしが悪いみたいじゃん!」
そこに、ちょうど厨房から戻ってきたマオが会話に加わった。
「分かった分かった、じゃお前らの連帯責任ってことにしといてやるから。つーかマオ、そういうアレの処理は裏でやってくれないか?オレら飯食ってるんだけど。」
彼女が自席に運んできた自作のスペシャル定食に眉をひそめながら、ヒノキが言った。
「ひっどい、それどういう意味!?ねえ、アナベルさんは誰が悪いと思う?」
「そうですね・・・」
マオに聞かれたアナベルはうーん、と少し考えた後、向かいのヒノキを見て言った。
「まあでも、会う相手の名前は予め分かっていたはずですし。結局はやはり、ライチさんの家でライチュウの話をしたあなたの自業自得という事になるのではないのでしょうか。」
その意見に、三人のキャプテンがそろって何度もうんうんと頷く。
「いやいや、だからそこはあくまでライチつながりからの自然な会話の流れだっただろ!っておい、スイレン!笑ってるけど、だいたいお前がだな──!」
結局、誰もが自分の非を認めなかった為に、この件はライチに彼氏がいないことがそもそもの非であるということで落ち着いたのだった。
◇
食後、キャプテン達と別れたヒノキとアナベルは、コニコシティを抜け、メモリアルヒルへと向かっていた。
明日の夕刻にライトニングの出現が予想されるその場所を、少し見ておきたいとアナベルが言ったためだ。
(まったく、どこまで真面目なんだか。)
仕事の一環といえ、平然と夜の墓地を行く彼女に、ヒノキは内心で舌を巻きながらその後ろに従った。
アナベルのフーディンが予知したライトニングの出現ポイントは、墓地を抜けた先の、いのちの遺跡に至るまでの間の島はずれの草地である。
「やっぱ夜はなかなかに雰囲気あるよな・・・って!?!」
辺りを見回しながら歩いていたヒノキは、突然脇道へ引っ張り込まれ、心臓の縮む思いがした。が、彼の腕を引いたのは別に幽霊の類ではなく、先を歩いていたアナベルであった。
「あ、あのな!いくら怖くなったからって、さすがに夜の墓場でそれは──!」
ないだろうと言おうとしたヒノキを制して、アナベルは墓石の影からそっと前方を指した。その指の先に見えたのは、意外すぎる二人の人物だった。
「あれって・・ライチのねーさんと、ハンサムのおっちゃん・・・?」
そこにいたのは、紛れもなくメレメレ島での首長会議に行ったはずのライチと、彼らのチームの一員であるハンサムことNo.836その人であった。
二人は隠れているヒノキとアナベルに背を向けるようにして、ある小さな墓の前で話をしていた。
「あれからもう十年か。早いもんだね。」
「早かった気もするし、まだ十年という気もする。時の流れとは不思議なものだ。」
墓石を見ながら呟いたライチに、ハンサムがしみじみとした口調で答えた。
「・・・まだ、ポケモンを持つのは怖い?」
ライチがためらいがちに尋ねた。
「出来ることなら、またトレーナーになりたいという思いは常にある。あの二人と共に任務にあたるようになってからは特にな。自分にもあんな風に心を通わせて共に生きられる相棒がいたら、どんなに素晴らしいだろうと。何度か捕獲を試みたこともあるよ。」
突然出た自分達の話題に、隠れていた二人はぎくりとした。が、ハンサムが彼らに気付いている様子はない。
「だが、ダメなんだ。いざモンスターボールを投げようとすると、耳元で必ず声が聞こえてくるんだ。『お前はまた不幸な命を作り出すつもりなのか?』と。そして、こいつの最期がよぎって、後はもう全く動けなくなるんだ。」
「・・・苦しいね。」
そう言ったライチ自身が苦しそうだった。
「なに、当然の報いさ。本来なら、死ぬのは私だったのだからな。それを、ひとつのポケモンの命と引き換えに生き長らえたんだ。きっと、命の守り神はまだお怒りなのだろう。これは、私に課せられた罰なのだよ。」
そう言ってハンサムは少し笑った。明らかに自嘲と分かる笑い方だった。
「・・・明日はあたしとそのテテフがここを守るし、UBはおたくの二人とうちのスイレンがきっとうまく相手してくれるから。大丈夫だよ。」
少しの間の後、ライチがそう言った。おそらく、他に言うべき言葉が分からなかったのだろう。
「もちろん。明日のことは何も心配はしていないさ。」
