ポケットモンスターSM Episode Lila   作:2936

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このタイミングで言うのも何ですが、主人公による施設攻略は前回のファクトリーのようにこってり書く場合と、ハイライトであっさりお送りする場合のニパターンが存在します。
全部書きたい気持ちは山々なのですが、現時点ではちょっと限界があるというか限界しかないので、いつかきっとあるはずの加筆修正に期待して頂ければ有り難いです。


【前回の要点】
 ジラーチを狙う犯人の手がかりを求めて訪れた先のバトルチューブ。そこでヒノキは再び謎の文書を受け取り、二つ目のシンボルチャレンジに挑むこととなる。
 


48.10年前⑧ 老人と海

 

 

 【七月三日 昼】

 

「さあ!ここまでたどり着いたあなたの運、最後の最後まで試させてもらうわよ!」

 

 そう叫んだチューブクイーンのアザミの言葉通り、その戦いは大詰めを迎えていた。

 挑戦者共々最後の一体となったバトルチューブ最終戦。双方譲らぬまま体力が五分五分となったところで彼女のハブネークの『いばる』が決まり、挑戦者のネンドールは今や諸刃の剣と化していた。

 

「『かみくだく』!!」

 

 ここでネンドールが自我を保つことができれば、得たばかりの大きな力によってハブネークを沈めるだろう。逆に混乱故の自傷に走ってしまえば、例えそれが致命傷に至らずとも、今まさに猛然と突っ込んでいるあの牙がとどめとなる。

 

 しかし、そのような緊迫した状況にも関わらず、挑戦者の少年ことヒノキ・カイジュは淡々と最後の指示を出した。

 

「『じしん』。」

 

 ネンドールの目が鈍い光を放った刹那、フィールドに雷が落ちたような凄まじい音と衝撃が走り、隆起した地面が弾けるように裂けた。そして濛々と立ち上った砂塵が晴れる頃には、ハブネークの巨体は既に瓦礫の海に沈んでいた。

 

 敵陣から吹いてくるその砂塵混じりの風の中に、アザミは微かながら確かに膏薬のようなつんとした匂いを嗅ぎとった。

 何の匂いであったかなど、思い出すまでもない。熟れた『ラムのみ』の果肉が放つ、あの独特の青臭さだ。

 

「正直言うとね」

 

 瓦礫の中のハブネークに歩み寄り、少し撫でてからボールに収めた。

 

「ブレーン戦なんかしなくても、ここまで来た時点で分かるのよね。その人間(トレーナー)()()()()()って事は。ほら、言うでしょ?『運も実力のうち』って。」

 

 瓦礫の海をハイヒールで器用に渡りながら、彼女は続ける。

 

「だから、私的にはあなたがこの部屋に入ってきた時点でこれはもうあげても良かったんだけど。でも、今回は私も試されていた側だったからね。」

 

 そう言って、アザミはヒノキの掌にアルファベットのLを象った銀のシンボルを乗せた。昨日ダツラから受け取ったノウリッジシンボル同様、小さいながら確かな重みを備えている。

 

「ありがと。けどさ、やっぱ運は運じゃない?実際、オレ結構引きが良かったんじゃないかって思うんだけど。」

 

 しかしアザミは、ヒノキのその素朴な疑問に首を振った。

 

「もしあなたが本当に運任せだけでやっていたなら、あなたのネンドールはここまで『ラムのみ』を残せなかったわよ。」

 

 消耗系の『もちもの』が使えるのは一度きりであるこの施設の規則に触れながら、彼女は静かに続ける。

 

「運を試すと言っても、本当に運だけに任せてここまで辿り着けるほど甘くはしてないわ。無意識だとは思うけど、あなたはメイド達の情報とその結果をちゃんと考慮して、常にリスクが小さくなる可能性のある道を選んで進んだ。そうやって、出来る限りの事をした上でする運任せが良い結果を招きやすいのは当然でしょう?だから、『運も実力のうち』なのよ。」

