そんな日から一週間。水泳の授業を密は『生理』を理由に欠席・見学。
気にした他の生徒には刹那が体調を考えてやるように説得することで対応。
このまま何事もなく夏休みへと移行していくものだと思っていた。
───セラール新報が『その記事』を掲載するまでは…
水泳の授業も残すところあと四回。少し憂鬱そうな雰囲気を出す密を刹那、鏡子、織女、あとはなぜか千歳の四人が様子を見守るように学院へと向かう坂道を上っている。
「あの、過剰すぎませんか?」
「そうでしょうか」
「友人と学院に通うことに過剰も何もないでしょう」
「というか、千歳さん。貴女はなぜ居るのですか?」
「密お姉さまの周りではいろいろと起きるので密着取材をと思いまして」
門をくぐり、正面のエントランスまで来たところで周囲の生徒の様子が変わる。誰もが遠目にこの中の誰かを見ている。
「密お姉さまに視線が集まっているようですね」
「密さんに、ですか?」
「理由はわかりませんが、おそらくは」
「決める理由は」
「私の頭の上を通りすぎる視線がいくつか。必然的に左右に立っている刹那お姉さまと鏡子お姉さまは除外でき、織女お姉さまは元々から有名人ですからこのように遠巻きに視線が集まっているのは不自然です」
「さすがは、新聞部の副部長といったところなのですが…。なぜ、密さんに視線が集まっているのかはわからないですか?」
「何かあったと、見るべきでしょうか」
その場の全員が歩き出す。周囲の生徒の様子を見ていた千歳がいち早くそれに気づく。
「──っ、今のは…」
「何かわかりましたか?」
「新聞…。新報を出した…?部長からは何も──!」
「あっ、千歳さん?」
「追いましょう」
速歩で動く千歳の早いこと。提示板の前で立ち止まる千歳を四人が追いついたところで、千歳の見上げていたものを四人も見た。
「『薔薇の宮、結城密が水泳に参加しないのは『泳げないから』か?!』…千歳さん、この──っ!?」
鏡子が視線を向けた先には肩を怒らせて震えている千歳がいた。
「なん、で…っ。臆測で記事は作るなってあれほど──!!」
「あっ…」
千歳が一目散に走り出し、その姿はあっという間に見えなくなる。鏡子はなんとなく伸ばした手を引っ込める。
「なるほど。朝からの視線はこれが原因だったようですね」
「真紗絵さんめ…。最近、大人しいかと思えば…!」
「密さん、織女さん。とりあえずこの場を離れましょう。刹那さんも」
「いえ。私は少々寄り道いたします。先に教室へ向かってください」
「わかりました」
鏡子に背を押される形で密と織女は歩いていく。それを見届けた刹那はゆっくりと反対側へと歩き出した。
★
-千歳side-
新聞部の部室へとたどり着いた千歳はノックもせずに勢いよく扉を開いた。中には部長である真紗絵部長と何かの資料を纏めている若葉の二人がいた。
「部長!あの新報はどういうつもりですか!?」
「おっ。もう確認してくれたわけか。生徒の反応はいかがかな?」
「はぐらかさないでくださいっ!裏が取れるまでは記事にするなと言ったはずです!若葉も、なんで止めなかったっ?!」
ビクッと怯えたように資料整理の手を止めた若葉は──
「部長はもう、ほとんど確定だと…。水泳の授業を生理とはいえ三回も連続で休むのはおかしい。今までの薔薇の宮は生理で体育を休んでいる様子はなかった、と」
「そもそも、生理なら普段の体育だって休んでいてもおかしくはないはず。でも、薔薇の宮はほぼ全ての授業を欠席していない。なのに水泳だけは休んでいる。これはもう、確定でしょ」
密お姉さまが水泳に出ないのは『泳げない』からで『生理』ではない。もう、そう決められるだけの状況証拠はそろっていると言いたげだ。
「普段は軽い生理も環境如何では重くなることもあります。そもそも、泳げないのであれば初回の水泳で着替えてきたことにどう説明をつけるつもりなんですか?!」
「『泳げない』ことを隠すなら初回の水泳には泳ぎに出てきて体調不良を理由に見学。後の水泳授業は生理で見学している。そもそも、最初の時はあんたが直々に見てきたのでしょ?」
「それは──」
初回の水泳授業の時は確かに自分が見てきた。授業を抜け出して、見学している密お姉さまともお話した。
「ですが、あの新報には推測や臆測を交えてはいても真実となるものは一つも見受けられなかった。これでは虚報と言わざるをえない!」
「それを生徒は楽しんでいる。それでいいじゃない。新聞なんてそんなものよ」
「これでは新聞ではなくゴシップ誌です!」
