ポケットモンスターSM Episode Lila   作:2936

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本作においてはケーシィはわざマシンが使えないという設定でお願いします。

【前回の要点】
リラにかつての友人であった事を悟られたヒノキはクチナシに彼女の身に起きた事を教えてほしいと頼むが、その前にまずは自分達が知らないリラとの過去を話してほしいともちかけられる。
 


26.忘れられない

 

 

 その生まれて初めての戦闘(バトル)の事は、おそらく一生忘れないだろう。

 

 

(えーと。こいつが今使える技は・・・)

 

 少年は先ほど兄から贈られたばかりのポケモンの技を、一緒に渡されたメモで確かめた。そこに記されているのは『テレポート』の五文字のみで、後は説明も何もない。どうやら自分で実際に確かめろという意味らしい。

 

 たったひとつだけの技に彼は少し心許なさを覚えたが、これしか使えないということは、きっとこれ一本で十分戦えるメイン・ウェポンということだろう。すぐにそう気を取り直し、彼はその技の被験者となってくれる野生のポケモンを探しに家を出た。

 

「おっ」

 

 真新しいモンスターボールを握りしめ、自宅の裏手に広がる草むらに分け入ると、折よく一羽のことりポケモンがせわしなく地面をついばんでいた。

 

「よーし!いけっ、ケーシィ!!」

 

 突然投げつけられた赤と白の球に驚いたオニスズメが、慌てて臨戦体勢をとる。一方、そんなオニスズメの前に現れたケーシィは相変わらず居眠ったままだ。

 

 それでも、少年の胸の高鳴りはこの日二度目の最高潮に達していた。ずっと憧れ続けていた瞬間が遂に今、現実のものとなるからだ。

 

 少年は飛びかかってくるオニスズメに向かって指を突き出し、出会ったばかりの相棒に向かって勇ましく指示を出した。

 

「ケーシィ!『テレポート』!!」

 

 次の瞬間。 

 少年の眼前では、両者の技と技が火花を散らして激しくぶつかり合う──はずだった。

 

 

──フッ。

 

 

 その瞬間、ケーシィの姿が消えた。

 そして、それ以上は何も起こらなかった。

 

 

「・・・あれ。」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 エーテルパラダイスの副支部長室を後にしたその翌日。

 ヒノキは朝からメレメレ島を訪れ、ハウオリシティ内を歩いて回っていた。

 ショップやビーチには目もくれず、ひたすら空き地の草陰や木の上に視線を走らせる彼を、すれ違う人々の何人かは変わった人間として見たが、本人は全くに気にしない。が、訝しげな表情で自分を見張る一人の巡査の視線に気付くと、さすがに先手を打った。

 

「あ、すいません。今ちょっとポケモンを探していて。決して怪しいもんじゃないです。」

 

「ほう、ポケモンを。ちなみにモノは何で?」

 

 立派な体格をした色黒でくせっ毛の巡査は、相変わらず警戒を保ちながらも興味深そうに訊ねてきた。

 

「ケーシィです。あ、もしかしてお巡りさんも探してくれるんですか?」

 

「ふむ。ケーシィならほら、あそこ。あ、ほら、あそこにもいますよ。」

 

 そう言って巡査は、そこから見える場所にいる二匹の野生のケーシィを指した。が、この案件はそれで解決とはならなかった。

 

「いや、あいつらとは違うんですよ。僕が探してるのは、もーちょっと毛の色が明るくて、シッポが普通より若干細長いやつです。」

 

 青年の言葉に、巡査は当惑した。

 街中に生息していることもあり、彼は野生のケーシィを一日一度は目にする。が、それらをどれほど見ようとも、その各々に違いがあるとは思えない。その旨を彼に話すと、大きなため息をついて呆れられた。

 

「何言ってるんですか、一匹一匹全然違いますよ。あ、そうだ、じゃ写真あげますから、このケーシィを見たら僕まで一報でお願いしますね。」

 

 青年はそう言って、宙に浮く不思議な赤い機械に探しているというケーシィの写真を現像させた。しかし、どんなにその写真を眺め回しても、巡査は遂にそのケーシィに他の個体との違いを発見することはできなかった。

 

 

 ◇

 

 

 市街地を一周しても、以前仲良くなったあのケーシィは見つからなかった。

 

 

──引っ越しでもしたのかな。

 

 

 そんなことを思いながらヒノキが街から二番道路へと抜けた、その時であった。

 

「すみません!助けてください!!」

 

