茉理の説明の下、手紙を書き上げたソレを投函してから早一週間。返ってこない手紙の返事に茉理は日に日に焦燥感を募らせている様子で、ヴァイオリンの練習にもあまり身が入らないようだ。
今日も今日とて少し弾いたが手紙のことが気になるのか早々に帰ってしまった。
「あまり気に病まずともよいのですが…」
まあ、確かに頼られたから手紙を出す形になり、結果的に未だに返事が返ってこないというのは本人としてもそれなりにショックなことなのかもしれない。
手紙を書いていた際にも『彼女の演奏が好きだから』と推薦する理由を語ってくれたぐらいだ。望み薄だったのだとしても返事ぐらいはあると思っているというのに、寝ても覚めても返事がなければああなるだろう。
「しかし、月子の話ですとそれなりに有名なヴァイオリニストという話でしたし…。もしかすると予定を調整してくれているのでしょうか?」
そうであれば手紙の返事に時間がかかっていることも仕方のないことだとは思えるのですが。
「なんにせよ、手紙の返事は待つしかないでしょうしね…」
密は密で何やら悩んでいるようですが、こちらは他二名の照星──特に織女──が動き回っているようですから私がわざわざ顔を出すこともないでしょう。
本来の同僚である鏡子もなにかと手を回しているのを確認していますし。
「さて、帰りますか」
鞄を持ったところで携帯が着信を鳴らす。相手は──
「すみれ、ですか」
☆
すみれからの電話で応接室へと入ると、見覚えのない女性一人がソファに座り、すみれ、深夕の二人が立っていた。
「刹那お姉さま、申し訳ありません。照星の方々は連絡が取れず…」
「いえ。それは構いません。それで、あちらの方は…」
女性は立ち上がるとこちらに向けて会釈する。
「はじめまして。私は諏訪ちさとという」
「諏訪ちさと…。ということは茉理が手紙を出していた」
「そうです。それで、貴女は…」
「ご挨拶が遅れました。私は雨水刹那。こちらの奉仕会のお手伝いですが、貴女の知り合いである仲邑茉理の友人になります」
「なるほど。茉理さんのご学友ということですか」
「まあ、立ち話もなんです。お座りください」
諏訪ちさとにソファを勧めて座ってもらうと、刹那も対面に座る。紅茶が四つテーブルに置かれると、刹那の隣にすみれと深夕が並んで座る。
「しかし、まさかこちらへ直接顔をお出しになるとは…。何かありましたでしょうか?」
「いや、何かあったという話でもなくてね。私自身としては懐かしい相手から手紙を貰えて、しかも内容は『演奏の依頼』ときている。連絡先こそ交換はしていたんだけど、ほどなくして彼女を業界から見なくなってしまった」
「なるほど…」
「こちらから連絡するのもなんだか気が引けてしまって…。そうこうしているうちに数年も過ぎてしまった。もう、連絡は取ることもないだろうと思ったら、急に手紙が届いたものだからなんだか嬉しくなってしまって…」
「手紙の返事を書くのもせずにこちらへ直接来た、と」
「ああ。我ながら落ち着きがないとは思ってはいますが…」
なるほど。相手側からすればヴァイオリンの界隈から姿を消した相手からのいきなりの『仕事の依頼』だ。
連絡先を渡していたくらいなのだし、少しは気にしてはいた相手からの急な手紙ともなれば訪ねてみようともなるかもしれない。
「実は、茉理の方は手紙の返事が来ないのでずいぶんとやきもきしていまして…」
「っ、そうだったのか…。それは仲邑さんに失礼なことをした…」
「いえいえ。あれでも図太いですよ。しかし、話を聞くかぎりはお二人はどういう出会いを?」
「ああ、実は──」
諏訪ちさとが初デビュー戦だったコンクール。優勝候補だった本人も最高の演奏だったそう。
しかし、実際に優勝したのは同じく初出場だった仲邑茉理。しかもこの時点では完全に無名で師もついていなかったというのだから茉理の才能は天性のものだったのでしょうね。
「優勝候補だなんて騒がれていたというのに仲邑さんには勝てなかった。だけど、だからこそ世界が広いことを私は思い知らされた」
「なるほど。それで、連絡先は渡していた、と」
「ああ。でも、仲邑さんは急にいなくなってしまった。風の噂で病気のせいで師から破門されたことだけは聞いていたが、逆に連絡しにくくもあった。私が声をかけていいものか悩んでしまって…」
