-刹那side-
まだ寮内のほとんどの人が寝静まる中、刹那は玄関にて制服を来て待ち人をしていた。
「……刹那お姉さま、おはようございます」
「あら。すみれ、おはよう。今日はずいぶんと早起きですね?」
刹那が振り返るとパジャマ姿に上着を肩にかけたすみれが玄関の扉を開けていた。
「目を覚ましたところで玄関の扉を開ける音が聞こえたので様子を見に来たんですが……」
「ごめんなさい、起こしちゃったようで」
「いえ、刹那お姉さまが謝ることでは……。今日は、どこかへお出かけですか?」
「……ええ。学院はたぶん、お休みすると思います」
「美玲衣お姉さま、ですか?」
「すみれは聡いですね。ええ、迎えに行ってきます」
「……わかりました。あやちゃんと一緒に美玲衣お姉さまのお部屋は掃除しておきます」
「ありがとう、すみれ」
「良い報告を、お待ちしていますねお姉さま」
「大丈夫ですよ、すみれ──」
刹那はスマホを取り出すと画面を見てすぐにしまう。そして、ゆっくりと歩き出す。
「決めたことを曲げるようなことはしないと決めているんですよ」
★
-美玲衣side-
とあるホテルの一室。部屋の窓から外を眺めていると部屋に備え付けられていたソファに座り電話をしていた男がこちらへと声をかけてきた。
「なあ、いい加減に諦めたらどうだ。顔はよかっただろ」
「私は顔で選ぶつもりはありません」
ソファに座る男──正木孝太郎は美玲衣を見上げながら笑っている。
寮から出たところで半ば拉致される形でこのホテルへ連れてこられ、スマホは取り上げられていて今はこの父親の決めた相手が自身を身請けに来るまでのわずかな時間という形だ。
「相手は新進気鋭のベンチャーだ。結婚すれば明るい未来が待っているぞ。これを蹴ればお前を娶ってくれるやつなんか現れると思うか」
「女を金で買おうとしているところへ嫁いでどのような幸せがあるというんですか」
刹那さんに何も話せなかったな、と父親との話を早々に切り上げて窓から外を眺め直す。後ろで喚いている声が聞こえるが話し合う気は起きない。
そんな時、ホテルの駐車場へ一台の黒塗りの車が入ってきた。それ自体は格式の高いホテルだ、珍しいことではない。問題は、降りてきた存在だ。
(……刹那さん?)
車から降りてきたのは制服姿の刹那だった。その佇まいは深窓の令嬢といっても差し支えのない様子だが、その顔が不意にこちらを見上げる。
(いま…、笑った?)
そう見えた刹那の姿がゆっくりとホテルへと歩いていく。その後ろにはアタッシュケースを携えた男が二人、足早に歩いていくのが見えた。
(どうして、こんなところに……)
「──、おい!聞いているのか!?」
肩を掴まれて無理やり振り向かされた。今の今まで無視されても話をしていた正木孝太郎が激昂した様子で力任せに肩を掴んでいる。
「……っ」
「美玲衣、お前…、フザけ、無視してんじゃねぇぞ!!」
掴まれた肩とは逆の腕が振り上がる。だが、美玲衣は目を閉じることすらせずにその様子を見つめていた。
その腕がこちらの顔を捉える前に部屋の扉を控えめに叩かれる。そして、扉がゆっくり開かれるとそこにいたのは刹那と二人の男だった。
「おい、なんだお前は。外にいた護衛のやつらはなにしてやがる!?」
「アレが護衛ですか?私が威嚇しただけでその場で頭を床に擦り付けて赦しを乞うていましたが」
そう言って刹那はソファへと腰を下ろす。男達は刹那の後ろへと並んで立った。
「正木孝太郎。私は貴方と交渉するために来ました」
「交渉、だと…?」
「ええ。そちらの正木美玲衣を身請けするとか。そのお話、私が買わせていただいてもよろしいですか?」
「……っ」
正木孝太郎は美玲衣から手を放し、刹那とはテーブルを挟んで向かいのソファに腰を下ろす。
「別にかまわねぇけどよ。お前、見た感じ女に見えるが?」
「ええ、女ですよ」
「……まあ、いい。で、お前が買うって?」
「ええ。美玲衣さんに関する全てを買わせていただきたく思います」
「こいつの売り先には三億を予定してる。そんな大金を払えるってのか?」
刹那は表情を変えることなく後ろの二人へと何か合図をした。男達は静かに前へ出るとテーブルにアタッシュケースを置く。鍵を外し、ケースを開かれると──正木孝太郎の顔が固まる。
「アタッシュケース一つで二億。二つで四億用意しました。代わりと言ってはなんですが、今後はたとえ父親であろうと美玲衣さんの人生への一切の介入を禁止させてもらいます。念書もこちらでご用意させていただきました」
男の一人が数枚の紙束を正木孝太郎の前に置いた。孝太郎は中味を見ていたが、すぐに視線を刹那へと戻す。
「いいだろう。今後はお前らとは一切の関わりを持たない。こちらの念書にも書こう」
「ご理解いただき感謝いたします。さっそく、美玲衣さんをいただいても?」
「ああ……。おい!」
念書から顔を上げずに怒鳴る男の後ろから刹那の方へと歩いていく。刹那が立ち上がると不意に抱きしめられた。
「せ、刹那さん!?」
「これで貴女は私のものですよ、美玲衣」
刹那がこちらに目線を合わせ、嬉しそうに笑う。そして、扉の方へと歩きだし、手を引かれるままについていく。
「そちらの対応は任せますね。終わったら戻ってきなさい」
男二人が静かに頷くのを確認して刹那はこちらの手を引きながら歩いていく。廊下には数名の直立不動の男が窓の前に並んでいた。おそらく、父親の言っていた護衛とやらだろう。
二人でエレベーターに乗るまで、男達は直立不動のままだった。
☆
部屋の中、念書を確認した二人の男のうち、一人は念書を書類用のケースにしまい、一礼して出ていく。もう一人はスマホで電話をしていたがそのスマホを正木孝太郎へと差し出した。
「なんだ?」
「貴方とお話したいという方と繋がっております」
「なんなんだ、いったい……」
スマホを受け取り耳に当てる。すると、電話口からは男の声が聞こえてきた。
『正木孝太郎で間違いないね?』
「そうだ。誰だ、お前は」
『私は天形という者だ。君がよほどのバカ者でなければこれだけでわかると思いたいね』
「天形……?」
正木孝太郎は頭の中で『天形』について考えていたが電話口の男は孝太郎が黙っていることを肯定と受け取ったのか話を進める。
『さて。手短にお話しよう。君が書いただろう念書の内容は反故しないよう念を押しておこうと思ってね。もし、彼女の逆鱗に触れるようなことをすれば君の命の保証はしかねる、とね
もちろん、君が強欲な人間でその強欲さを見せるようなら覚悟だけは決めて行うといい。彼女の逆鱗に触れることは各国の代表でさえしない、最も愚かな行為だからね』
電話口の声は伝えるだけ伝えると切れてしまう。唖然としている正木孝太郎の手から男がスマホを取ると──
「それでは、私もこれで失礼いたします。天形の社長の忠言はゆめゆめ忘れぬよう、最後にお伝えはしておきます。無論、命を賭して手を出すのであれば、我々に止める権利はございませんが……」
男が出ていくと扉は静かに閉められた。ただ一人、部屋に残された正木孝太郎は電話口の男の忠言をただ、考えていた。