 ヒノキが素早く声の方向に視線を走らせると、そこには野生のアーボに睨まれた少女と一匹のケーシィの姿があった。

 標準的な個体より少し明るい毛色と、若干細く長めの尾(もっとも、それはヒノキにしか分からないほどの差違ではあるが)。

 

 それは間違いなく、彼の探していたケーシィだった。

 

「ライ!」

 

 連れ歩いていたライチュウを走らせ、そのまま威嚇電撃を放たせた。あくまで威嚇であったが、その威力に力量の差を感じたのか、アーボは大人しく草むらの奥へと消えていった。

 

「大丈夫か?ははっ、そっか。よかったよかった。」

 

 駆け寄ってきた青年に、少女が目を丸くしたのも無理はなかった。何しろ、彼がその言葉をかけたのは、自分ではなく目の前の自分のポケモンであったからだ。

 

「・・・あ、わるい、つい。きみも、ケガはない?」

 

 そんな少女の視線に気付いたヒノキは、ようやくケーシィを撫でる手を止め、彼女にも言葉をかけた。

 少女は見ず知らずの若者にやたらとなついている相棒に戸惑いながらも、こくんと頷いた。

 

 

 ◇

 

 

「そっか、もう野生じゃなかったのか。そりゃいくら草むらを探しても見つからない訳だ。」

 

「うん。前の日曜日にお父さんと一緒にゲットしたの。わたし、自分のポケモンってこの子が初めてで。難しかったけど、頑張ってよかったっていつも思ってるの。」

 

 そう言って、リコという名の少女は伸ばした膝の上にケーシィを抱いた。本当にこのケーシィが自分のパートナーになったことが嬉しいのだろう。そして消えることなく大人しく抱かれているケーシィもまた、そんな主人の気持ちをちゃんと分かっている。

 

「わたし、今九歳なの。だから、さ来年の島めぐりにはこの子と一緒に旅に出たいって思ってるんだけど──」

 

 そこで言葉が途切れると同時に、彼女の表情から笑みが消えた。

 

「だけど?」

 

「・・今、ちょっと不安なの。」

 

 そう言って、リコは腕の中のケーシィの後頭部に向かって話し始めた。

 

学校(スクール)で先生にケーシィを捕まえたって言ったら、ケーシィは『テレポート』って敵から逃げる技しか使えないから、初めて育てるには難しいよって言われちゃった。もう一匹、()()()()()()()ポケモンを捕まえて、ケーシィを育てるのはそれからにした方がいいわねって。そう言われちゃったの。」

 

 自分の名前が登場する度にケーシィは大きな耳をぴくんとはためかせたが、その内容までは分からないらしく、ただフスフスと満足げに鼻を鳴らしている。

 

「ショックだったけど、でも先生の言う通りで。さっきだって、この子は戦おうとしてくれてたのに、わたしはどうしたらこの子が戦えるのか全然わからなくて。何もしてあげられなかった。」

 

 不意に、彼女の声が揺らいで詰まった。

 

「だからわたし、本当にこの子のトレーナーになれるのかなって。」

 

 そう言い終わると共に、ケーシィがリコの腕の中から外へと移動した。自由になった二本の手で、彼女はぽろぽろとこぼれ出した涙を拭った。

 

 そんな彼女をヒノキはしばらく黙って見ていたが、やがて静かに口を開いた。

  

「きみは、ポケモンを育てるってどういう事だと思う?」

 

 突然の大きな質問に、リコは戸惑った。が、少し考えた後、最初に思い浮かんだ答えを口にした。

 

「ええっと・・・他のポケモンと戦って、経験値をもらって、レベルを上げること・・じゃないの?」

 

 自信なさげにこわごわと答えた彼女に、ヒノキは頷いた。

 

「その通り。大丈夫、間違っちゃいないよ。」

 

 その上で、新たな問いを投げかけた。

 

「じゃあ、その『戦って経験値をもらってレベルを上げる』っていうのはつまり、どういうことだ?」

 

「え・・・」

 

 今度は完全に答えに窮してしまった。

 そんなこと、今まで考えたこともない。

 もっとも、今までポケモンを持ったことのない九歳の少女なら当然だ。

 

 途端に深刻な表情をした彼女に、ヒノキは笑って言った。

 

「そうだよな、いきなりそんなこと聞かれても困るよな。大丈夫だよ。ライ、ケーシィ!」

 

 そしてライチュウとケーシィを呼び寄せると、目を閉じ、思念を直接送るために二体の頭に手を乗せた。

 

