ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
【前回の要点】
七月六日の夜、眠れない夜になると感じたリラは、ヒノキの作ったひみつきちで共に星を眺めて過ごす。
【七月七日 朝】
シャワシャワと響く蝉しぐれと瞼を貫く夏空の眩しさで、ヒノキは目を覚ました。
──朝か。
枕元のギアを手さぐりでつかみ、日付と時間を確認する。七月七日の午前七時。その数字に、今日がどういう日であったかという情報が、少しずつ脳内に戻ってくる。
(いったんホテルに戻らなきゃな。)
そうして起き上がった拍子に、ヒノキは初めて身体に掛かったブランケットの存在に気付いた。
どうりで寝冷えをしていないわけだ。しかし、自分で被った覚えはない。
「・・・」
反射的に隣を見る。が、既にリラの姿はない。
代わりに、きちんと畳まれたブランケットが彼が枕にしていたクッションに重ねて置かれていた。その上に、昨夜の礼と先にタワーに戻っているという旨を記したメモを乗せて。
細い、流れるような筆致で綴られたそのメモを何度か読み返してから、ヒノキはそれを大事に胸ポケットにしまった。そして代わりにカメラを取り出すと、この一夜限りのひみつきちを一枚だけ撮り、それから全てを撤収して岬を後にした。
◇
「・・・オレ、多分こう頼んだよな?『フロンティアのブレーンのウコンさんと幹部のローレルさんの経歴を調べて欲しい』って。」
七月七日、午前十時。
ホテルの自室に戻っていたヒノキは、左手のギアの通話口に向かって訊ねた。
『ご、ごめん。きみから連絡をもらえたのが嬉しくて、つい・・・』
はなから縮こまっていた受話口からの声は、じきに尻すぼみに消えた。
そんな彼に鼻でため息をついたヒノキのパソコンの画面には、
「気を利かせてくれたってのは分かるんだけど。でも、最近の個人情報絡みの犯罪の多さはあんたの方がよく知ってるだろ?駆け出しったって、その道のプロなんだから。もーちょい慎重にやった方が良いと思うぜ。」
昨日、殆ど奇跡的なタイミングでポケットから出てきた、往路の船に乗り合わせたポケモンジャーナルの記者の名刺。それを頼りに例の『海の民』の二人の過去を調べて欲しいと頼んだまでは良かったのだが、なぜだかこの若いフォトライターはその二人に加えて他のブレーン達の分まで調べ上げ、ご丁寧に送ってくれたのだ。
「いや、もう本当に仰る通りで。返す言葉もございません。」
ナビを片手に、トール・カイドは目の前のデスクに向かってひたすら平身低頭を繰り返していた。
その謝りぶりの理由は件のミス自体に対する反省も勿論あったが、実はそれ以上に報道人でありながら真実を隠蔽する後ろめたさが大きかった。
昨日ヒノキからの依頼を受けた時、彼はナビで応対しつつメモを取っていた。が、興奮と緊張からの字の乱れにより、後から判読できたのは『ブレーン ローレル 経歴 調べる』の四単語だけだった。さらにその直後に上司から雑務を頼まれた事で、ようやく依頼に着手できるという時には、彼の脳内ミッションは完全に「ブレーン全員と幹部のローレルの経歴を調べて送る」に書き換えられてしまっていたのだ。
しかし、記者にあるまじきその失態を知らないチャンピオンは、先のミスを素直に善意の空回りと信じてくれたらしい。
『ま、いーわ。別にオレが消しとけば良い話だしな。とにかく助かったよ。でも礼は最初に約束した分だけだからな。』
ヒノキが話を結んでくれた事に、トールはほっとした。ちなみにこの「礼」とは、事件の解決後の彼への二時間単独インタビュー権である。
「も、もちろんそれで十分だよ!他の人達の分は、僕が勝手に突っ走っただけなんだから──」
そうして、二人は通話を終えた。
(やれやれ。)
今度は口から細いため息をついてから、ヒノキは改めて件の二人のファイルを開き、目を通した。
