ポケットモンスターSM Episode Lila   作:2936

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【前回の要点】
バトルチューブを制してラックシンボルを手に入れたヒノキは、アザミの助言に従ってバトルパレスを訪れる。そこで、ブレーンのウコンとバトルタワーの重要人物であるローレルについての情報を得る。



49.10年前⑨ 痣と刺青

 

 

 【七月四日 昼】

 

 

 何もかもが真新しいフロンティア市街地の中でも、一際目を引く立派な白い建物。隣接するポケモンセンターと繋がりは見られないものの、それが同じ使命を持った施設であることは、赤い十字のシンボルマークから容易に推測できる。

 そしてその建物──すなわち人間を対象とした病院の玄関前に立ってなお、ヒノキはまだ迷っていた。

 

(やっぱ初対面で見舞いの品とか逆にしらじらしいか?)

 

 携えているプリザーブドフラワーの鉢は、これから面会する相手への手土産に購入した。しかしその内容を思えば、手ぶらの方が却って()()がなくて良かったように思える。とはいえ、ここまで来てしまったら、というより出入りする病院関係者に怪訝な目で見られてしまっては、引き返すのも気が引ける。

 

 

(しゃーねぇ。行くか。)

 

 

 ふう、と大きなため息をひとつついてから、ヒノキは意を決して自動ドアの敷居を跨いだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

──六階です。

 

 機械的な音声アナウンスと共に開いた扉の先に、さらに扉が現れた。しかし、今度はもちろんエレベーターのそれではない。 

 

「すみません。ニ時から面会をお願いしていた者ですが──」

 

 病室の扉脇のボタン、すなわちインターフォンを押して通話口にヒノキがそう話しかけると、すぐに柔らかな男性の声が返ってきた。

 

「お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください。」

 

 失礼します、とヒノキが少し緊張しながらスライド式の扉を開けると、そこには背の高い一人の老人が立っていた。

 

「初めまして。ヒノキ・カイジュです。」

 

 握られた手の思いがけない力強さと穏やかな笑顔に、ヒノキはこの病人が存外元気であることにひとまず安心した。

 

「ローレル・リアンです。お会いできて光栄です。さあさあ、どうぞそちらのソファーへお掛けください。」

 

 そこは、どう見ても貴賓用の病室(VIPルーム)であった。

 立派な応接スペースとささやかなダイニング、そしてバスルームを備えた、白く清潔で、そしてあくまでもさりげなく贅沢な空間。ベッド脇のいくつかの医療機器が見えなければ、ちょっとしたホテルのスイートルームとも見間違いそうだ。

 

「何しろ今はまだ私しか入院患者がいないもので。本当に大切な患者(ゲスト)が入るまでの間、使わせてもらえることになったのですよ。ああ、その可愛らしいお見舞い客さまには、この不愛想なテーブルに華を添えて頂くとしましょうか。」

 

 そう言ってローレルがヒノキから受け取った鉢を目の前のテーブルに置くと、途端に無機質なガラスのローテーブルがぱっと華やいだ。

 

 柔和な物腰に、初対面の相手の緊張を解くための冗談。病身特有の痩せ方は見受けられるものの、それでも端正な顔立ちであることは一目で分かる。これほどまでに老紳士(ジェントルマン)と呼ぶに相応しい人物を、ヒノキはこれまで見たことがなかった。

 

「すみません、病気の療養中にいきなり押しかけるような事をしてしまって。」

 

「いえいえ。長い病院暮らしで退屈していたところですから、むしろありがたいくらいです。それも、ずっとお目にかかりたいと思っていたあなたの方から訊ねて下さるなど、願ってもないことでしたから。」

 

 そう言ってティーセットを運んできた老紳士の意外な言葉に、ヒノキは目を丸くした。

 

「ローレルさんがオレに、ですか?」

 

「はい。五年前のレセプションでは直接お話はできませんでしたが、あなたの試合は全て拝見しておりましたし、何よりタイクーンがこの五年間、何かと貴方の名を口にしていましたからね。まるで、いつも身近にいる親友のように。」

 

「・・・リラが?」

 

「ええ。壁にぶつかって心が弱ってしまった時は、タワーの最上階で貴方に会える日を思うのだと。そうすれば、自然と乗り越える力が湧いてくると。そう言っていましたよ。」

 

 その言葉に、ヒノキは胸が底の方からじんわりと熱くなるのを感じた。もちろん、彼は決して自分達の友情を疑った事はない。それでも、遠く離れていたこの五年の間に彼の中にもちゃんと自分が存在していたことを知るのは、やはり嬉しかった。

