ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
【ここまでのあらすじ】
夕方から酒を飲みに行ったまま帰らないというヒノキを心配し、ロイヤルアベニューへと捜しに来たリラは、良からぬ事を企む連中により泥酔させられた彼を発見する。
どうにか連中を退却させ、ヒノキを保護することはできたものの、何があったのかという問いに、彼はただ真っ赤に泣き腫らした目で自分を睨みつけるばかりであった。
ヒノキが目を覚ましたのは、翌日の正午近くのことであった。
夕べ、一体どうやってロイヤルアベニューからこの部屋にたどり着いたのか、まるで覚えていない。なのに、そこに至るまでの本当に忘れたい記憶は皮肉なほど鮮明に残っている。
(とりあえず、謝らなきゃな。)
もちろんリラにである。
しかしそうなると、まずは自分が酒を飲むに至った経緯から説明しなければならない。そしてそれは彼女にとって、極めて衝撃的な真実をもたらされることを意味していた。
ーーどうしたものかな。
ベッドの上で頭とあぐらをかきながらヒノキが思案していた、その時であった。
『緊急避難勧告です。本日正午、アーカラ島ヴェラ火山公園にて特定外来生物の出現が確認されました。付近に在住の方はこの警報が解除されるまで、決して屋外には出ないでください。また、屋外で活動をしている場合は直ちに最寄りの建物へと避難してください。繰り返しますー』
突如、携帯からけたたましいアラームと共に、緊急警報の音声が鳴り響いた。その放送に反射的にPHSを確認したヒノキは、数時間前に端を発する無数の着信履歴に息を呑んだ。
焦りに弾かれるように、ベッドから飛び降りる。が、その瞬間に姿を現した身体の異変にバランスを奪われ、思わず床に膝と手をついてしまった。
「・・・っ!」
頭がひどく重く、そして痛い。
まるで動く度に頭の中をくろいてっきゅうがぐらぐら転がるようだ。そしてのどの奥から胸にかけては、一夜を経たアルコール特有の、やけるようなむかつきが渦巻いている。
それでもなんとか身支度を整えていたところに、ナギサが昼食を運んで来た。午前中は死んだように眠っていたヒノキも、この大音響ではさすがに目を覚ますだろうと踏んできたらしい。
「行くの!?」
どう見てもそんな体調ではない彼を見て、ナギサは驚いた。
「ああ。悪いけど、それは冷蔵庫に入れといてくれ。帰ってから食うよ。」
ナギサの運んできた盆の上の昼食は、一目でそれを作った彼の祖母の人柄が伺える献立であった。雑炊をはじめとした胃に優しくかつ水分を補える品々は、夜中に帰ってくるなり一時間トイレから出てこなかったヒノキを慮ってのことだろう。
「でも、リラちゃんは体調が悪いなら無理せず休んでいいってー」
「残念ながら二日酔いってのは無理せず休んでいい体調不良にはならねえんだよ、仕事においてはな。」
とはいえ、それは確固たる状態異常として彼に重くのしかかる。うめきながらリザードンの待機する窓へと向かうヒノキに、見かねたナギサは盆から鮮やかな緑色の液体の入ったコップを手に取り、差し出した。
「はい。ばーちゃんが、もしご飯が食べられないならこれだけでも飲んどきなさいって。二日酔いに効くからって。」
それは、ロメとラムの実をベースに数種類の薬草をミキサーにかけた、彼の祖母のいろは特製の二日酔いざましであった。
「マジか。ばーちゃんのとくせいは『おみとおし』かよ。」
そう言ってヒノキはコップになみなみ注がれたその酔いざましを、味わうことのないよう一気に飲み干した。それでも形容のしがたい香りと苦味からは逃れられなかったが、一方で胃の不快感と頭の鉄球の重量が確かに軽減するのを感じた。
「すげーな、効果は抜群だよ。じゃ、ちょっと行ってくるから、ばーちゃんにオレがメガZありがとうを言ってたって伝えといてくれ。」
そう言って窓からリザードンに飛び乗ると、ナギサの返事も待たずに行ってしまった。
(お酒って、そんなに飲みたいものなのかな。)
こうした大人を見るたびに、ナギサはいつも不思議でならない。かくいう彼の祖父のワタリも、休日の前夜になると祖母に呆れられるほど酒を飲んでは、翌日には飲みすぎたと言ってせっかくの休みを寝て潰している。それなら、美味しくて次の日も朝から元気に遊べるサイコソーダやミックスオレの方がよっぽど良い。
そんな事を考えながら、扉を開けるためにいったん盆を机に置こうとしたナギサは、そこでとんでもないものを見つけてしまった。
「え・・・」
これって。
彼は急いでヒノキの出ていった窓から顔を突き出して辺りを見回した。しかし、その姿は既に広い空のどこにも見つけられなかった。
◇