「・・・よし。それじゃあ、相手はあいつでいこうか。」

 

 そう言った彼の視線の先には、一体の野生のポケモンの姿があった。

 強さを求めて日夜自己鍛練に励む典型的なかくとうタイプのポケモン、マクノシタだ。

 

「え?あ、相手って・・・」

 

 事情が分からずに戸惑うリコ。

 しかしそんな彼女に構わず、ヒノキは戦闘(バトル)を開始した。

 

「ライ!」

 

 ライチュウはごく小さな電流でマクノシタにけしかけると、すばやく宙へ逃げた。そのため、振り返ったマクノシタが対戦相手と認めたのはケーシィだった。

 

「お、おにいちゃん!」

 

 腕を掴んできたリコを、ヒノキは口の前に人差し指を立てて制した。

 

「大丈夫だよ。まあ、ちょっと見てな。」

 

 嬉しそうに猛然と『たいあたり』で突っ込んでくるマクノシタ。見る間に距離は詰まり、瞬きの後にはケーシィはマクノシタもろとも背後の岩壁にめり込んでいるであろう。

 思わず目を瞑ったリコの隣から声が飛んだのは、そんなタイミングであった。

 

「『テレポート』!」

 

 まさにマクノシタの頭がケーシィの懐に突き刺さろうとする瞬間にその身体は消え、マクノシタだけが弾丸のように岩壁にめり込んだ。一方、ケーシィはそんなマクノシタの背後にゆうゆうと浮かんでいる。

 

「まだだぞ。あいつはお前の五百倍はタフだからな。」

 

 ヒノキがケーシィに向かってかけた言葉通り、砂煙の切れ間からは既に体勢を立て直し、『きあいだめ』をしているマクノシタの姿が見えた。凄まじい衝突音と岩壁のひび割れ具合から見て確実にダメージは受けているはずだが、その表情はとても嬉しそうだ。まさに気合い十分。

 

(・・・!)

 

 そのマクノシタは今度はすぐに突っ込まず、牽制するように継ぎ足・擦り足でじりじりと距離を詰めている。攻撃のタイミングを焦らして不意を突くつもりらしい。それならば。

 

「ケーシィ!もう一度『テレポート』だ!」

 

 今度は先手を打って、ケーシィが先に消えた。

 

『ムッ!?』

 

 突然の対戦相手の消失に、マクノシタは動揺した。

 そのために再び現れたケーシィを見つけた途端、状況も確認せずに『たいあたり』で突っ込んでしまったのが、彼の敗因だった。

 

『グギャッ!!?』

 

 ケーシィがマクノシタを引き付け、そして再び『テレポート』で離脱した場所。そこは、その一帯のマケンカニ達の長が今まさに食事をしている果樹の根元であった。

 

『ニィィィィィィ!!!』

 

 その怒声と共に放たれたマケンカニの渾身の一撃が、マクノシタを三番道路の彼方へと吹っ飛ばした。どうやら、マクノシタの『たいあたり』が彼の『いかりのつぼ』に入ったらしい。

 

「まだだ。そいつもお前の獲物だぞ。」

 

 マケンカニが再び目の前に現れたケーシィを睨んだ。マクノシタを自分にけしかけたことを理解しているらしい。しかし、既にその勝負がついている事は、もはやリコの目にも明らかであった。

 

「もう一度『テレポート』だ。」

 

 その最後の指示が、マケンカニの『いわくだき』を果樹の幹に炸裂させた。そうして生じた天然の『ウッドハンマー』が、既にギリギリの体力であったマケンカニへの決定打となった。

 

「よくやったぞ、ケーシィ。ライもナイスアシストだ!」

 

 そう言ってヒノキは上空から戦況を眺め、ケーシィに念でテレポートの位置(ポイント)を教えていたライチュウを呼び戻した。

 

「ふあ・・・。」

 

 そんな彼らに、リコは言葉が見つからなかった。

 見たことも聞いたことも、もちろんやったこともないテレポート一本での勝利。おそらくスクールの先生でもそうだろう。

 

「確かにケーシィはテレポートしか使えない。けど、テレポートじゃ戦えないなんて、誰が決めた?」

 

 まだ何も言えない少女に、ヒノキは続けた。

 

「先生だろうが博士だろうが、ポケモンの全てを知っている人間なんていない。それはつまり、ポケモンには誰も知らない力がまだまだ眠ってるってことなんだ。もちろん、このケーシィというポケモンにもね。」

 

