-鏡子side-
放課後。定例の照星の集まりに全員がそろったタイミングですみれがあやめとともに目安箱を運んできた。
箱を開くとテーブルに小山ができるほどに手紙が流れ出て、その光景を織女さんと美玲衣さんは呆れた様子で見ていた。
「休み時間の度に多くの生徒から質問は受けましたが…」
「それだけに飽きたらず、これだけの投書が入るというのもどうなのでしょうね」
「まだ整理が終わっていませんので我々の方で整理いたします」
奉仕会の役員が集まって手紙の仕分けを行う。結果として、いつも通りの匿名投書が一割。残り九割は密さんの新報への説明要望だった。
「なんといいますか、密お姉さまの場合、何か裏がありそうに見えてしまいますね」
「裏、ですか?」
そういえば、と鏡子は室内を見渡す。刹那さんの姿が見えません。
「刹那お姉さまが様々なクラスを回って今回の新報についてどのくらい広がっているのか調べて下さっていまして…。五時間目終了の時点で『疑惑』についてはほぼ全校生徒に広がっているとの報告をもらっています…」
「なるほど。広がる速度が異常なのですね」
「裏で動く…。新聞部の副部長は確か…『忍者』と呼ばれていたわね」
噂を広めている主犯格に千歳の名前が出たことで今まで成り行きを見守っていた鏡子も参戦することにした。
昼休みにあれだけ照星に迷惑をかけたくないと言っていた思いは代弁しておくべきだろう。
「鈴蘭の宮の言うことも可能性としてはありますが、限りなく白だと思うのです」
「あら。鏡子さんには何か根拠が?」
「そうですね──」
鏡子は昼休みにあったことを話す。
「なるほど。鏡子さんの言う通りなら千歳さんがわざわざ広めているという可能性は低い」
一番早く乗ってきたのは密さん。
「確かに。朝の新報を見た時もずいぶんと怒っていたようですし」
それに同調するように織女さんも続く。この二人は朝の様子も見ているから比較的理解はある。
「それがブラフでない理由はなんでしょうか?」
「そうですね。彼女はあらゆる意味でフェア精神が念頭にあるから、でしょうか」
「それだけでは、薄いですね。新聞部の一員である以上、そちらへ手を貸していないことは証明できますか?」
当然ながらその程度で疑いを晴らせるのなら鈴蘭の宮はここにはいない。この程度で退いては鈴蘭の宮ではない。
だが、美玲衣さんへの反論は意外なところから来た。
「なかなかに鋭い舌鋒ですが、まだ粗い。美玲衣、昼間に私がすみれに渡した情報は千歳からもたらされたものです」
「刹那さん…」
入口から刹那が入ってきた。そのまま美玲衣の疑惑を両断して。
「千歳はあらゆる情報に裏付けが取れないかぎりは新報に載せようとはしません。今回のような虚飾に満ちた情報を彼女が載せようとは考えないはずです」
「刹那さんも、ずいぶんとわかったように話しますね」
「なんだかんだと千歳との付き合いは長いですからね。彼女の人となりはそれなりにわかっているつもりですが」
「なるほど。であれば、これ以上御二人につっかかるのはケチをつけているだけになりますから下がりましょう」
さすがは鈴蘭の宮といったところでしょうか。引き際を心得ていた様子。
「しかし、どういたしますか。この記事には密さんのお話などはまったく入っていないのですよね?」
「裏付けが取れていないのは向こうも承知で使っているのでしょう。にしても、これを信じる生徒も少なからずいるということです」
宮様二人は噂が良くないことになることを危惧している様子。それにしては密さんは妙に落ち着いていますね?