 

「オレもそうでした。この五年間、何をするにもあいつとの約束が踏み出す力をくれた。それがなかったら、オレみたいなのがチャンピオンなんか絶対なれなかったし、務まらなかったと思うんです。」

 

 ヒノキがついこぼしたその言葉に、老紳士はまるで自分の事のように嬉しそうに目を細めながら頷いた。

 

「何かを成し遂げようとする時、その存在自体が励みになり、刺激になる友人がいるほど幸せなことはありません。私にも覚えがありますよ。・・・さて、ではそろそろ本題に入りましょうか。貴方は私と違って、時間がいくらあっても足りないはずだ。」

 

「っと、そうだった。えっと、今日お伺いしたのは、ちょっとお訊きしたい事があって──」

 

 そう言って、事件とバンクシステムの件についてヒノキが切り出そうとした時だった。腰につけた唯一の自前のモンスターボールがガタガタと揺れていることに気が付いた。

 

「ん、コン?どうした?」

 

 衛生面の問題や機器への影響から、病院の敷地内ではポケモンをボールの外へ出すことは原則的に禁止されている。そこでホルダーからそのキュウコンのボールを外して掌に乗せてみると、何故かかなり興奮しているらしい。

 

「・・・もしやそれは、五年前にあなたがタイクーンと岬の祠で保護したという、あのキュウコンの子どもですか?」

 

「え?あ、はい。まあ今はこいつもキュウコンなんですけど・・・」

 

「そうですか。ならば興奮するのも無理はないでしょう。何しろ、母親の仇が目の前にいるのですから。」

 

 ローレルが何を言っているのか、ヒノキには全く分からなかった。しかし、老紳士はそんな少年に向かって左腕を出し、戸惑う彼に見せるように、手の甲のあたりから巻かれている包帯をほどいた。

 

「・・・・・・」

 

 そうして目の前に現れたモノに、ヒノキは言葉を失った。

 

「そのキュウコンの母親が力尽きる際に最期の力を振り絞って立てた牙の痕です。もう七年になりますかな。最初は噛まれた部分だけでしたが、徐々に広がり、今では(ほぞ)に届くまでに広がりました。この春から急に進行が速まったのは、おそらく守護を任されたジラーチの覚醒が迫ったためでしょう。」

 

 それは痣というより、もはや呪いに見えた。規則的で不気味などす紫のその縞は、彼のかってしまった恨みがいかに根深いものであるかを象徴しているようだった。

 

 まだ絶句している少年に、老紳士は自分が彼女の命を奪うに至った経緯を訥々と語った。*1

 

「そんなことがあったんですか・・・。」

 

「キュウコンというポケモンは非常に賢く、執念が深い。ましてやあの個体のように使命に殉じた者の遺恨は、自らが死してなお相手を死に至らしめる力を持ちます。もちろん当時の私は彼女が真に守っていたものの事は知りませんでしたが、彼女からすれば排除すべき存在に変わりはなかったのでしょう。」

 

 そう言ってローレルは右手で器用に包帯を巻き直しながら、なに、どのみち生い先短い身ですから構いやしませんよ、と笑った。心残りは、愛弟子の輝ける未来を見届ける事ができないくらいだ、と。

 

「ここだけの話ですが」

 

 そう前置きしたローレルは、在りし日を懐かしむようにしみじみと語り始めた。

 

「私は最初、あの子は戦う者にはなれないと考えていました。試しにバトルをさせてみれば、何よりも互いのポケモンが痛まないことに心を配る。そんな優しい子に、全国から集う勝利に飢えた猛者達の相手など務まるはずがないと。六年前に初めて会った日、私はあの子の事をそんな風に思ったのですよ。」

 

 自分の知らないリラの昔の話に、ヒノキも自然と身体が前に出る。

 

「しかし、それでもあの子は自らの意思でその道を選びました。そうして戦いに勝つことと、その優しさとの板挟みに悩まされる日々が始まったのです。」

 

 その言葉で、ヒノキは思い出した。五年前、ビデオの中でこのローレルのチルタリスを相手にしていた時の苦しそうなリラの表情を。

 

「当然、私も師として色々と助言を試みたのですが。しかし、結局彼を救ったのは私の言葉ではなく、五年前のあなた方との出会いでした。」

 

「オレたち・・・ですか?」

 

「ええ。それまではずっと自身の為に自分一人で戦っていたあの子が、あのレセプション以降は誰かの為にポケモンと共に戦うようになった。あの子の戦いが、そんな風に変わったのです。そんな子が五年後、十年後にはどんな進化を遂げているのか。そう思うと、気持ちだけは寿命が伸びてしまうのですよ。」

