ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
【ここまでのあらすじ】
バトル・レセプション参加者全員によるトーナメント戦は、フユキとヒノキによって決勝が争われ、結果、ヒノキの優勝に終わった。そんな彼らの戦いを見たリラはその夜のヒノキとの電話のやり取りを通じ、翌日の彼との対戦に自らの変化の予感を感じる。
そしてヒノキもまた、そんなタワータイクーンとの対戦を楽しみに眠りに着いたが・・・。
シェフレラ・コーヴァンがその違和感の存在に気付いたのは、バトル・レセプション三日目の朝のことであった。
「ヒノキ、おはよう!さあ、起きて起きて!今日からいよいよ──」
しかし、彼のそのダイレクト・モーニングコールはそこで途絶えた。というのも、前日の朝は清々しいまでに寝坊をした友人の姿が、今朝はすでにその部屋のどこにも見当たらなかったからだ。
ーーそりゃあ、確かに約束も何もしてなかったし、今日は
朝食をとるために一人カフェテリアへと向かう道すがら、彼は胸中のわだかまりに思いを巡らせていた。
別に、何時に起きてどこへ行こうが彼の勝手であるし、それをわざわざ自分に告げる義務もない。ましてや今日は、全員参加のトーナメント戦の初日だ。仮に彼が自分に何も言わずに
(でも、だからこそ・・・ね?)
シェフレラはつい思ってしまう。
自分以外の誰もが敵となるこんな日だからこそ、ほんのひとつでも友達らしいつながりを持ちたかった、と。
◇
食堂の雰囲気自体は昨日とさほど変わらなかったが、やはりどことなく試合前の緊張感のようなものが漂っている。
そんな中、一人の少年が彼の元へと寄ってきた。
片手に網を携え、ポーチのように虫かごを肩にかけた、模範的なむしとりしょうねんだ。
「おっ、さすがだな。チャンピオンの弟は自主トレか?」
「?何のこと?」
「え?ほら、初日からおまえと一緒にいる、ユンゲラー連れてるあいつだよ。えーと、ヒノキとか言ったっけ?へ、おまえマジで知らないの?」
「・・・何を?」
シェフレラの胸がざわめいた。
聞きたくないな、と思ったが、すでに少年はないしょ話の邪魔になる麦わら帽を外し、彼の耳元に口を寄せてきていた。
「ほら、おまえもカントー勢だったら知ってるだろ?二年前のポケモンリーグの優勝者のマキ・エニシュ。あいつ、そのマキの弟なんだって。」
どくんと、シェフレラの胸が大きく揺らいだ。
マキ・エニシュ。老若男女を問わず、今やカントーのポケモントレーナーで知らない者はない、伝説の史上最年少チャンピオン。
当然シェフレラもヒノキのフルネームを初めて聞いた時は反射的にその名を思い浮かべたが、それだけで二人を結びつけるのは短絡的すぎると、その時点で可能性を切り捨てていた。
「・・・名字がたまたま一緒なだけじゃないの?」
「いや、オレも詳しくは知らないんだけどさ。でも、誰かがオーナーが言ってたから間違いないって。」
もちろんヒノキはシェフレラにそんな事は一言も言っていないし、仄めかす事さえしていない。しかし、そうであるとすれば、彼がユンゲラーという八歳児らしからぬポケモンを所持していることや、チャンピオンに対するあの屈折した態度にも合点がいく。
シェフレラは、自分の中で彼がまた一歩遠ざかるのを感じた。
「シェフ、それオレにも一杯ちょうだい。」
だからこそ、その四十分後に彼が何食わぬ顔で食堂に現れた時、嫌味のひとつもなく自然に彼を受け入れた自分自身に驚いたのだ。
「ヒノキ!どこに言ってたのさ?」
「朝飯前の散歩だよ。オレの日課なんだ。」
「もう。よく言うよ。それより、はい、これ。今日のトーナメントの──」
最初は彼自身もその現象がうまく掴めず、気のせいだと思おうとした。しかし、違和感はそのトーナメント戦の開幕につれて、いよいよ明らかになった。
初戦で涙を飲んだ自分に対し、一足跳びで階段を上がるように勝ち上がっていくヒノキ。しかし、いかにも二人の関係がぎこちなくなりそうなその構図にも関わらず、シェフレラは何の無理もなくヒノキの隣に居ることができたし、心から彼を応援し続けることができた。
やがて、他の参加者同士の戦いを観ている内に、その不自然が自分だけの現象ではないことに気付いた。全員が、素質があると言われて満を持してやって来た場で、明確に示された序列。そんな勝者と敗者がいる空間としては、あまりに空気が爽やか過ぎるのだ。まるでスリープに喰われてしまった夢が記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっているかのように、本来ならばそこにあるはずの感情が胸の中のどこにも見当たらない。
「シェフ、どした?しんきくせー顔して。」
「あ、ううん!大丈夫、何でもないよ。」
彼はその事について、それ以上は追究しなかった。どんな事情があるにせよ、心の暗がりなどないに越したことはないのだから、あまり考えない方がいいと考えたためだ。
そしてそんな違和感を心の片隅に保留したまま迎えたレセプション六日目の朝、事は起きた。
◇ ◇ ◇
「ヒノキ、おはよう。もう起きてる、よね?」
その朝も、シェフレラはヒノキの部屋の扉を叩いた。