 

「・・・なるほどね。ここは本当に色々と勉強になるよ。」

 

 そして一呼吸ついてから、ヒノキは銀のラックシンボルをパスに嵌めた。その瞬間、頭の中に閃くようにひとつの光景が映り、そして消えた。

 

「・・・その様子だと、どうやら今夜も『千年を数えし夜』ではないみたいね。」

 

「ああ。まだ全身が星の繭に包まれていて、ジラーチは指先さえ見えなかった。でも、まだあのハンテールのシッポさえ掴めてない今は、むしろその方がありがたいさ。」

 

 今しがた見た一場面の内容を交えて、ヒノキは願い星の現状を率直にアザミに伝えた。

 

「それは言えるかもね。それで、そのハンテールの次の手がかりは?何かアテはあるの?」

 

「いーや、全く。やっぱ写真だけじゃなくて、実物ももうちょい手元に置いとくんだったよ。」

 

 鼻からのため息まじりに、ヒノキはそうこぼした。

 もっとも、それが警官に知れて保護種密漁の容疑でチャンピオンを免職、なんて事になっても困るのだけど。

 

 そうして困ったように頭を掻くヒノキをアザミはしばらく黙って見ていたが、やがて控えめに声をかけた。

 

「ねえ、あまり期待はしないでほしいんだけど」

 

「ん?」

 

「ここから南東の方角に、バトルパレスっていう施設があるんだけど。そこのブレーンのウコンさんは、海へ釣りに出るのが日課なの。時々珍しいポケモンがかかるとも言っていたし、運が良ければ何かしらの情報が得られるかもしれないわ。」

 

 その可能性について、ヒノキは少し考えてみた。

 もし、アザミの言うようにウコンが最近ハンテールを釣り上げていたなら、おそらくリラに報告を入れているだろう。しかし毎日海に出ているというのなら、確かに別の方向からの情報が聞ける可能性はある。

 

「分かった。確かに中々運が要りそうだけど、今日は結構ついてるみたいだし、とりあえず今から行ってみるよ。ありがとう。」

 

 言葉を返す代わりに、アザミはパチンと指を鳴らした。間もなく、最初の広間と同じように彼女の背後のカーテンがすっと開き、奥に通路が現れた。

 

「Good luck.」

 

 そう言って、アザミは大人の女性らしい控えめな手の振り方でヒノキを見送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 アザミから教えられたバトルパレスは、背の高い木々と美しい花畑に囲まれた、異国の離宮を思わせる建物であった。

 少々メルヘンチックな感じもするが、どこか隠居的な侘しさを醸すウコンにはこれくらい華があっても良いのかもしれない。

 

「あ、すみません。」

 

 前庭に回ったヒノキは、そこでポケモンを連れて植物の水やりをしている職員を見つけ、声をかけた。

 

「ちょっとここのブレーンのウコンさんとお話ししたいんですけど。今はどちらに?」

 

 花畑から顔を上げた男は、縁の細いメガネを押し上げて目の前の少年を見つめた。年は三十代前半といったところで、若さの中に落ち着いた雰囲気が漂っている。

 

「おや、きみは・・・」

 

「あ、オレはカントーから来た客のヒノキ・カイジュって言います。一応、そっちの方のー」

 

 チャンピオンをしています、とまでは言う必要はなかった。

 その名を耳にするや否や、彼は急いでその手のホエルコじょうろを地面に置いて姿勢を正した。そんな彼の挙動を、傍らの青く丸いポケモンが不思議そうに見つめている。

 

「やはりそうでしたか。では、例の事件の事で?」

 

 男の返答に頷きながら、ヒノキは帽子の上から後ろ頭を掻いた。こうしてチャンピオンの肩書きやその代名詞として名を口にする度に、余計な気を遣わせるようで何ともむず痒い気持ちになる。とはいえ、見慣れない子どもがいきなり施設の長に会いたいと言ったところで話が通るとも思えない以上は仕方ない。

