-密side-
茉理による幽霊騒動から日も過ぎて、気温は上がり夏の様相へと移り変わる中で、その問題は静かに近づいてきていた。
寮での夕食も終わり、皆思い思いの場所で寛ぐ中──
「そういえば、密さん。もうすぐ水泳が始まる頃になりましたが、水着は持っているの?」
「えっ…?ええ、と…」
密の目が鏡子へと向き、驚いた顔を見て。今更ながらに問題が発覚したことを実感した。
密の部屋の中、頭を抱える密と苦笑いをしている鏡子が向かい合っていた。
「いや~、水泳の授業のことをすっかり忘れていました。最近は照星選挙やら補佐役の話やらで忙しくしていたので…」
「どうするんですか…?」
まさか出ろと言われるのだろうか、と。密としては内心穏やかではない。
「まあ、順当に考えるのであれば授業を休むことが一番ですね」
「やっぱり、そうですよね」
「ですが、問題は『何を理由に休む』のか、ということでしょうか?」
「えっと、風邪を引いた…では?」
「教師には通そうと思えばそれでもいけますが、刹那さんを説得できる自信はおありですか?」
「・・・」
確かに教師はなんとかなっても刹那という存在がいたことを密は失念していた。彼女はさすがに話を合わせてはくれないだろう。
「…何かありますか、鏡子さん」
「…──り」
「はい…?」
小さな声で言われたのでうまく聞こえなかった。
「えっと、鏡子さん。なんと言いました?」
「生理、でしょうか。生理なら女性が水泳を休む理由としては妥当なところでしょうし」
「あの…、鏡子さん。そうは言いますけど生理って確か月ごとのものでは?私、2ヶ月間、そんな素振り見せたことなかったんですが…」
そもそも『生理』については密も一応知識としてはわかっている。しかし、実際にそんな理由で休めるのか。
「さすがに一回目の時はプールサイドまでは行かないといけません。しかし、そこまで来てから生理が始まったことにしてしまえば問題ありません。そもそも、生理は基本的には1ヶ月ごとと言われていますが、様々な要因で簡単にずれてしまうものなのです」
「はあ、なるほど…」
「とりあえず、最初の一回目だけは水着を着てもらう必要があります。なんとか、それを切り抜けてしまえば、後はどうとでもなるはずです」
「わかりました。がんばります」
それでも、密としては水着を着たいとは思えなかった。気が滅入ってくるようで、当日までは考えないようにするべきだろうか…。
★
──数日後。
昼休みも終わって、密は更衣室から少し離れた場所でクラスメイト達の着替えが終わるのを待っていた。
(なんとか着替えて、プールサイドまでは行く。そこで下腹部を押さえて調子を崩したふりをして今日のところは見学。あとで生理が始まったことを教師に伝えて──)
頭の中でこのあとの段取りを反復する。
(…うまくいけばいいんですけど)
そして、鏡子から更衣室に人が居なくなったことを知らせるメールが入る。密は急いで着替えを始めた。
☆
-刹那side-
刹那は走っていた。昼休みに入り、作ってきた弁当を取り出そうとして、そこで鞄に入っていなければいけないものが見当たらないことに気がついた。
(しまった…。水着を寮に忘れてきている──!)
まだ昼休みは始まったばかり。昼休み明けの授業が水泳なので、今から急いで食事を済ませて寮に走れば着替える時間を確保できる。
今日は軽食系にしていた弁当を急いでたいらげ、刹那は寮へと駆けていった。
──時々、腕時計に視線を移しては刹那は更衣室目指して走っていた。
(くっ…。急いで着替えても時間はギリギリでしょうか…。とはいっても、ここまで頑張ったのですからなんとしても間に合ってみせなくては──!)
