ポケットモンスターSM Episode Lila 作:2936
『さあ、ここへ来てアナベル選手のフーディンがメガシンカ!圧倒的な力の差を前に、カイジュ選手のジュナイパーはどう立ち向かうのでしょうか!?』
メガシンカ。
ポケモンの中には、メガストーンと呼ばれる特殊な石のエネルギーを利用することで、一時的にではあるが爆発的なパワーを得ることができる種がいる。その際に姿形もいくぶん変わるため、この変態を俗にメガシンカと呼ぶ。
が、それによって生じるストレスとエネルギーがあまりにも大きいために、実際にその力を使いこなせるのは、歳月をかけて心身ともに鍛練を積んだ個体のみである──というのがメガシンカの定説だ。
「ジュナ」
じっと前を見据えたまま動かないジュナイパーの背に向かって、ヒノキは声をかけた。
「実況のねーちゃんの言う通りだ。あのフーディンの前じゃ、今のお前はどうしたって格下だぞ。どうする?」
加えて。
メガシンカを発動させ、そのエネルギーを生むのは、トレーナーとポケモンの強い心の
そしてそれは、出会ってまだ一ヶ月に満たないこのヒノキとジュナイパーにとっては、最も堪える種類のプレッシャーでもあった。
「ああ、もちろん、ここでお前がサジを投げたところで手持ちから外す事はないから。それは心配すんな。」
ヒノキが彼にそんな言葉をかけたのには理由がある。
今から三週間前の事だ。
◇ ◇
「遠路はるばる、こんな海の果てまでよくぞお越しくださいましたな。旅の疲れもおありでしょうから、まあどうぞゆっくりなさってください。」
「いえ。お気持ちは嬉しいんですけど、やることは山ほどあるんでお気遣いなく。」
ククイ博士の研究所を発ったその日の午後、ヒノキはアローラ地方のポケモントレーナーの長であるハラ・マイアの元を訪れていた。ウルトラビーストをはじめ、アローラに関する諸々の情報を教えてもらうためだ。
「あ、そうだ。すいません、コレつまんないものですけど──」
ハラ宅の客間に通されたヒノキは、手土産のカントー銘菓『オツキミだんご』を取り出そうとリュックに手を入れた。ところが、その手のひらが触れたのは固い箱ではなく、温かくてやわらかい、もふっとした何かだった。
(ん?もふ??)
そんなもの、入っていたかな。
不思議に思った彼はその「何か」に目をやり、そして驚いた。
「うおっっっ!!」
それは生きた命だった。
何かを訴えかけるような眼でヒノキを見つめるその小さな生き物は、どうやらポケモンらしい。
「びっくりした・・・なんだ?おまえ。いつの間に潜り込んだんだ?」
顔の真ん中についた大きな嘴に、つぶらな瞳。
蝶ネクタイのような胸元の双葉に、ふわふわの羽毛に覆われた、丸っこい身体。
雛鳥のような姿が愛らしいそのポケモンは、ヒノキに抱き上げられると得意気にもふぅ!と鳴いた。
「ああ、こりゃこりゃ!」
驚いたのはハラも同様である。
ヒノキにリュックから取り出された姿を見るなり、慌てて彼の手からそのポケモンを引き取った。
「いやはや、とんだ失礼をしました。これは今、うちで面倒を見ているポケモンでしてな・・・これ!この人は島めぐりのトレーナーさんではありませんぞ。」
ハラに叱られると、そのポケモンはもふぅ・・と悲しげな声と表情を見せ、小さな身体をさらに小さくした。
「いや、まあオレはいいんだけど・・・こいつは?」
「ええ、モクローというポケモンでしてな。今年の島めぐりの子どもたちの相棒として用意した三体のうちの一匹なのですが、あいにく挑戦者は二人でしたので。残念ながら・・・という訳です。」
「そっか、それで自分を旅に連れていってくれるトレーナーを待ってるのか。」
「はい。これまでは大人しくただ待っているだけだったのですが、ちょうど一週間前、島めぐりに出ていた二人が一度帰ってきましてな。その時に、ずっと一緒だったニャビーとアシマリの成長した姿を見て以来、すっかり落ち着きをなくしてしまって・・・あ、これ!」
モクローは隙を見てハラの腕をすり抜けると、ヒノキの頭に陣取って再び自分の意思を示した。重くはないが、既に鋭いかぎ爪は彼のデニムキャップをがっちりとつかんで離さない。
──そりゃ、悔しいよな。
ヒノキは頭上のモクローの心情を慮った。
ほんの少しの運命のずれによって、自分だけが選ばれず、取り残され、置いていかれてしまった。旅立った同期達は、選んでくれたパートナー達とどんな経験をし、どれほど成長したことだろう。
たとえヒノキの頭に穴をあけても離れるまいとするそのつかまり方からは、そうしたモクローの焦りや寂しさがひしと伝わってくるようであった。