 

「あいにく、今は沖釣りに出ているところでして。よほど海が荒れない限り、戻りは完全に本人の気分次第なのですが・・・」

 

「そうですか。じゃ、お帰りを待ったりはしない方が良いって事ですね。」

 

「申し訳ありません。こんな時に釣りなどとは止めたのですが、何しろ頑固な年寄りでして・・・。こんな時だからこそ波立つ精神(こころ)を静められる時間が必要なのだと、聞く耳を持たずに行ってしまいました。」

 

 そう言って男が本当にすまなさそうに頭を下げるものだから、ヒノキは何だか自分が悪いことをしているような気になった。

 

「いや、いいですよ、気にしないで。そもそもいきなり来たオレが悪いんだし、それに今までに会ったじーちゃん連中も大概似たような感じでしたから。」

 

 それは、あながち男を気遣っての軽口という訳ではなかった。

 実際、ジョウトの人間国宝のガンテツやタンバの薬屋などは言うにあらず、シオンタウンのフジ老人だって穏やかでこそあれ、丸腰のまま一人でロケット団に説得を試みるほどの一徹ぶりだ。頑固でない年寄りなど、それこそハンテールのように稀少なのではないだろうか。

 

 そんなヒノキの言葉に、男は少し笑顔を見せた。

 こういう人なら頑固な年寄りともやっていけるだろうと思うような、穏やかで控えめな笑い方だった。

 

「そう言って頂けると助かります。では、もしよければご用件だけでもお伺いしておきましょうか?(おう)には私から伝えておきますので。」

 

「いいですか?んじゃ、お言葉に甘えて。」

 

 男の提案に二つ返事で応じたヒノキは、彼に案内されるままにバトルパレスへと入っていった。

 

 

 ◇

 

 

「紹介が遅れましたが、私はフェンネル・ガーキンと申します。このバトルパレスの専属職員の主任を勤めている者です。」

 

「よろしくお願いします。えっと、オレがウコンさんに聞こうと思っていたのは──」

 

 そしてヒノキは自分がハンテールに関する情報を探している事と、その経緯を説明した。

 

「なるほど、そういうことでしたか。」

 

 ヒノキの話を聞いたフェンネルは頷き、返答として主の釣り事情を説明した。

 

「翁の釣りは趣味が七割、実益三割というようなもので、こちらへ持ち帰ってくるのは自分やポケモンが食べる分の魚だけです。それ以外は、ケガをしている等の事情がない限りはどんな大物であろうが珍種であろうが、全て海に返します。そして持ち帰った魚やポケモンは我々が預かり、翁の仰せに従うという形になりますが、この数日の間に私共がハンテールを預かった事はございません。」

 

「と、いうことは。つまり、ウコンさんがハンテールを釣っているかどうかは本人に聞かないとわからないし、もし釣っていたとしてもその時点でリリースしてるって事ですね。」

 

 確認を交えながら、ヒノキは膝の上のノートにメモを取る。

 

「はい。翁は空のボールを持って行きませんので、こっそり捕獲して帰ってくるという事も考えられません。ですので、その点については翁が戻り次第、私から確認をします。最近、海でハンテールを見たり釣ったりした事はなかったか、と。」

 

「助かります。ちなみに、一昨日の夜の八時過ぎっていうのは、ウコンさんはどちらに?」

 

 その質問は、ヒノキとしてはあくまで彼が何かを見ている可能性はないかという意味のつもりだった。が、目の前の相手は想像力を別の方向へと巡らせていた。

 

「・・・やはり、翁を疑われているのですね。」

 

「あっ、いえ!今の時点ではまだ決してそういう訳ではなく。あくまで、何かご存知であればという意味で──」

 

 フェンネルの曇った声と表情に、ヒノキは慌ててそう答えた。アザミに言われた時もそうだったが、未だにこの「疑う」という言葉の切れ味には慣れることができない。

 

