次の日。
多少の身体の怠さは残るものの昨日の起き上がれないほどの倦怠感はすでにない──ないのだが…。
「ふわあぁぁ…」
身体としてはまだ寝たりないのかあくびが止まらない。布団に潜り直せばもう一眠り出来そうな眠気がある。
「とりあえず…」
尿意が限界なのでトイレに行くとしましょう。
トイレついでにキッチンで軽く水分補給してから帰ってくるとベッドに潜り直す。眠気が残っているのだし、疲れを完全に抜いた方がいいだろうと二度寝に入る。
「すみれに怒られたくありませんし…ふわぁふ…」
寝ているかぎりは怒られることはないだろう。
少し遅れて見に来たすみれは──
「…寝ている」
先ほどトイレの方へと歩いているのは見ていたが、部屋までくるとベッドに潜り込んで寝ている。
「寝ているのでしたら、無理に食事を取っていただくこともないですかね…」
手元を見る。先ほどまで傷だらけになりながらも密お姉さまに習って作ったお粥がある。
「また、改めて持ってくることにしましょう」
キッチンへと下りて、お粥は冷蔵庫に入れるようにしましょう。
★
-千歳side-
駅前。人混みの中でもその二人は目立つことなく歩いている。
「しかし、鏡子お姉さまが私の買い物についてきたいなどと言うとは思いませんでした」
「そうですか?」
「ええ。監視する必要があるとかいいますけど学院に居ない間に私がこの情報を外に漏らしたところで何の役に立つというのですか?」
「どちらかというと普段の貴女が何をしているのかが気になるのです」
「おや。私のような人間を気にしてくれるようになったんですね」
ふと、鏡子お姉さまの目線がこちらからそらされる。そらした方へと見てみるも特に何かあるわけでもなさそう。
「気にする…。言われてみれば夏休み中までわざわざ一緒に行動する理由もあまり無いのですよね」
「それは、まあ…そうですね」
「しかし…」
今度はこちらを見つめてきた。しかし、鏡子お姉さまの目は無機質な感じで、興味があって見てきていることはなさそう。なんとなく、目線を外してしまうのも癪にさわるのであえて見返していると…。
「何がどうとはいいませんが、なんとなく気になるので今日一日は付き合うことにしましょう。今後、探す際の目印も見つけておきたいですし」
「私は野良犬か野良猫の類いですか…」
「面倒くささはその二つよりも遥かに上ですね」
酷い言われよう…。でも、仕方ない気もするので反論することなく歩き出す。鏡子お姉さまは少し遅れてついてきた。
「では、今日のところは私についてきてくださいね、鏡子お姉さま?」
「なんとも摩訶不思議な日になりそうですね」
「酷い言われよう…」
苦笑しながらも、千歳はすごく楽しそうに笑った。
☆
-鏡子side-
千歳の行き先は基本的に宛もなく、なんとなく道を選び、なんとなく店に入り、なんとなく気になった商品を見て、気に入った物を買う、という…端から見ればとてもふわふわとした買い物をしている。
(駅前から裏通りに入って、いくつかの路地を歩いたのはわかりますが…)
今の自分が街のどの辺りにいて、どちらを向いているのか鏡子にはすでにわからなくなっている。こうなると千歳を見失うことはそのまま迷子になることを意味する。
(また難しいことを要求される休日ですね…)
千歳は気を抜くとすぐにいなくなる。普通に考えれば視界から外れた程度で見失うことはあり得ないはずなのだが、千歳相手だとざらに起きてしまうから困りものだ。
(まあ、この透明性に近い影の薄さが、平時における神出鬼没に繋がっているのでしょうが…)
──そう考えているそばから見失った。
(…いやいや、待ちましょう。つい今しがたまで視界の端でうろちょろする頭は見えていましたし、この辺りで開いている店は2ヵ所。どちらかにいるはずです)
そうして二つ目の店で何かよくわからないビーズのようなものを物色していた千歳を見つけた。
「千歳さん、お買い物は終わりましたか?」
「ええ、鏡子お姉さま。必要なものは全て買いそろえましたとも!」
目を輝かせてこちらに戦利品を見せてくれるが、何が何に使われるものなのか鏡子にはわからなかった。
千歳の買い物が一段落したことで鏡子の買い物のために駅前へと戻ってきていた。とはいっても暇を潰す用の文庫本だったり、学業のためのノートだったりと実用的なものばかりだが。
買い物を終えて、喫茶店で一息つく。
