新学期が始まる前日。
寮の前には少ないながらの段ボール箱がいくつかと家具が数種類。そして、天形の護衛二人に護られた美玲衣が立っていた。
寮からの出迎えには刹那、すみれ、あやめの三人。
「よくいらっしゃいました、正木美玲衣様」
「…急なお話でありながら対応していただきありがとうございます」
「いいえ!必要な手続きのほとんどは刹那お姉さまが済ませてくださっていましたもの。私達がやるべきことは書類の最終確認と美玲衣お姉さまの署名をいただくくらいのものですわ」
ニコニコ笑顔であやめは小脇に抱えた鞄から書類を取り出す。美玲衣が署名するべきところを説明し、署名をもらうと書類は鞄の中へとしまう。
「では、私はこのままこちらの書類を学院へと提出してきます。すみちゃんは美玲衣お姉さまの寮内のご案内を任せますわ」
「あやちゃんがしなくていいの?」
「書類を迅速に出してきたいですから」
小さく礼をするとあやめはササッと学院へ向かって歩き出してしまった。
「…ええと、では。美玲衣お姉さまのお使いになるお部屋にご案内致します」
「よろしくお願いします」
「刹那お姉さまは──」
「私はこれらを運びますから」
男性ですら数人は要りそうな段ボールの数を一回で寮内へと持ち上げて歩いていく。後を追うようにすみれと美玲衣は寮内へと入る。
「基本的には前回にご利用いただいた際と大きな違いはありません」
「なるほど。皆さんは?」
「織姫お姉さまと密お姉さまのお二人は風早の会合があるというお話で出かけております。他の方々は部屋に居ると思います」
「そうですか。…とりあえず部屋に行きましょうか」
「はい。ご案内します」
階段を上がり、扉が開いている部屋へと入ると刹那が段ボールを並べていた。
「美玲衣さん、荷物がずいぶんと少なく見えますが…」
「ええ。必要最低限の分以外は家に置いてきました。移動に際しては身軽な方が楽ですから」
「なるほど」
「まあ、いろいろと買い足す必要もあるかもしれませんが、その辺りは生活を始めてから追々…といったところでしょうか」
「すみれ、すみませんがお茶を淹れてきてはもらえませんか」
「はい、刹那お姉さま。では美玲衣お姉さま、失礼いたします」
「ありがとう、すみれさん」
すみれは小さく一礼して去っていった。部屋に二人きりになると、美玲衣は刹那に頭を下げる。
「刹那さんもありがとう。私の家のことでこんなに手間をかけてもらって…」
「いいえ。美玲衣の気にすることではありませんよ。それより、今後のことを考えましょう」
「ええ」
部屋に備え付けられたベッドに二人並びで腰かける。
「美玲衣のお母様はどうされている様子なんですか?」
「あっちはあっちで頼れる方がいたようで…。そちらへ避難していると聞いています」
「なるほど。父親──正木孝太郎の行方は?」
刹那の質問に美玲衣はおどけたように肩をすくめる。
「さあ?倒産が秒読みになった頃から家には帰ってきていませんでしたから」
「ということは、年末頃から帰ってきていなかった?」
「ええ、そうですね。金策に奔走しているのか、それとも何か策があるのか…」
「難しいとは思いますが…、追いつめられた人間はどのような行動を取るか判断しかねますから」
「そうですね。でも、学院内では刹那さん達がいますから安心です」
「…最善は尽くすつもりですが、学院内もすでに倒産の話で持ちきりになっているはずです。美玲衣は、心折れぬように…」
「…大丈夫ですよ」
そう言う美玲衣の肩は震えている。不安を押し隠しているのは明らかだが、だからといって刹那自身、慰めの言葉を並べたところで気休めにもならないくらいはわかる。
「まあ、基本的には茉理が近くにいてくれると思うのでそこまで悲観的にならなくてもいいとは思いますが…」
「はい…」
それでも、美玲衣の不安は取り除けまい。何かしら、手を打つ必要がありそうか。
☆
-美玲衣side-
寮での夕食も済み、あてがわれた部屋へと戻るとスマホを手にとある電話番号に電話をかける。しばらくの間のコール音の後に機械音声が出られない旨を告げてきた。
(おそらく、借金取りから逃げるためにスマホをどこかしらに放置しているのでしょうね。母も文句を垂れながらも落ち着ける場所は見つけているようですし、今のところは均衡状態…といったところでしょうか)
とはいえこの状態が長く続くわけがない。少なくとも父である正木孝太郎にとっては時間の経過は自身の首を絞めこそすれ、好転する材料にはならないはずだ。
(私自身も刹那さんや茉理に頼るばかりでなく何か方策を考える必要がある)
そう考えるが、現状で取れる策となると限られている。
(ですが、せっかく近くに窓口があるのですから打診するだけタダ、ですよね?)
