ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
【前回のあらすじ】
ハウオリシティ郊外のポケモン研究所を訪れたヒノキは、ククイ博士から七台目のポケモン図鑑となるロトム図鑑を託される。
「島めぐり?」
「そう。アローラでは昔から、十一歳になった子供は一人前の人間になるために四つの島を旅する習わしがあるんだ。人とポケモンとが互いに助け合って、持てる力の全てを尽くして試練をこなして己の限界を超えて成長していく。それが島めぐりさ。」
その日の夕食は研究所の前の浜でのバーベキューだった。アローラ地方のポケモン談議に花を咲かせるヒノキ達の傍らで、イワンコがふといホネを噛み砕かないよう、大事に味わっている。
──今日は僕が腕によりをかけて、一番の得意料理をごちそうするからね。
そう触れ込まれたメニューがバーベキューと判明した時こそヒノキはその期待値を引き下げたが、実際に振る舞われたそれは料理どころかご馳走以外の何物でもなかった。種類ごとに丁寧な仕込みがなされた具材は全て網の上で持ち味を最大限に発揮し、特にアローラ名物でもあるガーリック・ブロスターは文字通り弾けるような美味さだ。肉や野菜をただ網に載せて焼くだけという彼の従来のバーベキュー観は、見事に覆された。
「へえー、いいなあ。オレもしたかったなぁ。」
蒸し焼きにしたポケマメの殻を剥く手を止めて、ヒノキは無邪気に羨ましがった。もう博士ともそのポケモンとも、すっかり打ち解けている。
「来世は絶対アローラに生まれるよ。」
気軽な調子でそう言った彼は、缶のビールを一口飲み、殻を剥いたマメを口に入れた。じっくりと熱を通されたマメはほっくりとしていて、ほのかに甘みがある。アローラでは定番の酒の肴だ。
「おいおい。だからって、今生を生き急ぐんじゃないぞ?それに、四つの島を巡ること自体は何歳でもやっていいんだから。大人になってからの島めぐりでも、発見や成長はきっとあるはずだよ。」
半ば冗談、半ば本気のつもりでククイ博士は窘めた。
転生というのは誰だって一度は夢想するだろうし、その事に別に否を唱えるつもりはない。しかし、彼のような若い人間が実際に口にするとなると、やはりあまり良い気がしなかった。
「あ、ごめん、そういうつもりじゃなくて。ただ単純に、十一歳の島めぐりがしたいなって思っただけだよ。だってあんなに何もかもが新しくて鮮やかなのって、やっぱ初めての旅の時だけだからさ。」
そう言うと、ヒノキは隣で物欲しそうに鼻を鳴らしていたヌイコグマにもマメを分けてやった。
それを聞いても、博士は彼の来世という言葉が妙に引っかかった。
そしてそれは、この出会って半日の若きレジェンドから密かに感じていた違和感と、何か関係があるような気がしてならなかった。
「で、そのハウとピアって奴らは今どこにいるの?二人とも、家はこの近くなんだろ?」
そのヒノキの声で我に返った博士は、慌てて目の前の彼に焦点を戻した。
「ん、ああ。ハウの方は少し遠いけど、ピアの方はほら、あの家がそうだよ。もっとも、今は二人ともポケモンリーグにむけての最終調整を行っているはずだから、家にはいないと思うけどね。」
そう言って、手にしていたトングで少し離れた隣家の屋根を指した。
「そっか、もうそんな時期か。ああ、オレにもそんな頃があったなぁ。」
懐かしそうにヒノキが言った。
「そういえば、君がカントーリーグを制したのも確か今のあの子たちと同じ年頃だったな。えーと、あれは僕がまだタマムシ大学の研究生だった頃だから――」
「もう十二年になるよ。あの時はオレが十一だったからね。」
「うわあ、もうそんなに経つのか。そりゃ僕も年を取るわけだ。しかし君のあの決勝戦は今も昨日のことのように覚えているよ。あの試合を見てなかったら、アローラにもポケモンリーグを作りたいなんて思わなかったんじゃないかな。まさかあの少年と酒を酌み交わす日が来るなんて、現にそうしている今でも不思議な気分だ。」
酔いが回ってきたのか、博士は少し饒舌になっている。
そんな博士に、ヒノキは笑って言った。
「買いかぶりすぎだよ。それに、今じゃあの年代のリーグチャンピオンは結構出てるしね。」
そう言ったヒノキの頭には、各地で出会った個性豊かな後輩たちの顔が思い浮かんでいた。どいつもこいつも生意気で頼もしい、記憶の中でもにぎやかな面々だ。