 じゃれるように左肩に掴まっているケーシィを少し撫でた後、ヒノキはしゃがんでリコに目線を合わせた。

 

「だから君はまず、こいつのことを誰よりもよく知ることから始めるんだ。場所や距離や食べ物なんかの好き嫌い、得意不得意、性格やクセ・・・そういった自分の目や耳で集めた情報こそが、今言った誰も知らない力の発見につながるんだ。」

 

「ケーちゃんのことを、誰よりも・・・。」

 

「そう。そして、そうやって培った知識や経験をフルに使って今の自分を越えていくのがポケモンバトルさ。だからバトルは熱くなるし、やめられないんだ。」

 

 正直、目の前の青年の話はまだ半分も消化できない。それでも、リコは胸の中でしぼみかけていた夢が再び膨らみ出すのを感じた。同時に、ふとある疑問が湧いた。

 

「・・・でも、おにいちゃんはどうしてそんなにケーシィの事をよく知ってるの?」 

 

 ヒノキは笑った。

 

「そりゃあオレも最初のポケモンがケーシィだったからさ。それでやっぱり、バトルができなくて悩んだんだ。」

 

 そう言って、例の初めてのバトルとその後の事を話してやった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「よう、ヒノ。どうだ?おれのやったケーシィ、いいだろ?」

 

 オニスズメにつつかれた腕に自分でキズぐすりを塗り込んでいた少年は、能天気な言葉をかけてきた兄をきっと睨みつけた。

 

「ああ?いいも何も、こいつテレポートしかできねーじゃん。攻撃できないのに、どうやって勝つんだよ。それともそーゆーイジメか?」

 

「それを考えてポケモンに教えてやるのが、ポケモントレーナーだ。」

 

 相変わらずにこにこしながら、マキは四つ下の弟の頭に手を置いて、諭すように続けた。

 

「できない事を数えたところで何も始まらないぞ。まずは今できる事を手がかりにしてよく観察し、考え、できる事を増やしてやる。そしてそれを、どうしたら勝利に結びつけられるかを更に考えるんだ。」

 

「んなこと言ったって──」

 

 まだ不平を言いたげな弟の頭に手を置いたまましゃがんで視線を合わせると、マキは優しい顔で、しかしきっぱりと言った。

 

「いいか、ヒノキ。こいつを自分の力で育てられるかどうかで、お前のトレーナーとしての素質が分かる。もしもこいつがテレポートしか使えないから戦えないと思うなら、お前もその程度だということだ。」

 

 

 その兄の言葉が、本当のスタートラインだった。

 

 

「いいか。今から言うポイントに、オレが合図を出したら飛ぶんだぞ。」

 

 テレポートで池や岩や木に相手を引き付けて自滅を誘ったり、別の野生ポケモンと引き合わせて戦わせたり。

 

 

「・・・もちろん、初めの頃は失敗ばっかりで大変だったよ。でも今は、あいつが最初のポケモンで本当に良かったと思ってる。」

 

 負け続けてもめげずに一緒に過ごし、観察し、考え、初めて勝てた時。

 小さな胸が、まだ見ぬ無限の可能性に震えるのを感じた。

 

 

──勝った。オレたち、勝ったんだ!!

 

 

「これがポケモントレーナーなんだって。あの時の喜びは、今も忘れられないよ。・・・!」

 

 そこでヒノキはあることに気付き、はっとした。

 

「・・・おにいちゃん?どうしたの?」

 

 急に黙り込んだ彼を、リコが心配そうに覗き込んだ。

 

「・・・いや、なんでもない。そうだ、もうひとつだけ。」

 

 ヒノキはすぐに表情を繕い、再び未来のポケモントレーナーに向き合った。

 

「さっきもちょこっと言ったけど。バトルの相手は現実には確かに目の前のポケモンだ。でも、本当に戦っている相手はいつでも自分自身だと思っていてほしいんだ。」

 

「わたしが、わたしと戦ってるってこと・・・?」

 

 不思議そうな表情をした彼女に、ヒノキは頷いた。 

 

「ポケモントレーナーを名乗るのに必要な条件はない。でも、だからこそ、戦うことや強さというものを勘違いしないでほしいんだ。ただ力任せに相手をねじ伏せるような戦い方では、トレーナーもポケモンも、本当の意味で成長(レベルアップ)できる経験値は得られない。・・・分かるかな?」

 

「うーん・・・なんとなく。」

 

 そう言ったリコは、本当に何となくは分かる、という風だった。

 