ハンサムの留守電によれば、今回の出現UBはパラサイト。キャプテン達はそれぞれの管轄の地区の警戒に当たっているため、現場はリラが一人で対応しているという。
(とにかく、まずは仕事だ。)
PHSに積もっていた、夥しい数の着信履歴。最初の一件のみがリラで、後は全てハンサムからというその内訳には、当然とは分かりつつもやはり胸に突き刺さるものがあった。堕ちた信用や開いてしまった距離を取り戻すには、言い訳ではなく行動が要る。
やがて、山頂付近の広場にてその姿は間もなく見つかった。両腕にあたる二本の触手に再生痕のあるそのパラサイトは、おそらく契約の日にディグダトンネルで戦った個体だろう。その向かいに、対峙するリラとフーディンの姿もある。
そして一見してその戦況を把握したヒノキは、改めて胸に痛みが走るのを感じた。
孤軍奮闘のこの状況で、フーディンがメガシンカをしていない。それはすなわち、彼女にそれに費やせるだけの体力や気力が残っていないことを意味していた。そしてその原因が昨夜、夜更けまで自分を捜して複数の男を相手にバトルまでしたこと、かつUB対策の責任者として今朝は早くから対応に追われていたこと、そうしてほとんど休めないままこの戦闘を迎えたことにあるということは、想像に難くなかった。
「ヒノキ!!」
そのリラの叫びは、後れ馳せた彼に対する気づきによるものではなく、警告であった。
罪悪感に囚われている間に、パラサイトが彼のリザードンを狙って放ったパワージェムに気付かなかったのだ。
「リー!!」
きらめく疑似宝石の弾丸が黒い翼に幾つもの風穴を作り、最大の弱点を突かれたリザードンは痛々しい叫びと共にぐらりと地に落ちた。
「もういい、戻れ!行くぞ、コウ──!」
しかし、腰に伸ばしたその指先は、ゲッコウガのボールをかすめることさえできなかった。
そしてそれが意味する事実を悟った瞬間、ヒノキは頭が真っ白になった。
──嘘だろ。
その腰のホルダーには、ひとつのボールも装着されてはいなかった。回らない頭で慌てて出てきた為に、他のメンバーのボールを全て部屋の机の上に忘れてきてしまったのだ。ついでに、昨夕からきよめのおふだを張りつけたままの
(オレは一体、何をしに来たんだ。)
自分に向けた、その発狂しそうなほどの怒りと失望と恥が、またいけなかった。
それらは単に彼から判断の思考回路を奪っただけでなく、強い負の感情としてパラサイトを惹き付け、その触手で心身ともに丸腰の彼を捕らえにかからせたからだ。
「ヒノキ!」
そのリラの声が聞こえた時には既に、彼はパラサイトの帽子のような頭部に包まれ宙に浮いていた。フーディンが地上から必死に技を放っているが、なかなか決定的な一打が入らない。ヒノキが本体に捕えられているために、思うように攻撃できないのだろう。
──やばい。
やがてヒノキがパラサイトの神経毒によって、だんだんと意識が遠のいていくような感覚に侵され始めた時だった。
(地上・・・?)
突然、目の前の景色が変わった。しかし、それは「変わった」のではなく、「替わった」のであることに彼が気づくのに、そう時間はかからなかった。
「うっ・・・!」
上空から聞こえたうめき声に、ヒノキは視線を上げた。
たった今まで自分が捕えられていた、パラサイトの頭部。そこに、あろうことかリラが収まっている。
(なんてことを・・・!!)
最初に出会ったバトル・バイキングの決勝でフーディンが見せた、対象者と自分の位置を入れ換える技。それを、今度は自分自身とヒノキを対象に使ったのだ。
そして傍らにいるそのフーディンは、今度は『なりきり』でパラサイトからコピーした赤いオーラをまとっている。紛れもなく、注意をヒノキから自分に向けるためだ。おそらく『サイドチェンジ』を放つ前に、リラがフーディンに指示していたのだろう。
──これじゃ、マジで伝説級のクソ野郎じゃねえか。
泣いて、酒飲んで、女に守られて、情けなさもレジェンドだな。
昨夜浴びせられた
その時、そんな彼の思いを汲み取ったかのように、傍らにいた赤いオーラをまとった彼女の相棒が、パラサイトの前へ躍り出た。
(フーディン・・!)
彼もまた主人を取り戻そうと躍起になり、捨て身の覚悟で攻撃を繰り出していた。ヒノキはそんな感情的なフーディンを見たのは初めてだった。
「!ダメだ、やめろ!!」
しかし、彼のそんな思いとは裏腹に、リラを捕らえて勢いづいたパラサイトは、その特殊攻撃の数々をミラーコートによって、たちまち返り討ちの弾丸にしてしまった。
「・・・!」
「フーディン!!」
そうして瀕死のダメージを負ったフーディンに、パラサイトはまるでとどめの一撃といわんばかりに怪しげな鈍い紫の光を放つ触手を向けた。
(!今、あれを受けてしまったら──!!)
