ポケットモンスターSM Episode Lila   作:2936

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58.10年前⑱ 本当の願い[後]

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

「幻のポケモン・・・?」

 

「へえ。あっしの一族の伝説に、どんな願いも叶えるポケモンてのが居りましてね。ただ、千年前の陸と海の神の争いの後にどこか遠くの島に移されたっていうんですよ。ね、なかなか夢のある話でしょう?」

 

 ホウエンの南の果てに連なる無人島群、アマミ群島。

 その中のとある島で、ローレル・リアンは一人の奇妙な男と出会っていた。

 

「それでこの島を探っていたと。しかし、ここはモンジ・クスノキという人のれっきとした私有地です。無断での上陸は不法侵入になります。そもそも、そんなポケモンの話は聞いた事がありませんがね。」

 

 ローレルの口ぶりから疑われていることを察したその行商人風の男は慌てて言った。

 

「そ、そりゃあそうですよ!だってこれは一族でも一人相伝、長から長へのみ語り継がれるトップシークレットなんですから・・・あ、でもあっしは族長じゃありやせんよ。昔、親父が先々代から先代に伝えているのを偶然聞いちまって、それを聞いたってな訳で──」

 

「分かりますよ、あなたが族長でないことくらいは。」

 

 こんな軽率な男が長になるならむしろその一族は滅びるべきだ等と思いながら、ローレルは彼がひたすら平身低頭する様を見下ろしていた。

 頼むから警察沙汰にはしないでほしい、知るはずのない秘密を知っている事が郷にバレたらどんな処分が下るか分からないから──と。

 

「そうだ!そんならお詫びに旦那にもこのロマンを分けてあげましょう。ささ、これを・・・」

 

 そう言って膝で歩み寄った男はローレルの手を取ると、あるものを握らせた。

 

「・・・モンスターボール?」

 

「もちろんただのボールじゃありません。ちゃんと中身も入ってますよ。」

 

 興味本位でローレルはそのボールを開いた。

 そうして現れたのは、真綿のような翼とつぶらな瞳の愛らしい、小鳥のようなポケモンだった。

 

「これはもしや・・・チルット、ですか?」

 

 確か、ハシツゲ山麓の平原にのみ生息する珍しい種だ。そしてその一帯は流星の民と呼ばれるドラゴン使いの一族が管理する土地であり、基本的に一般人が立ち入る事はできない。

 

「へえ。さすが旦那、よくご存知で。言い伝えでは、このチルットの進化したチルタリスが七夜にわたって歌を聴かせたら、願い星──つまりその幻のポケモンが目覚めたっていうんですよ。それであっしもチルタリスを育てたんですけどね、でもいくら歌好きなポケモンったって、さすがに一羽で七夜連続は喉が持たねえなってことに気付いて。・・・で、交代要員を殖やそうとしたはいいものの、ちと殖え過ぎちまいましてね・・・あ、いやいや、それはこっちの話・・・」

 

 男はそこまで一気に喋った。

 その話の中で自分の身元が半ば割れてしまった事には気づいていないようだった。

 

「つまり、このチルットで今回の事は目をつむれと。そういう事ですな?」

 

 ローレルの要約に、男は素直に頷いた。

 

「へへへ・・・まあ、ロマンは抜きにしても早々手に入るポケモンじゃありませんし。悪い話じゃないと思うんですが、ね・・・?」

 

 上目で懇願してくる男に、ローレルは顎に手を当てていかにも考えるそぶりを見せた。

 実際には、既に結論は出ていたにも関わらず。

 

「分かりました。では、今回に限っては見逃しましょう。」

 

「!さっすが旦那!話が分かるぜ!」

 

「ただし」

 

 その一言で笑顔を固まらせた男に、ローレルは穏やかに求めた。

 

「加えて、その願い星とやらの話をもう少し詳しくお聞かせ願いたい。確かに、なかなか夢のある話ですからな。」

 