「いえ、仕方のない事とは承知しております。今朝、警察からも聞かれましたが、実際に翁は一昨日のその時間はちょうど釣りから帰って来た頃でした。ですから、六時頃にここを出てから戻るまでのその間、翁に怪しいところがなかったと証明することはできません。ですが──」

 

「ですが?」

 

「もし、ファクトリー関連の異常が犯人の仕業であるならば。翁は犯人にはなれません。」

 

 あまりにきっぱりとしたその口調と言葉に、ヒノキは思わず目を瞠った。

 

「・・・その理由は?」

 

「はい。何しろ翁はケタ外れの機械音痴でして、一人では未だにパソコンでのポケモンの出し入れはおろか、起動時のトレーナーコードの入力すら出来ないのです。なので当然、パソコンを使う業務は全て私達が行っているという有様で。」

 

 その言葉には、確かに主のそのケタ外れの機械音痴に対する不満もいくらかは含まれていただろう。しかし、主人のそんな欠点を初めて会う人間に愛敬をもって明かせるというのは、彼らの関係に確かな信頼が存在する何よりの証だ。そもそも、ウコンに対して尊敬の念がなければ、彼が疑われるという事にあれほど悲しそうな表情はできない。

 

「なるほど、それじゃ確かにサイバー攻撃は難しそうだ。でもまあ、その辺は年を思えば仕方ないような気も・・・」

 

「ところが、それが必ずしもそうとは言い切れないのですよ。ほら、いやそうか、きっとまだご存知ないか。」

 

 そんなフェンネルの要領を欠いた一人言に、ヒノキは全く思い当たる節がない。しかしその詳細を問う前に、彼が自ら説明した。

 

「ここから西のバトルタワーの事は既にご存知かと思いますが。そこのヘッドトレーナーのローレル様は、うちの翁と同年代でありながら、バトルファクトリーの長のダツラ様と同じぐらい、コンピューターとそのテクノロジーに通じておられるのです。」

 

「ローレル様・・・?」

 

 視線はフェンネルの方へと向けたまま、ヒノキはその名をノートに走り書いた。

 

「本当に、すごい方です。何でも様々な職種を経験されていて、その中で培われた知識と経験から、最初はバンクシステムのエンジニア兼オーナー補佐として雇われたそうなのですが。しかし、ポケモントレーナーとしての才も素晴らしかった為に、タイクーンの指南役とバトルタワーのヘッドトレーナーに抜擢されたとの事で。」

 

「へえ・・・。トレーナーとしても優秀・・・。」

 

 先ほど走り書きした名前の横に、そのことも合わせて記す。

 

「はい。具体的には、このフロンティアの共有ポケモンは全てローレル様による育成計画に基づいて育てられている、といえばその頭脳の卓越ぶりがお分かり頂けるでしょうか。」

 

 その言葉に、ヒノキは思わずメモを取る手が止まった。

 そして、未だ引き出せない自分のポケモン達の代わりに借りている、その共有ポケモン達のボールに目を落とした。

 

「・・・マジで?」

 

 勝てるように、あるいは勝ち過ぎないように絶妙に整えられたステータス、技、持ち物。無論彼らが最初からそのように存在していた訳ではないことはヒノキも分かっていたが、それらを計算して生み出した人間が存在することは、やはり驚嘆に値するものであった。

 

「ええ。このフロンティアの共有ポケモンは、管理こそファクトリーの管轄ですが、育成を担っているのはタワーになります。そのため、タワーには共有ポケモンの育成専門トレーナーが何人も居て。その長がローレル様という訳です。」

 

「はー。世の中にはすごい人間がいるもんだなぁ。」

 

「それだけじゃありません。南の岬の洞窟にえかきポケモンのドーブルを繁殖させ、彼らの『スケッチ』を応用する事で、わざマシンにかかる経費を劇的に削減させたのもあの方です。そしてそこに『アトリエの洞窟(あな)』なんて洒落た名を付けたのもね。職員の中にはその頭脳明晰ぶりを揶揄して『バトルタワーには人間とポケモンのフーディンがいる』などという者もあるくらいで。その意味では、このフロンティアで頭脳(ブレーン)と呼ぶのが最も相応しい方です。」