そして二人は、最後までヒノキ達に気付くことなく墓地を後にした。
二人の会話が何を意味するのかは、ヒノキには見当もつかなかった。分かったのは、彼らにもまた自分の知らない過去がある、という事だけだった。
◇ ◇
翌日は朝から厚い灰色の雲がアーカラ島の上空を覆い、一日を通して比較的強い雨が降り注いでいた。
もっとも、島の半分が熱帯・亜熱帯に属するアーカラ島では、雨はそう珍しくない。そうでなければ、シェードジャングルというあの広大な熱帯雨林が形成されることはなかっただろう。
「それじゃ、昨日決めた通りマオはコニコシティ、カキはディグダトンネル付近の警戒。あたしはカプ・テテフと墓地と遺跡の守衛にあたるから、ビーストはヒノキ、アナベル、スイレンの三人で頼んだよ。何かあったら、無理しないで必ずあたしに連絡すること。いいね?」
「「はい!!」」
ライチの言葉に、全員が声を揃えて答えた。
それが、今回の任務開始の合図だった。
「それじゃあスイレン、気をつけてね。アナベルさんも絶対無理はしないでね!」
それぞれがそれぞれの持ち場に向かってライチの家を後にする中で、マオが現地へ赴く二人に声をかけた。
「ええ。もちろんです。」
「ありがとう、マオ。それじゃあ、行ってくるね!」
「いやいや、ちょっとまて。おいマオ、オレにはなんかコメントないのかよ。」
一人だけ激励の言葉をもらえなかったヒノキがマオに催促すると、とたんに彼女は口をへの字に曲げ、彼に向かってぶつけるように言い放った。
「マオスペシャルはたべのこしじゃないもん!!」
そして、街の中心へ向かって走って行ってしまった。
「・・・どうもオレはこの島の女と相性が悪いな。」
ヒノキのぼやきに、スイレンが愉しそうにくっくっと笑う。
「悪いのは彼女達との相性というより、あなたの口ですよ。さあ、行きましょう。時間が迫っていますよ。」
そうアナベルに促され、大粒の雨が降りしきる中、ヒノキ達は戦いの地へと向かった。
◇
フーディンが予知したライトニングの出現時刻は、17時きっかりである。現在時刻は16時55分。
「では、最終確認です。ライトニングが現れるのは、おそらくあの海側の草地の辺り。ヒノキは先鋒を、スイレンは後方で彼の合図を待ってサポートをお願いしますね。」
アナベルが二人に向かって、再度作戦の流れをさらった。
「了解。」
「よろしくお願いします!」
そうこうする内に、その時が訪れた。
落雷のような大音響が辺りに響くと共に、前方の上空が割れ、その裂け目からまるで転送されてきたかのようにUBライトニングが降ってきた。
そして目の前の三人を確認した上で、やはりまっすぐにアナベルを狙ってきた。
「コウ!」
彼女に向かって鞭のように飛んできたケーブル状の太い腕をめがけて、ヒノキのゲッコウガが飛び出した。
「『たたみがえし』だ!」
足元の地面を畳に見立てて引き剥がして築いた盾は、ライトニングのパワーウィップに砕かれた。が、ゲッコウガとアナベルには傷ひとつない。
やがて、彼女を阻むゲッコウガに標的をシフトしたライトニングが、触手の一本を天に向かって伸ばし、彼に向かって最初の雷を落とした。
しかし、本来なら致命傷であるはずのその強力な電撃は、ゲッコウガにダメージを与えるどころか、その手に構えた水の手裏剣をさらに大きく、鋭く変えた。
『!?』
予想外の展開に戸惑ったライトニングが生んだ隙を、ヒノキは見逃さなかった。
「コウ!今だ!」
ゲッコウガが両手に備えた巨大な水手裏剣を放つとほぼ同時に、その強靭な五本の触手のうちの両手にあたる二本が消えた。ライトニングはその切断された断面から血しぶきのように吹き出した電流をもゲッコウガへと放ったが、結果は雷と変わらない。ことごとくそのエネルギーを吸い取っては文字どおり『みずしゅりけん』のキレを増させるばかりである。
「思った以上にいいな、コウの『ひらいしん』。」
ヒノキは相性に反して電気を集めて強くなる相棒を見つめて頷いた。
シェードジャングルでの一体目のライトニングとの対戦で大いに活躍した、『ひらいしん』のとくせいをもつカキのアローラガラガラ。今回、彼が雨天の為に参戦できない代わりに、あらかじめゲッコウガにその『ひらいしん』を『なりきり』でコピーさせておいたのだ。