しかしその内容自体は申し分なく、ヒノキが知りたかった部分は丁寧に明かされている。なんだかんだ言って、やはりその道のプロだ。
後は先ほど判明した事実とこの経歴を元に組み立てた仮説をパレスでウコンに話し、真相を尋ねるだけである。
(そうだ、他の面子の分を早いとこ消しとこう。)
ヒノキは余分に送られてきた人物達のファイルにカーソルを合わせ、削除を進めた。もちろんそれらに興味がないと言えば嘘になるが、今は必要以上の情報を抱える余裕はないし、そもそも時間がない。
しかし、その作業の手は最後の人物の名で止まった。
「・・・」
夕べ、あいつは言っていた。
ポケモン達の背景を知ることで、前よりもずっと仲良くなることができた、と。
躊躇う気持ちと葛藤しつつも、マウスを握る手は『Lila』のファイル名にカーソルを合わせ、「ファイルを開く」の文字を出す。
こうして本人に無断で過去を覗くのは、やはり後ろめたいものがある。だけど、もしかしたら何か手がかりがつかめるかもしれない。
あいつに付きまとう、あの影のような哀しさを取り払うための。
カチ、という軽い音と共に画面が切り替わり、履歴書風に纏められた親友の全てが現れる。
本名、生年月日、本籍地、血液型。
そして──
「・・・・は?」
続いて目に入った情報に、ヒノキの思考は停止した。
◇
七月七日、午後三時。
約束の時間きっかりにフィールドに現れた挑戦者に、このバトルパレスの主であるウコン・オレナは確かな違和感を感じた。
「・・・どうした。具合でも悪いのか?」
「いや。そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと──ね。」
そう濁して目の前の少年は曖昧に笑った。が、その雰囲気は昨日ドームの前で会った時とは明らかに違う。
視線はしばしば不安定に泳ぎ、声も今ひとつ力がなく曇っている。
「大丈夫、試合にはちゃんと集中できるよ。むしろ今はそういうものが欲しいんだ。」
「しかし。──」
その波打つ心で、本当にやるのか。
奇しくも挑戦者の『
戦いは必ずしも万全の状態で臨めるとは限らない。それはすなわち、心身が好ましくない状態にあろうとも避けられない戦いもあるということだ。
そして彼がそれを今だとするなら、それもよかろう。
そう思い直したのだ。
「・・・分かった。では、規則を説明する。このバトルパレスでおまえが試されるのは、ポケモントレーナーとしての
ヒノキは静かに頷く。
「人工知能による予選は二十戦。わしはその後に控えている。では、健闘を祈る。」
そう言ってウコンがフィールドを退くと、入れ替わりに見知った人物が現れた。
「フェンネルさん・・・?」
縁の細い眼鏡をかけた、穏やかな雰囲気の男性。それは紛れもなく、三日前にこのパレスで話した施設専属職員その人だ。
「三日ぶり、ですね。私がこの挑戦の審判を務めさせて頂きます。どうぞよろしく。」
そう言って彼は微笑したが、すぐに表情を引き締め、ルールの詳細を説明した。
「予選は全てバーチャルトレーナーとの対戦になります。先に翁からもありましたが、試合中、トレーナーに許される行為は選手交替のみとし、その他ポケモン達への指示及びそれに準ずる行為は全て反則、失格とします。声援は構いませんが、相手のポケモンの位置や動き等の具体的な情報が含まれる場合は指示と同様と見なしますので、注意してください。」
フェンネルの補足に、ヒノキは承諾の意を込めて頷いた。心を持たないバーチャルトレーナーに心を試されるという点はいささか気になるが、だからといってやる事が変わる訳ではない。ただ仲間を信じ、そして彼らを信じる自分を信じて前に進むだけだ。
腰から一つ目のモンスターボールを外し、軽く握る。
ブゥン、という音と共に、反対側のトレーナーボックスに半透明の仮想人間が現れる。
「それでは、試合開始!」
◇
『オ疲レ様デシタ。ポケモンノ回復ヲ行イマス。』