 

「ということは」

 

 フェンネルからもたらされたその人物の情報をノートに整理し終えてから、ヒノキは口を開いた。

 

「この人なら、バンクシステムのエラーを仕組める可能性がある、という訳ですね。」

 

 しばし、沈黙が流れた。

 

「能力的には、おそらく可能であると思います。」

 

 フェンネルは静かに答えた。

 

「ですが、現実的にはおそらく不可能かと。」

 

 そこは施設の応接室であり、厚い扉がきちんと閉められたその空間では、その必要はさほどないように思われた。にも関わらず、フェンネルは見えない何者かの目と耳でも憚るかのように、辺りを窺ってから声を低くした。

 

「実は、今年の春先から急にお身体の加減が悪くなられて、現在は島の病院に入られているのです。噂では、来月のオープンまで持つかどうかもあやしい・・・という状態だそうで。」

 

「えっ・・・」

 

 衝撃の事実に、ヒノキは絶句した。

 確かに、ウコンと同世代であるなら何らかの大きな疾病に身体を冒されていても不思議ではない。しかし、これまで出会った老人達がいずれも元気のかたまりのような人物であったヒノキには、年を取ることの切なさを久々に思い知らされる事実だった。

 

「とはいえ、もちろん警察は入院部屋のパソコンは確認したようです。しかし、特に不審な点は見受けられなかったとの事で。」

 

 少し考えた後に、ヒノキは口を開いた。

 

「あの、そのローレルさんと面会とかってできますか?オレ、一度会ってみたいです。」

 

 その「会ってみたい」には、事件の重要参考人という意味ももちろんある。しかし、それ以上に自分にトレーナーとしての学びを与えてくれた感銘から、その人物に会ってみたい気持ちが大きかった。

 

「ええ、時間さえ合わせれば可能だと思いますよ。最近は比較的体調が安定されているということで、タイクーンやオーナーもしばしば仕事の相談で訪室されてますから。なんなら、今から病院に問い合わせてみましょうか。」

 

「えっ?いいんですか。」

 

「はい。翁の留守のお詫びに。」

 

 そう言って、フェンネルはポケットから管理ナンバー入りのポケナビを取り出して耳に当てた。『ポケモンバトルの最前線』をうたうだけあり、備品も最先端のものを配布しているらしい。

 

 彼が病院に連絡を入れている間、ヒノキは暇つぶしに室内を見渡した。向かいのソファーの奥には飾り棚があり、そこにはウコンのものと思われる古い釣り道具やら魚拓やらが整然と陳列されている。まるで、ちょっとした展示会のようだ。

 

(・・・?)

 

 その陳列の端に、額に入った一枚の写真があった。

 かなり古いもので、白黒のその写真の中では、海を背に一人の若者が誇らしげに巨大な魚を抱えている。そんな彼の肩越しに、友人と思われる同じ年頃の青年が一人、おどけるようにこちらへ向かって手を振っていた。

 

「あれって、ウコンさん・・・ですか?」

 

 ちょうど電話を終えたフェンネルにヒノキが尋ねた。

 それは、確認というよりはそのまま質問だった。

 状況からすれば確定的であるにも関わらず、なお独断では確信が持てないほどに、その写真は古かったのだ。

 

「ええ。なんでも、故郷で成人の日に撮ったものだそうです。翁が十五の歳だったと言っていましたから、もう六十年近く前でしょうか。」

 

 ヒノキは改めて写真を見た。

 フサフサとした白い眉も長い髭もなく、代わりに短く刈り揃えられた黒髪と伸びた背すじを持ったその若者は、そうだと言われたところでにわかにはあの老人と同一人物とは思えない。しかし、糸のような目から窺える面影と、その逞しい腕に彫られた不思議な紋様が、確かに在りし日の彼である事を示していた。