(ふうむ。)
そんなモクローの様子は、当然ハラにも訴えかけるものがあった。彼はこのモクローを生まれた時から見てきたが、これほど頑なな態度を見せたことはなかったからだ。
そのまましばらく何かを考えていたが、やがて遠慮がちにその考えを口にした。
「・・・ご迷惑とは百も承知なのですが。どうでしょう、もしよろしければこのモクロー、連れていってやってはもらえませんかな。」
しかし、そうは言ってもヒノキがこれからやることは島めぐりではない。
「うーん。じゃ、一応聞くんだけどさ。」
鋭い爪に頭皮を引き裂かれないよう、ヒノキは慎重にキャップをモクローごと外してテーブルに置いた。同時に彼のシルバーグレーの髪が何本か抜けたが、さほど痛みはない。
「ハラさんは、こいつがあと三週間でウルトラビーストの連中と渡り合えるようになると思う?」
大きな嘴の下の辺りを掻いてやりながら、ヒノキはハラに尋ねた。モクローは気持ちよさそうに目を細めている。
「それは・・・」
ハラは言葉に詰まった。
正直、難しいだろう。せいぜい、現時点の間違いなく瞬殺されるというところから、命からがら逃げられるようになるくらいが関の山ではないか。
自らの不用意な言葉の無責任さを悔やみつつ、彼は正直にヒノキにそう述べた。
「うんうん。てことはやっぱりー」
「はい。」
ハラが頷いた。そして、二人同時に結論を述べた。
「やはり、来年の島めぐりに繰り越そうかと」
「おまえの根性と、オレのトレーナーとしての手腕が試されるって訳だな。」
糸のような目を見開いて呆気に取られているハラをよそに、ヒノキは再び両手でモクローを抱き上げた。ふわふわの小さな身体は、見た目よりさらに軽い。今の段階では、ウルトラビーストどころか、その辺の野生のアーボにすら丸呑みにされてしまいそうだ。
「なあ、ちびもふ。オレは島めぐりの十一歳じゃないし、ポケモンリーグの頂点を目指す旅もとっくに終わってる。ついてきたところで、お前が夢見た未来を見せてやることはできないぞ。それでもいいのか?」
モクローはしばらくの間、ヒノキをじっと見つめていた。が、やがて、とても嬉しそうに、にこっと笑った。
(なんと。)
ハラがモクローのそんな表情を見たのは、彼がタマゴから孵って初めてのことだった。そして、彼がなぜここまでこの青年にこだわったのか、分かった気がした。
そんな彼の笑顔に、ヒノキも歯を見せて笑った。が、すぐに表情を引きしめ、モクローの胸についているのとは違う方の
「いいか、お前の採用条件は『あと三週間でレベル50』だ。届かなけりゃ補欠にも入れないぞ。すごいとっくんになるから、腹くくれよ。」
もふう!と力強く答えたモクローもまた、あどけないその瞳に精一杯の覚悟を滲ませていた。
◇ ◇
あれから、三週間。
ヒノキの手元に、前方から一本のスプーンが飛んできた。銀色のシンプルなデザインで、ちょうど大人用のカレースプーンのようだ。
「投げるならどうぞ。」
口元にクールな笑みを浮かべたアナベルが、さらりと言った。今のヒノキとジュナイパーのやりとりを聞いての事だろう。
ヒノキはしばしスプーンを眺めた後、改めてジュナイパーを見た。相変わらず前を見据えて、その表情は見えない。が、鋭い鉤爪がめり込んだその足元には、小さなひびができていた。
(それがおまえの答えだな。)
ヒノキはその背に向かって小さく頷き、対戦相手に向き直った。
「お気遣いはありがたいけど。でも、それなら
その言葉とともにジュナイパーは地面を蹴って空高く飛び上がると、目にも止まらぬ速さで矢羽を連射し、メガフーディンへスコールのようなみだれづきを浴びせかけた。
「リフレクター!」
ドーム型の厚いバリアーがメガフーディンを被うように現れ、降り注ぐ矢羽をその周囲に弾き落とす。
「そして、ねんりき。」
メガフーディンの額のパワーストーンが発光すると、同じ光がジュナイパーを包み、地面へとねじ伏せた。
(ねんりきでこの威力か。)
ヒノキは、改めてこのフーディンの精鋭ぶりに舌を巻いた。放たれる技のひとつひとつが、熟練のそれと呼ぶに相応しいキレと精度を誇っている。技の研究者であるククイ博士が見たら、感動して泣くかもしれない。
最新のバトル・システムによって同じ50に制御されていると言えど、実際のレベルがその数字を大きく上回っていることは、もはや明らかであった。
ジュナイパーはすぐに起き上がろうとした。が、地面に両翼と片膝をついたところで止まってしまった。呼吸は荒く、肩は大きく上下している。