 

 そう言って、ローレルが穏やかな自嘲の微笑みを浮かべた時だった。扉が手早く控えめにノックされ、直後に一人の看護師が入室してきた。

 

「失礼します。先生、点滴のお時間です。」

 

「おや。もうそんな時間になりましたか。」

 

 看護師は彼が大人しく寝ていない事に慣れているらしく、ベッドの脇から点滴のスタンドを引っぱってくると、てきぱきとその病衣の右袖をまくり、アルコール綿で拭いて針を入れた。

 

 その一連の流れを、ヒノキは出された茶を飲みながら何とはなしに見ていた。が、不意にあるものが目に留まった瞬間、思わず茶をむせ返しそうになった。

 

「あの。それって・・・」

 

 看護師が出ていった後、ためらいがちにローレルの右の腕から覗く青いものを指して尋ねた。しかし彼は動じることもなく、むしろそれがヒノキによりよく見えるよう、左手で袖をまくった。

 

「ああ。これは私の故郷のキナギという集落の(いにしえ)から続く風習です。男子は十五になると、両方の(かいな)に海の神様ーすなわちカイオーガという古代ポケモンの紋を彫り、海底洞窟の社へ参って供物と一族へのご加護の祈りを捧げる。それが『海の民』の成人の儀です。」

 

 その説明に、ヒノキは昨日パレスで見たあの古い写真の二人を思わずにはいられなかった。

 病床の切れ者と、機械には弱いが毎日海へ釣りに出るほどの健康と体力の持ち主。

 それぞれが一人ではできない事も、二人で力を合わせたなら──。

 

 

「・・・オレ、昨日それと同じものを見ました。バトルパレスにあった、ブレーンのウコンさんの写真の腕に。」

 

 にわかに部屋の空気が変わった。

 そうなるであろう事は分かっていた。分かってはいても、黙っている訳にはいかなかった。

 

 

「私にもかつて、(まこと)の絆でつながった友がいました。」

 

 

 しばしの重い沈黙の後に、老人が静かに口を開いた。

 

 

「そして、その絆は今はありません。」

 

 

 口調とは対照的な強い光を宿したその瞳は、まっすぐにヒノキを見据えていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「・・・あ。」

 

 用意していた質問をすっかり聞きそびれた事にヒノキが気づいたのは、病院の玄関を出た直後の事だった。予期せぬ方向からなだれ込んできた新情報に圧倒されて、完全に忘れてしまっていたのだ。

 しかし、だからと言って今からローレルの部屋に引き返してそれらを訊きに行けるほど、退室時の空気は和やかではなかった。

 

(また出直せばいいか。)

 

 そう思い直し、前へ向き直って歩き出そうとした、その時だった。

 

「おわっ」

 

 前方からやって来た人物と、正面からぶつかってしまった。はずみで相手がポケナビを落とした事から、どうやら向こうも前方不注意であったらしい。

 

「すいません。これー」

 

 拾い上げたポケナビを手に、そこで初めて相手を見たヒノキは驚いた。

 

「ヒノキ・・・?」

 

 そう言って目を見開いているのは、一日半ぶりに会ったリラだった。そこでヒノキは、エニシダやリラもしばしばローレルを訪ねているという昨日のフェンネルの言葉を思い出した。

 

「どうしてきみがこんなところに?具合でも悪いのか?」

 

「え?あ、いや、決してそーゆー訳では・・・」

 

 リラには昨日のパレスでのローレルに関するやり取りと今日の面会の事は伏せていた。彼と事件について話してくると言えば(実際は話せなかったが)、ちょうど昨日のアザミやフェンネルのように、リラもまた自分が彼を「疑っている」と捉えるだろう。リラにとってここで最も付き合いの深いであろう人物、それも今や死期の近い病人である彼を自分がそのような目で見ていると思われるのは、やはり友人として辛いものがあった。

 

 もちろんローレルには今日の事は内密にしてほしいと頼んである。が、この可能性を忘れていたのは迂闊だった。

 

「ちょうど、きみに連絡しようと思っていたんだ。」

 

 口籠るヒノキに何かを察したのか、彼の返事を待たずにリラが話題を変えた。しかしその口調に、ヒノキはどことなく違和感を感じた。淡々とした事務的な調子の中に、何か抑えているような、堪えているような不自然さがある。

 

「これがさっき、バトルピラミッドのブレーンの元に届いたんだ。」

 

 そう言ってヒノキから受け取ったナビの画面を開くと、見慣れつつある字体で綴られた文章の画像を彼に見せた。

 