 そうして男は願い星のロマンと秘密をローレルに分け与えると、意気揚々とチルタリスに乗って飛び去っていった。

 もちろん、この一時間ほど前に彼が地下洞窟の奥で古びた祠を見つけたことは知らないままに。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 空色の身体にすらりと長い首、その割に短い嘴、そして綿雲のような純白の翼。

 竜というより大型の水鳥に似たそのポケモンは、つぶらでありつつも凛とした瞳で私を見つめていた。

 

「因果なもんだよな。元はオレのポケモンだったフーディンがあんたの手持ちで、逆にあんたのポケモンだったこいつをオレが連れてるってのは。」

 

 そう言った少年に、なぜそれを知っている、と問いかけてやめた。

 彼は私とウコンの過去を知り合いの記者に調べさせている。その情報の中に、このチルタリスの事もあったのだろう。

 それよりも今、質すべきは。

 

「・・・なぜ、そいつを連れている。」

 

 チルタリス。

 元は開発前のこの島で出会った胡散臭い流星の民から譲り受けたチルットで、私がトレーナーの道を断念してから傍に置いた唯一のポケモン。

 当初は物珍しさと幻のポケモンの目覚まし役という触れ込みに唆られて興味本位で引き取ったが、その愛らしさと美しい歌に癒される内に、かけがえのない存在になった。

 そして私が病身となったことで共有ポケモンとされてからも変わらずに慕い続けてくれた、無二の相棒。

 

「そりゃあもちろん、あんたが()()大事にしてるポケモンだからさ。こんな時の為に引き出しといたんだよ。共有ポケモンのボックスのバックアップを機能不全にしたのは、こいつが自分に加担した証拠を残さないためだったんだろ?」

 

 艷やかな空色の首筋を撫でながら、少年が答えた。

 それは事実だった。この七夜の間、ジラーチに歌を聴かせる為に彼女を出し入れした事が知られないように私はシステムに細工をした。誰にも、彼女を咎めることができないように。

 

 だが。

 

「・・・その通りだ。だが、今の私はもうその私ではない!」

 

 そして私は傍らにいる()()()()()()()()と目を見交わした。それが最後の試合の開始の合図となった。

 

「「『りゅうのいぶき』!!」」

 

 重なった我々の声に呼応するように、双方の短い嘴からドラゴン特有の青い炎の弾が乱れ飛ぶ。

 まるで機関銃の撃ち合いだ。

 

「狙いは定めなくていい!弾幕で押しきれ!!」

 

「釣られるな!外側は無視して的の範囲を維持しろ!」

 

 姿もレベルも能力も同じ二体による、同じ技のぶつけ合い。

 しかし、その結果は同じにはならなかった。

 

「・・・そいつが、今回のあんたの計略のキーマンだな?」

 

 ハッハッと、イヌ系統特有の浅い息遣いを響かせながら床に手足をつく姿を認めた少年が、静かに言った。

 

「左様。初日の夜のお前達への奇襲に日々の諜報、そしてチルタリスの歌の交代要員・・・殆ど全てはこいつに仕込んだ『へんしん』と『テレポート』によるものだ。ちなみに、お前に見せていたジラーチの映像は『サイコウェーブ』で送っていた。」

 

 えかきポケモン、ドーブル。

 能力は決して高くないが、『スケッチ』であらゆる技をコピーできるという稀有な能力を持つ、ある意味無限の可能性を秘めたポケモンだ。

 

「そして昨日の朝、例のキナギの力でそいつに宿ってジラーチの覚醒に備えてたって訳か。」

 

「そうだ。こいつは『アトリエのあな』に通って野生のまま手懐けたからな。共有ポケモンではない分、何をするにも非常に自由が効いた。」

 

 話で時間を稼ぎながら、私は先の撃ち合いを振り返り、この後の展開に考えを巡らせていた。最初の内は互角であったことは、相手の攻撃を完璧に相殺できていたことから明らかだ。しかし、やはり本物が相手というプレッシャーにやられてしまったのだろう。となると、再びチルタリスに『へんしん』したところで勝つのは難しい。一か八か、ジラーチに──。

