『聖セラール女学院』
明治八年に創設された由緒ある女学院。
米国から来日された宣教師によって私塾として開設された。
風早家の祖にあたる人物がこの理念に賛同し、持っていた土地を提供して現在の場所に移転、のち学制改革に及んで中高大学の一貫校となる。
基督教的なシステムを取り入れた教育様式が現在まで連綿と受け継がれてきている、いわゆる『お嬢様学校』であり、受け入れる生徒の質は変遷しているもののその基本的なスタイルは変わっていない。
慈愛と奉仕をモットーとし、年間行事にはボランティア活動や基督教礼拝など、宗教色も色濃いが日本的な礼節・情操教育も行われている。
生徒の自主性を尊重のため、校内には生徒による自治組織が存在している。
これにより、生徒自治がある程度効果を上げており、大幅な校則違反をする者はあまりいない。
が、世相の変化がもたらす生徒の質の変容が近年ではやや問題になってきている。
★
-刹那side-
新学期も滞りなく始まり、入学式も終わって平穏な日常へと戻りつつある。そんな中、刹那は本日、転入生が来るという話をキミリア館の寮監から聞きつけたことで急遽、買い物に出かけていた。
「まったく。そういったことは早めに教えてほしいものです」
「すみません。まさか知らないとは思いませんでした」
刹那の隣に歩くのは迫水すみれ。本年度の奉仕会の会長であり、キミリア館寮監でもある。
「でも、わざわざ歓迎用にケーキなど買わなくても…」
「こういう口実があれば美味しいものが食べられるでしょう?急に買ってきたら何事かと思うでしょうし」
「それは…まあ、そうですが…」
「まあ、私が食べたいだけですのでお気になさらず。すみれさん達は私の生み出すおこぼれを楽しく享受なさい」
「はい。ありがとうございます、刹那お姉さま」
「ところで、すみれさんはなぜ私の買い物についてきたのですか?」
「えっ?ああ。私は自分の買い物がありましたのでついでにと思いまして」
「言えば買ってきましたのに…」
「さすがにお姉さまを使い走りにするのは…」
「頼れる時は頼りなさい。私のような異端の姉でも貴女方の姉なのですから」
「はい。次からは頼るようにします」
「そうしなさい」
刹那はすみれの頭を撫でる。すみれは少し驚いたように刹那を見上げるが、すぐに撫でられたままになった。
「あの、お姉さま。少し、恥ずかしいです」
「ん?ああ、すみません。どうにもあやめさんやすみれさんの頭の高さは私には撫でやすい高さにあるもので、つい」
「い、いえ…。嫌ではないのですよ。ですが、さすがに外では…」
「ええ。自重するようにしましょう」
二人はそれぞれに買い物を終えると帰宅の途についた。
★
-密side-
密は疲れていた。いや、さすがに女装して女学院に転入した初日からケロッとしていたらそれはそれで隣にいる今回の同僚となる茨鏡子にどんな毒を吐かれるのかわからないわけではないのだが…。
「大丈夫ですか密さん。やつれ気味に見えますが」
「そう、ですね。けっこう、疲れるものですよ?」
「これで疲れていては明日から大変そうだと思いますが…」
二人が向かっていたのはキミリア館学生寮。学院で現存している寮で、今日から約一年の間、密にとっては家になる。
「さて、密さん。キミリア館に入るにあたって私から一つ助言しておきます」
「助言、ですか?」
「はい。キミリア館には現在のところ、私を含めて七名の寮生がいます。基本的に皆さん優しい方ばかりですから生活の中で大きな不都合というものが早々に起きる可能性は低い、と私は思っています」
「はあ。それなら問題ないのでは?」
「ええ。ですが、そのうちの一人───雨水刹那さんには気をつけてほしいのです」
「雨水、刹那…」
鏡子さんが気をつけるように言うとなるならそれなりに危険人物なのかと密は考える。
「あの人は嫌に勘が鋭いのです。それに、過去二年間の間に照星達と幾度とやり合ってきた人でもあるので…」
「照星達?」