 

 

 願イ星ハ古ノ世ノ秘宝

 墓守共ハ今宵正子カラノ盗掘ニ備エヨ 

 

 

 

「・・・なんかオレ、勝手に墓泥棒にされてるけど。要するに、ピラミッドに挑戦しろってことだよな?今晩の、えーと・・・」

 

「0時だ。でも、その前に」

 

 頷く代わりに、リラは続けた。

 

「きみに話しておきたいことがある。だから、二時間前の二十二時に南の岬まで来てほしい。」

 

 そう言ったリラの顔を、ヒノキはじっと見た。

 そしていつになく翳ったその薄紫の瞳に、その会合がそう明るい内容のものではないことを感じ取った。

 

「・・・分かった。十時に南の岬、だな。行くよ。」

 

 待ってる。

 そう短く答えると、リラは足早に病院の中へと行ってしまった。その横顔は、なんとなく雨が降りそうな曇天の空を思わせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 【七月四日 夜】

 

 

 

(オレ、あいつにあんな顔で話されなきゃいけないようなこと、あったかな。)

 

 殆ど丸い月が柔らかな光を放つ、二十ニ時の少し前。ヒノキは待ち合わせの南の岬へと続く道を、これから行われるリラとの会合の内容についてあれこれ推測を巡らせながら歩いていた。

 しかし、この時機(タイミング)で話しておかなければならない事となると、やはり今回の事件絡みである可能性が高いだろう。その上で、あれほど深刻な表情を見せるということは──。

 

 そこで、ポケットに忍ばせてきた一つの覚悟をぐっと握りしめた。それから、数メートルの先に見える華奢な背中へ声をかけた。

 

「よお、待たせ。話ってなんだ?」

 

 思い返せば、ちょうど三日前の夜にもこの場所でこんな風に二人で会った。しかし、その時とはまるきり立場が逆だ。

 

 ヒノキのその声に、フーディンと共に月の照らす海を眺めていたリラが立ち上がり、こちらへ向き直った。

 そして彼の質問に答える代わりに、淡い光に包まれた美しい銀の匙を浮かべた掌を差し出した。もちろん、実際にそれを浮かべているのは傍らのフーディンである。

 

「?なんだ?それ、オレにくれるのか?」

 

 しかし、そのスプーンはヒノキが触れようとした瞬間に消失し、次の瞬間にリラのもう片方の手の中に現れた。

 

「これはぼくのだよ。」

 

 月の光のような、静かな笑みを浮かべたリラが言った。

 

「彼がフーディンに進化したその日に創り上げて、ぼくにくれたんだ。だけど、貰うのは少し迷った。これはぼくより先にヒノキが受けとるべきものじゃないかって。だって、フーディンのスプーンというのはそういうものだからね。」

 

 フーディンが心から信頼した相手にだけ渡すという、世界で一本だけのオリジナルスプーン。だからこそ、その一本目は自分ではなく最初の主人の手に渡るべきだと、リラは考えたのだ。

 

「だけど、フーディンは首を横に振った。そして、笑って言ってくれたんだ。これはぼくの為に作ったんだって。そして、きみに贈る分は──」

 

 再び、リラが掌を仰向けに広げた。

 

「『これから二人で一緒に作るんだよ』って。」

 

 その瞬間、リラの掌に再び美しいスプーンが現れた。

 先ほどのものとは違い、柄の(なか)ほどで品良く結ばれた赤いリボンが、今度こそ贈り物であることを示していた。

 

「なんだよ。どんな深刻な話かと思ったら、そんなことかよ。」

 

 照れを隠すように頭を掻きながら、ヒノキはその芸術的な逸品に手を伸ばした。が、それは再びふっと消え去り、その手はまたしても空を掴んだ。

 

「あれ。」

 

「まだ渡す事はできない。」

 

 まるきり事情の掴めないヒノキは、目を丸くして目の前の友人の顔を見た。月の光のような笑みは、既に消えていた。

 

「その前に話しておくことがある。その話を聞いた上で、それでも受け取れると言ってくれるなら。その時は喜んで差し出すよ。」

 

 目の前の思い詰めたようなその顔を、ヒノキはただ見つめていた。ただならぬ雰囲気に、相槌を打つことも忘れて。

 

 

「ヒノキ」

 

 

 そう呼びかけ、助走をつけるように二度大きく浅い呼吸をした後で、リラは唇をこじ開けた。

 

 

 

 

「今までずっと黙っていたけれど。ぼくは、本当は──」

 

 

 

 

 

*1
第38話参照

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