 

「なあ。オレ、ここまで戦って思ったんだけどさ。」

 

 突然そう切り出した少年に、私は思わず視線をドーブルから彼に移した。

 

「あんた、本当はただはけ口のない思いをどうにかしたかっただけで。ウコンさんを恨みたいとか、リラになりたいとか、本当はそんな事望んでないんじゃないか?」

 

「何だと・・・?」

 

 彼は続けた。

 

「いや、だってさ。本当に邪魔されたくなかったら、そもそもこんな戦いしないだろ。それにジラーチは最初からあんたの手の中だった上に、リラは誰の事も疑わないと宣言していた。だから、よほどジラーチに近づかれない限りはオレ達を気にする必要はなかったはずだ。」

 

 そう言って少年が見た『しんぴのまもり』の中のジラーチを、私も見た。ボールを受け付けないが故の囲い込み柵だが、案外心地良いのか大人しくしている。眠っていた時の繭を思わせるのかもしれない。

 そして、とてもあどけない瞳で対峙する私達を不思議そうに見ている。

 

「・・・半端な思いにジラーチは真実の眼を開かぬ。それが答えだ。」

 

 それは決して虚勢ではなかった。

 それもまた、ひとつの事実。

 

「ああ、それはそうだったな。」

 

 私とは対照的な軽い口調で少年は言った。

 

「なら、最後の勝負はそれで決めようか。つまり、()()()()()()()()()がジラーチに届くかでさ!」

 

 少年の言葉に応えるように、チルタリスが純白の翼を羽ばたかせて宙へ飛び立った。そして、この空間いっぱいに響かせるようにその美声を披露し始めた。

 

(『うたう』・・・?いや、違う。こんな歌、今まで聴いたことがない。)

 

 眉根を寄せる私の胸中を見透かしたように、少年は言った。

 

「最初に言っとくと、これはオレの指示じゃない。オレはただこいつに、『目の前の奴を倒せば元の主人の病気が治る』って言っただけだ。」

 

 その言葉に、私ははっとした。

 眠気ではない。

 聴く者の不安を掻き立て、言いしれぬ恐怖を誘う、この美しくも禍々しい旋律は。

 

 頭に浮かんだその不吉な曲名(タイトル)に、背筋がぞわりと震えた。

 思わず叫んだ声は、焦燥でひどく掠れていた。

 

「おい!今すぐやめさせろ!これは最後まで聴いた者全てが死ぬ『ほろびのうた』だ!!」

 

 私は彼女と共に過ごした十二年間、一度としてその技を使用させたことはなかった。当然だ。もし使っていたなら、私も彼女も今ここにはいない。

 

 しかし、少年は私の警告をあっさりと一蹴した。

 

「そりゃあ無理さ。これは呪われた歌だからな。歌い始めた途端に旋律に宿る悪霊に憑かれちまうから、自分の意思じゃやめられない。」

 

「何だと・・・!?」

 

 私は顔を上げ、虚ろな瞳で歌い続けるチルタリスを仰ぎ見た。

 

 ほろびのうた。

 三周目の最後ま(フルコーラス)で聴いた者全てを滅ぼす、悪魔の鎮魂歌。

 本来は勝ち目のない敵から仲間を守るために取られる、最後の手段。

 

 そんな歌を、私一人を生かす為に歌っているというのか。

 

「ま、でも」

 

 そう言って、少年は腰からひとつのハイパーボールを手に取って見せた。

 

「歌が終わるまでにオレからこれを奪って中に戻せたなら。この地獄へのカウントダウンライブは強制終了できるだろうな。」

 

 彼の言わんとすることはすぐに理解できた。

 ポケモンはモンスターボールに収める過程で一旦データ化される。そこでデータ処理のできない霊やら呪いやらは、自動的に削ぎ落とされるだろう。

 

「・・・行くぞ、ドーブル!」

 