ポケモンよりも遥かに脆弱な自分の人体がその一撃の前にほとんど意味を為さないことは、今日の散々な頭ですら分かっていた。それでも、ヒノキは傷ついて倒れたフーディンの前に立ちはだからずにはいられなかった。
「ぐああああ!!!」
ベノムショック。
それ自体は決して毒性は強くないが、既に弱りきっているフーディンや神経毒に侵されかけたヒノキにとっては、まるで水を浴びた身体に流された電流のように激しく響く追い打ちとなる。
「う、ぐ・・・。」
全身の痺れによってその場に倒れながらも、辛うじて視線だけは上げられた彼は、その光景に恐怖と絶望感で心臓が縮むのを感じた。
リラを捕らえたまま、ゆっくりと宙を上昇するパラサイト。その背後に、巨大な怪物の口を思わせる空間の裂け目が、ぱっくりと開いている。
「・・・・・・!!」
やっと、やっと見つけたのに。
また失うのか?
それも、今度はオレの目の前で、オレが自分の手によって──。
わずかに動く指先で、ヒノキは自分の無力さを呪うように地面をかきむしろうとした。しかし、その指先は土より先に、そこに転がっていた何かに触れた。
(・・・?)
淡い虹色にきらめく、ビー玉ほどの小さな丸い石。
それを見たヒノキの脳裏に、その石についていつかリラと交わした会話が過った。
「そういえばあなた、キーストーンをそのまま上着のポケットに入れていますけど、デバイスは?持っていないのですか?」
「あー。前まではバングル使ってたんだけど、半年くらい前に壊れちゃってさ。新しいのを買わなきゃとは常日頃思いつつ、別になくても使えはするからそのままで今に至るっていう、キーストーンあるあるだよ。」
「まったく。そんなところにそんな状態で入れていたら、今になくしますよ?これを機にちゃんと買ってくださいな。」
「いや、それはもうオレも心底そう思ってるんだけどさ。でもめんどくさいんだな、これが。」
そんな何気ないやり取りが、今や遠い世界の出来事になりつつある。
もう自分の何を代償にしてもいい。だから、だから、だから──。
(あいつだけは・・・!!)
血の滲む指先で、ヒノキはそのキーストーンを掴んだ。とたんに、握りしめた指のすき間からまばゆい光が漏れ始め、それに呼応するように、彼の背後で倒れていたフーディンが同じ光に包まれ出した。
──え?
宙空のパラサイトの内側からその光景を見ていたリラは、眼下で起きているその現象をうまく理解できなかった。
メガシンカは、
従って、自分のポケモンが他人のキーストーンに反応してメガシンカするなどまずあり得ないし、聞いたこともない。しかし、何かが引っ掛かる。
(絆──)
その言葉にリラは、ある可能性に思い当たった。
──ユンゲラーの時に交換して、そのままそいつに預けてんだ。
いつか、ハウオリシティの空き地で野生のケーシィを見つけた時。ヒノキは、このポケモンが自分の最初の相棒だと話していた。そして今、フーディンに進化したその相棒は、一人の友人に託しているのだと。
「嘘」
しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、フーディンは今や完全にメガフーディンへの変態を遂げていた。
願わくば思い違いであってほしいその仮説を裏付けるような現実に、リラの胸の鼓動はさらに加速し始めた。
(まさか。そんな──)
そんな事、あるはずない。
だって彼は、これまで一度だってそんな事を口にしなかった。もし仮にそうであったなら、どうしてずっと黙っていたというのだろう。いや、それより何より。
もしも、自分の一番大切な
祈るような思いで、リラは眼下で地に伏すヒノキを見た。相変わらず、蘇るものなど何もない。しかし、そのことが却って彼の性格を既に把握している彼女に全てを悟らせ、愕然とさせた。
──私が、そのどうしようもない罪の意識に苛まれないようにするためだ。
ヒノキからメガフーディンへの指示は、もはや言葉にする必要はなかった。
かけがえのない
そして、辺りに静寂が戻った。
◇
目はかすんでもはや役に立たないヒノキにとって、辺りの状況を知る手がかりは音のみであった。
静寂と風の音、そしてモンスターボールの起動音。それらは確かに戦いの終わりと、フーディンの
しかし、せっかく耳が仕入れたそれらの貴重な情報は、彼の頭に認識として残る前に、反対側の耳から抜け落ちてしまった。
「そんな」
間もなく意識を失うまでに彼の耳が拾い、頭で認識され、さらに感情となって胸まで届いた唯一の情報。
それは、涙を流しながら傍にへたり込むリラが壊れたように繰り返す、その呟きだけだった。