「いやいや。それでも君の存在は特別だよ。カントーから来たピアも言っていたよ、男の子ならみんな誰でも一度は『ヒノキごっこ』をやるってね。今回の件が無事片付いて、ポケモンリーグも終わったら、是非トージョウレジェンドとしてあの子達と手を合わせてやってくれ。」
「もちろん。オレもその時が来るのを楽しみにしてるよ。」」
ヒノキは残っていたビールを飲み干して笑った。
その表情に、博士は再び強い違和感を感じた。
元気がない訳ではない。無理をしているという風でもない。
なのに、その瞳に十二年前のあの輝きは見られない。
まるで不意に見せる色のない諦念が、そのなれの果てであるとでもいう風に。
それからしばらくの間、二人は黙って夜の海を眺めた。
昼間は太陽の下で翡翠色に輝いた海は、今は月の光を湛えて黒曜石のようにきらめいている。様相は違えど、筆舌に尽くしがたい美しさに違いはない。
その時、博士はふと思った。
──太陽や月の光がなければ、海は輝かないよな。
直感ではあるが、何か核心に触れたという感触があった。
◇ ◇
翌朝、ヒノキが研究所の玄関でククイ博士の見送りを受けたのは、まだ空がようやく白み始めた頃だった。
「早いからいいって言ったのに。」
「いやいや。図鑑を託した若者の旅立ちを見届けるのは博士の義務だからね。」
そう言いつつ、博士は噛み殺せなかったあくびで開いた口を両手で覆うと、そのままメガネの下に手を入れてねぼけ三白眼をごしごしとこすった。昨夜は目の前の青年の違和感の正体についてあれこれと考えてしまい、結局ほとんど眠れなかったのだ。
「だけど、まだ約束の日まで三週間以上あるんだろう?それだけあれば慌てなくとも挨拶回りと情報収集は十分間に合うし、ポケモンも育っている君なら、全ての島を一通り見ることもできると思うが。」
遠くの方でヤミカラスがギャアギャアと騒ぐ声がした。明け方とはいえ、まだ夜行性のポケモン達が活動している時間だ。
「いや、こっちの気候とか今のメンツのコンディションを考えると、やっぱ何匹かは入れ替える必要がありそうだからさ。できるだけ、そっちに時間を使いたいんだ。」
それに、とヒノキはそこでいったん言葉を切ると、
「来世の楽しみが減っちゃあつまんないしね。」
あくまで朗らかに、軽口であるという風に笑って言った。しかしその瞳は、やはり半透明に翳っている。
博士はもう一度、その事について考えてみた。
各地の悪の組織絡みの事件にも関わってきた彼なら、社会や人間の暗い部分も幾度となく見てきたことだろう。そうした、いわば「世界」に対する失望の積み重なりという可能性もある。しかしもしそうだとしたら、そもそも「来世」を望んだりはしないだろう。となるとやはり、この十二年の間に彼の生きる上で光源であった何かが失われた可能性が高い。そうであれば、哀しく、難しい問題だ。
「さあ行くか。リー!」
そう明るく声をかけたヒノキの手のモンスターボールから、美しい黒いリザードンが現れた。俗に『ブラック・アルビノ』と呼ばれる、希少な色違いの個体だ。その容姿から裏社会の人間達がこぞって手に入れたがる為に違法な取り引きや繁殖が絶えず、負と闇の象徴という認識が強い。
(だけど)
博士は思う。
たとえどんな理由があったとしても、君にはそんな瞳で来世の話なんかしないでほしいんだ。だって君は──。
「夕べも同じような話をしたけれど」
リザードンの背に乗ったヒノキに向かって、博士は声をかけた。
「アローラでは人もポケモンもみんなが互いに助け合う。君にも、僕やキャプテン達や島々の長のみんながいる。誰かの力を借りることは決して弱さじゃない。それを忘れないでくれ。」
その言葉に、ヒノキは穏やかな笑顔で頷いた。
「ありがとう。大事に覚えておくよ。」
しかし博士は、一瞬、彼の目と口がそれとは違う何かを言おうと歪んだのを見逃さなかった。が、それを問いただす前に、若きレジェンドはまだ太陽の昇らない暁の空へと飛び立っていった。
◇
リザードンの尾の炎が完全に見えなくなるまで、博士はその姿を見つめていた。
彼が失った光が何なのかは分からない。
だけどもし、君に憧れる十一歳のトレーナー達と手を合わせるその時までに、その瞳に輝きが戻らなければ。
そこまで思いを巡らせると、博士は白衣のポケットのモンスターボールを握り締めた。その中には、かつて自身が島めぐりの苦楽を共にした相棒が入っている。
「まずは僕が、渾身のめざましビンタをお見舞いするよ。」
だって君は、チャンピオンなんだぜ。