 長い休息で呼吸の整ったえかきポケモンと共に、私は駆け出した。

 余計な事は考えず、ただ自分が今ここで死ぬ訳にはいかないだけだと言い聞かせて。

 

(ドーブルはもう戦うのは無理だろう。だが、それは相手も同じ──。)

 

 チルタリスはまさに憑かれたように歌い続けており、私達が少年に迫っても気付いている気配はない。

 ならばチャンスはある。

 

 彼まであと十メートルほどというところで、私はドーブルの肩に触れて叫んだ。

 

「『テレポート』!」

 

 その声に少年が反応して身構えた瞬間、ドーブルだけが消えて彼の後方5メートルほどの位置に飛んだ。

 私が寸前で手を離したからだ。

 

「!」

 

 背後のドーブルに気を取られて、彼は振り向く。が、前方から迫る私の方が近い事に気付き、再び前に直る。

 しかし、私は私に与えられたあの力で、再度背後のドーブルに──

 

 

「・・・!?」

 

 

 宿ることはできなかった。

 考えてみれば当然だ。

 なぜ、ここまでに気づかなかったのだろう。

 

 

「へへ・・・ほんとはこんな事あんましたくねーし、言いたくもねーんだけどさ。」

 

 最後のフェイントの失敗を知ってか知らずか、正面から突っ込んだ私を両腕で捕えて少年は言った。

 

 

「その身体じゃ、(オレ)の力には勝てねーだろ?」

 

 

 そう。

 この身体は、私の身体ではないのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 頭上ではチルタリスが同じフレーズを再び歌っている。

 つまり、二周目に入ったという事だ。

 

「・・・知っていたか。このままではお前も死ぬぞ!」

 

 ローレルは必死に力を込めてヒノキの腕を解こうと試みたが、結果は彼の言う通りだった。同じくらいの背格好でも、男と女ではこれほどまでに力に差があるのかと今更ながら驚く。

 だが、かといってドーブルに助けを求めることはできない。彼もまた、ボールから飛び出たフーディンに取り押さえられているからだ。

 

「夕べさ」

 

 ローレルの警告を素通りして、ヒノキは話し始めた。

 

「岬で星を見ながら、リラがオレに言ったんだ。『挑戦者にバトルの楽しさを伝えられるタイクーンになりたい』って。それ聞いた時、オレなんかすげー嬉しくなってさ。もちろんその夢を叶えるにはあいつが自分で頑張るしかないけど、出来る限りの応援はしてやりたいと思った。でも、オレがあんたを止めたい理由はそれだけじゃない。」

 

 ヒノキはそこで一息ついた。

 呪いの旋律のせいで悪寒がし始めていたが、それでもしっかりとした口調で続けた。

 

「確かに、最初に夢見た形とは違うだろうけど。でも、それでもあんたはあんたのままで十分ウコンさんとの約束を果たせると思うんだ。」

 

「何・・・?」

 

 腕の中の少女の身体が確かに揺れたのを感じながら、ヒノキは続けた。

 

「最初にファクトリーに挑戦した時、オレ、衝撃を受けたんだ。どんなポケモンでもどんな技でも、知恵と工夫次第でこんなに可能性があるのかって。だから、そのポケモン達がみんなあんたの指導で育てられたって聞いた時は、世の中にはすげー人間がいるんだなって心底感動したんだよ。もし手持ちを拘束されてなかったとしても、しばらくはあいつらを使ってたんじゃないかって思うくらいね。」

 

 その言葉に、ローレルはここまでの自分の何かを支えていた柱が根本から倒れるのを感じた。まるで、その下から顔を出した本当の願いに突き動かされるように。

 

「・・・それが、約束とどうつながるというのだ。」

 

 胸中の混乱を悟られないよう、ローレルはわざと吐き捨てるように言った。

 

「だって、あんたはもともとキナギをちゃんとホウエンの一部と認めてもらいたくてジムを作ろうと思ったんだろ?それならこのままここで共有ポケモンの責任者を勤めていれば、絶対にオレみたいにあんたの仕事に感銘を受ける奴が現れるはずだ。そいつらからあんたの名が広まれば、きっとキナギの株を上げるのに一役買えるよ。そこにウコンさんがブレーンを務めるとなれば、なおさらだ。」