美玲衣は部屋を出ると目的の部屋へと向かう。扉を叩くと入室を許可されたので入ることにした。
「こんばんは、美玲衣さん」
密さんの部屋を訪ねたのだが、そこには鏡子さんと織姫さんの二人もいた。
「お二人もいらっしゃったのでしたら、私は後日にしましょうか…?」
「いえいえ。私は織姫さんの警備内容を密さんと詰めるために来ていただけですし、織姫さんは最近は密さんにべったりですから別のタイミングを探す方が難しいと思います」
「鏡子さん、私はべったりなんてしていません」
「ここ数日四六時中密さんと甘々な空間で生活しているから感覚が麻痺しておられるだけなのでは…」
よく見たら紅茶を飲む密さんと織姫さんに対して、鏡子さんはかなり濃い目の緑茶を飲んでいる。甘い空間に耐えるための処世術、ということでしょうか。
「そういう鏡子さんだってお部屋では千歳さんと楽しくしているようですけど?」
「いえいえ、織姫さんほどでは」
「そんなことありませんよ」
ウフフアハハと笑顔なのだが明らかに笑っていない顔で牽制しあう二人を尻目に密さんは紅茶を入れてこちらへと差し出してきた。ありがたく受け取ると近くに置かれたイスに腰掛ける。
「とりあえず鏡子さんと織姫さんは放っておきましょう。美玲衣さん、何かお話があるのですよね?」
「はい。最初にお断りしておきますが大変不躾なお話になります」
「まずは聞かせていただけますか?判断させていただくのはそれからです」
「はい。では、単刀直入にお話しますが───密さん、私を買いませんか?」
私の申し出に密さんはただ目を細める。気がつけば騒いでいた二人も静かになっていた。
「それは、どういった意味で捉えるべきでしょうか」
「そうですね。今のところ…いえ、数日中は今の安全は確保されていると思っています。でも、父がこのまま終わるとは到底思えません」
「まあ、そうでしょうね」
「そう考えた時、あの人が使える資産相当のものというのは極めて少なく…しかし、簡単に使えるものがあります」
「それが美玲衣さん、貴女だということですか」
「はい。私自身を手土産にどこかしらの資産家あたりに融資を切り出せば幾ばくかのお金は引き出せるでしょう。それを元手にすれば父は再び返り咲けると考えても不思議はありません」
幾ばくかのお金、とはいったが実際は借金を含めた数千万~億単位のお金を融資してくれる相手を探している可能性が高い。そうなった時、自分の価値をそれよりも高めておければ父のいいなりになる必要は無くなる。
「なるほど。しかし、どうしましょうか…。美玲衣さんにこう言ってしまうと薄情な話になってしまいますが、私から美玲衣さんを『買う』と言ってしまうといろいろと問題が出てきてしまいます」
「次期社長が確定とはいえ密さん、織姫さんと婚約内定しているので安易な買付けは批判の種になるので止めていただきたいです」
当然の答えだろう。次期社長が夫人以外に女性を『買った』となればスキャンダルものだ。警備担当の鏡子さんからしてもそんな不穏当な案件はゴメンだろう。
「織姫さんとしては、私は『買う』に値しますか?」
「…買って損はない、とは思っています。ただ、美玲衣さんのお話から考えるに『買う』となれば億単位の価値を示していただくことになります。今ここで、貴女は私達に『正木美玲衣は億単位のお金を出すにふさわしい人材』であることを示せますか?」
不可能───なのは織姫さんもわかった上で聞いてきている。今の自分が億単位のお金を動かせる人材であるかどうかなど、分かりきった話をすることはできない。
「無理ですね。将来性をアピールしたとして、それは今のそちらの婚約話を越えられるようなものではありません。それだけの価値を示せるとは口が裂けても言えません」
「でしたら、このお話は決裂することになりますが…」
「仕方ありません。また何か方策を考えるだけです」
紅茶を飲みきると立ち上がる。扉に手をかけたところで───
「美玲衣さん、何か、アテはあるのでしょうか?」
密さんの声に応えられる答えはない。震えそうになる声を引き締めて───
「今のところは思いつきませんね。ですが、私も諦めるつもりはありませんから」
部屋へと戻るとベッドに倒れこむ。無理筋なのはわかっていた交渉とはいえ、話し合った価値はあった。
「少なくとも、私自身の価値を他人に示すことができれば父からの干渉を拒むことはできる…」
それが、どれだけ果てのない話だとしても。皆さんと学院を卒業するためには道を見つけるしかない。