千歳の声を鬱陶しそうにする真紗絵部長に、千歳は大きくため息をつく。
「とにかく、新報の訂正を──」
そこへ、控えめなノックが響く。若葉が扉を開けるとそこには──
「せ、刹那お姉さま…」
「・・・」
わかる人にはわかる。千歳はわかった。若葉も感じている。真紗絵部長は気にしていない。
「真紗絵さん。今朝の新報、あれは事実かしら?」
「私は事実だと思っているよ?」
「『思っているよ?』ということは推測や臆測の類い、ですか」
「まあ、薔薇の宮である密さんに直接聞いたわけではないからね。ただ、そう推測するには十分な状況証拠はそろっていると思う」
「なるほど。──前にも言いましたが、推測や臆測の類いで学内の風紀を乱すようなら私は容赦しないと言いましたが?」
「噂は広がっているけど、さりとて本当に虚報かは密さん自身にしかわからない問題でしょ?」
「つまり、密さんがこの新報を虚報にした時は──わかっていますね?」
「はいはい。そうなればいいね」
「──以上です。お邪魔いたしました」
刹那が扉を閉めて歩き去る。若葉は青い顔で真紗絵部長と千歳を見た。
「し、死ぬかと…思いました」
「部長。今からでも遅くはないと思いますが。誤報ということにすれば刹那お姉さまも手荒な手段には出ないと思いますよ」
「何が?あれは口だけよ。今までだって本気で何かしてきたことはなかったじゃない」
真紗絵部長の言う通り、今までも誤報に近い新報は何度も出ている。その度に刹那お姉さまは苦言を申し入れにはきていた。
真紗絵部長は今回もそうだと結論付けている。でも、千歳にはそう思えなかった。
☆
昼休み。千歳は憂鬱な気持ちをどうにもできないままに中庭で昼食を取っていた。しかし、食べる速度は遅く、ため息も多い。
「隣、いいですか?」
「…どうぞ」
千歳の隣に座ったのは鏡子お姉さまだった。
「難しい顔をしていますね。朝の新報のことでしょうか」
「…はい。あれには、核となる真実が一つも入っていません。推測に臆測を重ねて、それらしく見せた虚飾の新聞です」
『そんなものよ』と真紗絵部長は言っていた。だけど、千歳はそうであってほしくはないと思っている。
「千歳さんは関わっているんですか」
「裏付けするために動いてはいました。結果は芳しくなかったので、最終日前ぐらいに小さめの記事で『泳げない疑い』程度のものにしかできそうにないかと、思っていた矢先のアレでしたから…」
「なるほど。だからあんなに怒っていたのですね」
「怒っていた──そうですね。裏付けのない記事は時に本人以外の人を傷つけることもありますから」
「本人以外、ですか?」
鏡子お姉さまにはあまりピンとこない話か、と。
「今回の記事でいえば、密お姉さま──薔薇の宮様を敬う生徒と薔薇の宮を疎ましく思う生徒の間でケンカが起きる可能性は無いとは言い切れません。
「なるほど。言われてみれば」
昨年もそういったことは起きたのだ。小さなこぜり合いみたいなものではあったが。
「また、密お姉さまの交友関係者に対して今回の質問が他クラスから殺到する可能性もあります。本人達としては真実を知りたいだけなのでしょうが、この場合において明確な答えを返せるのは実は密お姉さましかいない、ということなのです」
「───っ」
いくら友人関係とはいえ、休んでいる理由に『生理』を使っている以上はどちらかなのか明らかにできるのは密しかいない。
(ですが、それを密さんから話すことはできない…)
「それに、状況として密お姉さまが口頭での説明は新報によって無意味です」
「無意味…っ!」
「鏡子お姉さまでもわかりますよね?」
新報が出た時点で密には『カナヅチ疑惑』ができてしまった。これを本人が口頭での説明をしたところで『だったら泳いでみせろ』と言われるだけだ。
───『生理』とはいえ、まったく泳げないわけではないのだから。
「千歳さんは、どうするのですか」
「今は噂の加速が起きないように手を打ちます。ウチの部長の暴走で照星の方々に迷惑などかけられません」
お弁当を掻き込むと千歳は立ち上がる。
「鏡子お姉さま、ありがとうございました。お話させていただいたことでやるべきことに順位付けも終わりました」
「頑張るのですよ」
鏡子は何とはなしに手を伸ばして前に立つ千歳の頭を撫でた。すると、みるみる内に千歳の顔が真っ赤になる。
「し、失礼、します!」
「あっ…」
駆け出した千歳の背中を見送って──
「頑張るのですよ」
鏡子は小さなエールをもう一度、口にした。