照星会の会合を終えてキミリア館へと戻る道すがら。茉理がこちらの袖を引っ張る。
「どうしました、茉理?」
「刹那さん。甘えるの、やめないでね?」
先ほどのことを気にしているのでしょうか。私は茉理の額にキスをする。
「大丈夫ですよ。あれくらいのことで茉理を嫌がったりはしませんから」
「…うん」
小さく頷いて微笑みかけてくれる。これが、私にとってはとても嬉しい反応───ですが。
「いつまで見ているつもりでしょうか」
振り返った先。先にいる密や鏡子は少し頬を赤くして視線を外した。見られていることは構いませんがそういう反応は止めましょう。さすがに私でも恥ずかしくなります。
といいますか、織女さん。なぜ貴女は茹でダコになっているのでしょうか?
「いえいえ。まさか往来の最中にそこまで熱い光景を見せられるとは思っていませんでしたので」
「熱い光景とはいいますが、たかだか額にキスしただけですよ」
「先ほどまで会合でその手の話をして赤らめていた免疫のない人もいるのですから、その辺りは加減すべきかと…」
「別に唇を合わせたわけでもなし。外国では親愛を表すのに行うこともありますよ」
「この辺り、我々と刹那さんの間には溝が存在しているようですね」
茉理とは途中で別れ、キミリア館へと帰ってきた。
「ところで、織女さん。家に帰らなくていいんですか?」
「えっ?」
織女は当然のようにキミリア館の前までついてきていた。普段であれば茉理と別れた辺りで一緒に別れるはずなのだが。
「鏡子さんぐらいは知っているものと思っていましたが」
「どういう意味でしょうか、刹那さん。 まるで織女さんがここにいる理由がわかっている様子ですが」
「むしろ護衛役たる貴女が知らないことに私は驚きなのですが…」
「本日より、お世話になります」
織女が頭を下げるのを、呆然と見つめる密。天を仰いでいる鏡子。本当に知らなかったようですね。
☆
-密side-
密の部屋で密と鏡子はうなだれていた。織女の入寮について何も知らされていなかったばかりか、連絡事項はつい先ほど鏡子の携帯に届いていた。
「どうしてこうなってしまったのでしょうか…」
「わかりません。どうすればこの状況を回避することができたのか…」
ぐったりとうなだれていた鏡子は携帯を取り出して頭をかく。
「そもそもホウレンソウの必要な案件がどうして現場の私達が最後の最後に本人が入寮してから聞くことになるんですか!?」
「伝えてもどうにもならないなら、いっそ事後報告で…という感じなんじゃないでしょうか…」
身バレの可能性は上がったが護衛の観点からでは難度は下がったと諦めるべきだろうか。鏡子さんはいろいろと準備をしていた分がパーになったからご立腹だとは思いますけど…。
「それにしても…」
「どうかしましたか?」
「いえ、刹那さんはどうして知っていたのでしょうね」
こちらに対して『知らなかったのか?』と聞いてきた以上、どこかしらから情報は得ていたはず。
「確か、旅行の時に天形SPに仕事の依頼をしていたぐらいですから、親元から情報が下りているのでは…」
「そうなんでしょうか…」
それならいいのだが…。いや、自分達としてはよろしくないが。
「どちらにせよ、身バレの可能性が上がったのは事実なので密さんは今まで以上に気をつけてください」
「…そうですね、本当に…」
なんでこんなに疲れるようなことが続くのか…。
あのあと、織女さんが部屋に来て入寮の理由を語ってはくれたが、護衛役としては閉口するしかない。文句は言えないし、食堂では皆さんからは好意的に受け入れられている以上、自分がとやかく言うのは間違いだ。
「はあ…」
とはいっても、ため息は止まらないが…。
「何をため息などついているのですか、密さん」
「───っ!」
『スパーンッ!』と景気よく風呂場の入口が開かれて刹那さんが現れる。相変わらずこちらが風呂に入っている時を狙ってきているとしか思えないほどの正確さだ。
「狙って来てませんか。刹那さん?」
「うん?ああ、密さんがだいたいこの時間に入っているのはある程度当たりをつけて来てはいるよ。とはいっても、自学自習でこの時間まで勉強している時くらいのもので、普段はもう少し早く入っている」
「…それで、何かお話があるのでしょうか」