「千歳さん。どうしてそれほどまで影が薄いのですか?」
「…はい?」
「貴女を先ほどの買い物で見ているだけでも視界から外すと途端に見失ってしまいました。意識して見ていないと貴女は気がつくといなくなってしまうように感じるのですが…」
実際に密の秘密を知られてからは千歳を探すことが増えた鏡子だが、予測が合ったのは三割にも満たず、その三割も曲がり角や階段だった場合は幻影でも見たかのように見失うことは一度や二度ではない。
「学院では『忍者』などと呼ばれているからかとも思いましたが、それにしては貴女は影が薄すぎる。まるで、蜃気楼かなにかのような…存在感が無いように感じてしまいます」
「そう、ですね。鏡子お姉さま、せっかく一服しているのですし、少し昔話にお付き合いくださいませんか?」
「昔話、ですか」
「ええ。一人の小さな子どもが体験した、悲惨な物語を──」
千歳がコーヒーを一口飲むと、ゆっくりと語り始めた。
「それは、数年前のある休日のこと。一つの家族は山道を車で走っていました。代わり映えのしない景色を眺めながらも、その家族は楽しそうに休日を過ごしていたんです──その時までは。
それは、不幸な話。居眠り運転をしたトラックが家族の乗った車に後ろから追突、挙げ句の果てには山道から外れて車ごとガードレールを乗り上げて崖下へとトラックもろともに落ちてしまった。
あわれ、車は崖下に落ちると同時にトラックと一緒に爆発・炎上。車に乗っていた家族は全員亡くなってしまいました」
「…なかなかに悲惨な話ではありますが、それが…?」
「実は、この話にはまだ続きがあります。車に乗っていた家族の一人の子どもはシートベルトが大の苦手。その時も後部座席でシートベルトも締めずに車の中で飛んだり跳ねたりの大騒ぎ。
前に乗っていた両親に怒られようとも気にせずに暴れている始末。そんな時にトラックが追突した。崖下へと落ちてしまった車は追突された拍子に窓ガラスが割れていた。その子どもは偶然にもシートベルトを『していなかった』がために車から投げ出されて、車の落下した場所から少し離れた位置に叩きつけられることになった」
コーヒーを一口。口を湿らせると千歳は再び語り出す。
「子どもは偶然にもシートベルトをしていなかったから車の爆発・炎上からは逃れ、命は助かった。しかし、窓から放り出され、木々や地面に叩きつけられた影響は身体中にあり、子どもは幾度もの手術の末に一命は取り留めた。
しかし、代償がなかったわけではない。身体に刻まれた多くの手術痕。落下した際に頭を強打していたのか脳に一部、深刻なダメージを負っていて事故直後と一年ほど前よりも昔の記憶は子どもから失われていた。
悲嘆にくれながらも死んだ家族をどこか他人事に見つめる子どもはただただ考えた。『どうして自分だけが生きているのか?』──全てを失った子どもは親戚に引き取られ、自分が生きている理由を日々悩みながら今も生きている。
これは、そんなどこにでもありそうな小さな悲劇の物語…」
千歳の語る物語を聴き終えて、鏡子は少し考えた。
ルールを守らなかった子どもは辛くも助かったが、その分多くの代償も支払った。その子どもは、一度死にかけたともいえる。
「千歳、これは、貴女の物語…なのですか」
「はい。今の家族に教えられた、私の本当の家族の顛末です」
少し悲しそうに話す千歳。それに鏡子は少し気にかかった。
「こう言ってはなんですが、貴女は一度、臨死体験のようなものをしたことで影が薄くなったと考えているということですか?」
「今の家族──
残っていたコーヒーを飲み干して──
「情報とは生き物ですから、それに触れていれば実感を得られるのではないか。そんな風に思ったんでしょうね、当時の私は」
「だから、新聞部にいると…」
「ですが、鏡子お姉さま──」
顔を上げた千歳の表情には暗い様子はない。むしろ、清々しいようにも見えた。
「鏡子お姉さまとの日々は私には多くの刺激をいただいています。これからも──といっても今年一年だけですが…、よろしくお願いいたします!」
元気な声。昔語りをしていた同一人物とはとても思えない。しかし──
「学院にいる限りは逃がしません。肝に命じておくことです」
今はあえて乗ってみよう。密さんや織女さんのお守りだけでは疲れてしまいそうですから。
自分なりの楽しみを、学院生活で見つけておくことにしましょう。