「まあまあ。確かに私は水泳を休んでしまっています。周りがアレコレと風聞するのは仕方ないでしょうから」
なるほど。水泳を休むしかない以上、このような噂などは出てきても仕方ないと割り切っているわけですか。
確かに密さんらしくはあります───ありますが…。
「密さんはそれでいいのですか」
「この新聞のおかげで密さんの株は乱高下しています。マイナスなイメージが付きかねませんよ」
やはりというか、織女さんと美玲衣さんは納得していませんね。かくいう私も納得はできません。
一方的に立場を貶めかねないこの新聞にはさすがの私でも反吐がでます。
この新聞の嫌なところは『~~のようで』だの『~~と生徒も考えている様子が窺え…』などと断定的な文は徹底的に排除することで、あくまでも新聞部の見解を述べているようにしているところだ。
これがどこかしらに断定するような文があれば間違いの訂正を新聞部に是正させることもできようというのに…。
「実際に私が水泳に参加できていないのは事実ですし、そこへいろいろな臆測が飛び交ってしまうことも仕方ありません。皆さんの気持ちは嬉しいですが、訂正はできませんし、ね」
密さんの言葉に全員が黙ってしまう。これ以上ここで議論しても無駄だとわかってもいますからね。
しかし、本当にどうにかできないものでしょうか…。
★
-密side-
いつも通りの遅い時間。浴場で身体を洗う密は背を向けたまま、近くで何故かストレッチをしている刹那に声をかけた。
「刹那さん。私は、どうすればいいと思いますか?」
「何が、でしょうか…」
時折、息をつめるような反応が返ってくるがストレッチしているのだし仕方ないと密は割り切る。
「今日は織女さんや美玲衣さん、鏡子さんも心配している様子でした。水泳の授業にはどうあっても参加できない以上、噂をどうこうできないのはわかっているはずなのに…」
参加できれば解決できるのもわかる。しかし、それでは問題がある。
「そう、ですね…。──少し話が変わりますが、密さんは言われなき噂で織女さんや美玲衣さんが傷ついているかもしれない、と知ったらどうしますか?」
「──噂の出所を調べて、場合によっては撤回させます」
「そうでしょうね。今回の新報はそれと同様の話なんですよ」
刹那が隣に座って身体を洗い始める。
「密さんは『生理』が原因で水泳に参加できない。これはクラスの皆さんも信じて話が出ているから織女さんと美玲衣さんは信じてくれている。しかし、新報はその辺りの話が実は『薔薇の宮は泳げないことを隠すための嘘に生理を使っている』のではないかと疑惑を持ったことで今回の新報をぶち上げた。
実際には密さんは男性だから『生理は無い』ので『嘘をついている』部分は間違っていない。だから、密さんは皆さんがああも必死になる理由にピンとこないのだと思います」
「ですが、実際にそうなので…」
「違いますよ、密さん。貴女にとって間違っていないのだとしても周りからは『密さんは嘘をついていない。初日だって体調を推して参加しようとしていた』ということがあるのですよ」
そこまで刹那が説明してようやく密にも理解できた。
自分と周りの人の間には大きな認識のズレがあるのだと。
「えっと、私自身に矛盾はないけど周りからは私が酷いことを言われているように見えている、ということですか」
「そういう認識でけっこうですね。そして、織女さんからすれば自分の
寮のみんなやクラスメイト達が怒っているのもそこに起因します。みんなが『密さんは何もしていないのになんで…』という気持ちが強いんですよ。噂のおかげで陰に日向に密さんの、薔薇の宮としての適性を疑うような声まで出てくる始末です。周りが怒るのも無理らしからぬことです」
刹那の説明に密は俯く。お互いに無言になり、泡を流して湯船につかる。
「それで、皆さんの気持ちを知ったことで密さんはどうお考えに?」
「…わかりません。授業に出れば、皆さんの憂いをどうにかできることはわかりました。ですが、だからといって安易に授業に出るわけにも…」
「まあ、護衛任務とすればよろしくありませんね。しかし密さん。貴女は織女さんの護衛役ではありますが学院の生徒でもある、ということは忘れないでください。私も貴女を不当に扱われることに憤っていますから」
「刹那さんも、ですか…」
「ええ。貴女は間違いなく泳げるでしょうし、他の競技でも私と並ぶのですよ。対決できればどれほど高揚した水泳を楽しめるのか──考えただけでワクワクします」
「最近わかってきましたけど、刹那さんってけっこうスリルジャンキーなところありますよね…?」
勝つか負けるかのギリギリの勝負に持ち込むと刹那は好戦的な笑みを浮かべるが、密には恍惚としているように時々見えてしまう。
「失敬な。感情表現が豊かなだけですよ」
「そういうことにしておきます」
「なかなか生意気言いますね、密さん」
ヘッドロックをかます刹那に密は湯を叩いて抗議する。
「溺れますから…!」
「あの程度で溺れては本当にカナヅチですよ」
膨れる密の頬を楽しそうに刹那はつついてくる。
嫌がって離れた密に楽しそうに笑い声をあげる刹那。
「まあ、水泳の対処に関しては密さんに任せます。泳ぐにせよこのままにするにせよ、貴女が決めることですからね」
「そう、ですか…」
浴場から帰る時、刹那の背中を眺めながら密は思う。何も言われなかったが刹那自身はどう思っているのだろうかと…。