- 美玲衣side -
昼休み。美玲衣は早めに食事を済ませて図書室の一角へと足を運んでいた。
(もう来られているでしょうか……)
しかし、お相手の姿は見えず。指定したテーブルに数冊の本を置いてそのうちの一冊を取るとパラパラとページをめくって読み始める。
読む──というよりは眺めること数分。向かいの席にその人物が座ったところで本を閉じ、声をかける。
「急な呼び出しになり申し訳ありません、織女さん」
「いえ、かまいませんわ。それで、密さんにも内密にご相談というのはどういったご用件ですか?」
「……そうですね。まずはそのご相談に関して、今の私の状況を軽く説明させてください」
現在の家の状況、身の回りに起きていること。自分自身で知り得たこと、刹那や千歳などから聞けたこと。わかるかぎりの情報を織女に説明する。
美玲衣が説明を終えると織女の眉が寄り、明らかに不愉快そうな表情をしているのがわかる。
「なんというのでしょうか……。なかなか困った状況に陥っているというのはわかりました」
「はい。正直、手詰まりに近い状況なんです」
「それで、その手詰まりをどうにかするためのご相談ということでしょうか」
「はい。いくつか考えましたが、今のところコレが一番現実的……とまでは言いませんが、可能性が高いものと思いました。織女さん、私を買う気はありませんか?」
美玲衣の申し入れに織女は一切の反応を見せなかった。1分、あるいは数分経って、美玲衣は改めて口を開く。
「正木孝太郎──私の父は今、私という存在を担保にしてとある資産家からお金を引っ張ろうとしています。逆に言えば、私自身が先に誰かに買われてしまえば売買契約を理由にその約束を反故にできる可能性を考えました」
「なるほど。ちなみにですが、おいくらの予定ですか?」
「今のところ、三億、とは聞いています」
「三億、ですか……」
目を閉じて組んだ両手を額につけるように顔を伏せる織女に、美玲衣は辛抱強く返答を待つ。顔を上げた織女に美玲衣はまっすぐに見つめた。
「私としましては美玲衣さんを買うことにメリットを見出だすことはできるかもしれません。しかし、金額が金額です。買うとなると風早として買うことになるでしょう」
「そうなると、難しい…と」
「そう、ですね。個人的には魅力的なお話とも思いました。しかし、グループとして美玲衣さんを見た場合、果たして三億をかけてまで手に入れるべき人材かと問われると、難しいと思います」
「──そう、ですか。……率直な意見をありがとうございました、織女さん」
イスから立ち上がり、テーブルに積んでいた本を抱える。本を棚に納めると美玲衣は図書室から出ていった。
★
- 織女side -
放課後。織女は一人、風早の本社ビルの応接室にいた。
「すまない。またせてしまったか?」
「いいえ。お忙しいなか、お時間を取っていただき感謝します、社長」
立ち上がり頭を下げる織女に風早幸敬は正面のソファに腰をおろした。
「仕事の息抜きに娘との歓談というのもいいと思ったからこそ時間を取っただけさ。それで、織女からの相談とはなにかな?」
「実は──」
織女は今日の昼間にあったことを簡単に説明した。向かいに座る幸敬は遅れて運ばれてきたコーヒーに口をつけながら、織女の説明に耳を傾ける。
「なるほど。正木孝太郎はずいぶんと追い込まれているとみえる」
「ええ。それで、美玲衣さんは私に『身売り』を持ちかけてこられました」
「身売り?」
「風早で『美玲衣さんを買わないか?』と」
「ふぅむ……」
カップをテーブルに置き、幸敬は腕を組む。
「それで。織女はどう答えた?」
「風早のグループとして『美玲衣さんに三億も出すのは難しい』と」
「そうか、理性的でなによりだ。だが、それでも私に話をしに来た理由はなんだ?」
「私自身としては美玲衣さんを買うことにメリットを見出だすことはできるかもしれないと考えました。その上で、何かしらの打開策のようなものは出せないか、ということを相談したいと思いました」
「なるほど……」
お互いにテーブルのカップを持って口元へ運ぶ。一口、飲んだところで──
「具体的に、織女はどういったメリットを見出だす?」
「一つは美玲衣さん自身の能力です。照星と成れるだけのポテンシャルはありますし、私と同じくらい文武両道です」
「他には」
「それなりの交友関係があります。私とかぶるところもありますが、畑違いの友人もおられます。将来的な人脈としては得難いもの、と」
織女は語りながらも幸敬の表情に変化がないことに気づいていた。このプレゼンを美玲衣自身から受けた織女でさえ、表情を崩すことはなかったのだ。目の前の相手がこの程度のメリットで頷くとはとうてい思ってはいなかった。
「やはり。あまり響いている感じはありませんね」
「そうだね。友達思いな発言だとは私も思うよ。だが、織女自身、その程度のことでグループのお金が動くとは思ってはいないだろう?」
「それは……」
織女自身、提示している内容で目の前の相手を納得させられるとは思っていなかった。とはいえ、何かしないと落ち着かなかったのもある。
「将来性が高いのは認めよう。しかし、そこは風早グループを望んで来てくれる者には一律の将来性はあると考えている。無論、今の段階でも相当な努力の元で今の立場を勝ち得ているというのは評価すべき点である、ということは否定しない」
「……はい」
「だからといってこのような形を取ってまで本当にグループに必要な人材か、と問われるとわからないのはわかってはいるんだろう?」
「そうですね。大金をかけてまで最優先で得るべき人材かと問われてしまうと、難しいと思ってはいます」
「理性的な判断は失っていないのはなによりだ」
織女は顔を伏せるしかなかった。何の準備も無く、ただただ感情論だけで目の前の相手を納得させることなんてできないとわかってはいた。
「だが、お前がそこまで推そうとする人材なのは確かなんだな?」
驚いたように顔を上げる。その目に映ったのは、楽しげに笑っている顔だった。
「だったら多少の時間をかけてでもきちんとしたプレゼンでも作ってみたらどうだ?もちろん、密や他の人の意見を付け加えたっていい。その人材を『グループに必要たる論拠』を準備して俺の元へと持参してくるぐらいの熱意があれば、私だって一考するぞ」
カップを掲げながら楽しげに笑う幸敬に、織女は少し膨れて──しかし、すぐに吹き出すように破顔した。
「わかりました。密さんや鏡子さんにご相談の上で改めてお話を持ってこようと思います」
「ああ、そうするといい。友人のためにいち早く動くことは美徳ではあるがそれだけではグループなんてものは動かすことはできやしない。ちゃんとした論拠を携えてくるなら、私は社長として、織女のプレゼンをきちんと受けると約束しよう」
「はい。お時間を取っていただきありがとうございました」
「なに。私も良い息抜きになったよ。次は、密と一緒においで。三人でお茶でもしながら話そう」
「それはまた別の機会としてご用意するようにします」
「ああ。楽しみにしているよ」
二人は笑みを交わしながら、カップを持ち上げた。