試合の終了と共に現れた回復装置のガイダンスに従って、三つのボールをセットする。
十秒に満たない短いメロディーが鳴り終えれば、ポケモン達の傷や疲れはすっかり癒えている。便利なものだ。
どうして人間用のものが未だに存在しないのだろう。
『回復ガ終了シマシタ。ソレデハ、引キ続キ頑張ッテ下サイ。』
装置からボールを外してホルダーに戻すと、機械は再び床下の格納スペースへと沈んでいった。
そのタイミングを見計らって、審判のフェンネルが口を開いた。
「それではこれより十五分間の休憩と致します。休憩の後はいよいよブレーンとの試合になりますので、束の間ではありますが、どうぞ心身の緊張を解して下さい。」
そう言ってフェンネルがフィールドを退出すると、ヒノキはその場で大の字に倒れ、目を閉じて深いため息をついた。
予選を経て分かった事がある。
それは、このルールが真にトレーナーの
ポケモンバトルにおけるトレーナーの最大の役割は、ポケモン達への情報支援にある。
実際に戦場に立って動く彼らは、自分を取り巻く状況を正確に把握して最善の手を判断する事は難しい。そこでトレーナーが彼らの目となり耳となり頭脳となって、勝利へと導く。それがポケモンバトルだ。
しかし今、このルールの下ではその役割を果たす事ができない。
──信じる、か。
どうにかここまで来てくれた相棒達の入ったボールを手に取り、天井の照明にかざして眺める。
今、自分がトレーナーとして彼らにしてやれるのは、相手を見て選手を交替することと、彼らの一挙一動を見守り、励ますこと。そうやって、自らの信頼を示すこと。
が、これが想像以上にきつい。
ダツラからバンクシステムのエラーが解消されたという連絡が入ったのは今朝の事だ。
そこにパレスが信頼を試す施設であるという事情も加わり、ヒノキは六つ目の施設にして初めて三体とも自身の手持ちで挑んだ。が、そのためにこのルールの厳しさが和らぐことは全くなかった。
平時と違って状況把握と思考と行動の全てを自身で担うポケモン達に、当然いつもの余裕はない。
それでも相手の力量の低い序盤はまだどうにでもなるが、だんだんと手強くなるにつれて、焦りから出るミスや性格による行動のクセ、迷いによるタイムロス等が増えてくる。
しかし、そこで否定をすれば、更なる動揺が負の連鎖を生む。そうなれば、勝てるはずの相手にも勝てなくなってしまう。だから自分はこみ上げる溜飲を飲み下し、指が白くなるほど柵を握りしめて、大丈夫だ、気にしなくていいと声を張ってやらなければならない。
(難しいもんだな。)
もちろんヒノキは自分が指揮を執れない状況に備えて「ポケモンだけで戦う」訓練も日々行っている。しかし、その訓練では「倒すのではなく逃げきる」事を
ふーっと細長く息を吐き、腕を下ろしてボールを戻す。
挑戦前に感じた、予選のバーチャルトレーナーの登用に関する違和感はとうに消えていた。
生身の精神を日常的にこのルールの中に置くのは、少なくとも自分にはとても耐えられない。
──でも。
その一方で、今回に関してはその苦しさが救いでもあった。
挑戦前に知ってしまった、ひとつの信じがたい事実から距離を置けるという点で。
その時、正面のゲートからペットのヨマワルとルリリを従えたウコンが入ってきた。ギアを見ると、休憩終了時刻の三分前を表していた。
「構わぬ。まだ寝ていろ。」
しかしヒノキは両足を上げ、それを下ろした勢いで起き上がった。
「どうだ。我がパレスのバトルは。」
左右の二匹を手の杖を持ち替えてかわるがわる撫でながら、ウコンが問うた。
「正直、なめてたね。」
ヒノキは率直な思いを率直に告げた。
「仲間を信じるなんてことがこんなにしんどいなんて。思ってもみなかったよ。」
その言葉に、老人は何も返さなかった。
ただ、結んだ唇の端をわずかに引き上げただけだ。
「だから、
それでも彼は何も答えない。
ただ一言、その事実を告げたばかりであった。
「時間だ。始めるぞ。」