更衣室に到着すると勢いよく扉を開ける。中に入って、他に誰かいることを確認───
「「──えっ…?」」
そこにいたのは、密だった。ただし、本来は『無い』はずのものが刹那の目には見えている。
「・・・」
「・・・」
お互いに何も言い出せない。静かに過ぎる時間の中で、刹那はとりあえず近くのロッカーまでいって着替える。
それをただ呆然と見ていた密の前で刹那はロッカーの扉を閉める。
「密さん。今日の夜、お話があります。夕食後、部屋にきてください」
ただそれだけを告げて刹那は更衣室を後にした。
☆
-密side-
着替え終わってプールサイドまで来た密。それを見つけたクラスメイト達が集まってきて口々に何か言っている。
しかし、密にはすでにそれを聞き分けられるほどの余裕はなく、その様子に円がいち早く気がついた。
「あの、密さん。大丈夫ですか…」
「えっと、…何がでしょうか?」
円が気がついたことで他のクラスメイト達も密の様子に気がついたのだろう。
「だって密さん。血の気が失せてて真っ青通り越して土気色ですよ」
「あの、今日の水泳は辞退した方がいいと思います」
「密さん、無理はなさらない方が…」
集まってきたクラスメイト達が不安そうにしている。その様子に遠巻きに見ていた鏡子も近づいてきた。
「密さん。私から見ても今の貴女がプールに入るのは危険だと思います。というか、本当に大丈夫ですか?」
ここまで言われてしまっては密としても無理はできない。そもそもプールサイドまで来て、あとは生理ということにして見学する予定だったのだから。
───というより、今の自分はそれほどに酷い顔をしているのだろうか。
クラスメイトの一人が教師に密の様子を伝えたのか見に来ていた。
「すごい顔色してるわね…。密さん、体調が優れないようなら本日は休みなさい。無理をして溺れでもすれば大変よ」
「…わかりました。休みます」
「そうしなさい。──はい、他の子は準備運動を始めるわよ!」
プールサイドへと下がっていくと制服姿で座っている茉理が見えた。その茉理も眉を八の字にしてこちらを見ている。
「密さん、大丈夫?無理はしない方がいいよ」
「ありがとうございます。あの、私…そんなに酷い顔をしていますか…?」
「うーん…。少なくともプールに入っていい人の血色じゃないと思うよ」
茉理に言われるぐらいなのだから相当に酷い顔をしているようだ。
二人並んでプールを眺めていると一際大きな歓声が響く。視線を上げるとそれはいた。
一人だけ別格がいる。他の生徒を置いてきぼりに刹那は様々な泳法でスポーツ選手かと思えるほどに泳いでいる。
「凄いねぇ、刹那さん」
「ええ、本当に」
「あの人はこの学院の異端児だからね。にしても、密お姉さまの泳いでいる写真を撮りにきたのにお休みかぁ…」
二人以外は休みは居ないはず。二人が視線をやや上に向けた先には何故か天井からスリング降下している千歳がいた。
「えっと、何をしているんですか…千歳さん?」
「うん?刹那お姉さまや密お姉さまの隠し撮り写真はけっこう良い値段で取引されてるみたいだから小金稼ぎに泳いでいる写真でも撮ろうかと思いまして」
「はあ…。それでなぜ、スリング降下で空中に宙吊り状態で?」
「いくら私の影が薄いといっても生徒の固まっているところから入ってきたらバレてしまいます。ですから、絶対に目線の行かないところから降りてきました」
「授業は?」
「静かに抜けた私に気づける教師がいればいいんですが。とはいっても、密お姉さまや茉理お姉さまに気づかれたままでは他の方々に気づかれるのも時間の問題ですね。そろそろお暇いたします」
スルスルと天井へと上がっていき千歳の姿は見えなくなった。
「なんといえばいいんでしょうか。二つ名は通りのいい名前がついているとは聞いていますがあそこまで『忍者』という二つ名がぴったりな方も珍しいんでしょうね」
「そうだねぇ。密さん、一応伝える?」
「…止めておきましょう。先ほどの千歳さんの話を聞くかぎり、今回が初めてという感じではなさそうです」
何度もやっているのなら教室から脱け出していることは気づかれていないはず。であれば、見たといっても信用してもらえるかは五分といったところだ。
二人は見なかったことにして水泳の見学へと意識を戻した。