「その通りです。織女さんのことです」
かけ湯をして密の隣へと身体を沈める。一息はくと、少し身体を揺らしながら刹那は話し始めた。
「実は花火の日以降に風早総帥たる幸敬様より父上経由で連絡をいただきました。どうも、学院内での護衛役に加わってはもらえないか、という打診です」
「…聞いていないのですけど」
「ええ、断りましたから。仕事の人間として織女さんを見る場合、照星としての彼女の意見などに文句をつけにくくなりそうだと思いましたから」
「はあ…。それを、どうして今伝えようと?」
「そうですね。一つは幸敬社長としては学外よりも今は学院内の方がいろいろと危険ではないかと考えている様子。二つは密さんにお渡ししたいものがありましたので」
「私に、ですか」
刹那から手渡されたのは紐のついた小さなスイッチ。
「これは…?」
「一度だけ、私を──『レセプション』として呼び出せるスイッチです。紐を引っこ抜いてスイッチを押し込むだけですよ」
「貴女に仕事をさせるためのスイッチ、ということですか?」
「ええ。護衛役には加われませんがまったく力を貸さないというのも気が引けまして…。もし、私をご用命となればそれを使ってください。一度だけ、私の全力をもって御護りいたします」
「…ありがとうございます。使わないに越したことはないアイテムですが、せっかくの好意ですし受け取っておきますね」
「ええ、そうしてください。…さて、私は身体を洗ったらさっさとあがりますね」
「今日は早いですね」
「それを渡したかっただけですし、ここ最近…茉理と遅くまで電話していたりしていて少し寝不足なのですよ。今日は早めに休もうと思います」
「なるほど。では、おやすみなさい、刹那さん」
「ええ、おやすみなさい、密さん」
さっさと身体を洗うと上がっていった刹那を見送って、密は手元に残ったスイッチを見つめる。
「確かに、使わないに越したことはないのですけれど…」
いつか使わないといけない気がする。そんな風に密は感じていた。
☆
-鏡子side-
部屋で休んでいた鏡子は、ふと気になったことを思い出して電話をかける。2~3コールすると相手は出た。
『は~い。こちら、薄氷千歳の携帯ですが、鏡子お姉さまがこんな夜遅くにお電話くださるとは意外ですね。何かいいネタ仕入れました?』
「それはこちらのセリフなのです。貴女は最近、何か情報を仕入れていませんか?」
『私、ですか?…うーん、織女お姉さまから『寮に入ろうと思っているのですが、新報には載せないでいただけますか』と打診はされましたかね?』
「…織女さんに、ですか?」
意外なところから意外な情報をもらった。織女が入寮したことを新報に載せられると面倒事が増える、と感じたからこそ機先を制しようと思って電話したのだが、どうやら本人がその辺りはわかっていたらしい。
『もちろん、私のところから洩らしてはいませんから新報に載ることはありませんよ。差し押さえるには相応の
「そちらを新報に載せるのですか」
『いいえ。個人的な趣味で集めている情報です。織女お姉さまや美玲衣お姉さまの情報は照星になられてからはなかなか集めにくくなりましたからね。美味しい情報が満載なので…』
鏡子の背中に悪寒が走る。そこに自分の情報もある、という確信。
「その情報、表には出さないのですよね?」
『ネタ切れにならないかぎりは出しません。安易に他の生徒にばらまくようなネタでもありませんし』
「──何を抱えているのですか」
『おや?鏡子お姉さまも気になるのですか?』
「ええ。気になるところです」
『簡単にいうなら個人プロフィールといったところです。好きなものや嫌いなもの、最近のマイブームなどでしょうか』
「それだけ、ですか…」
『黙秘します』
「なっ──」
『鏡子お姉さまと言えど、私は新聞部副部長。おいそれと自分の大切な情報は与えられませんよ?』
「くっ…」
『まあ、入寮に関してはお気になさらず。私から新報に載せるのはありえないと断言しておきますね』
通話が切れた。携帯をしばらく眺め、やがてベッドへと投げる。
「まあ、危険な情報を持っているとは限らないわけですし…」
そうは言うものの、先ほど感じた悪寒が忘れられない。
「なんとかして、集めている情報とやらにたどり着くべきでしょうかね」