次の日。
刹那は密と鏡子、花と一緒に学園へ向かうための坂を上っていた。
「昨日は大変だったそうですね、密さん。なんでも『姫』の友人に選ばれたとか」
「もう刹那さんでも知っているんですか…」
昨日の昼休み。刹那が茉理と話している頃。
密の方は食堂で昼食を取って教室へと帰る道すがら、『姫』こと
「ええ。まあ、私は放課後に千歳から聞いたのですが」
諸事情で密を探していたのだが見つからず、仕方なく学院の情報通でもある新聞部の副部長──
「千歳曰く『密さんの情報が欲しい。なんでもいいからもらえないか?』と現れるなり言いましたので本人に直接取材しろと言っておきました」
「ええと、その千歳さんというのはどのような方なのでしょうか?」
「新聞部の副部長なのです。またの名を『忍者』とも呼ばれてます」
「に、忍者…?」
何故そんな二つ名がつくのか、密には理解の外である。
「あっ、知ってますよ。なんでも『潜り込めないところはない』と豪語する新聞部のエースとも呼ばれている方で、今の新聞部の部長さんからも一目おかれているとか」
しかも、今年から入学したはずの花がすでに知っているほどの有名人であるらしい。
「そのうち、挨拶に行くと思いますから。まあ、千歳は新聞部部長と違って載せるべき情報は選ぶ人ですし」
「は、はぁ…?」
「大丈夫なのです。織女さんとの友誼を密さんが結んでしまった時点でこのことは予測していました。フォローは任せるのです」
「はい。お願いします…」
影からの護衛任務だったはずがどんどんと火中の栗へと変わっていく。
「ところで密さん。私から一つ質問があります」
「…?なんでしょうか?」
「運動は得意ですか?」
「運動、ですか。まあ、不慣れということはありませんけど…。どれほどできるかと聞かれるとなんとも言えませんね」
密は男のためにこの場にいるメンバーよりも肉体的には筋力等は圧倒的に上だろう。しかし、刹那はそんなことはわからない。
「ふむ。であれば、今日は少しは楽しめそうかなぁ」
「えっと、どういう意味でしょうか…?」
急に機嫌の良くなった刹那に密は驚いた。そんな密の袖を鏡子が引く。
「密さん。今日の授業は頭に入っていますか?」
「えっと、はい」
「刹那さんはたぶん、体育を楽しみにしているのだと思うのです。その、彼女は少々…普通とは違うので…」
普通とは違うことなど二日の間に嫌というほど思い知っている。学院内での『雨水刹那』の名前はそれほどまでに有名だった。
「私ごときが刹那さんのお相手をできるかはわかりませんよ?」
「それは、やってみてからのお楽しみ──ととっておくことにしましょうか」
★
-密side-
そうして、体育の時間が迫ってきているのだが…
「着替えのことが頭から抜けていましたね、密さん?」
「ええ。本当にお手数おかけします、鏡子さん」
二人は更衣室から少し離れた場所で他の生徒が居なくなるまで待っている。ちなみに、鏡子はすでに着替えは終えている。
「さすがに密さんにいきなり着替え中の女性徒の中へ突撃させるわけにもいきません。そんなことして鼻血でも噴かれたら言い訳できません」
「出ません…」
「本当ですか?今も実は『興奮してます』とかカミングアウトしたりしませんか?──全力で蔑んでみせますよ?」
「ありません。ところで、今日の授業なんですけどどうしたらいいですか?」
「どうしたらいい、というのは?」
「えっと、刹那さんのことです」
なぜか今日の体育に関してすごく楽しみにされている。どうも話から察するに今までの体育の授業では全力を出せていなかった様子ではあるのだが…
「正直な話をすれば手を抜いた方がいいでしょう。ですが、おそらくそれをすれば彼女の逆鱗に触れかねませんからオススメできませんね。ですから、全力でお相手してあげた方がいいでしょう──その後はどうなるか見当もつきませんが…」
おそらく周囲に騒がれるという意味で見当がつかないということを密も理解できる。