 

 その名に、ローレルの胸に再び大きな揺れが走った。

 

「なぜそこで奴の名を出す。奴は私を、私との約束を反古にしてこの島に来たのだぞ。」

 

「確かにキナギを出たという意味では、ウコンさんは約束を破ったかも知れない。でも、ウコンさんがこの島に来たのも、『皇帝(エンペラー)』の称号を断って老兵(ガーディアン)を通しているのもみんな、ずーっとあんたの夢を信じて待ってたからだ。見ろよ。」

 

 ヒノキの意図を汲んだバネブーが、マジックパールを点灯させて正面の壁にある光景を映した。

 

「・・・!!」

 

 そこには、病院の廊下の長椅子に腰かけているウコンの姿があった。杖にすがってうなだれる姿は、未だかつて見た事がないほど弱々しく、年老いて見える。

 

「・・五十年、だぞ・・・?そんな馬鹿が、どこに──」

 

 とうに干からびたと思っていた涙腺が熱く潤う感触で、改めて彼は気づいた。

 そうか、この身体は自分ではないのだ、と。

 

「キナギはここから一番近い街だ。フロンティアがオープンすれば宿場町として賑わうだろうし、そうなれば人々の凪のような穏やかさも知れ渡るようになるさ。そのうち、あんた達の故郷とか書いた(のぼり)なんかも立つかもな。」

 

 ローレルもといムスカルは、身体の内側を満たす懐かしく温かい心地に言葉を失っていた。

 何十年も前に失ったもの、失ったと思っていたものが、今またそこにある。

 

「だから、取り戻せるよ。」

 

 腕の力を緩める代わりに言葉に力を込めて、ヒノキは言った。

 

「夢も友達も、自分自身も。あんたが失くしても、分け合った半分をまだ持ってる人がいるんだから。」

 

 老人からの返事はなかった。

 代わりにぎゅっと抱き返してきた力に、ヒノキは自分の元にも大切な友人が戻ってきた事を確信した。

 

「さあ、ジラーチ!!」

 

 冷や汗を流し、悪寒で全身を震わせながら、ヒノキはこの一部始終を見届けていた願い星を振り返った。

 先ほどまで腹部を横切っていた緩やかな曲線は、全てを見透かすような大きな眼になっていた。

 その眼に向かって、腹の底から叫んだ。

 

 

「あのどうしようもねークソジジイどもに、もう一度この世界で生きるチャンスをやってくれ!!」

 

 

 そうして、辺りは光に包まれた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 頭の上の方から、ピッ、ピッという規則正しい電子音が聴こえる。

 まぶたが重過ぎて目を開ける気にはなれないが、口元の違和感はきっと呼吸器によるものだろう。

 しかし、なぜかあの息苦しさは全くない。

 

「どういうことだ?あの状態から、急にここまで持ち直すなんて・・・」

 

 その声には聞き覚えがあった。私の主治医だ。

 いつも冷静な男だが、珍しく困惑しているらしい。

 

「わかりません。ですが、実際に心音・呼吸、それに脈も確かに安定して・・・?」

 

 彼女も随分世話になっているから分かる。

 少し厳しいところもあるが、仕事に責任と誇りを持っている、素晴らしい看護師だ。

 

「先生!」

 

 私の腕を取る彼女の手が震えている。

 私とも()()とももう何年もの付き合いだ、今さら不気味がるものでも──

 

 

「痣が、ありません。」

 

 

 その言葉に私は思わず目を開いて、彼女の声の方を見た。

 しかし、そこに立っていたのは一人の少年だった。

 

「潮時だ。まあ、()()()()までは教えねーけどな。」

 

 悪童じみた顔でそう笑ってから、すぐ真面目な顔になり、青い帽子を脱いでぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 ありがとうございました、と。

 

 

 

 





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