『おっと、ジュナイパー、なかなか立ち上がれない!!このままではカウントダウンが始まってしまうぞ!』
実況もジュナイパーの苦境を代弁する。彼がぎりぎりの状態にあることは、今や誰の目にも明らかであった。
ー怖いよな。苦しいよな。やめたいよな。
そんな様子から、ジュナイパーの胸中がプレッシャーやコンプレックスや恐怖心でつぶれそうになっていることを、ヒノキは痛いほど感じていた。
だけど。
「それでも逃げたくないと思うなら、戦うしかないんだよな。」
実況が6までカウントしたところで、よろめきながらも、ジュナイパーは再び立ち上がった。
アナベルはその様子を静観していたが、やがてふっと不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。
「負けず嫌いは嫌いではありませんが。これでも、その調子でいられますか?」
彼女がパチン、と指を鳴らすと、メガフーディンの額のパワーストーンが再び発光し、放射状に浮いていた五本のスプーンが時計のように秒刻みに回転し始めた。そしてモニターの残り試合時間の表示が揺らめいて浮かび上がったかと思うと、その数字の幻影がジュナイパーの身体に重なった。
その実況の解説を聞くまでもなく、ヒノキは経験からその意味するところを理解した。
『ここでメガフーディンがみらいよち!ジュナイパーは試合終了時刻に合わせてみらいよちの攻撃を受けてしまいます!これで引き分けはなくなりました!メガフーディンを倒さない限り、ジュナイパーの敗北が確定します!ジュナイパーは事実上のとどめをさされた格好だ!』
時限爆弾。
しかし、彼にとってはもうさほど脅威ではなかった。確かに時間切れによる引き分けは狙えなくなったが、今や破滅へのカウントダウンがあろうとなかろうと、やれること自体は同じだからだ。
「関係ないね。」
ヒノキは左手首につけた腕輪に緑色の美しいクリスタルを装着しながら、むしろ清々しい気持ちで答えた。
「今、こいつが本当に負けたくない相手は、あんたらじゃなくてー」
続けて腕輪をジュナイパーに向けてかざすと、クリスタルがまばゆい光を放ち始めた。
アナウンスが興奮した声で、その事実を実況する。
「自分が欲しかった未来を手に入れた奴らと、自分で選んだ未来にくじけそうな自分自身だからな。」
ヒノキは帽子のつばをぐっとつかんで目深に引き下げると、両腕を顔の前でクロスさせ、身構えた。
「たかが三週間、されど三週間だ。」
そう前置くと、ジュナ!と自らを鼓舞するように声を張り上げジュナイパーに呼びかけた。
「教えてやろうぜ。たとえ一月足らずでも、強くなりたいって、全力で心血を注いだなら──」
ヒノキは腰を沈めると、手首を垂らした腕を顔の横に構えてゆっくりと立ち上がる。
まるでおばけのようなその動きに呼応するかようにクリスタルの光が彼の全身を包むと、顔を上げ、目深にかぶった帽子の下からにやっと笑った。
「十分化けられる、ってな。」
ヒノキから贈られた溢れるエネルギーをまとったジュナイパーは、ロケットのように上空へ直進した。そして宙にぐるりと矢羽の大輪を描くと、それらを率いてメガフーディンへと進撃した。
『ここへ来てジュナイパーが最後の勝負に出た!種の固有Z技、シャドーアローズストライクだ!!』
(この状況でZワザ・・・!)
発動させるのは決して容易ではないことを、アナベルは知っている。素早く、攻勢から守勢へと頭を切り替えた。
「フーディン!矢はスプーンまげでかわして、本体はリフレクターで防いで。」
が、メガシンカ形態といえど、通常どおりではさすがにZワザには耐えられない。その為、メガフーディンはリフレクターを通常のドーム状ではなく、前方に特化した壁状に展開した。
『しかしフーディンも強化ガード体制に入った!これでZワザの威力は約1/4にまで削がれてしまいます!残り時間とみらいよちの発動を踏まえると、ジュナイパー、いよいよ厳しいか!』
流星群のような無数の矢羽を同じ数のスプーンが迎え撃ち、ジュナイパーが特殊装甲のようなリフレクターの壁と激突した瞬間、辺りは技の余波の暗闇に覆われた。
誰にも何も判らない状況の下、ただみらいよちの赤い閃光とジュナイパーがそれに貫かれる鈍い音、その直後に響いた試合終了のブザーのみが人々の目と耳に届いた。
そのために、誰もが闇が晴れるのを待たずに、その実況と同様の見切りをつけていた。
『・・・ここで試合終了!勝者は、アナベル選手とメガフーディ──』
その光景を、見るまでは。
(え?)