しかし、刹那を怒らせることが得策ではないというのはわずか二日、この学院に通った密ですらなんとなく理解できるだけの情報は手元にある。つまり──
(全力でお相手するしかなさそうですね…)
鏡子の偵察後、人が居なくなった更衣室に入って着替える──実は一人居たので密には少々心臓に悪かったのは別の話。
授業が始まるギリギリに密は体育館へと駆け込んできた。その表情が赤いのは走っただけではない。
「遅かったですね。何かありましたか?」
「あの…、鏡子さん。一人、着替えていたんですが…」
「おや、誰でしょうか?」
「えっと…」
体育館を見渡すと先ほど見かけた女性徒は今しがた入ってきたところだった。
「今来た方です」
「ああ、
「ヴィオラの君?」
「彼女は元有名なヴァイオリン奏者だそうです。何らかのご病気で引退したとかでこの学院に来た、と記憶しています」
「あの、鏡子さん。ヴィオラとヴァイオリンでは別の楽器ですよ?」
「名付けた人はそこまで考えていないのでしょう。それに、ヴァイオリンの君よりもヴィオラの君の方が呼びやすいとかそういうことなのでは」
「はぁ…」
言われてみればその通りなのだろうが、二つ名とはそんな安易に決まってしまうものなのだろうか。
「はーい。じゃあ授業を始めるよ。まずは五人チームを作って」
授業が始まるとチームが作られる。どうやらバスケットが始まるようなのだが…
「一戦目から刹那さんが相手ですか」
「よろしくお願いします、密さん」
こちらといえば密、鏡子とクラスメイトの
「い、いきなり女帝とですか…」
「やはり他の生徒には女帝として通っているんですね」
「密さんは女帝のこと、名前で呼んでいるんですね」
「ええ。本人たっての希望で…」
「なるほど。女帝らしいといいますでしょうか…」
先生の合図でゲーム開始のために密と刹那が向かい合うように立つ。
「その実力、ここで測らせていただきましょう──」
「──お手柔らかにお願いします」
先生の笛の合図とともにボールが高々と放られる。同時に跳んだ以上、普通なら背丈の高い刹那の方に分があるはずだが──
(ムッ…?)
ボールを弾いたのは密だった。受け取ったのは鏡子。着地した密にすぐにパスを通すと3点ラインからのシュートを決める。
「──ふむ。少し…いや、さすがに私が手を抜きすぎていた、か…」
チームメイトからボールを受け取っている刹那を密と鏡子は見ながら──
「なんといいますか、完全な様子見という感じでしたね」
「ええ。少し気合いを入れすぎたでしょうか?」
「いえ、たぶんここからですね。まずは私からいきましょう」
ドリブルで近づいてくる刹那に対して鏡子はディフェンスに入る。
「鏡子さんがやる気を見せているのは珍しいですね」
「ええ。少しはやる気を見せてみるのもいいかと思いましたので」
「──今日は、言葉通りの『全力』をお見せするべきなようですね」
ドリブルを繰り返していた刹那の上半身がわずかに動いた。
(──捉えました)
鏡子はボールを奪うべく手を伸ばした──はずの場所にはすでに刹那はいない。
(なっ──?)
振り返った先にはすでに密と対峙する刹那がいた。しかし、その対峙すら一瞬のこと。ポカンとした表情をした密を置き去りにした刹那がダンクシュートを決めていた。
「これは、予想外過ぎる展開かもしれませんね…」
ボールを受け取っている密の瞳に火が入る。気を抜いていた。とはいえ反応すらさせてもらえなかった密としてはここで引き下がるのは負けた気がする。
「──いい顔になった。では、全力でやり合おうか」
そこからは密と刹那の戦いへと発展した。周りの生徒は二人にパスを通すと二人の戦いを眺める以外にやることが失われる。
取っては取られを繰り返す二人はすでに周囲の様子など視界に入っていないのだろう。わずか10分足らずの攻防だというのに二人だけが汗をかき、周りの生徒は二人に惜しみない拍手を送るしかなかった。