どこかで聞いたことのある言葉に密は首を傾げる。
「まあ、その辺りのことは入寮してからでも聞けるから安心を。とにかく、刹那さんには気をつけるようお願いします」
「わかりました」
未だ会わぬ相手を警戒しろと言われても『わかりました』以外にどう答えよう?と思う密だった。
鏡子についていく形で寮に入ると、奥から一人の生徒が近づいてきた。
「あら、鏡の君。そちらの方は?」
「あやめさん。こちらは本日から入寮される結城密さんです」
「結城密といいます。本日からよろしくお願いいたします」
「あら。ご丁寧にどうもですわ。私は迫水あやめといいます。ちょうどすみちゃんが食堂の方にいますからご案内致しますわ」
「それでは、私は一度部屋に鞄を置いてきます」
階段を上がっていった鏡子を見送って密はあやめに続いて食堂に入る。
「すみちゃん。本日入寮の方がお見えになってますわ」
「ありがとう、あやちゃん。はじめまして。キミリア館寮監を務めさせていただいている迫水すみれといいます」
「結城密です。本日からよろしくお願いいたします」
「はい、密お姉さま。まずは、そうですね。寮の規則について説明いたしましょう。そちらのソファにお座りください」
促されてソファに座るとあやめが二人の前に紅茶の入ったカップを置いた。
「ありがとう、あやちゃん」
「いいえ。それではあやめはキッチンで何かしている刹那お姉さまの方に行きますわ」
お盆を持ってキッチンへとあやめが消える。
「それでは、簡単に寮則をご説明いたします」
「よろしくお願いいたします」
そうして、すみれからキミリア館の寮則についての説明が始まった。密は合間で気になることを質問し、すみれはそれに対しても説明を返す。
「これくらい、でしょうか」
「ありがとう、すみれさん。それにしても、寮則というわりには門限などもかなり緩いように思いますね」
『締め付け過ぎてもよくないってことなんだと思うよ』
新しく声が聞こえて密が振り返る。そこにはすみれ達より少し背が低い少女──服に『人生ひだりうちわ』と書かれた──が立っていた。
「はじめまして。
「結城密といいます。えっと、新入生の方?」
「ああ、うん。言われるとは思ってたけど…。こんなだけど同級生なんだわ」
「あっ。も、申し訳ありません」
「いや、いいよ。初対面だとほぼ必ず間違われるから」
『すみれさん、アレはダメだね』
再び聞こえてきた声に振り返るとキッチンから高身長の女性が頭をかきながら歩いてきていた。
「刹那お姉さま。ダメ、ですか?」
「私もさすがに食材の使い方がわからなさすぎる。適当に作ってしまうぐらいなら店屋物にした方がはるかに無難──おや、新しい寮生かい?」
「あっ、はい。結城密といいます」
「よろしくね、密さん。私は雨水刹那。貴女と同じ三年だよ」
「よろしくお願いいたします。それで、何がダメなのでしょうか?」
「ん?ああ、実は今日は寮母さんが出掛けからまだ帰ってこれてなくてね。自炊をしようにも今日は偶然にも海外献立の日で私でも未知の食材が多い。他の子の力をかりたとしても、まともな料理は出せそうになくて…」
「あの、その食材を見せてもらうことはできますか?」
「ああ、いいよ」
刹那に連れられてキッチンに入ると冷蔵庫を開ける。確かに密もあまり見たことのない食材が多い。
「一般的な家庭料理くらいなら私でもできるのだけど。さすがに海外仕様となるとね…」
「ふむ…」
密が吟味するように食材を取り出してはほんの少しだけちぎっては食べたりする。しばらくそうしていたが…
「私で良ければ作りましょうか?」
密の言葉に驚いたのはその場にいた全員だ。
「いいのかい?実のところ、寮でまともに自炊できるのは私くらいしかいないから手伝えることも少ないのだけど」
「まあ、なんとかなると思います」
「そうかい。じゃあ、お願いいたします、密さん。手伝えることはいくらでも手伝うから指示をもらえる?」
「はい。わかりました」
こうして、密主体の元で晩御飯の調理が開始された。