やがて、ライトニングは両足にあたる二本も『みずしゅりけん』に切り落とされ、その触手は根とも支柱ともとれる一本を残すのみとなった。しかし、本体はまだぐねぐねと激しく動いている。
「よし。そろそろ行けるか?」
「はい。ボーマンダ!」
アナベルが右手のハイパーボールからボーマンダを繰り出すと、彼は前もって指示されていた通り、すぐに口を開けてエネルギーを溜め始めた。
それがどういう技であるのか、ライトニングは本能的に理解したらしい。今なお漏電し続ける四本の触手の断面から、細かい電気の粒子のシャワーをボーマンダに浴びせ始める。
「よし、予定通りだ!スイレン!」
ヒノキが手を上げて合図すると、後方で待機していたスイレンが隣のポケモンに声をかけた。
「はい!シズク、発射です!」
シズクと呼ばれたそのオニシズクモは、既に作り上げていた巨大な水泡をライトニング目掛けて射ち出した。
もはやそれを弾くことのできる手足のないライトニングは、その四メートル近い身体が丸ごと特殊な液に満たされた水泡に包まれる。
こうなればもう、あとはその泡の中から正面のボーマンダによってとどめを刺されるのを、ただ待つしかなかった。
「『はかいこうせん』!」
オニシズクモの『みずびたし』によって水タイプとなった身体を、自らの『プラズマシャワー』によって強烈な電撃へと換わった『はかいこうせん』に撃ち抜かれたライトニングは、断末魔のようなすさまじい叫び声を上げた。
「前はここで逃げられたからな。スイレン、頼む!」
状況に油断することなく、ヒノキがスイレンに声をかけた。
「はい。シズク、仕上げです。」
スイレンの言葉に、オニシズクモはロープほどもある太さの糸で編まれた巨大な『クモのす』でライトニングを取り押さえた。
まもなく地面に伏したそのUBにアナベルがウルトラボールの開閉スイッチを押し当てると、わずかな抵抗も見せずに、静かに中へと吸い込まれていった。そのライトニングの収まったウルトラボールを手に、アナベルは二人の方に向き直り、にっこりと笑った。
「任務完了です。ありがとうございました。」
ほどなくして、ライチが墓地の方からやってきた。傍らにはカプ・テテフの姿もある。
「おーい!みんな、よくやった!ひとまずうちへ戻ろう!」
「ライチさん!カプ・テテフ!」
滅多に会えない守り神の姿にはしゃぐスイレンが駆けて行く後ろ姿を見ながら、ヒノキはアナベルの元へ歩み寄った。
「とりあえず、試練1コ達成だな。」
その言葉に、彼女は嬉しそうに頷いた。
「ええ。さあ、私達も戻りましょう。」
「ああ。」
しかし、ヒノキは歩き出す前にその場で深く息を吸い込んだ。そして、先を行き始めていた彼女の背に向かって、はっきりとその名を呼んだ。
「リラ。」
彼女の足が止まる。
「今度は周りに誰もいないぜ。」
ぴたりと静止したその背中に向かって、ヒノキは続けた。
「オレも、あんたをそう呼びたいんだ。ダメかな?」
彼女が口を開くまでに、少しの間があった。
「・・・今の私には、自分がその名で生きていた頃の記憶がほとんどありません。もはや別人といっても過言ではないでしょう。」
首を縦にも横にも振ることなく、こちらに背を向けたまま、彼女は抑揚の少ない声で言った。
「そんな私をわざわざその名で呼ぶことに。一体、どんな意味があるのです?」
ヒノキの方に向き直った彼女の表情は、決して怒っている訳でも、不快感を顕にしているという訳でもなかった。
ただ、アナベルというコードネームを持つ前に出会ったアセロラ達とは違うヒノキには、あえてその名で呼ぶ理由を、それも自分にリラの名を受け入れさせられるだけの説得力のあるものを求めると、確かにそう言っていた。
「それは」
それは、ヒノキ自身がずっと考え続けていた問いでもあった。
エーテルパラダイスでのあの夜、リラとしての記憶を失っている彼女を、どうしてそれでもリラと呼ぼうとしたのか。そして、どうしてそれでもアナベルとは呼べないのか。今ならその理由が分かる。
これまでは、彼女をアナベルという別人として割り切ることで存外うまくやってこられた。しかし、それが最近、少しずつ割りきれなくなってきていた。彼女の中にリラの面影が見える度に、「逃げている」という後ろめたさが影のようにつきまとい、そこにアセロラやクチナシが彼女をリラと呼ぶのを見て、焦ってしまったのだ。