再び、最高潮に輝く真昼のアローラの太陽に晒されたバトルコート。
そこには、メガシンカが解け、座禅を組んだまま往生しているフーディンと、みらいよちの攻撃を受けて力尽きたジュナイパーの姿があった。
『ち、違います!!なんと、両者共に倒れています!一体、何が起こったのでしょう!?もう一度、暗視カメラの映像に切り替えて確認をー』
何が起こったのか分からない。それは実況や観衆だけでなく、実際に現場で戦っていたトレーナーとて同じであった。
ただ、一人を除いては。
「ふーっ。」
文字通り全力を使い果たしたヒノキもまた、大きな息をつくとどさりとその場に座り込んだ。
「・・・。」
そして、言葉を失いながらも何かを問いたげに自分を見つめている対戦相手に向かって、静かにタネを明かし始めた。
「こいつにはちょっと変わった特性があってさ。」
おつかれ、とジュナイパーをモンスターボールに戻すと、ヒノキはそのボールをアナベルに向けて見せた。
「多分、もとは光合成のさまたげになるツツケラ達の
その時、ちょうどモニターにそのシーンがスロー再生で映し出された。確かに、ジュナイパーがみらいよちの攻撃を受けると同時に、足元から離れた黒い影が矢羽の影伝いにノーガードの背部に回り込んで強力な一撃を放ったのが分かる。
「・・では、あのZ技は最初からおとりのつもりで・・・?」
「それくらいのフェイントはかけないと、そいつには負ける気しかしなかったからさ。」
ヒノキはそう言ってフーディンを指して笑った。
「・・・。」
つまり、自分はおとりのZ技にフルガードを使い、その裏を突かれたという訳である。
アナベルはゆっくりと息をつくと、やれやれという風に微笑した。
(引き分けといえど、完敗か。)
彼女のそんな思いには全く気付かず、ヒノキは続けた。
「それにしても。まさかパフェの争奪戦でZ技を使うはめになるとは思わなかったよ。あんた何者だ?女でその若さでその強さはもはや変態だぞ。」
気さくな口調で話すその言葉に、アナベルも緊張を解いて普段の調子に戻った。
「それなら、あなたも大概ですよ。」
「へ?」
「少しでも不安や懸念があれば発動しないZ技をあの状況で決めるなんて。並のトレーナーにできることではありませんから。」
メガシンカがトレーナーとポケモンの共鳴なら、Z技はトレーナーからポケモンへの供給である。トレーナーの体と心の力が、そのまま技のエネルギー源となるため、彼女の言うように純度100%の精神状態でなければ発動しないのだ。
「きっと、あなたのとくせいは『ふくつのこころ』なのですね。」
彼女にそう評され、ヒノキは少しくすぐったい気持ちになった。穏やかで聡明な物言いからは、さっきまでとはまるで違う印象を受ける。もっとも、戦闘となると人が変わるタイプの人間は確かに存在するので、不思議でないといえばないのだが。
「そりゃあ、できるさ。」
ヒノキがそう言った時、ピンポンという音がして、最初に乗ってきたエレベーターの扉が開くのが見えた。同時に、コートの隅のスピーカーから二人に戻ってくるようにというアナウンスが入った。
下降するエレベーターの中で、ジュナイパーが収まっているモンスターボールを握りながら、ヒノキは続きを話した。
「出会った日に、こいつに聞いたんだ。ついていくのがオレで、本当にいいのか?って。そしたら・・・っと!」
そこで危うくボールを落としそうになった。
照れくさいのか、ジュナイパーが暴れてボールを内側から揺すっているのだ。
「『キミに決めた』ってさ。」
そう言ってヒノキもまた、少し照れくさそうに笑った。
「どんなにすごい特訓をしたって、出会って三週間なのは変わらないし、互いのことで知らないことも、ぶつかる壁もこれから色々出てくるだろうけど。でも、あの時のあの気持ちがあれば、大抵の場合は踏ん張れると思うんだ。やっぱ初心は忘れるべからずだな。」
やがて、エレベーターが二階に着いた。降りながら、ヒノキは彼女に別れを告げた。
「にしても、一矢報いるので精いっぱいの勝負なんて久々で楽しかったよ。じゃーな。バイビー。」
「・・・なるほどね。」
そう呟いて、アナベルはそっとサングラスを外した。
そして待ち受けていたナギサや歓声に応えるヒノキの背中を見つめながら、彼の言葉を胸の中でなぞった。
──きみに、決めた。