「難しく考える必要はないんだ」

 

 彼女が再び深刻な表情をしないよう、明るい調子でヒノキは言った。

 

「たとえば、君はさっきアーボと出くわした時、どうしていいのか分からず何もできなかったって言ってたね。なら、その『どうしていいのか分からず何もできない自分』に勝つためにはどうしたらいいか。そこから始めるんだ。」

 

 おそらく、今の彼女がこれらの言葉の意味を真に理解することはできないだろう。それでも胸の片隅に留めておいてくれれば、いつか分かる日が来るはずだ。自分にとって、兄の教えがそうであったように。

 

 リコは目の前でポケマメを美味しそうに食べるケーシィを見つめながら、隣の青年の言葉を考えていた。そうしてしばらく経ってから、ヒノキに顔を向けた。

 

「分かんないけど、分かった。」

 

 言葉に反して、その笑顔はとても晴れやかだった。

 

「わたし、ケーちゃんとずっと一緒にいたいから。おにいちゃんの話はまだよく分からないけど、でも、がんばれると思う。」

 

「今はそれで十分だ。」

 

 そんな彼女の言葉に、ヒノキもまた満たされた思いがした。

 

 

 ◇

 

 

「じゃあ、気をつけて帰れよ。」

 

「うん。今日は本当にありがとう。」

 

 ヒノキとリコが別れの挨拶を交わしたのは、アローラの大きな太陽が遥かな水平線へと沈み始めた頃だった。

 

(おっと、もう一時間切ってるのか。)

 

 約束の時間が迫っている。ヒノキがリザードンのリーを繰り出し、エーテルパラダイスへ向かうべく彼の背に跨がった、その時だった。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

 リコが不意にヒノキを呼び止めた。

 

「わたし、わたしね──。」

 

 ケーシィを抱きながら切り出した彼女の声は、緊張で少し震えていた。そしてそのために、そのまま口ごもってしまった。

 

「・・・ううん。やっぱりなんでもない。」

 

 まだ、なれるかどうかも分かんないし。

 そう呟いた少女の頭に、彼女の心中を察したヒノキはぽんと手を乗せて言ってやった。

 

「夢を声に出して誰かに言うことは、とても大切なことだよ。」

 

 その言葉に、彼女は腕の中のケーシィを見て嬉しそうに頷いた。そして、ふと思った。

 

「・・・そういえば、おにいちゃんのケーシィは?今はいないの?」

 

「ああ、今は友達のところにいるよ。もうそいつに預けて十五年になるかな。」

 

 その答えに、リコは少なからず驚いたようだった。

 

「えっ・・・?寂しくないの?」

 

 その一言に、ヒノキの目と心は一瞬揺らいだ。が、すぐに目を瞬いて続けた。

 

「そうだな、寂しくないと言えばもちろん嘘になる。けど、あいつにはその友達のそばに居てやってほしいから。今はそれでいいんだ。」

 

 彼の言葉に、リコは幼心にもその別れが寂しさを超えたものであることを悟った。

 

「そっか。とっても大事なお友達なんだね。」

 

「ああ。ケーシィと同じくらい、大切な友達だよ。さあ、それじゃオレはもう行くぞ。もう言い残したことはないな?」

 

「うん!え?・・・あっ!」

 

 ヒノキの言葉に、リコは肝心な事を思い出した。

 そして既にオレンジ色の空へ飛び立った彼に届くよう、精いっぱいの声で叫んだ。 

 

「わたし!ぜったいおにいちゃんみたいなトレーナーになるからねー!」

 

 

 ◇

 

 

 なぜ、急にあのケーシィに会いたくなったのか。今ならその理由が分かる。

 

 

──失われてなんか、いないんだ。

 

 

 彼がケーシィと過ごしたのは、もう15年以上前の遠い過去だ。記憶を失っていないヒノキだって、もう詳しい事は憶えていない。でも、その日々が確かに今の自分を形作っている。記憶はなくても、この現在そのものがその時間が存在した証なのだ。

 その事をあのケーシィは教えてくれた。

 確かにリラとフーディンはかつて自分と過ごした時間の記憶を失ってしまった。だが、自身がそうであるように、今の彼らの中にもまた、在りし日の自分や彼ら自身が生きているのではないか。

 

「リー。少し急げるか?」

 

 そうして彼もまた、自身が知らぬ間に失っていたものを取り戻すべく、黄昏のアローラの空を急いだ。

 

 




 
ケーシィはエスパータイプなので体重は0kgです。
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