そうして導き出した答えに、彼女を納得させられる響きが備わっているかは分からなかったが、それでもヒノキは正直にそれを告げた。
「オレが、あんたを友達だと思ってるからさ。」
予想外のその答えに、彼女の目が見開かれた。
「言っただろ?あんたの島めぐりのライバルはオレだって。ライバルってのは、つまるところ友達の一種だ。そして友達ってのは、仕事上の肩書きやコードネームで呼ぶもんじゃないだろ?」
それに、とヒノキは続けた。
「あんたをリラと呼ぶ人達を見てたら、オレもその輪に加わりたくなったんだ。具体的には、アセロラとかクチナシのおっちゃん、ビッケさんあたりな。えーと、だからつまり、みんなー」
照れくささからその先を言いよどむ彼に助け船を出したのは、墓地の方からやってきたハンサムだった。
「みんな、ボスの事を心から大切に思っている人間ばかりです。」
「・・・!」
「・・・ま、そんなとこだ。」
こめかみのあたりをくしゃくしゃと無造作に掻きながら、ヒノキはぶっきらぼうに認めた。
「それじゃ、ダメかな?」
そして彼女を見た。
これでもう、後戻りはできない。
この先どんなに辛い事実が判明しようと、全てをリラの事として受け入れなければならない。
それでもヒノキが彼女をその名で呼ぶことに決めたのは、その覚悟ができたというよりむしろ、そうなれるようにと立てた誓いであった。
柔らかな風が辺りを吹き抜け、草原を渡るさらさらという音が流れて消えた。
彼女がゆっくりと口を開いたのは、その後であった。
「・・・それでは、自己紹介をやり直さなければいけませんね。」
そう言ってからの彼女の表情は、まるで花が咲くのを見ているようだった。
「私の名前は、リラ・ヴァルガリス。アナベルというコードネームをもつ国際警察のUB対策本部の部長で、素晴らしい友人に恵まれた、幸せな島めぐりの旅人です。どうぞ、これからもよろしくお願いしますね。」
いつの間にか雨は上がり、雲の切れ間からはまだ高い位置にある太陽からの薄日が射していた。その光に、リラの大きなアメジストの瞳が小さく揺れているのをヒノキは確かに見た。
ー砂漠にも、虹ってかかるんだね!
不意に、あの少女の言葉が胸をよぎった。
◇
その頃、遠いエーテルパラダイスの一室から、彼らのそんな様子を画面越しに見守る者達がいた。
「ね。あの二人って、なんだかこのままいい感じになりそうじゃない?」
モニターの前に座っていたアセロラが、振り返って後ろにいたクチナシに同意を求めた。その表情は、やたらと喜色ばんでいる。
「だと良いがよ。」
床にあぐらをかいてペルシアンの爪を切っていた彼は、顔も上げずにそれだけ言った。
「あれー?おじさん、もしかして妬いてるのー?」
「ビッケ」
アセロラの冷やかしを無視して、クチナシは隣にいた部屋の主に声をかけた。
「そろそろあいつの方も本当に気をつけてやらねえと、下手すりゃ一気に潰れるぞ。」
「・・・やはり、クチナシさんもそう思われますか。」
そのビッケも、心配そうにクチナシを見た。
「・・・なに?どういうこと?」
二人の意味深な会話に、アセロラの顔から笑みが消える。
「うん。もしもね、リラがヒノキ君が昔の友達だったってことを知ったら。あんな風に笑っていられると思う?」
「あ・・・」
きっと、気を遣わせていた事に罪悪感を感じ、大切な記憶をなくした自分にこれまで以上にショックを受けるだろう。
おそらくヒノキもそう考えている。だからこそ、これまで彼女に対して一度も過去を引き合いに出そうとしなかったのだ。
「そっか・・・ヒノキ、自分が我慢すれば済むと思って・・・。」
自分の心の傷は手つかずのまま、リラの心配ばかりしている。
「そういう事だ。」
クチナシは立ち上がって切った爪をごみ箱に捨てると、画面の向こうで笑うヒノキを見ながら呟いた。
「このまま行くと、リラとの距離が近くなるほど、あいつの腹の傷は深くなるぞ。」
冒頭でもお伝えしましたが、今回にて第二章【CODENAME:ANABEL】は完結です。
第一章から更に多くの方々に読んで頂け、本当に嬉しい限りです。本当にありがとうございます。
次回からは主人公二人の出会いやバトルフロンティア時代といった過去の出来事を中心とした第三章【試練】をお送りします。