「そうこうしているうちにこうやって機会が巡ってきたわけですね」
「ああ!だから、この仕事、快く引き受けさせていただくよ」
「「あ、ありがとうございます!」」
今まで黙って聞いていたすみれと深夕が頭を下げる。さて、せっかくですし──
携帯を取り出して電話をかける。かける相手はもちろん茉理。
『──もしもし。どうしたの、刹那さん』
「ああ、茉理。今、時間は大丈夫ですか?」
『うん。大丈夫だよ』
「そうですか。少し待ってください──ちさとさん」
「えっ、と…」
「どうぞ。相手は茉理ですから」
携帯を受け取るとちさとは話し始める。すぐに楽しそうに笑っていることから茉理も電話口で笑っているのだろう。
「刹那お姉さま、こういうことはマメですね」
「連絡を取っていなかったのなら今からまた交友を深めればいいんです。仲良くなるのに早いも遅いもありませんからね」
しばし話していたがとりあえずの区切りは着いたのだろう。電話を切ってからこちらへと携帯が差し出された。
「ありがとうございます。改めて連絡先の交換もできました」
「いえ。茉理も嬉しく思っているでしょうし、私としても友人の交友を復帰させられたのは嬉しいことですから」
「ああ、ありがとう」
「それで、諏訪様。演奏会の方なのですが…」
「ああ。こちらでもプログラムは考えるけど、そちらでもいくつか立案してほしい。意向のすり合わせ等の連絡はこちらに。演奏中でないかぎりは出るようにする」
「はい。それでは、本日よりよろしくお願いいたします」
「ああ。私の方こそよろしく頼む」
(とりあえず、一件落着ですかね)
小さく息をつく。ふと、ちさとは何かを考えるようにこちらを向いた。
「えっと、雨水さん。つかぬことをお聞きするがかまわないか?」
「はい。私で答えられることでしたら」
「貴女は二~三年前の夏頃、北欧の方を旅行か何かしていただろうか?」
「二~三年前の夏頃、ですか…。二年前であればイギリスの辺りを夏休みに旅行していましたが、それがなにか?」
「そのとき、何か事件のようなものには巻き込まれなかった?」
「ええ。現地の知り合いに仕事の依頼はされて護衛はしていました。なんでも『日本の有名なヴァイオリニストが来る演奏会があるから一緒に行こう。ついでに護衛でもお願いできないか?』などと言われて行きましたよ。あの時の演奏会は今でもよく思い出します」
懐かしいですね。茉理と仲良くなり始めた頃でヴァイオリンの演奏についても知識をつけ始めた頃でしたからとても楽しく聴いていました。
「その時、暴漢を捕まえなかった?」
「えっ、ええ。演奏会のあとに当時の演奏者の楽器を狙った盗難がありました。偶然にも犯人は私の方に来ましたから叩きのめしましたが」
覚えていますとも。友人と気分よく帰ろうとしたところで現地の人が『ひったくりだ~』みたいなことを言うのを聞こえたので振り返れば男が一人、手に楽器を入れた入れ物を持って走ってきましたから。
あの時は演奏会の余韻に水を刺されたことで思わず全力をもって制圧してしまって、友人と逃げるようにその場から離れたものです。
「やっぱりか!」
「──っ!?」
ちさとは急にこちらの手を握りしめた。
「ずっと、ずっとお礼が言いたかったんだ!」
「え、ええと…。どういうことでしょう?」
「あの時、盗難にあった演奏者は私だったんだ…」
「…えっ?」
「「えっ?」」
さすがにすみれと深夕も驚いていた。ええ、私もですが。
「あの時は楽器を返してもらうと相手はすぐに走り去ってしまって…。お礼を言うために警備の方に調査を依頼してみたけど結局どこの誰かすらわからなかった。わかったのは日本人ということぐらいで…」
「そう、ですか。あの時の…」
ちさとはしばらく目を閉じていたが、目を開くとその瞳に炎が灯ったように見える。
「──これは、思っていた以上の演奏会をする必要があるな。あの時のお礼の分まで、演奏会に力を入れさせてもらうとするよ!」
「…ええ。楽しみにさせていただきます、ちさとさん」
「ああ!楽しみにしていてくれ!」
そのまますみれ達と打ち合わせを始めたちさとを見ながら…。
「これは、紅鶸祭の演奏会が今から楽しみでなりませんね…」
きっと、あの時の感動よりも更に上の感動をもたらしてくれる。紅鶸祭が待ち遠しくて仕方ない。