結局、彼がいなかったのは三日目の朝だけで、昨日・一昨日は自分が来るまで熟睡していた。
そしてそんな前日までと同じように、彼はやはりベッドの中にいた。しかし、どうも様子がおかしい。
遠慮がちに部屋の中に進み、ベッドの脇からそっと彼の顔を覗き込んだシェフレラは、思わず声を上げた。
「!?ど、どうしたの!?その、顔ー!」
「大丈夫。ちょっと、寒気がするだけだよ。」
布団にくるまったままそう答えたヒノキの顔色は蒼白で、血の気がない。
夕べ別れた時とはまるで別人だ。
「大丈夫な訳ないよ、そんな顔で!ちゃんとお医者さんに診てもらわないと!待って、今医療センターに電話を──」
そう言いながら電話の受話器を取ったシェフレラを、ヒノキは制した。寒気のためか、彼の腕を掴んだ温度のないその手は小刻みに震えている。
「いや。ちょっと悪い夢見ただけだから。体調不良とか、そんなんじゃない。きっと戦ったら熱くなってじきに治るよ。」
そしてゆっくり、ゆっくりと起き上がってどうにか身仕度を済ませると、愛用のデニムキャップを被り、脱け殻のような笑顔をシェフレラに向けて言った。
「オレは、ポケモントレーナーだからな。」
◇ ◇
「よお。よろしく。」
そう言って試合開始時刻ぎりぎりにフィールドに現れたヒノキの異常には、当然エニシダとリラも一目で気づいた。
「ヒノキくん・・・?なんだかあまり体調が良くなさそうだけど・・・ほんとに大丈夫?」
「もちろん。いや、これ今日の試合が楽しみ過ぎて寝れなかったっていうあれなんで。さあ、早く始めようぜ。」
しかし、その呼吸は荒く、両手で膝頭を掴んで上半身を支えている。誰がどう見ても、立っているのがぎりぎりという状態だ。そんなヒノキの様子に、観衆の子どもたちもざわめいている。
リラとエニシダは、ちらりと視線を交わした。そしてその暗黙の一瞬の内に「早めに勝負をつけるしかないだろうな」という合意を確認し、共に頷いた。
『・・・えー、それでは!これより、挑戦者、ヒノキ・エニシュくんとタワータイクーンのリラ・ヴァルガリスによるチャレンジマッチを始めます!それでは、試合開始!!』
その合図とともにリラの放ったハイパーボールからボーマンダが、やや遅れてヒノキの放ったモンスターボールからユンゲラーがそれぞれ現れた。
無論、リラの胸には本当にこのまま戦ってよいものかという迷いがあった。何しろ目の前の彼は確実に健常ではない。
しかし──。
ー確かに今のオレはおまえにキョーミないけど。でも、だからって明日もそうとは限らないからな。
そう言っていた彼が、今は不調を押してまでフィールドに立ち、自分と戦おうとしている。
そしてその足元には、どうしても自分に対する何か思いやりのようなものが埋まっている気がしてならないのだ。
そのようにして半ば強引に俊巡に
ヒノキが口を開く、それどころか顔を上げるより前に、ユンゲラーはくるりと踵を返し、対戦相手に背を向ける格好で右手のスプーンを放り投げた。そしてそれは、まるでそのように意図されたかのように、すっとリラの手中へと収まったのだ。
「・・・?」
『おっと、先に動いたのはヒノキくんのユンゲラーだ!・・が、しかし、これは・・・』
そこで言葉が途絶えたエニシダもまた、ユンゲラーのその行為の意味を測りかねて困惑しているようであった。
「・・・これは、一体?」
右の掌に収まった銀色のスプーンをヒノキの方へ差し出しながら、リラは訊ねた。
「そのまんま、だよ。」
ひどく緩慢な動作で額の冷や汗を拭いながら、ヒノキは一語一語絞り出すように答えた。
「スプーン
そう言って、身体で息を継ぎながらどうにか口許を緩ませた。
そしてそんな彼が意識を失ってその場に倒れ込んだのは、その直後のことであった。
◇
その日の夕刻。
バトルタワー最上階の自室に戻っていたリラは、手にしていたスプーンが急に曲がった事によって初めて来訪者の存在に気がついた。
「・・・やあ。きみか。」
キャスター付きの椅子に腰かけたまま振り返った先にいたのは、そのスプーンの持ち主であった。
今日の試合やヒノキの事を考えていた為に、その気配に気づかなかったのだ。
リラはユンゲラーが
「今日はすまなかった。ぼく達が最初から試合を中止にしていれば、君がこれを投げる必要もなかったのに。」
そう言って、リラは手のスプーンをユンゲラーに差し出した。ユンゲラーは気にするなと言わんばかりに首を振ってそれを受け取ったが、その様にはまるで相棒というより保護者のような頼もしさがあった。
「・・・きみは、本当に賢いポケモンだな。」
自分より、エニシダより、そして主人よりも。
彼の下した判断は、本来であれば自分達人間、それも主催者である自分やエニシダがすべきものであった。
それでもユンゲラーが彼らを非難しないのは、それがヒノキの意思を尊重した判断であることを知っているからだ。
主人を理解しているが故の懐の広さをもつ相棒の存在に、リラは羨ましさが胸を過るのを感じた。
「ところで、きみの主人の具合は大丈夫なのかい?まだ目が覚めたという連絡は受けていないけど・・・」
そのリラの言葉に答える代わりに、ユンゲラーは受け取ったばかりのスプーンを彼の白い額に当てた。
その瞬間、ひやりとした銀の感触とともに、リラの脳裏に鮮やかな
「これは──」