 

「明日の午後二時からであれば、面会可能ということですよ。」

 

 写真に見入っていたヒノキは、その言葉で我に返った。

 そして慌ててフェンネルに礼を言って、バトルパレスを後にした。

 

 

 ◇

 

 

 沖釣りに出ていたウコンがパレスへと戻ってきたのは、ヒノキが帰ってから一時間ほど後の事であった。

 

「おかえりなさいませ。お食事の準備は出来ております。」

 

「うむ、ご苦労。」

 

 出迎えたフェンネルに、老人は厳しく答えた。が、彼の足元から施設の愛玩ポケモン(ペット)のルリリがぽよんぽよんと跳ね寄ってくると、たちまち孫に甘い爺のように破顔した。

 

「ああ、よしよし。ルリリ、ただいま。いい子にしていたか?」

 

 そう言って釣り道具と杖を傍らに置くと、そのポケモンのすべすべした青い身体をひとしきり撫でた。そして彼女が満足して行ってしまうと、腰の縄紐を解き、年季の入った魚籠をフェンネルに預けた。

 

「明日の朝と昼に一匹ずつ焼いてくれ。後はラプラスの分だ。」

 

 フェンネルが中を覗くと、そこにはまだ活きの良い魚が数匹、どれもよく肥えた銀色の腹をぴかぴか光らせていた。今日はなかなかの当たり日であったらしい。

 

「かしこまりました。」

 

 フェンネルは魚籠を恭しく受け取ると、空いた手で釣り道具も持ち、自室へと歩き出したウコンの背についてなるべく何気なく切り出した。

 

「実は先ほど、例のトージョウチャンピオンの少年が事件の事で翁を訪ねて来ていたのですが。」

 

 そしてヒノキが聞きたがっていた事を、老人の上機嫌を損ねないようそのままの調子で尋ねた。

 

「ハンテールは」

 

 石造りの段差の低い階段を上りながら、ウコンが口を開いた。持っている杖の必要性が疑問に感じられるほど、その足取りは健脚そのものである。

 

「最後に釣ったのは二年前だ。見たのもその時が最後になる。それから、あの夜は──」

 

 ちょうどそこで、ウコンは最後の一段を上りきった。

 そして、すぐ前の自室の扉を押し開ける手を少し止めて言った。

 

「釣ったのは持ち帰ったアジ四匹だけだ。ポケモンは一匹もかからんかった。帰りがけに、キャモメが一羽飛んでいるのを見たくらいだ。」

 

 釣り道具を所定の位置に戻しながら、フェンネルは相槌を打った。 

 

「日没後にキャモメとは珍しいですね。昼間海が荒れていた分、夜に狩りに出ていたのでしょうか。」

 

「さあな。とにかく、わしが話せるのはこれだけだ。あの少年にはそう伝えておいてくれ。」

 

「ありがとうございます。それでは、お食事もすぐにお持ちしますね。」

 

「ああ。頼む。」

 

 

 フェンネルが出ていってしまうと、ウコンは部屋でただひとつの南向きの窓へ行き、海の化身の紋が彫られた両腕で力強く開け放った。

 そして食事が届けられるまで、海ではなく無数の星が散り輝く空を遠い目で眺めていた。

 

 




 
余談ですが、2936のポケモン作品においてはポケモンとは別に普通の生き物もある程度存在していて、人々の動物性タンパク質は概ねそちらで賄われているという設定になります。ハリーポッターやゼルダと同じような感じですね。ポケモン由来のものはどちらかというと珍味とか高級食材といったところでしょうか。
ただし、それらの生き物達もポケモンという圧倒的な力を持った捕食者がいるために独自の進化(繁殖能力や成長速度の発達)を遂げており、私達の世界の同じ種よりもかなりタフに仕上がっております。
かがくのちからもすごいですが、しぜんのちからもすごいことになっています。
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